北部長(仮名)にパンフレットの編集をお願いするかもと言われたその日のアフター・ファイブ(プップ)は、前の会社の後輩・山木(仮名)と三原(仮名)と先輩の森重さん(仮名)がうちに遊びにきてくれることに。
山木はすでに前の会社を辞めていてベンチャー系の管理職の仕事をしていて、三原と森重さんはまだ会社に残っていて、たまたま今同じ部署にいるという。
この日は夫が会社の飲み会で帰りが遅くなるということで、うちで家飲みをすることになったのだ。
前の会社からうちまで4駅しか離れていないけど、みんなが我が家に到着したのは9時過ぎぐらいと遅く、どうしても仕事が終わらなかったのだという。
どうやら毎日みんな終電近くまで仕事しているらしく、こういうのを目のあたりにすると、つくづく生きがいとかやりがいとか以前に早く帰れるというのはありがたく、そうでないとジジババが近くにいない私たちみたいに子どもがいる家庭は、仕事との両立はとてもむつかしい。
森重さんはうちの息子と同い年(年中さん)の男の子がいるが、ご主人が専業主夫をして、代わりに森重さんがバリバリ働くという役割分担をしている。
夫婦双方の意思統一が図られているのなら、それもひとつの方法だと思うし、女性としてもカッコいいと思う(私にはあいにくそんな甲斐性はないが)。
子どもたちも寝かしつけ、女4人、飲みながらくっちゃべる。
やっぱりこのメンバーだと話題は、“前の会社の現状”に尽きる。
私と山木は辞めてしまっているけど、やっぱり最初に入った会社というのはいつまで経っても気になるもの。
前の会社が以前より雰囲気が悪くなっているだとか、業績が悪いだとかといったネガティブな話を聞くと、辞めるときに死ぬほど悩んだので、「ああ~、私はいいときに辞めたんだな。やっぱり辞めて正解だった」とホッとする反面、すごく好きな会社だったのでやっぱりいつまでもカッコよくあってほしいとも思う。
残念ながら森重さんや三原の話を聞くと、音楽業界自体ダウンロード問題などで縮小しているし、会社自体すでに業界No.1の地位を他社に奪われてしまっていた。
会社の雰囲気も変わってしまったらしく、失敗を恐れずイケイケでチャレンジする豪快さも、オヤジどもにゴマをするのはダサいとする反抗精神もどこかに吹っ飛び、今では何も企画しない人、ひたすら上に気に入られるためにゴマをする人が偉くなっていくという空前の閉塞感の中でみんな汲々としているという。
何よりも辞めて10年以上経つが、新陳代謝していないので、丸々10年分年をとってしまっているのだ。
かつてレコード会社定年40歳説というのがあったが、それも今は昔か。
「そうそう、清永さん、○○さんって覚えてる?」
「ああ、いたね~、そんな人」
「その人がね、仕事はしないわ、部下は潰すはどうしようもないんだけど、××役員に気に入られていてぇ~。そうそう××役員に☆☆ちゃんがセクハラされて大変だったんだけどぉ。それはさておき、○○さんが転勤するにあたってぇ~」
などという話で盛り上がっているところに、携帯が鳴る。誰かと思えば早紀ちゃん(仮名)だった。
「よぉ~。つぅか、あれ? ずいぶん賑やかだなぁ」
「前の会社のメンバーが遊びに来てるんだよ」
「おお~、誰が来てるんだよぉ?」
「山木と森重さんと三原」
「俺、三原しか知らねぇなあ。三原に代わってくれよ」
「三原! 早紀ちゃんから。電話代わってくれって」
「早紀ちゃんって、樫村さんですか? ええ? なんで清永さんのところに電話かかってくるの?」
「知らないよぉ~。今、彼は実家の学習塾を継いでるんだよね。で、去年バッタリ教育関係のフォーラムで会って、2ヶ月ぐらい前にランチしたんだよ」
「へえ~、そうなんだぁ? 意外ですね」
と言いながらしばらく早紀ちゃんの電話の相手をする三原。
って、いったい彼は何しに電話してきたんだろう。
「樫村さんが清永さんに電話代わってくれって」
そう携帯を私に戻す三原。
「何?」
「この前よぉ、俺、フォニックスのCD作るって話したよなあ?」
「聞いたよ」
「やっぱさ、教育関係者が作る教材っていうのはCDの音質だったり選曲がイマイチなわけよぉ。テキストにしてもそうでさ、エンターテインメントの要素を入れないとさ」
「それで?」
「うちも少子化で生徒が減ってきてるしよぉ、ここいらで何かやらないといけないわけよ。でよぉ、俺としては教育の仕事だけやってるって物足りないわけよ。やっぱ、元がレコード会社出身の人間だからよぉ。お前もそうだろ? こうエンターテインメントの要素がないとよぉ、つまんないんだよなぁ。かといって今さらエンターテイメントだけの世界には戻れないけどよぉ、そこでだ。両方の世界を知ってる人間ってのは貴重なわけでよぉ、お前と組んだらなんかできそうな気がするんだよ」
「なんかって何よ」
「たとえば教材とかよぉ」
「うーん」
「まあそれが何かはわかんないけどよぉ、一度会って話しようぜ。いろいろと出てくるかもしれないぜ。CDのラフも聞いてほしいしよぉ」
「いいよ」
「じゃあ近いうちに連絡するわ。お前も何か考えておいてくれよ」
ということで電話を切った。
うーん、もしかしたら5月に何か頼まれるっていうのは、北部長のパンフレットの件ではなく、この早紀ちゃんの電話に関わることなのか?
確かに教育に関わることだから“先生”と呼ばれる仕事といえなくもない。
うーん、うーん、これっていったいどうなるの?
早紀ちゃんと組んでできることなんてあるのか?
謎が謎を呼ぶ展開になってきた! さてどうなる?
2009年11月24日火曜日
5月の終わりに①
私が来年以降2本柱でやっていくと言われた仕事(ひとつは人に何かを教えたり伝えたりして先生と呼ばれる仕事、もうひとつはクリエイティブな仕事、執筆活動になる可能性大)の展開がまったく読めない。
「クリエイティブな仕事」に関してはT書店の本田くん(仮名)は「営業に読ませます」と言ったきり、なんの進展もないし、3月から先生に言われた通り、ブログを始めてみたものの、これでどうこうなっているわけでもない。
ましてや「先生と呼ばれる仕事」に関しては、さっぱり何がなんのことやらわからない。
「5月、7月、9月に“先生と呼ばれる仕事”に関して何か頼まれるでしょう。そのときはボランティアでも引き受けること」と先生から言われたけど、すでに5月も終わり。
なんだよ、はずれてるじゃんかよぉ~と思っているときに、会社の後輩の浅井さん(仮名)とランチへ。
今はフロアーが分かれてしまったが、半年ほど彼女とは同じフロアーで席が近かったこともあって、それ以来仲良しだ。
彼女が関西人であること、彼女の上司が私の大学の先輩にあたることなんかも親しくなる要因だったが、何よりも仕事もバリバリ頑張りながら、いつもおしゃれできれいにしているところが私的に“いい感じ”なのだ。
そんな彼女は33歳。私と8歳違い。恋に、仕事に、人生に、大いに悩み、もがいている。
そこがまたいい。
いいぞ、いいぞ。もっともがきなさい。そのころは私だって大いにもがいて、悩んで、苦しんだんだから(←ちなみに今は開き直ってるかも。いいじゃん、許してよ。その分、年くってるんだから。それがオバサンになるということなのか!?)。
20代後半から30歳前半の独身で仕事をしている女性が、もし何にも悩んでいないんだったら、私はそういう女性を絶対信用しないことにしている。
だってそうでしょ。真剣に生きているからこそ、この時期は悩むのだ。より良く生きたいと、仕事だけじゃなくて女としてどう生きていくのかということも含めて、この時期は悩むものなのだ。
悩んで、もがいて、その分だけ女性は鍛えられる。
そういう意味では、浅井さんという女性は正しい時期に正しく悩み、もがいていると言えよう。
と、本人にそう言ってみたところで“寝言は寝て言えよ”と思われているかもしれないが、それもまあ良しとしよう。
さて話は戻るが、彼女とのランチである。
「どうですか。最近。占い通りにいってますか?」
浅井さんがトマトソースのパスタをフォークでクルクルと巻き上げながら聞く。
彼女には銀座の先生の話もしてあって、私が書き上げた小説「エッサウィラ」もブログも読んでもらっている。
「それがさあ、もう5月の終わりなのに、“5月、7月、9月で何か頼まれることは、ボランティアでもいいからやれ”ってことなんだけど、そんなの何もないんよねぇ」
「今日は29日ですからねえ。まだ今日も入れたら3日もあるやないですか」
「そうは言っても今日って金曜日やし、もう何もないやろ」
「いやぁ~、わかりませんよぉ。決め付けないでギリギリまで待ってみましょうよ」
なかなか楽観的な浅井さんだ。
その日の午後、たまたま浅井さんのいるフロアーに用事があったので顔を出してみると、彼女の上司である北部長(仮名)がニコニコしながら近づいてきて、
「ちょうどいいときに清永さん!」
と両手を広げて抱きつかんばかりの勢いだった。
「清永さんって、編集者経験あるよね?」
「ええ、まあ」
「あのさ、もしかしたら手伝ってもらうことがあるかも」
「????」
「今、ちょうどうちの部署でパンフレット作ろうと思っててさあ。でも作れる人がいないわけよ~。手伝ってくれるとうれしいんだけどなあ~」
「はあぁ~」
「そんときは声かけるからさ、よろしくねっ!」
そう言いながら去っていく北部長。軽いぜっ!
「もしかしたら北部長が言ってたことが、清永さんの5月、7月、9月に頼まれることだったりして」
と浅井さん。
「うーん、でもボランティアだって。これ会社の仕事やん。っていうか部署どころか事業部も違うから、その作業だけ手伝うっていうのも無理やろ?」
「確かにねぇ~。けど北部長、やり手やからうまいこと手伝ってもらえるように根回しするかもしれませんよ。それにほら、今日のランチのときも言ったでしょ。31日までちゃんと待ってみなきゃわかりませんよって」
「それはその通りやねぇ~」
う~ん。これって・・・・。
果たして北部長の仕事を手伝うことが、「何か教えたり伝えたりして、先生と呼ばれる仕事」に結びつくのか。
それとも単なる会社の仕事、すなわち業務命令にすぎないのか。
はたまた北部長の思いつきにすぎず、この場のノリだけの話なのか。
いったいどうなるのでしょうか?
「クリエイティブな仕事」に関してはT書店の本田くん(仮名)は「営業に読ませます」と言ったきり、なんの進展もないし、3月から先生に言われた通り、ブログを始めてみたものの、これでどうこうなっているわけでもない。
ましてや「先生と呼ばれる仕事」に関しては、さっぱり何がなんのことやらわからない。
「5月、7月、9月に“先生と呼ばれる仕事”に関して何か頼まれるでしょう。そのときはボランティアでも引き受けること」と先生から言われたけど、すでに5月も終わり。
なんだよ、はずれてるじゃんかよぉ~と思っているときに、会社の後輩の浅井さん(仮名)とランチへ。
今はフロアーが分かれてしまったが、半年ほど彼女とは同じフロアーで席が近かったこともあって、それ以来仲良しだ。
彼女が関西人であること、彼女の上司が私の大学の先輩にあたることなんかも親しくなる要因だったが、何よりも仕事もバリバリ頑張りながら、いつもおしゃれできれいにしているところが私的に“いい感じ”なのだ。
そんな彼女は33歳。私と8歳違い。恋に、仕事に、人生に、大いに悩み、もがいている。
そこがまたいい。
いいぞ、いいぞ。もっともがきなさい。そのころは私だって大いにもがいて、悩んで、苦しんだんだから(←ちなみに今は開き直ってるかも。いいじゃん、許してよ。その分、年くってるんだから。それがオバサンになるということなのか!?)。
20代後半から30歳前半の独身で仕事をしている女性が、もし何にも悩んでいないんだったら、私はそういう女性を絶対信用しないことにしている。
だってそうでしょ。真剣に生きているからこそ、この時期は悩むのだ。より良く生きたいと、仕事だけじゃなくて女としてどう生きていくのかということも含めて、この時期は悩むものなのだ。
悩んで、もがいて、その分だけ女性は鍛えられる。
そういう意味では、浅井さんという女性は正しい時期に正しく悩み、もがいていると言えよう。
と、本人にそう言ってみたところで“寝言は寝て言えよ”と思われているかもしれないが、それもまあ良しとしよう。
さて話は戻るが、彼女とのランチである。
「どうですか。最近。占い通りにいってますか?」
浅井さんがトマトソースのパスタをフォークでクルクルと巻き上げながら聞く。
彼女には銀座の先生の話もしてあって、私が書き上げた小説「エッサウィラ」もブログも読んでもらっている。
「それがさあ、もう5月の終わりなのに、“5月、7月、9月で何か頼まれることは、ボランティアでもいいからやれ”ってことなんだけど、そんなの何もないんよねぇ」
「今日は29日ですからねえ。まだ今日も入れたら3日もあるやないですか」
「そうは言っても今日って金曜日やし、もう何もないやろ」
「いやぁ~、わかりませんよぉ。決め付けないでギリギリまで待ってみましょうよ」
なかなか楽観的な浅井さんだ。
その日の午後、たまたま浅井さんのいるフロアーに用事があったので顔を出してみると、彼女の上司である北部長(仮名)がニコニコしながら近づいてきて、
「ちょうどいいときに清永さん!」
と両手を広げて抱きつかんばかりの勢いだった。
「清永さんって、編集者経験あるよね?」
「ええ、まあ」
「あのさ、もしかしたら手伝ってもらうことがあるかも」
「????」
「今、ちょうどうちの部署でパンフレット作ろうと思っててさあ。でも作れる人がいないわけよ~。手伝ってくれるとうれしいんだけどなあ~」
「はあぁ~」
「そんときは声かけるからさ、よろしくねっ!」
そう言いながら去っていく北部長。軽いぜっ!
「もしかしたら北部長が言ってたことが、清永さんの5月、7月、9月に頼まれることだったりして」
と浅井さん。
「うーん、でもボランティアだって。これ会社の仕事やん。っていうか部署どころか事業部も違うから、その作業だけ手伝うっていうのも無理やろ?」
「確かにねぇ~。けど北部長、やり手やからうまいこと手伝ってもらえるように根回しするかもしれませんよ。それにほら、今日のランチのときも言ったでしょ。31日までちゃんと待ってみなきゃわかりませんよって」
「それはその通りやねぇ~」
う~ん。これって・・・・。
果たして北部長の仕事を手伝うことが、「何か教えたり伝えたりして、先生と呼ばれる仕事」に結びつくのか。
それとも単なる会社の仕事、すなわち業務命令にすぎないのか。
はたまた北部長の思いつきにすぎず、この場のノリだけの話なのか。
いったいどうなるのでしょうか?
2009年11月21日土曜日
里美さん(仮名)、お受験組になる
日曜日の朝は子どもたちのバレエ・デー。月1回の見学日以外は子どもたちのレッスン中は気の合うママ同士でくっちゃべるお楽しみタイムだ。
詩音ちゃん(仮名)ママこと里美さんが、ニコニコしながら切り出した。
「うふふ、行ってきましたよ。銀座2回目」
「おお~」
里美さんの1回目の占い結果は4月のブログに書いた通り。
1回目は里美さん自身、先生に言われたことにあまり突っ込まず、また言われたこともそれほど覚えていなかったので、いまひとつ傍で聞いていてもわかりにくい鑑定結果であった。
特筆すべきは「引越しの相が出ている」ということと、「ダンナが女々しい」という2点ぐらいか。
うーん、ここ最近、2回目の人が増えてるなあ~。
「美央さんのところ、G大附属T小だって言われたって言ってたでしょ。うちも国立狙っているから、詩音の受験のことを診てもらおうかと思って行ってきたんですよ」
「おお~、それでそれで?」
身を乗り出すバレエママ友たち。
「でね、国立は出てないって」
「うーん、残念」
「しかもこれから受験の準備をするのはちょっと遅すぎるって」
「厳しいなあ」
「けどギリギリ間に合うかもだって」
「おお~」
「そのためには行きたい学校を本人に選ばせろって言うんですよ」
「幼稚園児が自分で学校なんてどうやって選べるっていうの?」
「でしょ? まあ、でもいっしょに小学校のホームページとか見たりして、なんとなく情報を得てるんだけどね」
「でもさあ、子どもが学校の教育理念とかに共鳴するわけではないから、結局選ぶのっていったら制服とかそういった見た目しかないでしょ」
「その通り! 銀座の先生からも多分制服とかで選ぶでしょうって言われていて、制服もね、襟がこうって(と大きめな襟を両方の人差し指で表している)、変わった制服なんだって」
「国立はないっていうことは私立だよね」
「そうそう。で、アーチェリーとかエアガンとかのクラブがある小学校なんだって」
「なんだそりゃ。私立ってぇのはそんなすごいクラブとかが小学校のときからあるわけ?」
「なんかね、先生が弓を射るようなジェスチャーをやたらとしていて、そういう動きみたいなのが見えたらしい。でね、詩音ったらいろんな小学校の制服を見て、ついに私ここにするっ!って決めた学校があったの」
「ほう、それは?」
「それがね、よりによってS女子学院なのよ!」
「ひょえ~!!!」
「しかも制服が変わっていて襟が大きい!」
「おお~」
ちなみにS女子学院とはカソリック系で、大学まである超お嬢様学校で、やんごとなきお方の母校としても有名だ。
「セレブっぽいねえ~」
「さすが家2軒の財産持ち!」
「学費高そう~」
「ここってマジで“ごきげんよう”ってあいさつするらしいよ」
「だって先輩を“お姉さま”、後輩を“エンジェル”って呼ぶんでしょ?」
「すごすぎっ!」
好き勝手なことを言うママ友たち。
「でもね、ここ、エアガンとかアチェーリーのクラブなんてないんですよ」
「ふつう、ないよっ!」
「で、銀座の先生が言うには、詩音は演劇とかやらせたほうがいいって言うんだけど、でもこの子の行く学校に演劇部はないわって言われて、でも調べたらS女子学院ってちゃんと演劇部があるの。ってことはS女子学院以外に行くのかしら? あと今回がダメでも小学校の途中で私立に行くことになるって」
「小学校の途中から私立なんて行けないでしょ? 中学の間違いじゃないの?」
「それがね、調べてみたらS女子学院って小学校の5年生で転入生を受け入れてるんだよね。もちろん試験を受けなきゃいけないんだけど」
「ということは早くても遅くてもどっちみちS女子学院に縁があるということだね」
「そのようですねえ」
「じゃあ、これから大変だね」
「うん。一応、お受験塾も入れてみました」
「あ~あ、子育てってほんと、お金かかるねっ!」
「まったくです」
そう言いながらも里美さんは新たな楽しみを見つけたように、満足げに微笑んだ。
詩音ちゃん(仮名)ママこと里美さんが、ニコニコしながら切り出した。
「うふふ、行ってきましたよ。銀座2回目」
「おお~」
里美さんの1回目の占い結果は4月のブログに書いた通り。
1回目は里美さん自身、先生に言われたことにあまり突っ込まず、また言われたこともそれほど覚えていなかったので、いまひとつ傍で聞いていてもわかりにくい鑑定結果であった。
特筆すべきは「引越しの相が出ている」ということと、「ダンナが女々しい」という2点ぐらいか。
うーん、ここ最近、2回目の人が増えてるなあ~。
「美央さんのところ、G大附属T小だって言われたって言ってたでしょ。うちも国立狙っているから、詩音の受験のことを診てもらおうかと思って行ってきたんですよ」
「おお~、それでそれで?」
身を乗り出すバレエママ友たち。
「でね、国立は出てないって」
「うーん、残念」
「しかもこれから受験の準備をするのはちょっと遅すぎるって」
「厳しいなあ」
「けどギリギリ間に合うかもだって」
「おお~」
「そのためには行きたい学校を本人に選ばせろって言うんですよ」
「幼稚園児が自分で学校なんてどうやって選べるっていうの?」
「でしょ? まあ、でもいっしょに小学校のホームページとか見たりして、なんとなく情報を得てるんだけどね」
「でもさあ、子どもが学校の教育理念とかに共鳴するわけではないから、結局選ぶのっていったら制服とかそういった見た目しかないでしょ」
「その通り! 銀座の先生からも多分制服とかで選ぶでしょうって言われていて、制服もね、襟がこうって(と大きめな襟を両方の人差し指で表している)、変わった制服なんだって」
「国立はないっていうことは私立だよね」
「そうそう。で、アーチェリーとかエアガンとかのクラブがある小学校なんだって」
「なんだそりゃ。私立ってぇのはそんなすごいクラブとかが小学校のときからあるわけ?」
「なんかね、先生が弓を射るようなジェスチャーをやたらとしていて、そういう動きみたいなのが見えたらしい。でね、詩音ったらいろんな小学校の制服を見て、ついに私ここにするっ!って決めた学校があったの」
「ほう、それは?」
「それがね、よりによってS女子学院なのよ!」
「ひょえ~!!!」
「しかも制服が変わっていて襟が大きい!」
「おお~」
ちなみにS女子学院とはカソリック系で、大学まである超お嬢様学校で、やんごとなきお方の母校としても有名だ。
「セレブっぽいねえ~」
「さすが家2軒の財産持ち!」
「学費高そう~」
「ここってマジで“ごきげんよう”ってあいさつするらしいよ」
「だって先輩を“お姉さま”、後輩を“エンジェル”って呼ぶんでしょ?」
「すごすぎっ!」
好き勝手なことを言うママ友たち。
「でもね、ここ、エアガンとかアチェーリーのクラブなんてないんですよ」
「ふつう、ないよっ!」
「で、銀座の先生が言うには、詩音は演劇とかやらせたほうがいいって言うんだけど、でもこの子の行く学校に演劇部はないわって言われて、でも調べたらS女子学院ってちゃんと演劇部があるの。ってことはS女子学院以外に行くのかしら? あと今回がダメでも小学校の途中で私立に行くことになるって」
「小学校の途中から私立なんて行けないでしょ? 中学の間違いじゃないの?」
「それがね、調べてみたらS女子学院って小学校の5年生で転入生を受け入れてるんだよね。もちろん試験を受けなきゃいけないんだけど」
「ということは早くても遅くてもどっちみちS女子学院に縁があるということだね」
「そのようですねえ」
「じゃあ、これから大変だね」
「うん。一応、お受験塾も入れてみました」
「あ~あ、子育てってほんと、お金かかるねっ!」
「まったくです」
そう言いながらも里美さんは新たな楽しみを見つけたように、満足げに微笑んだ。
2009年11月13日金曜日
佑子さん(仮名)の憂鬱
うららかな春の日の昼下がり。メール着信が一件。送ってきたのは娘のクラスのママ友佑子さんだ。
佑子さんは3人の子持ちで上のお兄ちゃんの件で、一度銀座の先生のところで診てもらったことは4月のブログでも紹介したとおり。
娘と同い年の莉奈ちゃん(仮名)は同じバレエクラスに通っていたが、1年前に辞めてしまっていた。
そのとき佑子さんは「日曜日のバレエの待ち時間にママ同士でくっちゃべっているのが、最高の息抜きになっていたのに」と莉奈ちゃんがバレエをどうしても辞めると言って聞かなかったことをずいぶん残念がっていた。
送られてきたメールの内容は、なんと銀座の先生に関するもの。
「最近、銀座の先生のところに行った? または行ったって知り合いの人いる?」
あら~、佑子さんったら、また先生のところに行く用事でもできたのかしらとオバハンのヤジ馬根性丸出しで速攻、電話をかける私。
「銀座の先生のところだったら今年の1月下旬に私は2回目行ってきたし、そのあとに泰子(仮名)も行ってるよ」
「ええ! 美央さん、2回目行ったんだ。やっぱりまた1カ月ぐらい待たされるのかな?」
「1ヵ月どころか、最近じゃ2カ月待ちだよ」
「2カ月!」
「けど泰子は緊急だって言い張って10日ぐらいで予約を取ったらしい。夕方とかじゃなければ比較的取りやすいんじゃないかな」
「あ、それいいこと聞いた。いいの、私どうせ時間いっぱいあるから、朝だろうと昼だろうと行けちゃうし」
佑子さんは意外なことを言う。だって彼女はフルタイムでめいっぱい働いていて、いつも時間に追われている。
「来週、保育園の懇談会あるじゃない。そのあと美央さん空いてる?」
「空いてるよ」
「じゃあそのときにちょっと相談に乗ってよ。あと2回目で銀座の先生に言われたことも教えて」
「いいよ~」
こんな電話のやり取りから1週間後。懇談会のあとに我が家でビールを飲みながら語り始める私たち。
うちの子どもたちと佑子さんの一番上のお兄ちゃんを除く2人の子ども計4人は、女の子同士はリカちゃん人形で遊び、男の子同士はトミカで遊んでいるので、しばらく放っておいてもよさそうだ。
「あれからね、銀座の先生のところに予約入れて行くことになったよ。美央さんの言う通り2カ月先だって言われたけど、平日の昼の早い時間にしてもらったら1ヵ月後には予約取れたよ」
「今度はどうしたの? お兄ちゃん落ち着いた?」
「うん、おかげさまでお兄ちゃんは担任の先生も変わったこともあってずいぶん落ち着いたよ。相変わらずKYだけど。今回はね、実家のゴタゴタのことと、私の勤め先のことで聞きたいことがあるんだ。けど会社のことはもう今月中にカタがつくだろうから、もう先生のところに行くころには終わっちゃっている話になるけどね」
「何? 会社がどうしたの?」
佑子さんによると、彼女はIT関係のSEとして働いているが、社長がワンマンで彼女が3人目の子どもを妊娠したときに、人事から3回目の産休取得は認められないと圧力をかけられたらしい。その話は当時私も聞いていた。
佑子さんは法律を盾にとり、3回目の産休育休も無事取り終えたが、会社に復帰したときは管理職の立場を解かれ、毎年年棒の交渉があるこの会社では収入も25%ほど引かれてしまったらしい。
これだけでも重大な法律違反だが、佑子さん自身に3回も産休育休を取ったという罪悪感があったこと(本来ならそんなものをまったく感じる必要はないのだが、まだまだ日本の会社ではこういった制度を活用することに罪悪感を植えつけられるような土壌があるということだ)、管理職の責務から逃れられ実際に残業時間が減り子育てとの両立がしやすくなったというプラス側面もあり、本人もそれで良しという状態がこれまで続いていたという。
ところが今年に入ってこのワンマン社長が突然佑子さんの存在を思い出したのか、今年の年棒の交渉時に突然金額の書いた紙切れが渡され、その金額が元々の金額の25%差し引かれた現在の年収のさらに半額になっていたというのだ!
元々の金額からいくと75%ほど減額されてしまう計算になるという。
それはあんまりだ。
「だからもう、やってられないから辞めようかと思って。で、どうせ辞めるんだったら会社を訴えてから辞めるつもりでいるんだよ」
「それひどいね!」
「でしょう~!! だからこのことはもうカタもつくだろうし、初めて銀座の先生のところに行ったときに、ちょうどこの時期ぐらいに会社を辞めて自分で仕事を始めるって言われたから、時期は合うんだよね。だから具体的な話を聞きたいと思って」
「なるほどね~」
「銀座に行ったらまた報告するよ。ちなみに美央さんは2回目何言われたの?」
順を追って2回目に銀座の先生のところに行って言われたことを報告する私。
「なるほどね~。いいじゃん。いいことばっかり言われてて」
「えへへへ。まあね。けど言われた結果、絶対に教えてよ」
「もちろん」
ということで、佑子さんの報告を待つことに。
佑子さんは3人の子持ちで上のお兄ちゃんの件で、一度銀座の先生のところで診てもらったことは4月のブログでも紹介したとおり。
娘と同い年の莉奈ちゃん(仮名)は同じバレエクラスに通っていたが、1年前に辞めてしまっていた。
そのとき佑子さんは「日曜日のバレエの待ち時間にママ同士でくっちゃべっているのが、最高の息抜きになっていたのに」と莉奈ちゃんがバレエをどうしても辞めると言って聞かなかったことをずいぶん残念がっていた。
送られてきたメールの内容は、なんと銀座の先生に関するもの。
「最近、銀座の先生のところに行った? または行ったって知り合いの人いる?」
あら~、佑子さんったら、また先生のところに行く用事でもできたのかしらとオバハンのヤジ馬根性丸出しで速攻、電話をかける私。
「銀座の先生のところだったら今年の1月下旬に私は2回目行ってきたし、そのあとに泰子(仮名)も行ってるよ」
「ええ! 美央さん、2回目行ったんだ。やっぱりまた1カ月ぐらい待たされるのかな?」
「1ヵ月どころか、最近じゃ2カ月待ちだよ」
「2カ月!」
「けど泰子は緊急だって言い張って10日ぐらいで予約を取ったらしい。夕方とかじゃなければ比較的取りやすいんじゃないかな」
「あ、それいいこと聞いた。いいの、私どうせ時間いっぱいあるから、朝だろうと昼だろうと行けちゃうし」
佑子さんは意外なことを言う。だって彼女はフルタイムでめいっぱい働いていて、いつも時間に追われている。
「来週、保育園の懇談会あるじゃない。そのあと美央さん空いてる?」
「空いてるよ」
「じゃあそのときにちょっと相談に乗ってよ。あと2回目で銀座の先生に言われたことも教えて」
「いいよ~」
こんな電話のやり取りから1週間後。懇談会のあとに我が家でビールを飲みながら語り始める私たち。
うちの子どもたちと佑子さんの一番上のお兄ちゃんを除く2人の子ども計4人は、女の子同士はリカちゃん人形で遊び、男の子同士はトミカで遊んでいるので、しばらく放っておいてもよさそうだ。
「あれからね、銀座の先生のところに予約入れて行くことになったよ。美央さんの言う通り2カ月先だって言われたけど、平日の昼の早い時間にしてもらったら1ヵ月後には予約取れたよ」
「今度はどうしたの? お兄ちゃん落ち着いた?」
「うん、おかげさまでお兄ちゃんは担任の先生も変わったこともあってずいぶん落ち着いたよ。相変わらずKYだけど。今回はね、実家のゴタゴタのことと、私の勤め先のことで聞きたいことがあるんだ。けど会社のことはもう今月中にカタがつくだろうから、もう先生のところに行くころには終わっちゃっている話になるけどね」
「何? 会社がどうしたの?」
佑子さんによると、彼女はIT関係のSEとして働いているが、社長がワンマンで彼女が3人目の子どもを妊娠したときに、人事から3回目の産休取得は認められないと圧力をかけられたらしい。その話は当時私も聞いていた。
佑子さんは法律を盾にとり、3回目の産休育休も無事取り終えたが、会社に復帰したときは管理職の立場を解かれ、毎年年棒の交渉があるこの会社では収入も25%ほど引かれてしまったらしい。
これだけでも重大な法律違反だが、佑子さん自身に3回も産休育休を取ったという罪悪感があったこと(本来ならそんなものをまったく感じる必要はないのだが、まだまだ日本の会社ではこういった制度を活用することに罪悪感を植えつけられるような土壌があるということだ)、管理職の責務から逃れられ実際に残業時間が減り子育てとの両立がしやすくなったというプラス側面もあり、本人もそれで良しという状態がこれまで続いていたという。
ところが今年に入ってこのワンマン社長が突然佑子さんの存在を思い出したのか、今年の年棒の交渉時に突然金額の書いた紙切れが渡され、その金額が元々の金額の25%差し引かれた現在の年収のさらに半額になっていたというのだ!
元々の金額からいくと75%ほど減額されてしまう計算になるという。
それはあんまりだ。
「だからもう、やってられないから辞めようかと思って。で、どうせ辞めるんだったら会社を訴えてから辞めるつもりでいるんだよ」
「それひどいね!」
「でしょう~!! だからこのことはもうカタもつくだろうし、初めて銀座の先生のところに行ったときに、ちょうどこの時期ぐらいに会社を辞めて自分で仕事を始めるって言われたから、時期は合うんだよね。だから具体的な話を聞きたいと思って」
「なるほどね~」
「銀座に行ったらまた報告するよ。ちなみに美央さんは2回目何言われたの?」
順を追って2回目に銀座の先生のところに行って言われたことを報告する私。
「なるほどね~。いいじゃん。いいことばっかり言われてて」
「えへへへ。まあね。けど言われた結果、絶対に教えてよ」
「もちろん」
ということで、佑子さんの報告を待つことに。
2009年11月11日水曜日
早紀ちゃん(仮名)とのランチ
4月の半ば、突然前の会社の先輩早紀ちゃん(♂)から電話が入った。都心まで出かける用があるから、ランチを食べようというお誘いだった。
バッタリ教育関係のフォーラムで再会して5ヶ月ぐらい経っていた。
会社の近くの交差点で待ち合わせをして、京都の町家風の一軒家になっている知る人ぞ知るレストランで私たちは松花堂弁当を頼んだ。
久しぶりの再会なのにアルコールがないのは寂しいが、いかんせん仕事中なので仕方がない。
「んで、清永はいったい教育のどの部分の仕事をしているわけ?」
と前置きなくいきなり突っ込んでくる早紀ちゃん。この「んで」と話の頭につくのは昔からこの人の癖だ。
大雑把に今の仕事の話をすると、早紀ちゃんは「うむうむうむ」と大きな声で呟き、
細かいカリキュラムの話や指導法の話をひとしきりしたあとに、
「要はさ、俺、前の会社辞めた後は同業他社であるA社に行ってさ、結局4年ぐらいそこにいたんだけど、社風が合わなかったわけよ。どっちみちオヤジの塾は継がなきゃいけなかったら、いつ継ぐかという話だけだったんだけど、2年ぐらい前にA社辞めて塾の仕事始めてよぉ」
早紀ちゃんはせわしなくお弁当のお煮しめを口に放り込みつつ、ずっとしゃべっている。
この店のお弁当はきっちり京都風の味を守っていて、板前さんの職人的なこだわりを感じさせてくれる逸品なのだが、早紀ちゃんがずっとしゃべりまくっているので、いまひとつ味わえない。
密かに今度から彼とどっかでご飯を食べるときはこういう繊細な味のものではなく、ガンガンお互いしゃべり倒してても味覚に影響を及ぼさないガッツリとした味わいのものにしようと心に決める。
「2年ぐらいやりゃあ、だいたい塾経営のノウハウは掴んできて、授業ももうバッチりやれてるわけよ。で、家の仕事だけじゃつまんないからJ-SHINE(小学校英語指導者認定協議会の略。一定の講座を受ければ小学校で英語を教える指導員としての資格を得られる。ただし国家資格ではない)も取ってよぉ、近所の公立の小学校でも教えてるわけよ。でもそれも結局ボランティア程度の金しか出ねぇし、最近マジで少子化でうちの生徒も減ってってるのよぉ。俺も結婚して子どもふたりいるからよぉ、かみさん専業主婦だし、稼がにゃあかんつぅーことでよぉ、なんかしたいわけよぉ」
「なんかって何よ?」
「取りあえず教材でも作るべって、CD作るのは得意だからよぉ、ミュージシャン呼んでフォニックスを取り入れて、レコーディングしたわけよぉ。で、K社は幼児向けのCDいっぱい出してるからよぉ、今日はそこに行ってこんなの出しませんかって営業に行ってきたってことよ」
「ほぉ~」
「そんでさ、今偶然お前もなんでかしらないけど、教育の仕事してるじゃん。被ってる要素もあるからよぉ、まあ情報交換なんかしてだなぁ。組めるところは組めればいいかなって思ったわけよぉ」
「うちは中で仕事が全部完結しちゃってるから、組めるところっていうのはないよ(キッパリ)」
「全然かよ?」
「うん、全然だね。なんかあったら連絡するけど」
「そうか、じゃあしょうがないな。あ、すいません。ご飯お替りくださーい!」
突然、ご飯をお替りする早紀ちゃん。
2杯目のご飯を掻きこみながら、
「まあ、仕事はおいおいだな。ところでよぉ、お前んちの子ども、小学校はそのへんの区立入れるのかよ?」
話の矛先を変える早紀ちゃん。
「そのへんの区立でもいいけど、来年、再来年と小学生になるのが続くし、ダメもとで国立は受けてみるけど」
「ダメもとなんて言ってちゃだめだぜ。みんな受かるつもりで受けてるからよぉ」
「そういうあんたんちってどうなのよ?」
「うちの娘は今、小2になったんだけどよぉ、G大附属O小行ってるぜ」
「え? マジ?」
G大附属O小とは国立小学校のひとつで、うちの子どもたちが銀座の先生から受かると言われていたG大附属T小の系列校だ。
国立4校の中でもO小は離れたところにあるので、受けるかどうか迷っていて、受けない方向で考えも固まりつつあるところだった。
なんとその小学校に早紀ちゃんの娘が通っていたとは!
「記念なんて言う親がいるけどよぉ、受験なんてもんは受かるつもりでやんないと。うちだってかみさんがW(国立に強いと言われているお受験塾)に早くから入れてよぉ、ガンガン勉強させてたからね。で、お前んちはどこ受けるんだよ」
「記念なんて言う親はうちだけどさ。一応G大附属T小とT大附属T小とO女かな。G大附属O小は遠いからパス」
「おいおい、G大附属O小はいい小学校だぜ。それは絶対に保障するよ。遠いってたってよぉ、お前のところの最寄駅からだったら全然大したことないぜ。それより遠いところからみんな通ってきてるからよぉ。悪いこと言わないから受けるだけだったらG大附属O小受けてみろよ。絶対にオススメだから」
それから早紀ちゃんはいかにG大附属O小がいい小学校かを熱く力説する。
「そんなにいい小学校だって言うんだったら、受けるだけ受けてみようかな~(←簡単に流されている)」
「おお、そうしろそうしろ。受かったらラッキーだし、ここの情報だったらいくらでも教えてやるぞ」
となぜか早紀ちゃんに説得されて受けるのをやめようと思っていたG大附属O小も受ける方向に転がったのであった。
ずっと音信不通だった早紀ちゃんとひょんなことでバッタリ再会したのも、もしかすると小学校受験の助言を受けるためからだったのかもしれないと、そのときはチラッと感じたのであった。
バッタリ教育関係のフォーラムで再会して5ヶ月ぐらい経っていた。
会社の近くの交差点で待ち合わせをして、京都の町家風の一軒家になっている知る人ぞ知るレストランで私たちは松花堂弁当を頼んだ。
久しぶりの再会なのにアルコールがないのは寂しいが、いかんせん仕事中なので仕方がない。
「んで、清永はいったい教育のどの部分の仕事をしているわけ?」
と前置きなくいきなり突っ込んでくる早紀ちゃん。この「んで」と話の頭につくのは昔からこの人の癖だ。
大雑把に今の仕事の話をすると、早紀ちゃんは「うむうむうむ」と大きな声で呟き、
細かいカリキュラムの話や指導法の話をひとしきりしたあとに、
「要はさ、俺、前の会社辞めた後は同業他社であるA社に行ってさ、結局4年ぐらいそこにいたんだけど、社風が合わなかったわけよ。どっちみちオヤジの塾は継がなきゃいけなかったら、いつ継ぐかという話だけだったんだけど、2年ぐらい前にA社辞めて塾の仕事始めてよぉ」
早紀ちゃんはせわしなくお弁当のお煮しめを口に放り込みつつ、ずっとしゃべっている。
この店のお弁当はきっちり京都風の味を守っていて、板前さんの職人的なこだわりを感じさせてくれる逸品なのだが、早紀ちゃんがずっとしゃべりまくっているので、いまひとつ味わえない。
密かに今度から彼とどっかでご飯を食べるときはこういう繊細な味のものではなく、ガンガンお互いしゃべり倒してても味覚に影響を及ぼさないガッツリとした味わいのものにしようと心に決める。
「2年ぐらいやりゃあ、だいたい塾経営のノウハウは掴んできて、授業ももうバッチりやれてるわけよ。で、家の仕事だけじゃつまんないからJ-SHINE(小学校英語指導者認定協議会の略。一定の講座を受ければ小学校で英語を教える指導員としての資格を得られる。ただし国家資格ではない)も取ってよぉ、近所の公立の小学校でも教えてるわけよ。でもそれも結局ボランティア程度の金しか出ねぇし、最近マジで少子化でうちの生徒も減ってってるのよぉ。俺も結婚して子どもふたりいるからよぉ、かみさん専業主婦だし、稼がにゃあかんつぅーことでよぉ、なんかしたいわけよぉ」
「なんかって何よ?」
「取りあえず教材でも作るべって、CD作るのは得意だからよぉ、ミュージシャン呼んでフォニックスを取り入れて、レコーディングしたわけよぉ。で、K社は幼児向けのCDいっぱい出してるからよぉ、今日はそこに行ってこんなの出しませんかって営業に行ってきたってことよ」
「ほぉ~」
「そんでさ、今偶然お前もなんでかしらないけど、教育の仕事してるじゃん。被ってる要素もあるからよぉ、まあ情報交換なんかしてだなぁ。組めるところは組めればいいかなって思ったわけよぉ」
「うちは中で仕事が全部完結しちゃってるから、組めるところっていうのはないよ(キッパリ)」
「全然かよ?」
「うん、全然だね。なんかあったら連絡するけど」
「そうか、じゃあしょうがないな。あ、すいません。ご飯お替りくださーい!」
突然、ご飯をお替りする早紀ちゃん。
2杯目のご飯を掻きこみながら、
「まあ、仕事はおいおいだな。ところでよぉ、お前んちの子ども、小学校はそのへんの区立入れるのかよ?」
話の矛先を変える早紀ちゃん。
「そのへんの区立でもいいけど、来年、再来年と小学生になるのが続くし、ダメもとで国立は受けてみるけど」
「ダメもとなんて言ってちゃだめだぜ。みんな受かるつもりで受けてるからよぉ」
「そういうあんたんちってどうなのよ?」
「うちの娘は今、小2になったんだけどよぉ、G大附属O小行ってるぜ」
「え? マジ?」
G大附属O小とは国立小学校のひとつで、うちの子どもたちが銀座の先生から受かると言われていたG大附属T小の系列校だ。
国立4校の中でもO小は離れたところにあるので、受けるかどうか迷っていて、受けない方向で考えも固まりつつあるところだった。
なんとその小学校に早紀ちゃんの娘が通っていたとは!
「記念なんて言う親がいるけどよぉ、受験なんてもんは受かるつもりでやんないと。うちだってかみさんがW(国立に強いと言われているお受験塾)に早くから入れてよぉ、ガンガン勉強させてたからね。で、お前んちはどこ受けるんだよ」
「記念なんて言う親はうちだけどさ。一応G大附属T小とT大附属T小とO女かな。G大附属O小は遠いからパス」
「おいおい、G大附属O小はいい小学校だぜ。それは絶対に保障するよ。遠いってたってよぉ、お前のところの最寄駅からだったら全然大したことないぜ。それより遠いところからみんな通ってきてるからよぉ。悪いこと言わないから受けるだけだったらG大附属O小受けてみろよ。絶対にオススメだから」
それから早紀ちゃんはいかにG大附属O小がいい小学校かを熱く力説する。
「そんなにいい小学校だって言うんだったら、受けるだけ受けてみようかな~(←簡単に流されている)」
「おお、そうしろそうしろ。受かったらラッキーだし、ここの情報だったらいくらでも教えてやるぞ」
となぜか早紀ちゃんに説得されて受けるのをやめようと思っていたG大附属O小も受ける方向に転がったのであった。
ずっと音信不通だった早紀ちゃんとひょんなことでバッタリ再会したのも、もしかすると小学校受験の助言を受けるためからだったのかもしれないと、そのときはチラッと感じたのであった。
2009年11月10日火曜日
意外な再会
ある日、思わぬ人からランチのお誘いのメールが来た。
その人の名は樫村早紀(仮名)。早紀(さき)と聞けば一見女性の名前だけど、彼はれっきとした男だ。まあたとえていうなら亀井静香や押阪忍みたいなものか。
早紀ちゃんは前の会社の一期上の先輩なのだが、昔から私は彼に対してなれなれしくファーストネーム+ちゃん付けで呼んでいる。
前の会社を10年ほど前に辞めたあと、とんと消息はわからなかったのだが、2008年の11月、私たちは意外なところでバッタリと顔を合わせた。
10年前に音楽業界から足を洗った私は今の会社に移り、社内で部署異動を繰り返し、流れ流れて、今は教育関係の部署にいる。
音楽業界と教育業界はまったく似ても似つかぬ世界で、それぞれの業界に向いているタイプも全然違えば、付き合う人種もまったく違う。
音楽業界にいたときは、毎日が変化に富んでいて付き合う人たちもでたらめで不規則な生活ながらも楽しいこと悔しいこと腹の立つことなどジェットコースターに乗っているみたいに次々といろんなことが起こる日々だった。
若くて独身なら最高に楽しい生活だが、20代後半からいずれは結婚をして子どもを産み育ててという人生プランを考えていた私は、音楽業界に踏みとどまっていてはワークライフバランスが取れないと考え、悩んだ挙句30代前半に学生時代にめちゃくちゃ憧れて、念願かなって入社できた会社を辞めた。
今でも退職届を出して駅に向かう途中に振り返って見た本社の背後でゆらゆらと揺れる大きな夕焼けをありありと思い出せる。
その後、縁あって今の会社に入り、思い描いていたように結婚もして、子どももふたり産み育て、仕事も無理なく続けるという理想どおりの生活をしている。
たまたま教育関係の仕事に関わることになったのだが、前にいた部署が最悪すぎた(←詳しくは3月のプロローグの章参照のこと)こともあってか、決して居心地の悪い世界ではない。
自分にとってべらぼうにおもしろい仕事かと言われれば答えはノーだが、自分の子どもを持つことによって教育の世界にも興味が出てきたし、何よりも規則的な9時5時的な生活が送れることは大きい。
最優先事項が家庭となった今は自分にとってのやり甲斐などは二の次、三の次だ。
そんなときに教育関係のフォーラムで早紀ちゃんと出くわしたのだ。
早紀ちゃんはアメリカの大学を卒業後、前の会社に入社して得意の英語力を買われて国際部にしばらく在籍していたが、その後社長の肝いりで出来た社内レーベルのメンバーの一員になった。
その社内レーベルは制作1から7まであって、それぞれのレーベルには4人か5人のメンバーが配置されていた。ひとつのレーベル内で制作から宣伝までするというのは今ではふつうに行われているようだが、当時は制作と宣伝はきっちり分かれていたから、画期的な組織形態だった。
社長のもくろみは1から7までのレーベルを横並びで競わせ、ヒットを狙うというものだった。
私は制作1でモロッコ音楽の制作をしていて、早紀ちゃんは制作2だか4だかで、邦楽アーティストの宣伝をしていた。
早紀ちゃんが国際部にいたときに散々仕事をしたというメンバーがふたり制作1にいたことから、よく私たちの部署に顔を出していて、それでなんとなく仲がよくなったのだ。
早紀ちゃんはまったく異性を感じさせない人で(といっても線の細いゲイタイプとかではない)、なおかつあまり業界業界していないタイプの人だった。
プライベートでは早紀ちゃんの異業種のお友だちを紹介してもらい、みんなで飲みに行ったり、湯沢にある早紀ちゃんちのリゾート・マンションに泊まったり、ドライブに出かけるなど、大学のテニスサークルのようなノリで遊んだものだった。
意外な場所で早紀ちゃんと再会したのだが、お互いに時間もなかったので、名刺だけ慌てて交換して別れた。
早紀ちゃんの名刺は東京郊外の学習塾の塾長になっていた。
そういえば実家が学習塾をやっているという話を昔聞いていた。どうやら実家の跡を継いだようだ。
「こんなところで会うとは夢にも思わなかったよ。今度連絡するから飲みに行こうぜ」
と言い、久しぶりに会った早紀ちゃんはしばらく会わなかった歳月の分だけきっちりおじさんになっていた。
私も意外な再会に驚き、そして懐かしくちょっぴりうれしくなったが、その後は何度かのメールのやりとりだけで終わってしまっていて、再び早紀ちゃんのことを忘れかけていた矢先にランチのお誘いがあったのだ。
その人の名は樫村早紀(仮名)。早紀(さき)と聞けば一見女性の名前だけど、彼はれっきとした男だ。まあたとえていうなら亀井静香や押阪忍みたいなものか。
早紀ちゃんは前の会社の一期上の先輩なのだが、昔から私は彼に対してなれなれしくファーストネーム+ちゃん付けで呼んでいる。
前の会社を10年ほど前に辞めたあと、とんと消息はわからなかったのだが、2008年の11月、私たちは意外なところでバッタリと顔を合わせた。
10年前に音楽業界から足を洗った私は今の会社に移り、社内で部署異動を繰り返し、流れ流れて、今は教育関係の部署にいる。
音楽業界と教育業界はまったく似ても似つかぬ世界で、それぞれの業界に向いているタイプも全然違えば、付き合う人種もまったく違う。
音楽業界にいたときは、毎日が変化に富んでいて付き合う人たちもでたらめで不規則な生活ながらも楽しいこと悔しいこと腹の立つことなどジェットコースターに乗っているみたいに次々といろんなことが起こる日々だった。
若くて独身なら最高に楽しい生活だが、20代後半からいずれは結婚をして子どもを産み育ててという人生プランを考えていた私は、音楽業界に踏みとどまっていてはワークライフバランスが取れないと考え、悩んだ挙句30代前半に学生時代にめちゃくちゃ憧れて、念願かなって入社できた会社を辞めた。
今でも退職届を出して駅に向かう途中に振り返って見た本社の背後でゆらゆらと揺れる大きな夕焼けをありありと思い出せる。
その後、縁あって今の会社に入り、思い描いていたように結婚もして、子どももふたり産み育て、仕事も無理なく続けるという理想どおりの生活をしている。
たまたま教育関係の仕事に関わることになったのだが、前にいた部署が最悪すぎた(←詳しくは3月のプロローグの章参照のこと)こともあってか、決して居心地の悪い世界ではない。
自分にとってべらぼうにおもしろい仕事かと言われれば答えはノーだが、自分の子どもを持つことによって教育の世界にも興味が出てきたし、何よりも規則的な9時5時的な生活が送れることは大きい。
最優先事項が家庭となった今は自分にとってのやり甲斐などは二の次、三の次だ。
そんなときに教育関係のフォーラムで早紀ちゃんと出くわしたのだ。
早紀ちゃんはアメリカの大学を卒業後、前の会社に入社して得意の英語力を買われて国際部にしばらく在籍していたが、その後社長の肝いりで出来た社内レーベルのメンバーの一員になった。
その社内レーベルは制作1から7まであって、それぞれのレーベルには4人か5人のメンバーが配置されていた。ひとつのレーベル内で制作から宣伝までするというのは今ではふつうに行われているようだが、当時は制作と宣伝はきっちり分かれていたから、画期的な組織形態だった。
社長のもくろみは1から7までのレーベルを横並びで競わせ、ヒットを狙うというものだった。
私は制作1でモロッコ音楽の制作をしていて、早紀ちゃんは制作2だか4だかで、邦楽アーティストの宣伝をしていた。
早紀ちゃんが国際部にいたときに散々仕事をしたというメンバーがふたり制作1にいたことから、よく私たちの部署に顔を出していて、それでなんとなく仲がよくなったのだ。
早紀ちゃんはまったく異性を感じさせない人で(といっても線の細いゲイタイプとかではない)、なおかつあまり業界業界していないタイプの人だった。
プライベートでは早紀ちゃんの異業種のお友だちを紹介してもらい、みんなで飲みに行ったり、湯沢にある早紀ちゃんちのリゾート・マンションに泊まったり、ドライブに出かけるなど、大学のテニスサークルのようなノリで遊んだものだった。
意外な場所で早紀ちゃんと再会したのだが、お互いに時間もなかったので、名刺だけ慌てて交換して別れた。
早紀ちゃんの名刺は東京郊外の学習塾の塾長になっていた。
そういえば実家が学習塾をやっているという話を昔聞いていた。どうやら実家の跡を継いだようだ。
「こんなところで会うとは夢にも思わなかったよ。今度連絡するから飲みに行こうぜ」
と言い、久しぶりに会った早紀ちゃんはしばらく会わなかった歳月の分だけきっちりおじさんになっていた。
私も意外な再会に驚き、そして懐かしくちょっぴりうれしくなったが、その後は何度かのメールのやりとりだけで終わってしまっていて、再び早紀ちゃんのことを忘れかけていた矢先にランチのお誘いがあったのだ。
2009年11月9日月曜日
みっちゃんの教育論②
花見のあと、陽太(仮名)ママことみっちゃん(仮名)が酔っ払いながらも教育論をぶつ。
「でも2011年には指導要領も変わって授業の時数も増えるじゃん」
なぜか文科省の肩を持つようなことを言う私。
「遅いっ! 子どもは勉強一筋で良しっ! ガンガン詰め込むべし! 詰め込み賛成っ!」
「おお~」
「うちの陽太は暁星とかT大附属T小のようなスパルタ式のところでガシガシしごいてもらいたいのっ。きちんと学力を付けてくれるのが学校の仕事でしょう。けど最近の先生は怒らないっていう話だし、学級崩壊の話も聞くし」
「モンスター・ペアレンツも話題になってるよね」
「そうそう。それで私立に学校訪問したり公開授業を見たりしたんだけど、本当に高度なことやってるんだよね。先生も熱心で指導力が高いし・・・・」
その後、延々とみっちゃんが学校訪問した私立校がいかに素晴らしかったかという話が続き、みっちゃんの私立びいきさ加減にはびっくりさせられた。
もうほとんど私立原理主義者の域に入っているではないか!
「他にもね、宗教を取り入れている学校が良かったの。うちは特定の宗教を信じているわけじゃないけど、何かを畏れ敬う気持ちっていうのはなかなか宗教教育を通じてじゃないと身につかないから、そこははずせないポイントなの。美央さんはそういうの何かないの?」
ええ~? そうねえ~。子どもの教育かぁ~。
改めて言われてもねえ~。
基本は子どもが健康で幸せで、食べていくのに困らないスキルを身につけること。
あとはプラスアルファかなあ。
「ほら、うち受験っていっても準備してるわけじゃないし、占いでG大附属T小に行くって言われちゃったから、その気になって受けるだけだからね」
「ああG大附属T小ね。自由な校風で子どもにとっては楽しいらしいよね。でも藤吉さん(仮名)のところの雪美ちゃん(仮名)もそうだし、Aちゃんも受験ということだったら、お互い切磋琢磨してがんばりましょうね。情報交換もしましょう。国立はうちも全校受ける予定だから、いっしょにやっていきましょう。今度SG会が出しているスケジュール表とか模擬の予定表とかがあるから、持ってくるよ。ほんと、美央さんも受験組(←おいっ! いつからだ!?)でよかったわ」
そうみっちゃんは言い終わるや、ビールを一気飲みし、
「受験、いっしょにがんばりましょうねっ!」
と瞳をキラキラさせながら、私の両手を握り締めた。
「でも2011年には指導要領も変わって授業の時数も増えるじゃん」
なぜか文科省の肩を持つようなことを言う私。
「遅いっ! 子どもは勉強一筋で良しっ! ガンガン詰め込むべし! 詰め込み賛成っ!」
「おお~」
「うちの陽太は暁星とかT大附属T小のようなスパルタ式のところでガシガシしごいてもらいたいのっ。きちんと学力を付けてくれるのが学校の仕事でしょう。けど最近の先生は怒らないっていう話だし、学級崩壊の話も聞くし」
「モンスター・ペアレンツも話題になってるよね」
「そうそう。それで私立に学校訪問したり公開授業を見たりしたんだけど、本当に高度なことやってるんだよね。先生も熱心で指導力が高いし・・・・」
その後、延々とみっちゃんが学校訪問した私立校がいかに素晴らしかったかという話が続き、みっちゃんの私立びいきさ加減にはびっくりさせられた。
もうほとんど私立原理主義者の域に入っているではないか!
「他にもね、宗教を取り入れている学校が良かったの。うちは特定の宗教を信じているわけじゃないけど、何かを畏れ敬う気持ちっていうのはなかなか宗教教育を通じてじゃないと身につかないから、そこははずせないポイントなの。美央さんはそういうの何かないの?」
ええ~? そうねえ~。子どもの教育かぁ~。
改めて言われてもねえ~。
基本は子どもが健康で幸せで、食べていくのに困らないスキルを身につけること。
あとはプラスアルファかなあ。
「ほら、うち受験っていっても準備してるわけじゃないし、占いでG大附属T小に行くって言われちゃったから、その気になって受けるだけだからね」
「ああG大附属T小ね。自由な校風で子どもにとっては楽しいらしいよね。でも藤吉さん(仮名)のところの雪美ちゃん(仮名)もそうだし、Aちゃんも受験ということだったら、お互い切磋琢磨してがんばりましょうね。情報交換もしましょう。国立はうちも全校受ける予定だから、いっしょにやっていきましょう。今度SG会が出しているスケジュール表とか模擬の予定表とかがあるから、持ってくるよ。ほんと、美央さんも受験組(←おいっ! いつからだ!?)でよかったわ」
そうみっちゃんは言い終わるや、ビールを一気飲みし、
「受験、いっしょにがんばりましょうねっ!」
と瞳をキラキラさせながら、私の両手を握り締めた。
2009年11月8日日曜日
みっちゃんの教育論①
先行き不安な春にも桜は咲く。
2009年のお花見は王子の飛鳥山公園へ。
メンバーは、うち、右京家、松野家、藤吉家という娘のクラスの飲み会メンバー+ベイカー家(すべて仮名)。
ベイカー家のパパはアメリカ人のジョン。ITエンジニアの仕事をしているジョンは来日5年にして日本語がペラペラで、「さんまの恋の空騒ぎ」で日本語を覚えたという。
ママのルミ(仮名)は私と同い年。なんと開業医で半年前から夫の保護者バンド「オヤジズ」にベーシストとして加入している。なんでも医者になる前はセミプロのような状態で都内のライブハウスに出まくっていたらしい。
なんでもこのふたり、出会い系サイトで知り合い、そのまま出来ちゃった婚へ突入したという高収入な肩書きからはイメージしにくい方法でゴールインしている。
ジョンとルミの娘リリー(仮名)は3歳で同じ保育園に通っている。リリーはジョンそっくりで、金髪でくりくりとした瞳のためか、ハーフというより100%白人にしか見えない。息子より1つ下のクラスだけど、気が合うらしくよくくっついて遊んでいる。保育園でもふたりがくっついて遊んでいると、先生たちからペアのお人形さんみたいだねとなどと言われているらしい。
ルミがオヤジズに加入したことと、外国人保護者同士気が合うのか、このところベイカー家との付き合いが密になってきている。
まあ今年の花見はオヤジズ・メンバー+藤吉家ということになったのだが、ひとしきり桜も見て、ひとしきりお酒も飲んで、夜風も冷たくなってきたということで2次会は我が家で。
妊婦の洋子(仮名)と由美子(仮名)は先に帰り、我が家での飲み会も10時過ぎた頃にはボチボチとみんな帰っていったのだが、なぜか残ったのは松野家の光子(仮名)ことみっちゃんひとり。
夫であるカズヒロ(仮名)は酔っ払うと唐突に宣言する。
「じゃあ、みっちゃん、子どもたちを連れて先に帰れ! 俺はまだ飲むっ!」
ということもあれば、
「俺は子どもたちを連れて先に帰るっ! みっちゃんは残って飲んでろっ!」
というパターンもあり、いずれにしろ毎回なぜか一緒に帰ろうとはしない。
この日のカズヒロは、「じゃあ、光子置いていくから。美央さん、光子と飲んでて」と子どもたちを連れてとっとと帰ってしまったのだった。
謎なカップルだ。
「じゃあ、みっちゃん、ゆっくり飲もうか」
「わーい。じゃあ改めて乾杯~」
子どもたちも夫も寝てしまい、急にシーンと静まり返った部屋で飲み始める私とみっちゃん。
「そうそう、陽太(カズヒロとみっちゃんの息子)、受験するんだって?」
「うん。SG会(お受験対策幼児教室)にも入ったよ」
「月謝っていくらぐらいするの?」
「基本は7万円で・・・」
「7万!?」
「それに強化コースや対策コース、合宿なんかも入れると20万ぐらいになることもあるかな」
「すごいね。カズヒロはOKなんだ」
「パパはなんにも考えてないからね」
みっちゃんは福々しい笑顔を浮かべる。一見彼女は気のいい肝っ玉母ちゃん風だが、なんといっても世界のSの管理職だ。
しかも四谷雙葉出身のお嬢様で、こういう人を見ると本物のお嬢様は決して派手ではなく、ブランドモノで身を固めるなどといったわかりやすいことはしないというのがよくわかる。究極の例が民間に下られた黒田清子さんだ。
「陽太どこ狙ってるの?」
「私立だったら暁星が第一志望で、あとは宝仙と淑徳。国立は全部受けるけど、やっぱりT大附属T小狙いだね」
「じゃあ暁星とT大附属T小、どっちも受かったら?」
「迷うところだけど、国立は月謝がタダだからね。やっぱりT大附属T小だけど、国立はクジがあるから、不確定要素が強すぎるんだよね。しかも私立の方が早いから仮に国立に受かっても入学金は捨てなきゃいけなくてね」
なんだそりゃあ~。まるで大学入試みたいじゃないか。
「Aちゃん(娘)はどこも受けないの?」
「まあ、記念で国立は全部受けるつもりだけど」
「うん、Aちゃん、しっかりしてるから受験向いてそうだよね」
「親の私が向いてないからダメだよ(トホホ)」
「まずね、面接まで行ったら7割は見た目なんだよ」
「ほう~(感心)」
「私立にしろ国立にしろ、バスや電車なんかの公共交通に乗って、遠いところをわざわざ通うわけでしょ。それには体力が必要なんだから、いかにも細くて弱々しい子は通えるのか?ということになってその分不利なんだよね。その点、Aちゃんはだいじょうぶ!」
ええ、ええ、そうでしょうとも。
うちの娘はタテにもヨコにもデカく発育がいいので、逆にまだ小学生ではないということに驚かれてしまう。いかにも健康優良児然とした姿で華奢ではかなげな要素はゼロだ。
見た目のじょうぶさを競うだけだったら、うちの娘はどんな難関校でも突破しそうだぞ。
「まあ、またなんでそんなに小学校受験にこだわることにしたの?」
松野家の住まいはMZ小学校区に当たり、公立でも我が区の中の屈指の人気校だ。高級住宅街にあるMZ小は場所柄裕福な子が多く、ほぼ100%の子どもたちが中学受験をするという特殊な小学校だ。
隣接選択性を取っている我が区では、隣り合う小学校は各校定員40名まで選択が可能で、MZ小は40名の定員に対して毎年3倍の希望が集まり、公立のくせにクジによる抽選があるという。
みっちゃんはもとより、単なる酔っ払いとはいえ夫のカズヒロも高学歴エリートである。ふたりの子どもだったら頭はいいだろうから、中学受験からでも十分だろう。
私のイメージの中では小学校受験させる親というのは、よっぽどの金持ちで代々我が家はこの学校と決まっているところか、両親の頭脳に自信がない小金持ちの親が、お金にモノを言わせて小学校のうちから一貫校にねじ込んでしまうというパターンのどちらかだった。
「まずね、ゆとり教育反対っ!」
「おお~」
アルコールも結構回ってきているせいか、いきなりテンションの高いみっちゃん。
おお、いいぞ、おもしろい展開になってきた。
2009年のお花見は王子の飛鳥山公園へ。
メンバーは、うち、右京家、松野家、藤吉家という娘のクラスの飲み会メンバー+ベイカー家(すべて仮名)。
ベイカー家のパパはアメリカ人のジョン。ITエンジニアの仕事をしているジョンは来日5年にして日本語がペラペラで、「さんまの恋の空騒ぎ」で日本語を覚えたという。
ママのルミ(仮名)は私と同い年。なんと開業医で半年前から夫の保護者バンド「オヤジズ」にベーシストとして加入している。なんでも医者になる前はセミプロのような状態で都内のライブハウスに出まくっていたらしい。
なんでもこのふたり、出会い系サイトで知り合い、そのまま出来ちゃった婚へ突入したという高収入な肩書きからはイメージしにくい方法でゴールインしている。
ジョンとルミの娘リリー(仮名)は3歳で同じ保育園に通っている。リリーはジョンそっくりで、金髪でくりくりとした瞳のためか、ハーフというより100%白人にしか見えない。息子より1つ下のクラスだけど、気が合うらしくよくくっついて遊んでいる。保育園でもふたりがくっついて遊んでいると、先生たちからペアのお人形さんみたいだねとなどと言われているらしい。
ルミがオヤジズに加入したことと、外国人保護者同士気が合うのか、このところベイカー家との付き合いが密になってきている。
まあ今年の花見はオヤジズ・メンバー+藤吉家ということになったのだが、ひとしきり桜も見て、ひとしきりお酒も飲んで、夜風も冷たくなってきたということで2次会は我が家で。
妊婦の洋子(仮名)と由美子(仮名)は先に帰り、我が家での飲み会も10時過ぎた頃にはボチボチとみんな帰っていったのだが、なぜか残ったのは松野家の光子(仮名)ことみっちゃんひとり。
夫であるカズヒロ(仮名)は酔っ払うと唐突に宣言する。
「じゃあ、みっちゃん、子どもたちを連れて先に帰れ! 俺はまだ飲むっ!」
ということもあれば、
「俺は子どもたちを連れて先に帰るっ! みっちゃんは残って飲んでろっ!」
というパターンもあり、いずれにしろ毎回なぜか一緒に帰ろうとはしない。
この日のカズヒロは、「じゃあ、光子置いていくから。美央さん、光子と飲んでて」と子どもたちを連れてとっとと帰ってしまったのだった。
謎なカップルだ。
「じゃあ、みっちゃん、ゆっくり飲もうか」
「わーい。じゃあ改めて乾杯~」
子どもたちも夫も寝てしまい、急にシーンと静まり返った部屋で飲み始める私とみっちゃん。
「そうそう、陽太(カズヒロとみっちゃんの息子)、受験するんだって?」
「うん。SG会(お受験対策幼児教室)にも入ったよ」
「月謝っていくらぐらいするの?」
「基本は7万円で・・・」
「7万!?」
「それに強化コースや対策コース、合宿なんかも入れると20万ぐらいになることもあるかな」
「すごいね。カズヒロはOKなんだ」
「パパはなんにも考えてないからね」
みっちゃんは福々しい笑顔を浮かべる。一見彼女は気のいい肝っ玉母ちゃん風だが、なんといっても世界のSの管理職だ。
しかも四谷雙葉出身のお嬢様で、こういう人を見ると本物のお嬢様は決して派手ではなく、ブランドモノで身を固めるなどといったわかりやすいことはしないというのがよくわかる。究極の例が民間に下られた黒田清子さんだ。
「陽太どこ狙ってるの?」
「私立だったら暁星が第一志望で、あとは宝仙と淑徳。国立は全部受けるけど、やっぱりT大附属T小狙いだね」
「じゃあ暁星とT大附属T小、どっちも受かったら?」
「迷うところだけど、国立は月謝がタダだからね。やっぱりT大附属T小だけど、国立はクジがあるから、不確定要素が強すぎるんだよね。しかも私立の方が早いから仮に国立に受かっても入学金は捨てなきゃいけなくてね」
なんだそりゃあ~。まるで大学入試みたいじゃないか。
「Aちゃん(娘)はどこも受けないの?」
「まあ、記念で国立は全部受けるつもりだけど」
「うん、Aちゃん、しっかりしてるから受験向いてそうだよね」
「親の私が向いてないからダメだよ(トホホ)」
「まずね、面接まで行ったら7割は見た目なんだよ」
「ほう~(感心)」
「私立にしろ国立にしろ、バスや電車なんかの公共交通に乗って、遠いところをわざわざ通うわけでしょ。それには体力が必要なんだから、いかにも細くて弱々しい子は通えるのか?ということになってその分不利なんだよね。その点、Aちゃんはだいじょうぶ!」
ええ、ええ、そうでしょうとも。
うちの娘はタテにもヨコにもデカく発育がいいので、逆にまだ小学生ではないということに驚かれてしまう。いかにも健康優良児然とした姿で華奢ではかなげな要素はゼロだ。
見た目のじょうぶさを競うだけだったら、うちの娘はどんな難関校でも突破しそうだぞ。
「まあ、またなんでそんなに小学校受験にこだわることにしたの?」
松野家の住まいはMZ小学校区に当たり、公立でも我が区の中の屈指の人気校だ。高級住宅街にあるMZ小は場所柄裕福な子が多く、ほぼ100%の子どもたちが中学受験をするという特殊な小学校だ。
隣接選択性を取っている我が区では、隣り合う小学校は各校定員40名まで選択が可能で、MZ小は40名の定員に対して毎年3倍の希望が集まり、公立のくせにクジによる抽選があるという。
みっちゃんはもとより、単なる酔っ払いとはいえ夫のカズヒロも高学歴エリートである。ふたりの子どもだったら頭はいいだろうから、中学受験からでも十分だろう。
私のイメージの中では小学校受験させる親というのは、よっぽどの金持ちで代々我が家はこの学校と決まっているところか、両親の頭脳に自信がない小金持ちの親が、お金にモノを言わせて小学校のうちから一貫校にねじ込んでしまうというパターンのどちらかだった。
「まずね、ゆとり教育反対っ!」
「おお~」
アルコールも結構回ってきているせいか、いきなりテンションの高いみっちゃん。
おお、いいぞ、おもしろい展開になってきた。
2009年11月6日金曜日
春が来た♪②
今年の春は転職運があると言われていた夫。
社長(イギリス人)と折り合いが悪く、周期的にターゲットにされることもあって、その度に“もう辞めたい”と愚痴る夫。
仕事の内容の割には待遇(主に給与面)に納得がいかないらしく、転職を狙っているが、なかなか叶わない。
ある意味悪運が強いのか、破たん前のリーマン・ブラザーズやAIGの最終面接で落とされて、のちに胸をなでおろした話は以前した通り。
定期的に会社の愚痴を言う夫に、“本当は2年半後のほうがいいんだけど、今年の春も転職運があるらしいよ”と慰めたものの、それどころかこの不況の影響は夫の会社もまのがれておらず、突然手取り減の状態に陥ることが決定してしまったのだ!
手取り減の要因は社会保険料だ。
会社が小さいためか夫の会社は外国人に限って、社会保険料(健康保険、雇用保険、厚生年金)は払っても払わなくても本人の意思次第ということになっていた。
健康保険は海外のものに入っているし、子どもたちの分は私の社会保険に入れているし、年金はどうせイギリスでも払っていない。
要は社会保険料を払うメリットが何もなかったので、その分手取りとしてもらい、所得税だけを引かれた手取りから住民税は自分で払い、源泉徴収も自分でやってきたのだ。
年収自体はたいしたことがなくても、手取りでそれなりにもらえていたため、ダブルインカムでそれなりに暮らしてきたのだ。
それなのにここにきて、いきなり会社が全員社会保険に入るようにと強引に推し進めてきたのだ。
これまでも国の方針としては、外国人も社会保険料を払うようにという流れになっていた。
それを一気に入管法を改正して、ビザの管理は入管、外国人登録カードの発行は市町村と2つの窓口に分かれていたものを一本化して、就労ビザの更新時には就労先の健康保険証提示が条件と改められたのだ。
もちろんこれまでだって規模の小さな会社でも社会保険加入は強制だが、会社側の負担が大きいためかなりの会社が未加入だというのが現実だった。
法改正によってもう未加入のままでいいわけにはいかなくなった。
増え続ける不法滞在者対策なのだが、とんだとばっちりである。
しかも夫の会社の総務がまたいい加減で算出した社会保険料が毎回違う数字で上がってくるので、夫もぶち切れ、私も自分の会社の総務の人に相談したほど。
ますます夫の会社に対する愚痴は増え、“会社辞めたい”病はひどくなるばかり。
「春に転職運というか、それより転職せざるえない状況だな」
暗い口調で呟く夫。
「しかもジャック(仮名。会社の社長)のヤツ、どうやら会社をどっかに売るつもりらしいんだな」
「え、マジ?」
ジャックはアフリカ系イギリス人。まったく外人ときたらすぐに会社を売ったり、買ったりしやがる。もうちょっと腰据えて商売しろっていうのっ。
「入管法の改正だけじゃなくて、会社を少しでも高く売るために、全社員社会保険に加入させたということも考えられるな」
「ちょっとちょっと、会社をどこに売るつもりなわけ? あと売られたらどうなるわけ?」
「まあ2、3候補があるだろうけど、そのうちのどこかだと思う。そのあとのことはわからないよ。場合によったらクビかも」
「クビっ!?」
「そうなったらゆっくり勉強もして、日本語もやり直して、君のために毎晩ご飯作ってあげるよ」
いらんちゅうーの! それより働いて外貨を稼いでおくれ(涙)。
と我が家ではこんな具合に転職運の春どころか、先行き不透明な春を迎えたのであった。
社長(イギリス人)と折り合いが悪く、周期的にターゲットにされることもあって、その度に“もう辞めたい”と愚痴る夫。
仕事の内容の割には待遇(主に給与面)に納得がいかないらしく、転職を狙っているが、なかなか叶わない。
ある意味悪運が強いのか、破たん前のリーマン・ブラザーズやAIGの最終面接で落とされて、のちに胸をなでおろした話は以前した通り。
定期的に会社の愚痴を言う夫に、“本当は2年半後のほうがいいんだけど、今年の春も転職運があるらしいよ”と慰めたものの、それどころかこの不況の影響は夫の会社もまのがれておらず、突然手取り減の状態に陥ることが決定してしまったのだ!
手取り減の要因は社会保険料だ。
会社が小さいためか夫の会社は外国人に限って、社会保険料(健康保険、雇用保険、厚生年金)は払っても払わなくても本人の意思次第ということになっていた。
健康保険は海外のものに入っているし、子どもたちの分は私の社会保険に入れているし、年金はどうせイギリスでも払っていない。
要は社会保険料を払うメリットが何もなかったので、その分手取りとしてもらい、所得税だけを引かれた手取りから住民税は自分で払い、源泉徴収も自分でやってきたのだ。
年収自体はたいしたことがなくても、手取りでそれなりにもらえていたため、ダブルインカムでそれなりに暮らしてきたのだ。
それなのにここにきて、いきなり会社が全員社会保険に入るようにと強引に推し進めてきたのだ。
これまでも国の方針としては、外国人も社会保険料を払うようにという流れになっていた。
それを一気に入管法を改正して、ビザの管理は入管、外国人登録カードの発行は市町村と2つの窓口に分かれていたものを一本化して、就労ビザの更新時には就労先の健康保険証提示が条件と改められたのだ。
もちろんこれまでだって規模の小さな会社でも社会保険加入は強制だが、会社側の負担が大きいためかなりの会社が未加入だというのが現実だった。
法改正によってもう未加入のままでいいわけにはいかなくなった。
増え続ける不法滞在者対策なのだが、とんだとばっちりである。
しかも夫の会社の総務がまたいい加減で算出した社会保険料が毎回違う数字で上がってくるので、夫もぶち切れ、私も自分の会社の総務の人に相談したほど。
ますます夫の会社に対する愚痴は増え、“会社辞めたい”病はひどくなるばかり。
「春に転職運というか、それより転職せざるえない状況だな」
暗い口調で呟く夫。
「しかもジャック(仮名。会社の社長)のヤツ、どうやら会社をどっかに売るつもりらしいんだな」
「え、マジ?」
ジャックはアフリカ系イギリス人。まったく外人ときたらすぐに会社を売ったり、買ったりしやがる。もうちょっと腰据えて商売しろっていうのっ。
「入管法の改正だけじゃなくて、会社を少しでも高く売るために、全社員社会保険に加入させたということも考えられるな」
「ちょっとちょっと、会社をどこに売るつもりなわけ? あと売られたらどうなるわけ?」
「まあ2、3候補があるだろうけど、そのうちのどこかだと思う。そのあとのことはわからないよ。場合によったらクビかも」
「クビっ!?」
「そうなったらゆっくり勉強もして、日本語もやり直して、君のために毎晩ご飯作ってあげるよ」
いらんちゅうーの! それより働いて外貨を稼いでおくれ(涙)。
と我が家ではこんな具合に転職運の春どころか、先行き不透明な春を迎えたのであった。
2009年11月5日木曜日
息子のバレエ②
バレエの体験レッスンの日。
前髪をムースで固めておでこを出した我が息子をうっとりと見つめる私。
イケている! めっちゃイケている! 我が息子ながらなんて美男子なんだ!
鼻息荒く教室に向かった私たち。
教室に入ると一斉に視線が息子に注がれる。女の子ばかりの集団で男の子はとにかく目立つのだ。
愛先生(仮名)も夢先生(仮名)も、
「きゃあ~、Lくん(←息子)、来てくれたのね! やっぱ、美形だよね」
と黄色い声を出している。
さあ、息子よ。お行き。お前のその華麗な容姿と優雅な動作でリトル・バレリーナたちを陶酔させておいで。
3歳ぐらいの女の子たちが4人体験レッスンに加わっている。
2年前、娘も今回体験レッスンに来ている女の子たちのように小さくて、フリルのついたレオタードを着るのがうれしくて仕方がないという様子だったことを思い出す。あのころはスキップすらおぼつかなかったのに、今ではすっかり幼児クラスのお姉さん格だ。
「はい、みんなこっちに集まってきてください」
愛先生が声をかける。自分の子がちゃんとついていけるのか、体験レッスンの見学の親たちはヤキモキしながら我が子を見守っている。
「さあ、Lくん、行ってらっしゃい」
と息子を促すが、なんと息子は私の背中に張り付いていて離れないではないか。
「ちょっと何やってるの? 早く行きなさい」
「いやだ」
「なんで?」
「いやだから」
「おいっ!」
息子よりも小さな3歳ぐらいの女の子たちがきちんと前に出て、可愛らしくバレエの挨拶をして柔軟体操を始めても、ビクとも動かない息子。
「Lくんもこっちにおいでよ」
「そうだよ、楽しいよ。やってみようよ」
先生たちも声をかけてくれるが、頑なに拒否する息子。
しゃがんでいる私の背後に回りこんでしがみつき、顔すら上げようとしない息子を無理やり私の正面に立たせてみるが、ぐにゃぐにゃと絡み付いてきて離れようとしない。
「ちょっと、何やってるの!」
「いやだ。やらない!」
結局息子は私にしがみついたまま離れず、1時間まんじりともしない時間を過ごしたのだ。
こんなはずでは・・・。
これまで何人もの体験レッスンを見てきたが、こんなにひどい子は初めてだ。
ふつうどんな子でも一応は参加するものだ。その上でできなかったり、泣いちゃったりすることはあっても、ハナからすべてを放棄する子はいなかった。
しかもそれが我が子!
柔軟体操にもバーレッスンにもスキップの練習にも目をそむけ続け、ひたすら私にしがみつくだけの息子を脅してもすかしても何をしても効果なし。
いったいどういうことなの?
娘のときはその体が硬さに“ああ~ん、もうなんであんなにできないのっ!”と自分の体が超合金並みに硬いことを思いっきり棚に上げてモヤモヤしたものだったが、息子の場合は“出来るor出来ない”の問題ですらない。
ものすご~く気の毒な人を見るような視線が見学の保護者たちから投げかけられるのを感じる。
これではまるで嫌がる子どもを無理やりレッスンに強制的に連れてきた親みたいじゃないか!
まったくっ! なんて痛々しい展開だ!
愛先生たちのすがるような視線も目にしみる。
レッスン終了後。
「うちの息子、だめでしょうか(←かなり弱気)」
「お母さんっ! 男の子はこんなもんですっ! 3ヶ月はこんなんでも無理やりでいいんで連れてきてくださいっ!」
「無理やりですか!?」
「そうですっ! Lくんは何もしなくても、いてくれるだけでいいんですっ!」
いてくれるだけって。おいっ! それじゃあレッスン料払っている意味ないだろうっ!
「王子を! 王子を! バレエには王子が必要なんですっ! ぜひ、Lくんを王子さまにしてやってください。お母さんっ!」
ほとんど涙目の愛先生。まだ私の背後にしっかりとくっついている息子。
「マミィ、何か食べたいっ! お腹すいた!」
「何もやってないくせに、なんでお腹がすくんだっ!」
「お母さんっ! ぜひ来週もあきらめずにLくんを連れてきてくださいっ!」
「お腹すいたよぉ~!」
はあ~。
ええ、ええ。連れてきますとも。だってもう3か月分のレッスン料払っちゃってるんだからね。
前途多難な息子のバレエ生活だ。
これに関しては銀座の先生の予言が当たりそうな可能性大だ。
前髪をムースで固めておでこを出した我が息子をうっとりと見つめる私。
イケている! めっちゃイケている! 我が息子ながらなんて美男子なんだ!
鼻息荒く教室に向かった私たち。
教室に入ると一斉に視線が息子に注がれる。女の子ばかりの集団で男の子はとにかく目立つのだ。
愛先生(仮名)も夢先生(仮名)も、
「きゃあ~、Lくん(←息子)、来てくれたのね! やっぱ、美形だよね」
と黄色い声を出している。
さあ、息子よ。お行き。お前のその華麗な容姿と優雅な動作でリトル・バレリーナたちを陶酔させておいで。
3歳ぐらいの女の子たちが4人体験レッスンに加わっている。
2年前、娘も今回体験レッスンに来ている女の子たちのように小さくて、フリルのついたレオタードを着るのがうれしくて仕方がないという様子だったことを思い出す。あのころはスキップすらおぼつかなかったのに、今ではすっかり幼児クラスのお姉さん格だ。
「はい、みんなこっちに集まってきてください」
愛先生が声をかける。自分の子がちゃんとついていけるのか、体験レッスンの見学の親たちはヤキモキしながら我が子を見守っている。
「さあ、Lくん、行ってらっしゃい」
と息子を促すが、なんと息子は私の背中に張り付いていて離れないではないか。
「ちょっと何やってるの? 早く行きなさい」
「いやだ」
「なんで?」
「いやだから」
「おいっ!」
息子よりも小さな3歳ぐらいの女の子たちがきちんと前に出て、可愛らしくバレエの挨拶をして柔軟体操を始めても、ビクとも動かない息子。
「Lくんもこっちにおいでよ」
「そうだよ、楽しいよ。やってみようよ」
先生たちも声をかけてくれるが、頑なに拒否する息子。
しゃがんでいる私の背後に回りこんでしがみつき、顔すら上げようとしない息子を無理やり私の正面に立たせてみるが、ぐにゃぐにゃと絡み付いてきて離れようとしない。
「ちょっと、何やってるの!」
「いやだ。やらない!」
結局息子は私にしがみついたまま離れず、1時間まんじりともしない時間を過ごしたのだ。
こんなはずでは・・・。
これまで何人もの体験レッスンを見てきたが、こんなにひどい子は初めてだ。
ふつうどんな子でも一応は参加するものだ。その上でできなかったり、泣いちゃったりすることはあっても、ハナからすべてを放棄する子はいなかった。
しかもそれが我が子!
柔軟体操にもバーレッスンにもスキップの練習にも目をそむけ続け、ひたすら私にしがみつくだけの息子を脅してもすかしても何をしても効果なし。
いったいどういうことなの?
娘のときはその体が硬さに“ああ~ん、もうなんであんなにできないのっ!”と自分の体が超合金並みに硬いことを思いっきり棚に上げてモヤモヤしたものだったが、息子の場合は“出来るor出来ない”の問題ですらない。
ものすご~く気の毒な人を見るような視線が見学の保護者たちから投げかけられるのを感じる。
これではまるで嫌がる子どもを無理やりレッスンに強制的に連れてきた親みたいじゃないか!
まったくっ! なんて痛々しい展開だ!
愛先生たちのすがるような視線も目にしみる。
レッスン終了後。
「うちの息子、だめでしょうか(←かなり弱気)」
「お母さんっ! 男の子はこんなもんですっ! 3ヶ月はこんなんでも無理やりでいいんで連れてきてくださいっ!」
「無理やりですか!?」
「そうですっ! Lくんは何もしなくても、いてくれるだけでいいんですっ!」
いてくれるだけって。おいっ! それじゃあレッスン料払っている意味ないだろうっ!
「王子を! 王子を! バレエには王子が必要なんですっ! ぜひ、Lくんを王子さまにしてやってください。お母さんっ!」
ほとんど涙目の愛先生。まだ私の背後にしっかりとくっついている息子。
「マミィ、何か食べたいっ! お腹すいた!」
「何もやってないくせに、なんでお腹がすくんだっ!」
「お母さんっ! ぜひ来週もあきらめずにLくんを連れてきてくださいっ!」
「お腹すいたよぉ~!」
はあ~。
ええ、ええ。連れてきますとも。だってもう3か月分のレッスン料払っちゃってるんだからね。
前途多難な息子のバレエ生活だ。
これに関しては銀座の先生の予言が当たりそうな可能性大だ。
登録:
投稿 (Atom)