泰子のレクチャーは続く。
「で、銀座の先生は国立、全部受けろって言ってるんだよね?」
「そうそう」
「日程はね、T小が一番早くて、T大附属T小が一番遅いんだよね」
「へえ~(感心のへえ~)」
「T小だけじゃなくて、全部受けるのなら、場慣れの意味もあるんだけど、T小が一番早いでしょ。しかもT大附属やO女は言っておくけど絶対に記念じゃ受かんないからね。T小は確かにありえるよ。行動観察だけだもん。けどね、生半可な勉強じゃあ、他の国立は無理だからね」
さすが気合が違うなあ~。
ここまで来ると、もしかしたら私って冷たいんじゃないかと思ってしまう。
だってそこまで子どものことに一生懸命なれないもん。
第一、娘の年だった頃の私ときたら、相当ボンヤリした子どもだったので、その頃の記憶がほとんどない。
なんとなく覚えていることといったら、テレビでは「ひみつのアッコちゃん」が好きだったこと。おばあちゃんちへよく泊まりにいったこと。おばあちゃんちに行ったら当時まだ大学生だったオカンの末弟のまっちゃんから「ブス」とよくからかわれていたこと。反撃すると「黙れブス!」と投げ飛ばされていたこと(涙)。それをおばあちゃんに「まっちゃんがブスって言うよ!」と言いつけると、「だいじょうぶ。あんたのお母さんの子どものころは本当に不細工やったから」とおばあちゃんは私を慈しむように抱きしめ、子ども心にどう解釈していいものか大いに戸惑ったこと。まっちゃんがおばあちゃんによく「オフクロ! 金くれよ」とお小遣いをせびっていて、そそくさとお小遣いをあげているおばあちゃんを見て、おばあちゃん甘いよ、大甘だよ!と義憤にかられて、おじいちゃんにチクリに行ったらおじいちゃんから、「お絵かきの紙は机にきちんと垂直になるように置きなさい」とかなりどうでもいいことで叱られたこと。そうだ、まだまっちゃんからお年玉をもたっていなかったと思い出して、「お年玉ちょうだいよ。大人なんだから」と催促すると、「お前にやる金はビタ一文なし!」とものすごい勢いで却下され、それ以降まっちゃんからお年玉をもらう正月は未だに訪れていないこと。
あとはイケイケだった父が私の幼稚園の担任の田中洋子先生(仮名)にフォーリン・ラブしてしまい、「おい、うちのお父さんが先生とデートしたいって言ってるって伝えてこいや」と無茶なことを6歳児に頼み、私も能天気にみんなの前で「先生! うちのお父さんが先生とデートしたいんやって! デートしたって」と言ったものだから、顔を真っ赤にした先生が「そんなこと困ります! 無理です!ってお父さんに伝えてちょうだい!」と激怒し、それをまたそのまま帰って伝えたら、「おんどりゃあ~、先生が根負けするまで何度でも言うんじゃ。簡単にあきらめるな。先生がうんって言うまで帰ってこんでよし!」と虐待すれすれのことを言っていたこと。
オヤジも鬼畜だったが、そういう本人も片っ端からいやがる男の子たちにキスしてまわり、「あいつ、キモい。キス魔」だと陰口を叩かれ、それでも断固として私のキスを拒む男の子には泥水を「さあさあ。これはおいしいコーヒー牛乳だからお飲み」と迫り、色白でぽっちゃりしていた山下くん(本名)に「飲むんだよ。この白ブタが!」と罵り飲ませかけたところで、田中先生に見つかりこってり怒られたこと。
発表会の「浦島太郎」ではこんぶの役(←ゆらゆら揺れてるだけ)だったこと。
家のトイレがまだ汲み取り式で臭かったこと。
そんなこんなの残念だとしかいいようのない思い出が走馬灯のように蘇ってくる。
ああ~、安い子ども時代だ。
それに比べればうちの娘は遥かに立派だ。
「青は藍より出でて藍より青し」とはまさにこのことか(←いや違う)。
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