2009年5月24日日曜日

2008年6月のある日の夜③

 飯田橋駅近くのスーツカンパニーの前で、その日の夕方T書店の本田くん(仮名)と待ち合わせた。
 彼は一足先に待っていて、私の顔を見るなり、
 「いやあ、どうも清永さんと真理(私の小説の主人公)がダブって、まともに顔が見えないですよ」
と照れてみせた。
 「あははは」
 どう反応していいかわからなくて、ちょっと乾いた笑い声でごまかす私。
 「エッサウィラ」という私の書きかけの小説は、随所にHな描写を散りばめている。それも最初のコンセプトが、「Hのことも赤裸々に綴った旅行記」という意味合いもあったからだ。
 このところはすっかりお母さんになってしまっていて、恋愛だとか肉食女っぽいイケイケ感からほど遠い私である。(←当たり前だっていうの!)
 なので苦み走ったいい男である本田くんからそのようなことを言われると大いに照れるのである。
 その反面、中村うさぎの「私という病」という著作の中で彼女が書いていた中で最も印象に残っているのは、自分の女としての価値を知りたいという欲求に取りつかれた彼女がデリヘルで働きそこで感じたことをフェミニズムの要素を入れつつ新潮45で書き綴った力作を読んだという中年男性読者が、彼女に電話をかけてきたというくだりである。
 その読者は彼女をデリヘルで(取材の一環とはいえ)働くような女だから、自分も相手にしてもらえると思ったのか、妙に馴れ馴れしかったのだという。
 当然中村うさぎは腹を立て、相手の男性を理詰めでギャフンと言わせるのだが、もううさぎ様! よくぞ言ってくださいました、である。
 もちろん本田くんの言っていることは、単純にこの人もこういう一面があるんだなあという驚きだったり戸惑いだったりするんだろうから、いっしょにはできないが、書いていることイコール本人だと同一視されてしまうことがあるんだなとつくづく思った瞬間でもあった。

 私たちは飯田橋からそのまま歩いて神楽坂を上り、炉端焼きの店に入った。蒸し暑かった一日の終わりに冷えた生ビールはグングン喉を通り抜けていく。
 「あれからね、いろいろ考えたんですけど、携帯小説って線はないですよね」
 本田くんは煙草に火をつけながら切り出す。
 私も同感で、最初に本田くんから携帯小説にしたらどうかと言われていたが、私の書く内容はあまり携帯小説向きだとはいえなさそうだ。
 「要はね、携帯小説のマーケットっていうのは、簡単にいえば地方のヤンキーなんですよ。援助交際とか、虐待とか、病気だとかそういう下流の不幸パワーが満載なんですよ。これってどう考えても清永さんの書いている内容とは全然違うし、地方のヤンキーはモロッコとか知らないですしね。あと仕事のこととか音楽業界のこととかアラブ文化についてなど、内容も盛りだくさんですから、もうこのまま書き進めましょう」
 おお~、本格的に作家と編集者の打ち合わせっぽくなってきたぞ。

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