2009年6月3日水曜日

沙織①

 超大手広告代理店の局長代理田上さん(仮名)に小説「エッサウィラ」を送り、某音楽系出版社社長森田(仮名)にも以前送ったものからの続きを送ったあと、実はもっとも読んでほしかった人物に「エッサウィラ」を送ったのはすでに7月をすぎていた。
 その人物とは沙織(仮名)。私の大学時代からの親友である。
 某大手商社で管理職としてバリバリ働く沙織は、常に忙しく海外にもガンガンと飛び立つ猛女だ。
 頭脳明晰容姿端麗の沙織は私の自慢の友だちで、学生時代からどんなことでも沙織に相談してきた。
 私のチンタラとした相談に対して、沙織は独自の哲学を持ち、常に「おお~!」と思わせてくれる回答を彼女なりに持っていた。
 
思えば今から20年以上も前に私が若気と勢いのみで書いた小説「ロンリー・ジェネレーション」と「ウーム・コスモス」も彼女に真っ先に読んでもらっていた。
 この2作はあまりに痛すぎて、書いた本人の私ですら読み返すもの困難なほどの若気の至りの集大成である。
 「アーティスト活動」と称してはロックで安いジンを煽りながら、書き散らしていた若き日の私。
 もう恥ずかしくて、恥ずかしくてごめんなさいだ。

 ちなみに私は芥川賞受賞作家金原ひとみが大っきらいであるが、それは彼女の文章を読むと、若き日の自分の自意識過剰さと、劣等感と表裏一体の全能感を思い出してしまうからだ。
 もちろん芥川賞を受賞した彼女(当時19歳)と、そのへんの単なる自意識過剰だった学生時代の私(これも当時19歳)の才能は月とすっぽんだろうが、迸る若者の自意識過剰さ加減をかわいいと思えるほど私はまだ枯れてはいない。
 「アッシュ・ベイビー」(←私的には読むに堪えなかった)という彼女のデビュー3作目だか何だかで村上龍が帯で宣伝文句を書いて絶賛しているのを読んだ時は、なんだか時代の移り変わりを感じだものだった。
 何かの雑誌で彼女が小説を書くときジンを煽りながら書くというのを読んだ時は、もう恥ずかしくて身悶えた。
 むろん、そんなこと彼女の知ったこっちゃないだろうけど。

 それはさておき、沙織である。
 結婚して10年。ようやく待望の赤ちゃんを授かった彼女は妊娠にまつわる諸々のトラブルで入院やら自宅療養を余儀なくされていた。
 それまでは馬車馬の如く働き、24時間フル戦闘モードだったため、そんな彼女に「またアーティスト活動初めてさあ~」などと言ったところで、読んでもらう時間もなかっただろう。
 けど今の彼女はベッドの上で安静にさえしていればノー・プロブレムなのだ。

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