2008年11月末。小説「エッサウィラ」を書き終えて放心状態だった私(←っていうか、仕事しろっての)。
前回、銀座の先生のところへ行ってから1年4か月ほど経っていたが、2008年の1月から4月に興味を持ったことを勉強すればその道で「先生」と呼ばれるようになるいうことだったが、一向に興味を持てるようなものなどなく、ましてや勉強のべの字もしていない私である。
クリエィティヴ系では映像の字幕翻訳がいいと言われていたが、あまり興味は惹かれずそっちもさっぱりだ。
唯一したことといえば、小説を完成させたことだけ。
これもそもそも人に読ませるつもりもなかったものだったが、たまたま本田くん(仮名)という編集者に読んでもらったら、めちゃくちゃ褒められて、
「じゃあ営業にも話します。うちの営業がどうしてもだめなら、いっそのことひとり知り合いがいるG舎に持ち込みます。小説はG舎のほうが強いし、清永さんのはG舎向きだから。でも最初はもちろんT書店から出せるように努力します」
とまったく思いがけないことを言われ、調子に乗って書き上げてしまったのだ。
うーん、先生が予言したように本当に2010年4月までに会社を辞めているのか。でも8月に鋼鉄の女、稲橋さんが定年退職して部署には私ひとり。とてもじゃないが足抜けできなさそうな状態だ。
まあ仕事はさておき(←さておくな!)、問題は収入だ。
一応、正社員で40歳過ぎている私は高給取りではないがボーナスもあるし、家計は大いに支えているつもりだ。
賢い奥さんだったらうちの夫ぐらいの収入でもやりくりできるんだろうけど、いかんせん私はバブル世代だ。どうも節約とか倹約とかそういうみみっちいことが苦手で、チマチマと節約するぐらいなら、自分が稼げばいいやと考えるアンチ“素敵な奥さん”だ。
子どもたちも今後、お金がかかる一方で減ることはまずない。どう考えても2010年の春には会社を辞めている状況じゃない。
以前、先生は会社を辞めたあとの私の収入は「家族4人は養えないけど、一人でだったらやっていける程度」だと言った。
それっていうのは年収いくらぐらいのことを言うのだろう。だって贅沢に好きなことをして暮らしている一人暮らしと、コツコツと節約しながら生活している一人暮らしは全然違うじゃないか。
それと私のペンネームだ。
私の本名はカタカナの苗字に日本の名前という組み合わせ。たとえば「マーカス寿子」とか「スペクター京子(デイヴ・スペクターの奥さん)」みたいな感じ。
けど小説にカタカナの苗字はいまいちだ。これが料理本だったり、ダンナの国のレポートだったりすれば大正解なんだろうけど。
それでは旧姓はといえば、それはそれでいまひとつな感じがする。私の旧姓はとにかく日本で多い苗字のベスト20に常に入るようなありふれたものだし、名前も私の世代ではクラスに何人もいたようなありがちなものだ。
とはいえ、本田くんや森田(仮名)、田上さん(仮名)など大学のOB会のメンバーや、前にいた会社の人たちは未だに旧姓で私を呼ぶ。
最後の選択肢はまったく新しい名前をつけるというもの。しかし新しい名前なんてそうそう思い浮かばない。
せっかく小説が完成してもペンネームが決まらないと何もスタートできないような気分になる。
それってそろそろ先生のところに行けっていうことなのか。日に日にそんな思いが強くなっていった私である。
0 件のコメント:
コメントを投稿