4歳前にして「400+400=800」という難問(しかも英語!)で答えた我が息子。
もしかしてまぐれ? もしかしてたまたま? という可能性(というかそれしかない)もあるが、ちょっとすごいぜ、我が息子よ。
もしかして本当に天才だったりして。とちょっと調子に乗るアホな親である。
そして12月に入ってから、それまでいまひとつ文字に興味がなく、ひらがなも覚える気皆無だった息子が、娘愛用のアンパンマンのひらがな絵本を持ってきて、
「ねえ、これなんて読むの?」
と聞いてくるではないか。
もともと風呂場にひらがなマットを使っていて、壁にはカタカナ表を貼ってあるので、娘もそれで文字を覚えたものだった。
けど娘の場合は1歳半過ぎぐらいから文字に興味を持っていたので、早いうちからあれこれと文字のものを買い与えていたのだけど、実際に文字を完璧に覚えたのは4歳ぐらいだったと思う。
ゆっくり時間をかけて徐々に覚えていったという感じだ。
小学校に入る前に覚えておいたほうがいいとぐらいにしか考えていないので、息子の場合もまだ時間があるからとのんびり構えていた。
「で、これはなんて読むの?」
「どれどれ、うーん、これは“ぬ”だね」
「へえ、“ぬ”と“め”は似てるね」
「そうだね」
「“ね”と“わ”も似てるよ」
「そうだね」
などと話しているうちに、そのうち息子は壁に貼ってあるカタカナ表をじーっと眺め、なんと! 3日ほどでひらがなとカタカナをすべて覚えてしまったのである。
速い! 意外と一夜漬けが効くタイプだったりして。
興味がないとはいえ、これまでも風呂場や壁に文字表が貼ってあったのだし、うちにも保育園にも本はたくさんある。本もよく眺めていたし(←読んでいるようには見えない)、紙芝居とかも最前列で食い入るように見ているので、それまでの蓄積はあったんだろうけど、いっきに花開いた感じだ。
もしかして本当に天才だったりして!?
まさか、まさか、ね?
しかし相変わらず指ばかりしゃぶっている。
「いいかげんに指しゃぶるのやめないと、蛇に指、食べられるよ!」
「いや! 蛇怖い!」
しかし一瞬目を離すとまた指をしゃぶっている。
「だから、やめないと狼が来るよ!」
「いや! 狼怖い!」
しかしまだしゃぶっている。
「指ばかり舐めてる子はお寺に行って修行だよ!」
「いや! お寺行かない!」
それでもやめない。
「今度はお化け来るよ!」
「いや! お化け怖い!」
まだまだやめない。
あ~あ、全然懲りない。やっぱり天才というには程遠い!?
2009年6月29日月曜日
すごいぜ、息子!①
早生まれだということもあり、同じクラスの子どもたちと比べてもポヨーンとしていて幼い我が息子。
筋肉少女隊の「ポヨヨンロック」を聴くと、なぜだか息子を思い出してしまって仕方がない今日この頃だ。
息子の性格については、
「娘さんはお父さんに性格も向いていることも似てますけど、息子さんはお母さんに似てますね。自由奔放で自分のやりたいことしかやらないところとか、マイペースなところとか、芸術関係に向いているところとか」
と銀座の先生に言われていたが、実際にそんな予兆があっちこっちに現れ始めていた。
なんとも気まぐれくんで、もう周りは振り回されっぱなしである。
そしてあろうことか、先生からは、なんと「天才」と評されているのである。
まさか、まさか、まさか、である。
さて息子である。喋り始めるのも遅く、「おい、だいじょうぶか!?」とずいぶん心配したものであるが、4歳近くなってからは喋る喋る、今まではいったい何だったのか!?
それと数字に異様な興味を示し、保育園のお友だちの下駄箱を片っぱしからチェックをして、何をしているのかと思いきや、なんとお友だちの靴のサイズを調べているのである。
いったい何のために!?
数字を見れば、チェックせずにはいられず、数字を見れば数えずにはいられない息子なのだ。
それはまるで、鳥を見れば数えずにはいられない「野鳥の会」のメンバーのよう、はたまた、山を見れば登らずにはいられない山男のようではないか。
すっかり保育園全員(先生も含む)の靴のサイズを掌握し、誰の足は誰より大きいなどとデータがすっかり頭に入っている息子。
ていうか、違うところに頭使えよ。
街にあふれる数字を片っ端から嬉々としてチェックする息子。
「ハクション大魔王」並みに数字が苦手だった私の息子だとは思えない。
そして事件は起こった。
夫はいつも子どもたちには英語で話しかけるのだけど、一生懸命英語で答えようとトライする娘と違って、息子は夫の言っていることはたいてい理解していても、はなっから英語で答える気なんてない。
まあ、もっとも最近まで日本語も怪しかったのだから仕方がないんだけど・・・。
それでも数字だけは英語での言い方に興味を持っていて、しっかり20ぐらいまでは頭に入っている息子だ。
ある日、娘が「3+3=6って英語でなんて言うの?」と夫に聞いたことから、夫がいくつか英語で問題を出し、娘が英語で答えていき、答えられない前提で、
「フォー・ハンドレット・プラス・フォー・ハンドレット・イコール?・・」
と夫が聞くと、「え? ええぇ~?」と戸惑っている娘の横にいた息子が目を輝かせ、
「エイト・ハンドレッド!」
と即答したのである。
「えええええ!?」
驚愕する私たち。
「ぐふふ。だからエイト・ハンドレッドだよ」
念押しする息子。これはいったいどうしたのだ!?
筋肉少女隊の「ポヨヨンロック」を聴くと、なぜだか息子を思い出してしまって仕方がない今日この頃だ。
息子の性格については、
「娘さんはお父さんに性格も向いていることも似てますけど、息子さんはお母さんに似てますね。自由奔放で自分のやりたいことしかやらないところとか、マイペースなところとか、芸術関係に向いているところとか」
と銀座の先生に言われていたが、実際にそんな予兆があっちこっちに現れ始めていた。
なんとも気まぐれくんで、もう周りは振り回されっぱなしである。
そしてあろうことか、先生からは、なんと「天才」と評されているのである。
まさか、まさか、まさか、である。
さて息子である。喋り始めるのも遅く、「おい、だいじょうぶか!?」とずいぶん心配したものであるが、4歳近くなってからは喋る喋る、今まではいったい何だったのか!?
それと数字に異様な興味を示し、保育園のお友だちの下駄箱を片っぱしからチェックをして、何をしているのかと思いきや、なんとお友だちの靴のサイズを調べているのである。
いったい何のために!?
数字を見れば、チェックせずにはいられず、数字を見れば数えずにはいられない息子なのだ。
それはまるで、鳥を見れば数えずにはいられない「野鳥の会」のメンバーのよう、はたまた、山を見れば登らずにはいられない山男のようではないか。
すっかり保育園全員(先生も含む)の靴のサイズを掌握し、誰の足は誰より大きいなどとデータがすっかり頭に入っている息子。
ていうか、違うところに頭使えよ。
街にあふれる数字を片っ端から嬉々としてチェックする息子。
「ハクション大魔王」並みに数字が苦手だった私の息子だとは思えない。
そして事件は起こった。
夫はいつも子どもたちには英語で話しかけるのだけど、一生懸命英語で答えようとトライする娘と違って、息子は夫の言っていることはたいてい理解していても、はなっから英語で答える気なんてない。
まあ、もっとも最近まで日本語も怪しかったのだから仕方がないんだけど・・・。
それでも数字だけは英語での言い方に興味を持っていて、しっかり20ぐらいまでは頭に入っている息子だ。
ある日、娘が「3+3=6って英語でなんて言うの?」と夫に聞いたことから、夫がいくつか英語で問題を出し、娘が英語で答えていき、答えられない前提で、
「フォー・ハンドレット・プラス・フォー・ハンドレット・イコール?・・」
と夫が聞くと、「え? ええぇ~?」と戸惑っている娘の横にいた息子が目を輝かせ、
「エイト・ハンドレッド!」
と即答したのである。
「えええええ!?」
驚愕する私たち。
「ぐふふ。だからエイト・ハンドレッドだよ」
念押しする息子。これはいったいどうしたのだ!?
2009年6月24日水曜日
銀座の先生のところに電話をしてみた②
仕事のこと、もし仕事を辞めたならその後の収入について、ペンネーム。それらのことが頭から離れない日々が続いた。
最初に銀座の先生のところに行ってからしばらく経っている。また診てもらうのもいいかもしれない。
2008年の11月下旬。思い切って先生のところに電話してみる。前回は感じのいい男の人が受付をしていた。
そころが今回、電話に出たのは若そうな女性で、名前を告げると、
「お久しぶりですね。お元気でしたか?」
と言われた。
おお! まさか、先生自ら電話を取るとは! しかも覚えてくれている?
「実はまたお伺いしたいんですけど」
「はい、今年だったらそうですねえ。空いているのは12月24日と25日だけですね。来年だったら、8日以降は今のところ予定、空いてますよ」
オオ・マイ・ガァー! 要は空いているのはクリスマスだけということか。
ううーん、微妙! うちは一応夫が外人なので25日は会社を休んで家族揃ってクリスマス・ディナー(イギリスではディナー=夕食とは限らない)を昼間から始める習慣がある。夫が12月に入ったら丸ごとのターキーを仕入れてきて中にいろいろと詰めて何時間もかけてオーブンで焼く。
ちなみに私はシーフード・ベジタリアンなのでターキーの代わりに、ロブスターだとかサーモンだとかムール貝だとかを用意してもらっている。
家族揃ってクラッカー(たぶんイギリス独自のもの)を鳴らしてその中に入っている紙でできている王冠を被って、昼間っからシャンパンやらワインやらを開けて、夜になったらスティーヴ・マックィーンの「大脱走」を観て、そのあと夫がイギリスの家族全員に電話を掛けまくるというのが王道パターンだ。
その代り、日本では最重要視されている24日は我が家では比較的あっさりしたものだが、クリスマス・イヴ=勝負の日!という感覚が残っているバブリーな私が、無理やり24日もそれなりの日に仕立て上げているというのが現状だ。
そうか~、先生のところ、クリスマスしか空いてないのかあ。
まあ、どっちかの日にちでも無理をすれば、1時間ぐらい占いに裂くのは可能だろうけど、なんとなく気のりのしない私だ。
なんだか、クリスマスに占いしてもらっているってイヤじゃん。他に楽しいことないのかよって気になるではないか。
きっとそう思う人が多いだろうから、いつもだったら1か月も2か月も予約で埋まっている銀座の先生のところもクリスマスだけ空いているのだろう。
「クリスマスは微妙です」
まるっきりそのまんまの状況を述べている私。
「では年明け8日以降にしますか?」
「ううん~、ちょっと年明けのことまでわかんないんで、また電話します」
ああ、さっさと予約したほうがよかったのかな。なんとなく1か月半先のことだけなのに、年明けだと言われると、予定も何もないくせにどうしていいかわからなくなってしまい、先延ばしにしてしまったダメな私なのであった。
最初に銀座の先生のところに行ってからしばらく経っている。また診てもらうのもいいかもしれない。
2008年の11月下旬。思い切って先生のところに電話してみる。前回は感じのいい男の人が受付をしていた。
そころが今回、電話に出たのは若そうな女性で、名前を告げると、
「お久しぶりですね。お元気でしたか?」
と言われた。
おお! まさか、先生自ら電話を取るとは! しかも覚えてくれている?
「実はまたお伺いしたいんですけど」
「はい、今年だったらそうですねえ。空いているのは12月24日と25日だけですね。来年だったら、8日以降は今のところ予定、空いてますよ」
オオ・マイ・ガァー! 要は空いているのはクリスマスだけということか。
ううーん、微妙! うちは一応夫が外人なので25日は会社を休んで家族揃ってクリスマス・ディナー(イギリスではディナー=夕食とは限らない)を昼間から始める習慣がある。夫が12月に入ったら丸ごとのターキーを仕入れてきて中にいろいろと詰めて何時間もかけてオーブンで焼く。
ちなみに私はシーフード・ベジタリアンなのでターキーの代わりに、ロブスターだとかサーモンだとかムール貝だとかを用意してもらっている。
家族揃ってクラッカー(たぶんイギリス独自のもの)を鳴らしてその中に入っている紙でできている王冠を被って、昼間っからシャンパンやらワインやらを開けて、夜になったらスティーヴ・マックィーンの「大脱走」を観て、そのあと夫がイギリスの家族全員に電話を掛けまくるというのが王道パターンだ。
その代り、日本では最重要視されている24日は我が家では比較的あっさりしたものだが、クリスマス・イヴ=勝負の日!という感覚が残っているバブリーな私が、無理やり24日もそれなりの日に仕立て上げているというのが現状だ。
そうか~、先生のところ、クリスマスしか空いてないのかあ。
まあ、どっちかの日にちでも無理をすれば、1時間ぐらい占いに裂くのは可能だろうけど、なんとなく気のりのしない私だ。
なんだか、クリスマスに占いしてもらっているってイヤじゃん。他に楽しいことないのかよって気になるではないか。
きっとそう思う人が多いだろうから、いつもだったら1か月も2か月も予約で埋まっている銀座の先生のところもクリスマスだけ空いているのだろう。
「クリスマスは微妙です」
まるっきりそのまんまの状況を述べている私。
「では年明け8日以降にしますか?」
「ううん~、ちょっと年明けのことまでわかんないんで、また電話します」
ああ、さっさと予約したほうがよかったのかな。なんとなく1か月半先のことだけなのに、年明けだと言われると、予定も何もないくせにどうしていいかわからなくなってしまい、先延ばしにしてしまったダメな私なのであった。
2009年6月22日月曜日
銀座の先生のところに電話してみた①
2008年11月末。小説「エッサウィラ」を書き終えて放心状態だった私(←っていうか、仕事しろっての)。
前回、銀座の先生のところへ行ってから1年4か月ほど経っていたが、2008年の1月から4月に興味を持ったことを勉強すればその道で「先生」と呼ばれるようになるいうことだったが、一向に興味を持てるようなものなどなく、ましてや勉強のべの字もしていない私である。
クリエィティヴ系では映像の字幕翻訳がいいと言われていたが、あまり興味は惹かれずそっちもさっぱりだ。
唯一したことといえば、小説を完成させたことだけ。
これもそもそも人に読ませるつもりもなかったものだったが、たまたま本田くん(仮名)という編集者に読んでもらったら、めちゃくちゃ褒められて、
「じゃあ営業にも話します。うちの営業がどうしてもだめなら、いっそのことひとり知り合いがいるG舎に持ち込みます。小説はG舎のほうが強いし、清永さんのはG舎向きだから。でも最初はもちろんT書店から出せるように努力します」
とまったく思いがけないことを言われ、調子に乗って書き上げてしまったのだ。
うーん、先生が予言したように本当に2010年4月までに会社を辞めているのか。でも8月に鋼鉄の女、稲橋さんが定年退職して部署には私ひとり。とてもじゃないが足抜けできなさそうな状態だ。
まあ仕事はさておき(←さておくな!)、問題は収入だ。
一応、正社員で40歳過ぎている私は高給取りではないがボーナスもあるし、家計は大いに支えているつもりだ。
賢い奥さんだったらうちの夫ぐらいの収入でもやりくりできるんだろうけど、いかんせん私はバブル世代だ。どうも節約とか倹約とかそういうみみっちいことが苦手で、チマチマと節約するぐらいなら、自分が稼げばいいやと考えるアンチ“素敵な奥さん”だ。
子どもたちも今後、お金がかかる一方で減ることはまずない。どう考えても2010年の春には会社を辞めている状況じゃない。
以前、先生は会社を辞めたあとの私の収入は「家族4人は養えないけど、一人でだったらやっていける程度」だと言った。
それっていうのは年収いくらぐらいのことを言うのだろう。だって贅沢に好きなことをして暮らしている一人暮らしと、コツコツと節約しながら生活している一人暮らしは全然違うじゃないか。
それと私のペンネームだ。
私の本名はカタカナの苗字に日本の名前という組み合わせ。たとえば「マーカス寿子」とか「スペクター京子(デイヴ・スペクターの奥さん)」みたいな感じ。
けど小説にカタカナの苗字はいまいちだ。これが料理本だったり、ダンナの国のレポートだったりすれば大正解なんだろうけど。
それでは旧姓はといえば、それはそれでいまひとつな感じがする。私の旧姓はとにかく日本で多い苗字のベスト20に常に入るようなありふれたものだし、名前も私の世代ではクラスに何人もいたようなありがちなものだ。
とはいえ、本田くんや森田(仮名)、田上さん(仮名)など大学のOB会のメンバーや、前にいた会社の人たちは未だに旧姓で私を呼ぶ。
最後の選択肢はまったく新しい名前をつけるというもの。しかし新しい名前なんてそうそう思い浮かばない。
せっかく小説が完成してもペンネームが決まらないと何もスタートできないような気分になる。
それってそろそろ先生のところに行けっていうことなのか。日に日にそんな思いが強くなっていった私である。
前回、銀座の先生のところへ行ってから1年4か月ほど経っていたが、2008年の1月から4月に興味を持ったことを勉強すればその道で「先生」と呼ばれるようになるいうことだったが、一向に興味を持てるようなものなどなく、ましてや勉強のべの字もしていない私である。
クリエィティヴ系では映像の字幕翻訳がいいと言われていたが、あまり興味は惹かれずそっちもさっぱりだ。
唯一したことといえば、小説を完成させたことだけ。
これもそもそも人に読ませるつもりもなかったものだったが、たまたま本田くん(仮名)という編集者に読んでもらったら、めちゃくちゃ褒められて、
「じゃあ営業にも話します。うちの営業がどうしてもだめなら、いっそのことひとり知り合いがいるG舎に持ち込みます。小説はG舎のほうが強いし、清永さんのはG舎向きだから。でも最初はもちろんT書店から出せるように努力します」
とまったく思いがけないことを言われ、調子に乗って書き上げてしまったのだ。
うーん、先生が予言したように本当に2010年4月までに会社を辞めているのか。でも8月に鋼鉄の女、稲橋さんが定年退職して部署には私ひとり。とてもじゃないが足抜けできなさそうな状態だ。
まあ仕事はさておき(←さておくな!)、問題は収入だ。
一応、正社員で40歳過ぎている私は高給取りではないがボーナスもあるし、家計は大いに支えているつもりだ。
賢い奥さんだったらうちの夫ぐらいの収入でもやりくりできるんだろうけど、いかんせん私はバブル世代だ。どうも節約とか倹約とかそういうみみっちいことが苦手で、チマチマと節約するぐらいなら、自分が稼げばいいやと考えるアンチ“素敵な奥さん”だ。
子どもたちも今後、お金がかかる一方で減ることはまずない。どう考えても2010年の春には会社を辞めている状況じゃない。
以前、先生は会社を辞めたあとの私の収入は「家族4人は養えないけど、一人でだったらやっていける程度」だと言った。
それっていうのは年収いくらぐらいのことを言うのだろう。だって贅沢に好きなことをして暮らしている一人暮らしと、コツコツと節約しながら生活している一人暮らしは全然違うじゃないか。
それと私のペンネームだ。
私の本名はカタカナの苗字に日本の名前という組み合わせ。たとえば「マーカス寿子」とか「スペクター京子(デイヴ・スペクターの奥さん)」みたいな感じ。
けど小説にカタカナの苗字はいまいちだ。これが料理本だったり、ダンナの国のレポートだったりすれば大正解なんだろうけど。
それでは旧姓はといえば、それはそれでいまひとつな感じがする。私の旧姓はとにかく日本で多い苗字のベスト20に常に入るようなありふれたものだし、名前も私の世代ではクラスに何人もいたようなありがちなものだ。
とはいえ、本田くんや森田(仮名)、田上さん(仮名)など大学のOB会のメンバーや、前にいた会社の人たちは未だに旧姓で私を呼ぶ。
最後の選択肢はまったく新しい名前をつけるというもの。しかし新しい名前なんてそうそう思い浮かばない。
せっかく小説が完成してもペンネームが決まらないと何もスタートできないような気分になる。
それってそろそろ先生のところに行けっていうことなのか。日に日にそんな思いが強くなっていった私である。
2009年6月18日木曜日
小説完成する その2
なんとか完成させた小説「エッサウィラ」。さっそく、T書店の本田くん(仮名)、HANAちゃん、沙織(仮名)の3人に送る。
思いっきりそれぞれタイプの違う3人。
熱き魂を持つ孤高の暴れ馬、本田くん当時39歳。
ひまわりのようなパワフル・ディーバ、HANAちゃん当時27歳。
切れ味抜群冷静沈着な女参謀、沙織当時40歳。
とりあえずこの3人がOKと言ってくれれば、私的には大満足だ。
さっそく読んだ感想を言ってたのが、現職編集者本田くんだった。今回の終わり方について一番OKを出してくれたのも彼だった。
「とうとう、完成させましたね」
「今回はあれでいいかな?」
「ばっちりです。終わり方もいいですよ。清永さん、もしかして天才かも」
「え、ほんと?」
おだてに弱い私である。それを知ってか、電話口で本田くん、褒める褒める。わーいわーい。もっと褒めて褒めて!
お次はHANAちゃんだ。ちょうど会社の近くまで来たからとお昼に電話をくれて、一緒にランチを食べた時のこと。
「読みましたよ、もう一気に!」
「どうどうどう?」
「めっちゃ、いいじゃないですか。絶対に今回の終わり方のほうがいいですよ。もう、私、キモイぐらいハマってますよ。ただね」
「ただ何よ?」
「私的にはもうちょっと書いてほしかったな。今、清永さん、優しいダンナさんもいて、可愛い子どもたちがいて、めっちゃ幸せやないですか。その今を示唆しているような感じやったらもっと私はグッときたかも」
「まあ小説やからね。実は続きもあるし。そういう終わり方もわかるけど、今回は違うと思ったから」
「そっかあ。続きがあるんやったら、納得ですわ。けどホンマ、おもろかったですからね。続きもはよ、書いてくださいね」
はーい、頑張ります!
「あんた、あれ終わり書き直す気、ないの?」
3人の中で一番反応が厳しかったのが女黒田官兵衛・沙織である。
「途中まではめっちゃ、良かったんやけどなあ。途中から主人公がわけわからへんすぎて、感情移入できへんで。あれ、ジャンル的にはなんなん? どうもあれこれいろんな要素が入りすぎてて散漫な感じがするんやけど。終わり方も唐突やで」
うわ! 辛辣! がぴょーん。
ただ書き直す気のない私である。沙織はたぶん本はたくさん読んでいるけど、小説はあまり読んでないと思う。
「とはいえ、さすがやなあと思う表現はいっぱいあったし、まあ、どう考えても杉本彩よりかは文章うまいねんから、自信もちぃ」
うーん、比べる相手が杉本彩とは・・・。しかも文章で。
まあどっち転んでも容姿を比べられたら完封負けだが・・・。
思いっきりそれぞれタイプの違う3人。
熱き魂を持つ孤高の暴れ馬、本田くん当時39歳。
ひまわりのようなパワフル・ディーバ、HANAちゃん当時27歳。
切れ味抜群冷静沈着な女参謀、沙織当時40歳。
とりあえずこの3人がOKと言ってくれれば、私的には大満足だ。
さっそく読んだ感想を言ってたのが、現職編集者本田くんだった。今回の終わり方について一番OKを出してくれたのも彼だった。
「とうとう、完成させましたね」
「今回はあれでいいかな?」
「ばっちりです。終わり方もいいですよ。清永さん、もしかして天才かも」
「え、ほんと?」
おだてに弱い私である。それを知ってか、電話口で本田くん、褒める褒める。わーいわーい。もっと褒めて褒めて!
お次はHANAちゃんだ。ちょうど会社の近くまで来たからとお昼に電話をくれて、一緒にランチを食べた時のこと。
「読みましたよ、もう一気に!」
「どうどうどう?」
「めっちゃ、いいじゃないですか。絶対に今回の終わり方のほうがいいですよ。もう、私、キモイぐらいハマってますよ。ただね」
「ただ何よ?」
「私的にはもうちょっと書いてほしかったな。今、清永さん、優しいダンナさんもいて、可愛い子どもたちがいて、めっちゃ幸せやないですか。その今を示唆しているような感じやったらもっと私はグッときたかも」
「まあ小説やからね。実は続きもあるし。そういう終わり方もわかるけど、今回は違うと思ったから」
「そっかあ。続きがあるんやったら、納得ですわ。けどホンマ、おもろかったですからね。続きもはよ、書いてくださいね」
はーい、頑張ります!
「あんた、あれ終わり書き直す気、ないの?」
3人の中で一番反応が厳しかったのが女黒田官兵衛・沙織である。
「途中まではめっちゃ、良かったんやけどなあ。途中から主人公がわけわからへんすぎて、感情移入できへんで。あれ、ジャンル的にはなんなん? どうもあれこれいろんな要素が入りすぎてて散漫な感じがするんやけど。終わり方も唐突やで」
うわ! 辛辣! がぴょーん。
ただ書き直す気のない私である。沙織はたぶん本はたくさん読んでいるけど、小説はあまり読んでないと思う。
「とはいえ、さすがやなあと思う表現はいっぱいあったし、まあ、どう考えても杉本彩よりかは文章うまいねんから、自信もちぃ」
うーん、比べる相手が杉本彩とは・・・。しかも文章で。
まあどっち転んでも容姿を比べられたら完封負けだが・・・。
小説、完成する!
時間が許す限り小説「エッサウィラ」を書き続けた。途中からグッと執筆ペースがあがった。なんとなくコツがつかめてきたのだろうか。
10月にいったん完成させてT書店の本田くん(仮名)に送る。ラストシーンは我ながらちょっとどうかなと思うものだった。
ちょっと唐突な終わらせ方だった。たぶんこの話が映画とかになって映像化されたりしたら、こういった終わり方はありだと思う。
本田くんとHANAちゃんと沙織(仮名)に送る。全員から同じ答えが返ってきた。
「ここで終わらせるな。もうちょっと書け!」
はいはい、わかりましたよ。
そこからが産みの苦しみだった。あと少しなのにそれまでスラスラと書いてきたことがなんだったんだと思うほど、どこに話を持って行こうか迷いに迷った。
もう明けても暮れても「どう終わらせるか」ということばかり考えていた。気がつくと18万字も書いていたのである。
あなた、18万字ですよ!! えらいこっちゃ。
ロッキンオン・ジャパンの超ロングインタビューでも2万字(まだやっているのか!?)だ。18万字といえば、2万字インタビュー、アーティスト9人分ですよ!
ここまで広げた風呂敷をどうしまうのか、そこが問題だったのだ。
しかしそこはなんとかなるもんである。苦しんだ末に11月半ばごろにほぼ強引に、無理やり完成させた。
やったあ! 何事も最後までやり遂げるものだ。終わった瞬間、なんだか爽やかな風が吹いた気になったものだった。
さあ、今度こそ本田くん、HANAちゃん、沙織を納得させることができるのか!?
10月にいったん完成させてT書店の本田くん(仮名)に送る。ラストシーンは我ながらちょっとどうかなと思うものだった。
ちょっと唐突な終わらせ方だった。たぶんこの話が映画とかになって映像化されたりしたら、こういった終わり方はありだと思う。
本田くんとHANAちゃんと沙織(仮名)に送る。全員から同じ答えが返ってきた。
「ここで終わらせるな。もうちょっと書け!」
はいはい、わかりましたよ。
そこからが産みの苦しみだった。あと少しなのにそれまでスラスラと書いてきたことがなんだったんだと思うほど、どこに話を持って行こうか迷いに迷った。
もう明けても暮れても「どう終わらせるか」ということばかり考えていた。気がつくと18万字も書いていたのである。
あなた、18万字ですよ!! えらいこっちゃ。
ロッキンオン・ジャパンの超ロングインタビューでも2万字(まだやっているのか!?)だ。18万字といえば、2万字インタビュー、アーティスト9人分ですよ!
ここまで広げた風呂敷をどうしまうのか、そこが問題だったのだ。
しかしそこはなんとかなるもんである。苦しんだ末に11月半ばごろにほぼ強引に、無理やり完成させた。
やったあ! 何事も最後までやり遂げるものだ。終わった瞬間、なんだか爽やかな風が吹いた気になったものだった。
さあ、今度こそ本田くん、HANAちゃん、沙織を納得させることができるのか!?
2009年6月12日金曜日
鋼鉄の女、定年退職する
3月末にHANAちゃんが契約期間満了のため会社を離れたあと、私と上司である鋼鉄の女稲橋さん(仮名)はふたりきりの部署になった。
ご主人の介護のため午後しか出社できない彼女だったが、それでも仕事は恐ろしく早く、コンピュータ並みの正確さと緻密さで周囲を唸らせていた。
私の会社は60歳になったその月の最後の日が定年退職日になるのだが、たいていの人は「継続雇用」制度を利用して、週に3回とかの勤務になりお給料も大幅に減ってしまうが65歳まで働き続けている。
制度ができた初めのころは、以前いた部署とは無関係の部署へ行くという決まりがあったが、その決まりもなし崩しになり、結局は人によっては以前いた部署にそのまま継続して働くことになった。
そのあたりは確かに微妙で、ある人が定年退職してまでその部署にとどまり続ければ後続が育たないという面もあるが、専門的な知識や技術がある人の場合にはわざわざほかのセクションに行かせるなんて無駄だ。
そうなると結局はその人次第ということになってしまう。
稲橋さんは資生堂の5万円のクリームを愛用しているせいか、年齢不詳でどう見ても直に定年退職を迎えるようには見えない。
美人できれいに着飾っているタイプじゃないけど、薄化粧でも肌はきれいで服装もいつもモノトーンのパンツ姿で年齢を感じさせなかった。
彼女が継続雇用で残るとすれば、間違いなくこの部署に残るであろうことは明白だった。
そうこうしているうちに8月になった。彼女は8月生まれだった。
8月の中頃に、彼女は私に言った。
「私の定年退職の日に、5時半の定時が終わった瞬間にフロアー中が揃って“お疲れ様でした!”って言ってお花を贈呈なんてことは間違っても考えないでね。そんなことをまかり間違ってやったら殺すからね」
「ひゃあ~。わかりました!」
「そういうの、私の美学が許さないのぐらいあなた、わかるでしょ?」
「そうですねえ」
「当日にこそっとフェードアウトしてしまうのが私の理想なんだから」
「じゃあご自宅にお花が届くのはどうですか?」
「え?」
「なにもないっていうのもみんなの気がすまないと思うんですよ。ましてや稲橋さんは長く会社に貢献されてきたわけだから。もちろん美学は尊重しますけど」
「ふふ。家に届く花なら大歓迎よ」
「じゃあそれで決まりですね」
いったんは継続雇用を考えていた稲橋さんだったが、退職日直前にご主人の病状が悪化してしまい、働くどころではなくなってしまった。
緊急入院されたご主人の介護のため、定年退職のその日すら彼女は会社に姿をあらわすことができなかった。
こうして鋼鉄の女は会社を去って行った。私はひとり残され、途方に暮れた。
彼女は仕事に生きていた。敵も多かったが、この分野では間違いなく天才だった。まさにこの事業のブレインだった。
鋼鉄の女はことあることに言った。
「私の第一プライオリティーは夫だから。夫に何かあったらそっちを優先する。けどそれ以外の時は仕事を頑張る」
鋼鉄の女は尽くす女でもあった。
私は夫に何かあったときそこまで尽くせるだろうか?
鋼鉄の女はやっぱり強かった。
ご主人の介護のため午後しか出社できない彼女だったが、それでも仕事は恐ろしく早く、コンピュータ並みの正確さと緻密さで周囲を唸らせていた。
私の会社は60歳になったその月の最後の日が定年退職日になるのだが、たいていの人は「継続雇用」制度を利用して、週に3回とかの勤務になりお給料も大幅に減ってしまうが65歳まで働き続けている。
制度ができた初めのころは、以前いた部署とは無関係の部署へ行くという決まりがあったが、その決まりもなし崩しになり、結局は人によっては以前いた部署にそのまま継続して働くことになった。
そのあたりは確かに微妙で、ある人が定年退職してまでその部署にとどまり続ければ後続が育たないという面もあるが、専門的な知識や技術がある人の場合にはわざわざほかのセクションに行かせるなんて無駄だ。
そうなると結局はその人次第ということになってしまう。
稲橋さんは資生堂の5万円のクリームを愛用しているせいか、年齢不詳でどう見ても直に定年退職を迎えるようには見えない。
美人できれいに着飾っているタイプじゃないけど、薄化粧でも肌はきれいで服装もいつもモノトーンのパンツ姿で年齢を感じさせなかった。
彼女が継続雇用で残るとすれば、間違いなくこの部署に残るであろうことは明白だった。
そうこうしているうちに8月になった。彼女は8月生まれだった。
8月の中頃に、彼女は私に言った。
「私の定年退職の日に、5時半の定時が終わった瞬間にフロアー中が揃って“お疲れ様でした!”って言ってお花を贈呈なんてことは間違っても考えないでね。そんなことをまかり間違ってやったら殺すからね」
「ひゃあ~。わかりました!」
「そういうの、私の美学が許さないのぐらいあなた、わかるでしょ?」
「そうですねえ」
「当日にこそっとフェードアウトしてしまうのが私の理想なんだから」
「じゃあご自宅にお花が届くのはどうですか?」
「え?」
「なにもないっていうのもみんなの気がすまないと思うんですよ。ましてや稲橋さんは長く会社に貢献されてきたわけだから。もちろん美学は尊重しますけど」
「ふふ。家に届く花なら大歓迎よ」
「じゃあそれで決まりですね」
いったんは継続雇用を考えていた稲橋さんだったが、退職日直前にご主人の病状が悪化してしまい、働くどころではなくなってしまった。
緊急入院されたご主人の介護のため、定年退職のその日すら彼女は会社に姿をあらわすことができなかった。
こうして鋼鉄の女は会社を去って行った。私はひとり残され、途方に暮れた。
彼女は仕事に生きていた。敵も多かったが、この分野では間違いなく天才だった。まさにこの事業のブレインだった。
鋼鉄の女はことあることに言った。
「私の第一プライオリティーは夫だから。夫に何かあったらそっちを優先する。けどそれ以外の時は仕事を頑張る」
鋼鉄の女は尽くす女でもあった。
私は夫に何かあったときそこまで尽くせるだろうか?
鋼鉄の女はやっぱり強かった。
2009年6月7日日曜日
沙織③
ちなみに沙織(仮名)にももちろん銀座の先生の話はしていたが、元来そういった占い的なものには懐疑的な彼女である。
「ふうん~。相変わらずそういうの好きやなあ。ほんでいくら?」
「2万円」
「なんや、それ! ようそんなんにお金なんか払うなあ?」
話は以上である。
沙織は神秘的なものとか宗教的なものとか目に見えないものとか全然興味がなくて、ましてやそういったものにお金を払うという行為自体彼女の中ではありえないことだ。
そのあたりはうちの夫にも相通じるものがある。
それから少しして、沙織(仮名)から携帯にメールがきた。結構長文なメッセージであれこれと「エッサウィラ」を読んだ感想が書いてあった。
内容は以下の通り。
「おもしろかった。なつかしいエピソード。よく覚えていたなあ。ようこんだけ書けるなあ感心。文章力が高い。さすが元編集者、すでに素人ではない。設定や情景が珍しく面白い。ここまで書いて今の生活に支障はないのか? 描写がエグイ。エロと文学が混ざって古くは山田詠美みたいな分野? もっとどっとかにテイストを合わせたほうが安心して読める。エロだと杉本彩みたいに女性視点の欲望が書かれていて潔くていいが、これはエロがメインテーマじゃないだろうから。主人公の名前がピンとこない。エピソードがあまりにリアル。写真と一緒だと景色が浮かんでさらによさそう。タイトルがいい。各章ごとに小さいタイトルがあればアクセントになっていいかも・・・・続き待ってるよ!」
といったところ。
山田詠美だとか杉本彩だとかという固有名詞が出て、「ふうううん~!」と感心させられてしまう。なぜなら私はこの二人を意識したことが全くなく、作品も山田詠美のデビュー作とその後の1、2作以外読んだことがないのだ。
誰それみたいだと言われるということはオリジナリティがないと言われているのに等しい気もするが、まったく誰それみたいじゃないなんてこともありえないだろう。
それが自分が影響を受けた作家からなのか、まったくそんなことがない作家からなのか、そのあたりは微妙だけど、考え始めれば私は誰の影響を受けているのだろう?
好きな作家と影響を受ける作家は別物なのだろうか?
「感想送ってくれてありがとう」
沙織に電話する。
「うん、メールにもあれこれ書いたけどおもろかったよ」
「そういえばさあ、Hの田上さん(仮名)が前に飲んだ時に、俺にも送ってくれよっていうから送ったのに、うんともすんとも言うてきはらん」
「たぶん、ショック受けてはるんちゃう?」
「なんのショックよ?」
「だってその田上さんって人、あんたよう昔から話題にしてるけど、妹みたいに可愛がってくれはる人なんやろ? そりゃあ、妹が小説に書いてあるようなあんなことやらこんなことをしとったのかって、わかったらショックやって」
「だからあれはあくまでも小説なの!」
「はいはい。また続き書いたら送ってな」
そう朗らかに沙織は答えて電話を切った。
「ふうん~。相変わらずそういうの好きやなあ。ほんでいくら?」
「2万円」
「なんや、それ! ようそんなんにお金なんか払うなあ?」
話は以上である。
沙織は神秘的なものとか宗教的なものとか目に見えないものとか全然興味がなくて、ましてやそういったものにお金を払うという行為自体彼女の中ではありえないことだ。
そのあたりはうちの夫にも相通じるものがある。
それから少しして、沙織(仮名)から携帯にメールがきた。結構長文なメッセージであれこれと「エッサウィラ」を読んだ感想が書いてあった。
内容は以下の通り。
「おもしろかった。なつかしいエピソード。よく覚えていたなあ。ようこんだけ書けるなあ感心。文章力が高い。さすが元編集者、すでに素人ではない。設定や情景が珍しく面白い。ここまで書いて今の生活に支障はないのか? 描写がエグイ。エロと文学が混ざって古くは山田詠美みたいな分野? もっとどっとかにテイストを合わせたほうが安心して読める。エロだと杉本彩みたいに女性視点の欲望が書かれていて潔くていいが、これはエロがメインテーマじゃないだろうから。主人公の名前がピンとこない。エピソードがあまりにリアル。写真と一緒だと景色が浮かんでさらによさそう。タイトルがいい。各章ごとに小さいタイトルがあればアクセントになっていいかも・・・・続き待ってるよ!」
といったところ。
山田詠美だとか杉本彩だとかという固有名詞が出て、「ふうううん~!」と感心させられてしまう。なぜなら私はこの二人を意識したことが全くなく、作品も山田詠美のデビュー作とその後の1、2作以外読んだことがないのだ。
誰それみたいだと言われるということはオリジナリティがないと言われているのに等しい気もするが、まったく誰それみたいじゃないなんてこともありえないだろう。
それが自分が影響を受けた作家からなのか、まったくそんなことがない作家からなのか、そのあたりは微妙だけど、考え始めれば私は誰の影響を受けているのだろう?
好きな作家と影響を受ける作家は別物なのだろうか?
「感想送ってくれてありがとう」
沙織に電話する。
「うん、メールにもあれこれ書いたけどおもろかったよ」
「そういえばさあ、Hの田上さん(仮名)が前に飲んだ時に、俺にも送ってくれよっていうから送ったのに、うんともすんとも言うてきはらん」
「たぶん、ショック受けてはるんちゃう?」
「なんのショックよ?」
「だってその田上さんって人、あんたよう昔から話題にしてるけど、妹みたいに可愛がってくれはる人なんやろ? そりゃあ、妹が小説に書いてあるようなあんなことやらこんなことをしとったのかって、わかったらショックやって」
「だからあれはあくまでも小説なの!」
「はいはい。また続き書いたら送ってな」
そう朗らかに沙織は答えて電話を切った。
2009年6月4日木曜日
沙織②
「どうよ、妊婦生活は?」
自宅療養中の親友沙織(仮名)に電話する。
「うーん、じっとしてればどおってことないからええねんけど、こんなゆっくりできるなんて、やっぱ勤めるなら大手やな。なんやかんやでいろいろと手当やら休みやらもらえんねん」
「そうやなあ、やっぱ“寄らば大樹”やなあ」
「うん、“長いものに巻かれろ”とも言う」
「“朱に交われば赤くなる”」
「それはちょっとちゃうやろ」
沙織の症状やら近況などの話を一通り聞いたあと、また小説を書いていて途中だけどある程度まとまったので読んでほしいという話をすると、沙織はちょっと呆れた様子で、
「あんた、よお、そんな暇あるなあ? ネタはなんなん?」
と言う。
「時間をかけてちょっとずつ書いてるからな。実は書き始めて1年以上経ってるし、ある程度まとまった時間があればそれなりには進むから。内容はほれ、例のモロッコの・・・」
「おお~、そうきたか。けどそんなん書いてだいじょうぶなん? あんた結婚してるのに」
「それはあくまでも小説やから作り話になってるし、第一、うちの人は日本語読めへんやん」
「まあ、そういう問題か」
「そのうち沙織も登場させるよ」
「変なやつとして書かんといてな」
「まあ任せてよ」
「ほな、家のメールに送ってよ。読んだら感想を言えばいいねんな」
「そうそう」
沙織の感想やアドバイスは文学少年少女のそれとは大きく異なり、昔からマーケティング的な観点からドンドン突っ込んでくるタイプだ。
学生時代ですらそうだったのだから、社会人として十何年もバリバリ仕事をしながら過ごしてきた今はもっとコンセプトや営業ちっくな突っ込みを入れてくるだろう。
昔からともすればアーティスティックな人間たちやエキセントリックな人たちの世界に巻き込まれがちな私を、いつも“あんたはそっち、ちゃうやろう”と言って引き戻してくれていた沙織である。
十何年ぶりに私の書いたものをなんて評価してくれるのだろう。
楽しみのような怖いような。
自宅療養中の親友沙織(仮名)に電話する。
「うーん、じっとしてればどおってことないからええねんけど、こんなゆっくりできるなんて、やっぱ勤めるなら大手やな。なんやかんやでいろいろと手当やら休みやらもらえんねん」
「そうやなあ、やっぱ“寄らば大樹”やなあ」
「うん、“長いものに巻かれろ”とも言う」
「“朱に交われば赤くなる”」
「それはちょっとちゃうやろ」
沙織の症状やら近況などの話を一通り聞いたあと、また小説を書いていて途中だけどある程度まとまったので読んでほしいという話をすると、沙織はちょっと呆れた様子で、
「あんた、よお、そんな暇あるなあ? ネタはなんなん?」
と言う。
「時間をかけてちょっとずつ書いてるからな。実は書き始めて1年以上経ってるし、ある程度まとまった時間があればそれなりには進むから。内容はほれ、例のモロッコの・・・」
「おお~、そうきたか。けどそんなん書いてだいじょうぶなん? あんた結婚してるのに」
「それはあくまでも小説やから作り話になってるし、第一、うちの人は日本語読めへんやん」
「まあ、そういう問題か」
「そのうち沙織も登場させるよ」
「変なやつとして書かんといてな」
「まあ任せてよ」
「ほな、家のメールに送ってよ。読んだら感想を言えばいいねんな」
「そうそう」
沙織の感想やアドバイスは文学少年少女のそれとは大きく異なり、昔からマーケティング的な観点からドンドン突っ込んでくるタイプだ。
学生時代ですらそうだったのだから、社会人として十何年もバリバリ仕事をしながら過ごしてきた今はもっとコンセプトや営業ちっくな突っ込みを入れてくるだろう。
昔からともすればアーティスティックな人間たちやエキセントリックな人たちの世界に巻き込まれがちな私を、いつも“あんたはそっち、ちゃうやろう”と言って引き戻してくれていた沙織である。
十何年ぶりに私の書いたものをなんて評価してくれるのだろう。
楽しみのような怖いような。
2009年6月3日水曜日
沙織①
超大手広告代理店の局長代理田上さん(仮名)に小説「エッサウィラ」を送り、某音楽系出版社社長森田(仮名)にも以前送ったものからの続きを送ったあと、実はもっとも読んでほしかった人物に「エッサウィラ」を送ったのはすでに7月をすぎていた。
その人物とは沙織(仮名)。私の大学時代からの親友である。
某大手商社で管理職としてバリバリ働く沙織は、常に忙しく海外にもガンガンと飛び立つ猛女だ。
頭脳明晰容姿端麗の沙織は私の自慢の友だちで、学生時代からどんなことでも沙織に相談してきた。
私のチンタラとした相談に対して、沙織は独自の哲学を持ち、常に「おお~!」と思わせてくれる回答を彼女なりに持っていた。
思えば今から20年以上も前に私が若気と勢いのみで書いた小説「ロンリー・ジェネレーション」と「ウーム・コスモス」も彼女に真っ先に読んでもらっていた。
この2作はあまりに痛すぎて、書いた本人の私ですら読み返すもの困難なほどの若気の至りの集大成である。
「アーティスト活動」と称してはロックで安いジンを煽りながら、書き散らしていた若き日の私。
もう恥ずかしくて、恥ずかしくてごめんなさいだ。
ちなみに私は芥川賞受賞作家金原ひとみが大っきらいであるが、それは彼女の文章を読むと、若き日の自分の自意識過剰さと、劣等感と表裏一体の全能感を思い出してしまうからだ。
もちろん芥川賞を受賞した彼女(当時19歳)と、そのへんの単なる自意識過剰だった学生時代の私(これも当時19歳)の才能は月とすっぽんだろうが、迸る若者の自意識過剰さ加減をかわいいと思えるほど私はまだ枯れてはいない。
「アッシュ・ベイビー」(←私的には読むに堪えなかった)という彼女のデビュー3作目だか何だかで村上龍が帯で宣伝文句を書いて絶賛しているのを読んだ時は、なんだか時代の移り変わりを感じだものだった。
何かの雑誌で彼女が小説を書くときジンを煽りながら書くというのを読んだ時は、もう恥ずかしくて身悶えた。
むろん、そんなこと彼女の知ったこっちゃないだろうけど。
それはさておき、沙織である。
結婚して10年。ようやく待望の赤ちゃんを授かった彼女は妊娠にまつわる諸々のトラブルで入院やら自宅療養を余儀なくされていた。
それまでは馬車馬の如く働き、24時間フル戦闘モードだったため、そんな彼女に「またアーティスト活動初めてさあ~」などと言ったところで、読んでもらう時間もなかっただろう。
けど今の彼女はベッドの上で安静にさえしていればノー・プロブレムなのだ。
その人物とは沙織(仮名)。私の大学時代からの親友である。
某大手商社で管理職としてバリバリ働く沙織は、常に忙しく海外にもガンガンと飛び立つ猛女だ。
頭脳明晰容姿端麗の沙織は私の自慢の友だちで、学生時代からどんなことでも沙織に相談してきた。
私のチンタラとした相談に対して、沙織は独自の哲学を持ち、常に「おお~!」と思わせてくれる回答を彼女なりに持っていた。
思えば今から20年以上も前に私が若気と勢いのみで書いた小説「ロンリー・ジェネレーション」と「ウーム・コスモス」も彼女に真っ先に読んでもらっていた。
この2作はあまりに痛すぎて、書いた本人の私ですら読み返すもの困難なほどの若気の至りの集大成である。
「アーティスト活動」と称してはロックで安いジンを煽りながら、書き散らしていた若き日の私。
もう恥ずかしくて、恥ずかしくてごめんなさいだ。
ちなみに私は芥川賞受賞作家金原ひとみが大っきらいであるが、それは彼女の文章を読むと、若き日の自分の自意識過剰さと、劣等感と表裏一体の全能感を思い出してしまうからだ。
もちろん芥川賞を受賞した彼女(当時19歳)と、そのへんの単なる自意識過剰だった学生時代の私(これも当時19歳)の才能は月とすっぽんだろうが、迸る若者の自意識過剰さ加減をかわいいと思えるほど私はまだ枯れてはいない。
「アッシュ・ベイビー」(←私的には読むに堪えなかった)という彼女のデビュー3作目だか何だかで村上龍が帯で宣伝文句を書いて絶賛しているのを読んだ時は、なんだか時代の移り変わりを感じだものだった。
何かの雑誌で彼女が小説を書くときジンを煽りながら書くというのを読んだ時は、もう恥ずかしくて身悶えた。
むろん、そんなこと彼女の知ったこっちゃないだろうけど。
それはさておき、沙織である。
結婚して10年。ようやく待望の赤ちゃんを授かった彼女は妊娠にまつわる諸々のトラブルで入院やら自宅療養を余儀なくされていた。
それまでは馬車馬の如く働き、24時間フル戦闘モードだったため、そんな彼女に「またアーティスト活動初めてさあ~」などと言ったところで、読んでもらう時間もなかっただろう。
けど今の彼女はベッドの上で安静にさえしていればノー・プロブレムなのだ。
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