2009年10月28日水曜日

息子とバレエ①

 同じカルチャーセンターで、私はフラメンコ、娘はバレエを習っている。
 かねてから年中クラスになったら、息子もバレエのクラスに入れるつもりでいたので、4月度から息子の分も申し込んでおいた。

 何度か娘のバレエの見学をさせたこともあったし、講師の愛先生(仮名)に、
 「うちの息子にもバレエを習わせたいのですが」
と以前相談したら、
 「彼だったら大歓迎ですよ♡ もう男の子って本当にいなくて。自分でバレリーノ(男性バレエダンサーのこと)を育てられるんだったら、私、養子に迎えてもいいぐらいなんですよ!」
 と私に抱きつかんばかりの勢いだった。
 愛先生はまだ25歳。養子だなんて大げさな。

 「ぜひ私に預けてください。お母さん(←私のことねっ!)、Lくんでしたっけ。彼を立派な王子様に育てますからっ!」
 そう愛先生は力強く私に迫ったのであった。

 「年中さんになったらバレエをやるんだよ」
 実はここ1年ぐらい毎日息子を洗脳し続けていた私である。
 「うん、ぼく、バレエやるよ」
 可愛らしく頷く息子。よしっ! 洗脳成功!

 4月からのお金は払った(←夫のカードでね!)ものの、3月の半ばにある体験レッスンに一応参加することに。
 女の子はバレエ用のレオタードにバレエ用のタイツ、シューズという組み合わせを着用するが、教室によってはレオタードの色や形が決められているところもあるが、娘が通っているところは所詮、カルチャーセンターなので厳格な取り決めはない。
 だいたい幼児クラスは子どものモチベーションを上げるために、ひらっとしたスカートがついているパステルカラーの可愛いレオタードをチャコットあたりで買う人が多いが、小学生クラスになると大人っぽくスカートのついていないシンプルなレオタードに髪もきっちりシニョンにまとめるスタイルの子が増えてくる。

 男子のスタイルは小学生クラスにいる唯一の男の子、世流寿(仮名・これでセルジュと読む。純日本人。ぷっ!)くんを参考に。
 息子にこういう名前をつける親のセンスは相当寒いが、彼自体はなかなかのイケメンで、大量の小学生女子の中では一服の清涼剤のような役割を果たしている。

 彼の練習着は、上はシンプルな体に合ったTシャツ。色は黒とか白とか何せ無地のヤツ。下は膝が出るぐらいの丈の黒いスパッツ。白いソックスにバレエシューズだ。
 男子のこういう姿は可愛らしくてイケている!
 チャコットで男子用の練習着を買うと、全部で1万円ぐらいかかってしまうので、実家に帰ったときに西松屋で買いだめした無地のTシャツ(1枚300円ぐらい)と光沢のあるタイプのスパッツ(680円!)で代用。シューズは娘が以前はいていたピンクのバレエシューズ。
 いかにもお金がかかっていないが、息子にその恰好をさせてみると、あらっ、不思議!
 激安商品もラブリーなバレリーノの練習着に大変身!
 息子はぼやっ~としてても、一応はハーフである。ぜひ西松屋の専属モデルにでもしていただきたいぐらい、可愛くキマっている!

 「Lくん(息子)!! なんて可愛らしいのっ!!」
 黄色い声を上げ、息子を抱きしめる私。
 「可愛いじゃないでしょ。カッコいいでしょ」
 このところ自分の男子っぷりをアピールするようになってきた息子。
 「ああ、そうねえ~。カッコいいわねえ♡」

  ああ、これなのだ。私は息子のこういう姿を見たかったのだ。
  銀座の先生は、息子にバレエは合わないから、続かない。まあ絶対ダメではないけど、すぐに辞めるでしょうねと言っちゃってくれてたけど、見た目的にはこんなに合っているじゃないか!

 「いつもはA(娘)のバレエを見ているだけだけど、今日はLくんもちゃんとバレエやるからね。できる?」
 「うん。ぼく、やってみる!」
 よし! その意気だ!
 鼻息荒く体験レッスン(娘にとっては通常レッスン)に向かった私たちなのであった。

2009年10月25日日曜日

春が来た♪①  

 2009年の春が来た。
 春と言えば、娘、息子がそれぞれ進級し、娘は幼稚園で言うところの年長のクラスへ、息子は年中クラスに。
 娘が年長とかけて、来年小学1年生。そのココロは?

 そう、いよいよ小学校受験の幕開けだ。
 といっても、塾通いしているわけでもない我が家にとって、何やらとっても先の話のようでもある。
 こういうのってやっぱりお受験仲間がいたほうがいいんだよなあ~。
 誰かいないかなあと思っていた矢先に、カリンちゃん(仮名)ママこと洋子ちゃん(仮名)と話をしているときに、
 「そうそう、美央ちゃん知ってる? 陽太くん(仮名)と雪美ちゃん(仮名)、SG会に通ってるんだって。由美ちゃん(仮名・雪美ちゃんママ)がSG会に20万振り込んだって言ってたよ」
 「20万!」
 「すごいよねえ~。塾ってお金かかるんだねえ」

 カリンちゃん(右京家)とともに、陽太くん(松野家)、雪美ちゃん(藤吉家)は飲み会コアメンバーである。
 それとSG会とは小学校受験の有名塾で、塾費も高いが進学率も高いらしい。難関校を目指す子がよく入るといわれているところだ(←泰子情報)。

 「カリンちゃんはどっか受けないの?」
 「まあせっかくこの辺に住んでるから(*注:うちの地元は国立4校受けられる)、国立は記念で受けてみようと思うけど、Aちゃん(うちの娘)はどうするの?」
 「うちも国立受けるよ。だって占いでT小に行くって言われたから(←我ながら頭悪そうな発言だ)」
 「(私の発言は無視)まあ国立って9月過ぎてからだから、まだ先の話だよね。で、塾とか行かないの?」
 「え、だって占いで記念でいいって言われたから(←私、やっぱりバカだ)」
 「(やっぱり私の発言は無視)そうかあ、うちも記念だから塾はいいかな」

 そうか、左京家は純粋に記念っぽいから、受験話は松野家と藤吉家にするのに限るな。
 そう思いつつ、それぞれのメンバーを思い浮かべる。
 今後もこのメンバーがちょくちょく出てきそうなので、この際記憶にとどめてもらいたい。

 まずは左京家。洋子とタケル(仮名)のカップル。娘はカリン。
 洋子は管理栄養士、タケルは営業マンというカップルで、洋子の実家は池袋西口1番街の商店街というそのまんま「池袋ウェストゲートパーク」シリーズの主人公マコトが住んでいるところの出身者だ。
 ふたりは夫が組んでいるオアシスのコピーバンド“オヤジズ”のメンバーでもあり、洋子はドラマー、タケルはサイドギターだ。
 高校時代の同級生だというふたりは今年でちょうど40歳。結婚前はインドやヨーロッパをともに放浪したというバックパッカー系カップルである。

そして松野家。みっちゃん(光子・仮名)とカズヒロ(仮名)のカップル。息子は陽太と2歳の茜(仮名)。
 みっちゃんは世界のSの管理職で、カズヒロも外資系コンピューター会社の技術者というエリートカップルだ。
 カズヒロもオヤジズのメンバーで、パートはギターとキーボード。
 ふたりは大学時代からの付き合いで、今年でちょうど41歳。なぜか夫婦そろって生年月日がまったく一緒だという腐れ縁カップルでもある。
ちなみにカズヒロは単なる酒好きの酔っ払いだが、責任感は強く、オヤジスでもリーダーで、保育園でも前年父親初の父母会会長を務め、男を上げた。

 最後に藤吉家。由美ちゃん、ヒロキ(仮名)のカップル。娘は雪美ちゃん。
 ふたりとも厚生労働省の役人で、社保庁の年金未払い等の問題が勃発して以来、「お前かっ!」と飲み会の度にみんなから突っ込まれる因果な職業の人々である。
 由美ちゃん40歳、ヒロキ38歳のカップルで、ヒロキは年下のせいか、いつも由美ちゃんのことをオドオドと「由美さん」とみんなの前でも呼んでいる年金問題カップルである。

ちなみに由美ちゃんと洋子は妊娠中で、なんと6月2日と予定日も2人いっしょだ。これは単なる偶然だが。

 「タケル(←私たちはなぜか人のダンナのファーストネームを呼び捨てにする習慣ができている)は受験どうなのよ」
と洋子に聞く私。
 「ああ~、うちはふたりとものんびりしてるからね」
 「カズヒロとかヒロキとかどうなんだろうね」
 「うーん、松野家も藤吉家もダンナは嫁に言われて黙ってお金出すってパターンじゃないの。そういうお宅のAD(←私の夫)はどうなのよ?」
 「うち? うちのはお金さえかけなければなんでもいいみたいよ。基本的には区立は歩いて20秒だからそこでいいって考え方なんだよね」
 「そうだよね。美央ちゃんち、区立だったら保育園より近いぐらいだもんね。まあ小学校受験に熱心な外人のダンナっていうのもイヤだけどね」
 「まあ確かに」

 とまあ、春が来れば、こんな話が出るぐらいの感じになってきたのであった。

ママ友の書評②

 フリーライターのママ友・井戸田さん(仮名)からメールが来た。
 小説「エッサウィラ」を送って3日も経っていなかった。
 感想は後ほど送りますという文面のあとに、至急プロフィールを送ってほしいとメールには書かれていた。
 私は単純に井戸田さんの読んだ感想を聞きたかっただけなので、意味がわからず適当に書いたプロフィールと、何に使うのか?というメッセージも送った。
 そのあと彼女から電話があり、
 「美央さんはどこの賞に出したいの?」
と唐突に聞かれた。
 あまりに唐突な質問だったので、わけがわからずしばらく彼女のクワバタオハラのクワバタそっくりな顔を思い浮かべていた。

 「ほらK社だったらG新人賞があるでしょ。私もダンナもそこの編集者は顔見知り程度には知っているから送ったほうが良かったら送るけど」
 「はあ?」
 「何? そういうことじゃないの?」
 「っていうか、井戸田さん、私の小説もう読んでくれた?」
 「うん、読んだよ」
 「いや、単純に読んでもらって感想を聞きたかったのと、もう少しいやらしいことを言えば、読んでもらって気に入ってもらえたんだったら、こういうタイプの小説に興味を示してくれそうな編集者を教えてもらえればいいかなあぐらいに考えてたんだけど」
 「ああ、そういうことだったのね。じゃあ、賞には応募しないの?」
 「うん、下手に送らないほうがいいような気がしているんだけど」
 「そうか。私文芸系の編集者はよく知らないから、誰がどうっていうのはわからないけど、単純にK社内の新人賞宛のところに送ることだけだったらできると思ったんだよね」
・ ・・・・・・うーん、どうもこの人とは話が噛み合わない。そんなもん、社内便で送ろうと、こっちから直接送ろうと何も大差などないではないか。

「じゃあ、まあ感想だけでも教えて」
 そう答えて電話を切ったのち、彼女から長文の感想が届いた。
 さすがライターだけあって字がいっぱい書いてあるのには驚いたが、考えたら私は彼女の書いた記事を読んだことがないのだ。

 その感想を読んで私はぶったまげた。
 基本的に褒めてくれているようなのだが、主人公が完璧すぎるというのだ。
 ええええええ~、なんで???
 井戸田さんによると、主人公が完璧すぎるので感情移入できない。たとえばもっと色情狂だとか、抜けているところがあるほうがいいというのだ。
 えええええ~???
である、

 「エッサウィラ」の「私」は基本的に男にだらしなく、仕事も中途半端。情熱だけが空回りし、簡単に周りに流される“痛い女”だ。
 ただ同じ“痛い女”でもそれなりに学歴はあり、有名企業に勤めているという設定にしているだけあって、吉村萬壱や戸梶圭太の小説に出てくるような下流感はなく、心底ダメではないが、プチダメというか、ダメさ加減も中途半端な女として描いたつもりだった。
 それを“完璧すぎる”と言われると、“なんでやねん!!”と激しく突っ込みたくなってしまう。

 その話を後日、私の親友沙織(仮名)にしたら、彼女も激しく“なんでやねん!!”と突っ込んでいた。
 「ええ~、どう考えてもこの主人公、信念はないわ、だらしないわ、仕事できへんわ、自分勝手やわ、貞操観念ないわ、優柔不断やわ、相当あかんやん!!!」
 彼女は電話口で吐き捨てる。
 「うううーん、そうやけど一応モデル私やしなあ~」
 「わかってるって!」
 えええ~、わかっていて、そんなあ~。

 「美央、心配せんでええで。十分、この主人公はダメ女やからな!」
 ううう~ん、別にダメ女自体を描きたかったわけじゃないんだけど。
 「お、赤ちゃん(沙織は無事41歳で可愛い女の子を出産したのだ)がぐずり始めたから、またな。まあ、そんなママ友の書評なんで気にしんとき。十分美央のダメさが伝わってくるから。だいじょうぶやで。じゃあ、ほなな!」
 そう沙織は元気づけてくれているのか、私がただ単にダメなヤツだと言いたいのか、よくわからない反応をして早々に電話を切ってしまった。

2009年10月20日火曜日

ママ友の書評①

 娘の保育園のクラスの保護者たちは仲がよく、よくつるんでいる。
クラス全体でもよく飲み会をするし、一部の親たちだけで集って飲むこともしばしば。
 だいたいいつもつるむメンバーというのは決まっていて、うち、右京家(仮名)、松野家(仮名)、藤吉家(仮名)、井戸田家(仮名)、脇坂家(仮名)、白波家(仮名)あたりがコアメンバーで、中でも右京家と松野家は夫がバンドをいっしょにやっていることもあり、行き来はしょっちゅうだ。

 それぞれの子どもたち同士が仲のいいからという理由ではなく(ただし5~6歳ぐらいの子どもだったら、たいてい誰とでも遊ぶ)、単純に親同士、気の合う合わないだけの基準で付き合っている。
 多少の例外はあるが、そういう家のママたちは私と大して年が違わない。
 35歳になる年で結婚して、36歳になる直前で娘を産んだ私は、地方によっては最高齢ママになるかもしれないけど、うちは都心に住んでいるのでママたちの年齢層が結構高い。
 あとの共通項はママのキャリアもしっかりとあること。どの家の夫たちも協力的で夫婦仲がいいこと。それぞれの子どもたちに弟か妹がいること。そして夫婦揃ってノリがよく、酒好きであることだ。

 また基本的にみんな歩いて行ける範囲のところに住んでいるので、外で飲もうが家で飲もうが電車とか気にしなくていい気楽さがいい。
 まあたいてい誰かの家で飲んでいるので、子どもたちも放って遊ばせておけるし、何か作って持ち寄ったりして、下手に外で飲むよりずっと楽しい。

 例によってみんなで集まって飲んでいるときに、小夏ちゃん(仮名)ママこと井戸田さんと日本の小説家の話になり、ふたりして舞城王太郎はすごいという話で盛り上がったついでに、自分の書き上げた小説についてポロッと漏らしてしまった。

 彼女はこのメンバーの中では最年少の20代後半(というかクラスのママの中でもほぼ最年少)でフリーのライターとして大手出版社を中心にして活躍している。
彼女の夫は日本最大の出版社K社のコミック編集者なので、夫婦揃って出版業界人だ。

 ちなみに娘のクラスはこの夫婦のほかに、飲み会コアメンバーではないが、夫婦揃って日経系の出版社の編集者だとか、同じく日経系の広告を扱っている編プロで編集者をやっているママもいて、私も元編集者なので、出版系限定の飲み会というのも鋭意企画中だ。

 それはさておき、井戸田さんに小説の話をすると、読んでみたいという話になり翌日送ったのだ。
 彼女は若いが、出版系の人間だ。T書店の本田くん(仮名)とどう違う見方をするのだろうか。

 それよりも彼女はママ友でもある。ママ友というのは性的なものを匂わすべからずという不文律があると私は考えている。そこが単なる友だちとの大きな違いだ。
 女全開で子育てはできないし、第一家族ぐるみで付き合うのにそんなものは邪魔なだけだし、警戒されてしまう。
 当然この保護者たちの中で、私はお母さんで夫の妻であるという揺ぎない立場抜きでは好き勝手なことは言えないのだ。
 
 だからこそ母でもなく、妻でもないときのことを書いた小説は女の部分が突出しているし、そういうのをママ友でもある井戸田さんに見せるのもいかがなものかという懸念はあった。

 そういう意味で送る前に、「ママ友が書いたものだという概念は絶対に捨ててから読んでね」と彼女に念を押したのだ。
 「うん、わかった~」と彼女はアルコールで頬を染めて答えた。
 その顔には小じわだとか、毛穴だとかは全然現れていない。なんせ私と彼女は一回りも違うのだ。
 私はなんとなくため息をついた。

2009年10月15日木曜日

パイナップル・パイ

パイナップル・パイ

 のんびりとした日曜日の昼下がり。
 パイナップルのパイでも焼くかとふと思いつく。

 それは例によってアレですよ。

 銀座の先生から“私の守護霊さまがパイナップルでパイを焼いてほしいとリクエストしているので、夫との共作でもいいので作ってあげてほしい。それが何かのきっかけになるかもしれないから”と言われたことを思い出したからだ。

 しかしパイナップルのパイねえ~。
 私は酒飲みなので甘いものは苦手だ。だからケーキも食べないし、もちろんお菓子作りだなんてとんでもない!
 そんな余分な糖分を甘いもので摂るなんてもったいない。糖分はアルコールから摂るに限りますよ。

 それでも銀座の先生のお告げとならば致し方なし。
 作ってやろうじゃないの、そのパイナップルのパイとやらを!

 しかしノー・アイディアだ。そもそもお菓子作りをしない私にパイ作りのレシピなどあろうはずはない。
 ここは素直に夫のアドバイスを受けるとするか。

 ところがパイナップルのパイだなんて想像もつかないし、わからないと夫は首を横に振るばかり。
 うーん、仕方がない。前回元上司の鋼鉄の女稲橋さんから教わったリンゴのタルトをそのまんまパイナップルに変えて作ってみるか。

 (材料)
缶詰のパイナップル1缶(オリジナルはパイナップルの代わりにリンゴ2個)、砂糖1カップ、卵2,3個、サラダ油1/2カップ、プレーンヨーグルト1カップ、薄力粉1カップ、ベーキングパウダー小さじ2、粉砂糖少々、ラム酒少々

(作り方)
1. 型にサラダ油を塗り、小麦粉を一面にまぶしておく。
2. パイナップルを食べやすい大きさに切り、適当に並べる。(オリジナルはリンゴを四つ切にして皮と芯を除き、ぎっちり詰めて一周する)
3. 卵、サラダ油、砂糖、ヨーグルトをミキサーで混ぜる。
4. 3に小麦粉とベーキングパウダーを入れて、だまができないようにとろりとなめらかになるまでよく混ぜる。
5. ラム酒を適当に入れて混ぜる。
6. パイナップルを並べた型(タルト用)にミキサーにかけたタネを注ぐ。
7. 260℃のオーブンで10分程焼く。
8. いったん取り出して粉砂糖を全体にまぶす。
9. 温度を230℃にしてさらに25~30分焼く。

できあがり♪

 オリジナルのレシピのいいところは主な材料がすべて1カップずつなので、ほかの煩雑はお菓子作りと比べると、まだとっつきやすいところだ。

 さあ~てと、お味は?

 といっても甘いものが得意ではない私には正直言っておいしいのかどうかなんてわからない。
ちなみに家族の反応はといえば、おお~、みんな、まあまあ食べているではないか。

 よそ様の反応も知りたいので、うちのマンションの3Fに住む博恵さん(仮名)のお宅におすそわけ。
 博恵さんのダンナさまも外国人で、うちの娘よりふたつ年上の男の子がいる。彼も同じ保育園に通っていたから、子どもたち同志も仲がいい。
マンションの上下だということで、博恵さんとはそれこそ味噌やしょうゆを借り合う仲だ。

 お互い差し入れするのに慣れているので、博恵さん宅のチャイムをピンポンと鳴らし、ちょっと実験的に作ってみたパイだけどとお皿にラップをかけた状態で手渡す。
 「へえ~、パイナップルのパイかあ~。おもしろいね」
と言いながら博恵さんはイラン産のピスタチオ(激うま)を代わりにくれた。

 後日反応を聞くと、
 「うん、おいしかったよ。ありがとう~」
という答えをもらったけど、本当かなあ~。
 いまひとつ疑心暗儀。

 結局パイナップルのパイを作ったからといって、私と夫の生活は変わらなかった。
今のところ銀座の先生のパイナップル・パイの見立てはハズレなのか!?

2009年10月5日月曜日

悲しいお話③

 川越まで須崎さん(仮名)のお見舞いに山木(仮名)と行ってから、1ヵ月後にフォーシーズンズ宿泊計画を実行した。
 桜のシーズンより1週間早かったが、ホテルの部屋から見下ろせる椿山荘の庭園は桜が咲いていなくても十分すぎるほどすばらしかった。
 さすがは天下のフォーシーズンズ。
 
 須崎さんはすでにレストランで食事をすることが難しくなっていたので、すぐに横になれるように山木とデパ地下でシャンパンやワイン、チーズやお惣菜を買い込んで部屋に持ち込んだ。
 気分を盛り上げるためにルームサービス(←お茶漬け2200円! おにぎり1600円! 金粉でもまぶしてるのか!?)も頼み、同じく前の会社で今も働いている嵐山さん(仮名)も呼び、食べては飲みくっちゃべった。
 ゴージャスな場所でアラフォー4人。
話題は男、仕事、ファッション、人の噂話。
まさに気分は「セックス&シティ」だ。
これで楽しくないはずがない。
 時折須崎さんは体調が悪くなると横になっていたが、私たちが好き勝手にしゃべっていると、体調が復活すると会話にも参加して楽しそうだった。
 ホテルの部屋を満喫し、翌日は須崎さんの体調も良かったので椿山荘を散歩して、私たちは笑顔で別れた。
思えばこのころがフォーシーズンズなんかに泊まれる最後のチャンスだったのだ。

 それから2週間後、再びがんセンターに入院した須崎さんを山木とともに訪ねた。たった2週間の間に須崎さんは自分の力でトイレに行くこともできなくなっていた。
 食事もとれなくなっていて、別人のように痩せていた。
 フォーシーズンズではアルコールも飲み、タバコまで吸っていたのが嘘のようだった。
 ここまできて私と山木はようやく須崎さんは末期がんにやっぱり罹っていたんだということを思い知らされる。
 それまでは頭では理解していても感覚的にわからなかったのだ。やはりビジュアルの力は大きい。
 それでも私と山木はやっぱりバカ話をして、好き勝手にしゃべって帰った。
 須崎さんは「落ち込んでたけど気が紛れた」と言ってくれ、私たちは救われた気分になった。
 それが私たちの聞いた最後の須崎さんの言葉らしい言葉だった。

 それから須崎さんのブログは本人ではなく妹さんや親友の方が代筆するようになった。私たちはブログで彼女の容態や入院情報を知るしかなく、がんセンターにお見舞いに行ってから1ヵ月経ち、次は豊島病院のホスピスに入ったという情報を得て、山木と私、他、前の会社の友人2人の計4人で彼女の元を訪れた。
 私と山木は段階的に須崎さんに会っていたので、ショックは少ないほうだったかもしれない。
 それでも私と山木はそのときの須崎さんを見て言葉を失った。
 もう呼吸も自力でできなくなっていて、呼吸器をつけられた須崎さんは文字通り骨と皮だけになっていたのだ。
 他の2人はどんなに驚いたことだろう。
 パジャマの上からも骨の形が透けて見えた。あれだけふっくらしていた人でもここまで痩せてしまうのか。

 意識が混濁しているという話だったが、私たちが来ているということはわかったようで、必死で何かを言おうとしているのを、山木が制止した。
 山木はこんな状況でも何事もなかったように、世間話を始める。
 私は下手に何かを言えば泣き出してしまいそうで、黙って須崎さんの手を握った。痩せて骨だけになった手だったけどびっくりするぐらい温かく、まだ血が通っているのだと改めて思う。
時折須崎さんの体がビックっと動く。山木は飾ってある花の様子を須崎さんに伝えてあげている。山木以外の3人は山木が何か言うたびに「そうそう」とか「うんうん」とかしかぐらいしか言えなくて、須崎さん本人も「ふう」とか「はあ」とか「うう」とか音を発することしかできないようだった。
「じゃあまた近いうちに来るね」
そう言うのがせいいっぱいで病室を出ようとしたときに、須崎さんは出せる力のすべてを振り絞るように小さく手を振ってくれた。

「私たちが来たのわかったんだね」
「うん。手を振ってくれたね」
 病室を出た後、私たち4人は目を真っ赤にして「近いうちにまた来ようね」と誓い合った。

翌朝、山木から須崎さんが早朝に亡くなったという連絡が入った。
私たちと別れて8時間ほど経ったあとに亡くなったことになる。私たちが最後の見舞客になったのだ。
ちょっと前まではあんなに温かい手をしていたのに。
人って死んでしまうんだ。
そんな当たり前のことが重くのしかかる。
結局須崎さんは銀座の先生のところには行かなかったけど、もし行っていたら先生はなんて彼女に言葉をかけたんだろうか?
今でもずっとそのことが心に引っかかっている。

悲しいお話②

 「そういえば清永の子ってそろそろ小学生ぐらいじゃなかったっけ?」
 アフタヌーンティーで紅茶を飲みながら切り出す須崎さん(仮名)。
 「今度年長になるんで、小学校は来年ですね」
 「お受験とかしちゃうわけ?」
 とここでなぜか受験話に。
 受験話と来たら銀座の占いの先生のことは抜きに語れないので、大雑把に銀座の先生の話をした。
 
 「へえ~、そんなすごい占い師がいるんだ。場所も国立がんセンターから遠くなさそうだね。その先生、病気のこととかもわかるのかな」
 須崎さんは興味深そうに聞く。
 「私の友だちが娘のチックが心配で見てもらったときに、悪いところがあれば黒く見えるって言われたって」
 「じゃあ私のすい臓なんて真っ黒だね!」
 須崎さんは乾いた笑い声を上げる。私はどう反応したらいいのかわからなくて、困ってしまう。
 「どうします? 須崎さん、お姐さん(←私のこと。営業所時代の後輩はなぜかそう呼ぶ)に紹介してもらって行ってきますか?」
 山木(仮名)はなんでもないことのように言う。こういうときの山木は年下ながら頼もしい。
 「そうだね。どうせがんセンターに通ってるんだからね。ついでに行けるよね。でも行って何聞くの? あなたは真っ黒です。数ヵ月後に死にますって言われに行くの?」
 須崎さんは淡々としている。
 そう言われると言葉を失ってしまう。
 「もしかしたら先生、とっておきの治療法とか超名医とか紹介してくれたりして」
 間抜けなことを言っているのを承知で何か言わないといられない私。
 「1千万円の壺を買ったら治りますとかね」
 「それじゃあ怪しい宗教だって!」
 「先生のところって2ヶ月ぐらい待たされるけど、友だちは緊急だって言い張って10日ぐらいで診てもらったらしい」
 「うふふ。確かに私、時間ないもんね」
 力なく言う須崎さん。いかん。どうも私は地雷を踏みがちだ。
 「占いは、やっぱりやめておくよ。どうせ治んないんだし。先のことなんて知りたくないから」
 そう言いながら須崎さんは何回目かの薬を飲み始めた。
 
 「占いといえばタイの占いに行ったことがあって・・・」
 山木が無邪気な様子で切り出す。
 「何年か前の話なんですけど、タイの超有名な占い師に診てもらったことがあるんですよ」
 「ええ~! タイの占い師って何語で占ってもらうの?」
 「ちゃんと通訳とかついてるんですよ。有名な寺院の敷地内でやっていて、すごく並んでましたよ」
 「で、当たってるわけ?」
 「うーん。どうだろ? そこでは38歳で結婚するって言われましたよ」
 「あれ、山木って今いくつだったけ?」
 「ウフフフ、それが今年で38になるんですよ!」
 「おお~!!」
 「そうか、山木も結婚かぁ~」
 「占いによるとね」
 「ああ~、清永も結婚してるし、山木も今年結婚しそうだし、私も死ぬ前に結婚したかったな。“余命1ヶ月の花嫁”みたいになんないかな」
 
 「須崎さん、それよりも前にフォーシーズンズに泊まってみたいって言ってましたよね? その話って生きてます?」
 話の雲行きが怪しくなりそうなところで、山木が話題を変える。
 「うん。お得なプラン見つけたよ。スィートルームはさすがに無理だけど、普通の部屋だったらひとり2万円ちょっとでいけそう」
 「じゃあ、泊まりますか。みんなで」
 勢いだけで言う私。
 「清永、子どもとかだいじょうぶなの?」
 「うちには立派な夫がいるからだいじょうぶ。いざとなればフォーシーズンズだったらうちから近いからすぐに帰れるし、心配ご無用。もちろん山木もだいじょうぶだよね?」
 「もちろんですよ」
 「じゃあ決定!」

 その日、みんなでフォーシーズンズに泊まることを誓い合って別れたのだった。

 翌日、須崎さんからメールが来た。内容は銀座の先生のところがやっぱり気になるので、連絡先を教えてほしいというものだった。
 私は先生の連絡先を書いてすぐに返事を出した。
 行く勇気はないけど、いざというときのために連絡先を持っていますという返事がすぐに戻ってきた。
 私は須崎さんの性格上、銀座の先生のところに行くことはないだろうなと思い、また須崎さんが先生に診てもらいに行くのがどうしても想像がつかなかった。

2009年10月2日金曜日

悲しいお話①

 その週の日曜日は前の会社の先輩・須崎さん(仮名)に会いにいくため、同じく前の会社の後輩・山木(仮名)と川越に向かった。

 須崎さんは私より3つ年上で、新入社員だったときに隣の編集部にいて、そのころはそれほど親しかったわけではないが、その後、レコード会社の営業に異動になったときに、部署がいっしょになり、その後は山木も加わりちょくちょく飲むようになった。
 その後、私が営業所から別の部署に異動になっても、会社を辞めて今の会社に移っても、1,2年に1回ぐらいの割合で会い続けていた数少ない前の会社の仲間だ。
 5,6年前、須崎さんが大阪営業所に異動になり、行くか辞めるかというときにも相談に乗った。
 最後に飲みに行ったのは1年半ほど前。酔った勢いで女子4人で執事カフェに行こうと池袋の町を繰り出したのはいいけど、あいにく休みで次回は絶対に行こうねと誓い合ったものだった。
 それからしばらくして執事カフェに行こうとメールでやりとりしているうちに、約束の日時が決まらなかったのだが、ひょんなことから須崎さんにすい臓がんが見つかったという話を聞くことになってしまった。
 見つかったときには末期だった。

 2008年の11月、私と須崎さんは2人で前の会社のOB会に出向き、そのあとふたりっきりで飲んだ。
 ここ数年で10キロ太ってふっくらしていた彼女は、痩せていて私が新入社員だったころの彼女に戻ったみたいだった。
 痩せてはいたけど、相変わらず微笑んでいるような優しげな表情の彼女のどこに病魔が潜んでいるのか、まったくわからなかった。
 なんとなくがん患者って見るからにがん患者だとわかるかのような錯覚をしていた私にとって、見た目が普通なのに実はがんを患っているっていう現実がどうしてもピンとこなくて、本人を目の前にして何か悪い夢でも見ているような気分になった。
 家族や友人の死というものをほとんど経験したことのない私にとって、今目の前で食べたり飲んだり喋ったりしている人がいなくなるというのが何を意味するのか、想像もつかないことだった。
 ただ本人から「これで会うのも最後かもね」とあっさり言われたときには、考えるより先に涙がこぼれた。
 「清永、なんで泣くの?」
 なぜか彼女は私にそう聞いた。
 なぜ泣けてくるのか?
 難しい理由は何もない。
 もう会えなくなるんだと思うと単純に寂しくなったのだ。

 それから3ヶ月弱。
 その間にも彼女は入退院を繰り返し、山木や彼女の病気を私に知らせてくれた須崎さんの元彼とも時間を合わせてはお見舞いに行ったりした。
 彼女はGoogleでブログを始めていて、私は日々それをチェックしていた。彼女の闘病記は同じ病気で苦しむ人の治療の参考になればというコンセプトで書かれていたので、具体的な病院名、抗がん剤、治療方法、検査数値などが詳細に書かれていて、いかに今の日本の医療は遅れているか、いかに患者の立場を鑑みたシステムになっていないかということに常に怒りを表明していた。
 それと同時にいかに生きるか、いかに死ぬか、日々彼女は悩み、考え、うろたえ、怯え、何かを得てという思索を繰り返し、そういった心情も正直に吐露していた。
 さすがは元編集者が書いた文章だけあり、読ませるブログになっていた。写真もイラストも何もない文章だけのブログ。
 余分なものは何もない潔さに惹かれて、私も同じGoogleでブログを開設したのだ。

 この日の須崎さんは抗がん剤投与から間が空いているので調子がいいと言い、駅で待ち合わせたときも顔色がよかった。
 駅から歩いて5分ほどのところにあるアフタヌーンティーに行き、私と山木は紅茶とケーキを、須崎さんはパスタを注文していた。
 須崎さんと一対一ならなんだか気まずくて何を話したらいいのか、言葉が出なくなってしまいそうだったが、こういうときの山木は自然で気負うことなくいろんな話題を提供してくれた。
若いときの山木は真っ直ぐで正義感がやたらめったら強くって、まじめで融通の効かない暴走機関車のようなキャラクター(←これ、褒め言葉ですよ! 褒め言葉!)が、先輩たちから可愛いヤツと認識され、愛されたものだった。
それがいつの間にこんなスマートさを身につけているなんて、前の会社を辞めたあとベンチャー系を渡り歩き、今や管理職というのも伊達じゃない。

山木の機転のおかげで、私たちは病気の話し以外にも話題のコスメの話、前の会社の人の噂話、映画の話、音楽の話などしゃべりまくり、傍から見たら単なるおしゃべりなアラフォー3人に見えたことだろう。

マスコミOB会新年会②

 本田くん(仮名)に引っ張られて田上さん(仮名)、内山さん(仮名)、森田(仮名)のいるテーブルへ移動した私。
 「おう、清永。読んだで。お前の小説」
 田上さんが私の肩に手を回す。
 田上さんは超大手広告代理店Hの局長代理。何年か前にHの部長就任最年少記録を打ち立てた猛者だ。
 マスコミ志望の学生はもちろんのことOB会の若手もみんな田上さんに憧れていて、田上さんに話しかけるタイミングを今か今かと遠巻きにしながら見計らっている。
 俺様気質の本田くんですら田上さんは絶対的な存在で、いつも田上さんの傍にいて離れない。

 「そうやけど、田上さん、送っても感想かてウンともスンとも言うてこうへんかったやん。てっきり読んでくれてへんかと思っとったわ」
 「何言うとるねん! ちゃんと読んだわ。実は局の女の子にプリントアウトしてもらって、電車の中で読んだんやけど、なんか満員電車の中でスポーツ新聞読んでるオッサンみたいな気分になったわ。やけどめっちゃおもろかったで。続きも送ってくれよ」
 「ほんと?」
 「ほんまほんま。お前、文才あるんやなあ。意外やったわ。それにあれホンマの話なんか?」
 「全部じゃないけど、少しは、ね」
 「それやったらお前、まったく無駄な時間のない人生を送ってるんやな」
 田上さんはそう言いながら私のグラスにビールを注いでくれる。
 「無駄な時間がないって?」
 「だってそうやないけ? あれを読む限りお前、びっちりと男と付き合ってるし、間も全然空いてへんし、ボーとしてる間もあらへんし、それから結婚して幸せな家庭を築いているし、めっちゃええやん」
 
 へえ~。そういう見方もあるんだ。本人的には無駄な時間もいっぱい過ごしたし、無駄な付き合いもいっぱいしたし、回り道ばかりしてきたと思っていたのに。
 
 「それに焦ったわ」
 「なんで?」
 「お前、小説の中で背が高くて足がまっすぐで額が秀でている男がタイプだって書いてあっただろ」
 「うん」
 「それってまさに俺やんけ」
 「あははは」
 「あはははちゃうわ!」
 田上さんったら肝心なところを読み落としている。
 色素の薄い男っていうのを第一条件に入れてたのをお忘れなく。

 「さっきからさ、みんな清永の書いた小説の話しててさ、俺読んでないから寂しい思いしてるんだけど、なんだかおもしろそうじゃん。俺にも送ってよ」
 そう切り出してきたのは内山さん。
 内山さんも超大手広告代理店Hの人で田上さんの1期後輩だ。
 営業畑でイケイケドンドンの田上さんとは対照的に、イベント畑の内山さんは人当たりが柔らかくて絶対に敵を作らないタイプだ。
 部長最年少就任記録を田上さんが打ち立てたあと、すぐにその記録を塗り替えたのが内山さんだったという。
 この2人が社内で大きな力を持っているからか、今やHは我が大学出身者が一大学閥を形成しているらしい。

 「なになに~? そういうときに新聞社を忘れてもらっても困るよ」
とはA新聞の大津さん(仮名)。
 この人は何年か前の花見で泥酔し、靴を片方なくしてしまったことを未だにネタにされ続けているOB会きってのいじられキャラだ。

 「じゃあ内山さんにも大津さんにもメールで送るね」
 「おお、そうしてくれよ」
 「やけど清永、お前マジでなんか賞とか将来取れるかもしれへんぞ」
とは田上さん。
 「いやマジで、頑張りましょうよ」
とは本田くん。
 「なんかこのOB会で清永をどうにかして、この不況下、みんなでおこぼれにあずかるというのもありかもしれへんなあ」
とは再び田上さん。

 きゃあ~!! それはありがたいわ。
 「清永美央 作家への道」の幕開けになるのかしら?

 そのあとその話でさんざん盛り上がるも、どうやらこの場だけで終わりそうだなあという気配も濃厚なのであった。

2009年度版マスコミOB会・新年会①

 2回目の占いから10日ほど経ったころに、恒例のマスコミOB会の新年会があった。
 このOB会はマスコミ業界を中心とする同じ大学出身者の集まりで、もうかれこれ20年以上続いている。
 ここしばらく2月の上旬に新年会をやるのが恒例となっていて、前年の新年会でT書店の本田くん(仮名)と、前の会社で同期でありながらも今や社長にまで上り詰めた森田(仮名)に、書いている小説を読ませろと言われた話は以前、書いたとおり。
 早いものでそれから1年経っていたのだ。

 当日。毎度おなじみ赤坂のまるしげへ。
 ここはOB会の総務部長(←と私が勝手に呼んでるだけだか)こと、大手出版社KB社の八木さん(仮名)のなじみの店で、八木さんと大将の長年の付き合いが成せる業なのか、毎年OB会用の特等席が設けられている。
 わりと早めに行ってみるとすでに八木さん始め、A新聞の大津さん(仮名)など数名がもう飲んでいる。

 その中のひとり法曹関係の出版社Yの古田くん(仮名)と、フリーライターの水野さん(仮名)の3人で、彼にガールフレンドを紹介してあげるという話で盛り上がっているころに、本田くん、森田、広告代理店Hの田上さん、同じくHの内山さん(仮名)なども続々とやってきた。
 本田くんたちは私たちから少し離れたところで固まって飲み始め、何やらみんなでこちらをチラチラ見ながらニヤニヤしている。
 大いに気になるんだけど、こっちはこっちで盛り上がっているのでなかなか抜けて本田くんたちの話の輪に加わることは難しい。
 そんな心の動きを見越してか、森田が、
 「清永! 心配せんでええで~。みんなでしっかりとお前のエロ小説の話で盛り上がってるからな!」
 と叫ぶ。
 「おお~、俺もちゃんと読んだで。あとでその話しような」
とはこの会の大御所田上さん。
そう、夏に本田くん、私、森田、田上さんの4人で飲んだあとに、田上さんにもメールで小説「エッサウィラ」を送っていたのだ。
 まったく、人をネタに飲むとは何事!

 おもむろに本田くんがこちらにやってきて、私の腕を取り、「まあまあ清永さん、こっちこっち」とそのまま私を田上さんたちの輪に引っ張っていこうとする。
 「あら本田くん、お久しぶり」
 そのときにフリーライターの水野さんが本田くんに声をかけた。
 水野さんはノンフィクション系のライターで大手出版社から何冊も本を出していて、そのうちの一部は図書館にも置かれていたりする。テレビでもコメンテーターとしてちょくちょく出たりしているので、ちょっとした有名人だ。
 OB会では女性が少ないことと、元々私は編集者だったことから個人的にも水野さんと飲んだりすることはあった。
 気風のいい姉御肌の女性なので、私はいつも「おねえさまぁ」と甘えている。

 「お久しぶりっす。さあ、清永さん。作家先生。こっちこっち」
 本田くんは軽い調子で言う。
 内心私はあちゃ~!!!だ。
 「作家先生?」
 いつも穏やかな水野さんの顔に険のようなものが浮かぶ。
 ああ~、やっちまったよ。知らないよ~。
 「そうそう、清永さん、文才あるんですよ。作家先生ってこれからは呼ばないとね。じゃあ、水野さん、のちほどです」
 ああ~、本田くんのバカバカ。
 おかげでいつもは優しい水野さんの視線がめっちゃ厳しいじゃないか!!!

 あの、水野さん。作家先生は嘘です。嘘。あと私が書いているのはノンフィクションじゃなくて、エロです。エロ。はい。
 水野さんの守備範囲をなんら侵すものではありませんから、ご安心を!!!

 小心者の私は心の中で叫ぶ。

 けど思い違いでもなんでもなく、「作家先生」のひとことで水野さんの私に対するフレンドリーさはこの日どこかへ消えてしまった。
 彼女にとって、私はまだ編集者なのだ。
 彼女は長くフリーランスとして活躍してきた人だ。会社組織に守られてのほほんとしている私たちとは違う。
 たったこれだけのことで、フリーランスの厳しさの一端を見たような気がした。
 銀座の先生は会社を辞めて私はフリーランスで一生やっていくって言っていたけど、そんな険しい道にこのへタレな私が踏み出していけるんだろうか。

 結局、その日水野さんは二度と私に話しかけることはなかった。

2009年10月1日木曜日

泰子(仮名)の結果報告は?

 「行ってきたよ。先生のところ」
 
 子どもたちも寝静まった頃に泰子から電話が入る。
 夫はすぐ近くなんだから電話なんかじゃなくて会いに行けばいいのにと、いつも言うが、そんなことは大きなお世話だ。
 こういう話はなぜか電話でのほうが楽しいんだよねえ~。

 「どうどうどう?」
 「うーん、結論から言うとだいじょうぶなんだって」
 「そうでしょう。だって真美ちゃんどっか悪そうには見えないもん」
 「先生が言うにはね、体で悪いところがあると黒く見えるんだって」
 「ひええ~。それ怖いね」
 「で、真美ちゃんも連れていったんだけどどこも黒く見えないし、ストレスでしょうって。今年の夏ごろにはもう心配することもなくなりますよって。放っておいてもいいって言われたよ」
 「良かったじゃん。そもそも、心配しすぎだって」
 「実はさあ、心配するにも理由があって、テツ(仮名、泰子の元ダンナ)のお姉さんとかその子どもたちに障害があるんだよ」
 「え、そうなの?」
 「(ここで泰子は詳しく説明してくれるがここでは割愛)」

 「そうか、だからか。なんでチックぐらいでそんなに心配するのかと不思議だったんだ」
 「結果的には真美ちゃんにはまったく影響がないってことだったんだけど、テツの甥っ子と姪っ子の写真も持ってったんだよね」
 「そしたら?」
 「もちろん何も事前に知らせずに写真だけ見せたら、この子たちの中学受験や高校受験が見えないのは、なんでだろうって先生が言い出しちゃって、何かおかしなところがあるって言うんだよね」
 「さすがは先生。恐るべし!」
 「そりゃあ受験なんてするわけないよ。養護学校に行ってるんだから。でもそう言ったら先生、すごく納得してたよ」
 「へえ~、あとは何を聞いたの?」
 「あとは引越しとか。今年はいいって言われたよ。あとはテツのこととかかな。それとママが夏すぎぐらいに誰かに対してすごく腹を立ててるのが見えるって言ってた」
 「心当たりあるの?」
 「うーん、わかんないね」

 「今回で2回目でしょ。全体的な印象としてはどうだったの?」
 「そうだね~。1回目のときのほうが衝撃度が強かったかな。もちろん今回だって行って損したとは思わないけど」
 「でもいいじゃん。心配ないってことだし」
 「まあね」

 とその後もしばらく深夜の長電話を続けた私たちなのであった。
 それにしても体にどこか悪いところがあると黒く見えるってすごい。
 その話がしばらく引っかかって、離れなかった。