私が以前、働いていたレコード会社は中にグループ会社がたくさんあって、私が最初に配属された会社はその中でも出版を手がける会社だった。ずいぶん前に紹介した同期でかつ同じ大学出身の森田(仮名)が現在社長を務めている。
前原さん(仮名)は4期か5期上の先輩で、私が入社したころは当時一番売れていた音楽情報誌の副編集長だった。
豪放磊落で変わり者だったが、相当なインテリでああいう特殊な世界では愛されるキャラクターだった。
業界屈指のグルメとしても有名でそのせいかどっぷり太っていて、歯並びが異常に悪い人だった。
キャラクター的に柄ではないが、茶色く変色し解けたような歯並びはシンナー中毒でボロボロになった歯を彷彿させ(←って実際はそんな歯見たことないけど。あと断じて彼にはヤンキー的な資質はない)、彼の風貌を一層奇怪なものにしていた。
ところが今目の前に立っている前原さんは当時からゆうに30キロは違うだろうと思われるほど痩せており、トレードマークともいえたあのシンナーでボロボロになったような歯並びはきれいに整えられていた。
いや厳密にいえば痩せたせいで歯ばかりがどうも人工的に目立ってしまい、どうもしっくりしていない。
そのせいか、ふつう痩せて歯並びを整えれば以前より絶対に見てくれが良くなるはずなのに、不思議と前原さんの場合はそうはなっていない。
以前の風貌のほうが愛嬌があったというか、今は何やら荒んだ禍々しさに包まれている。
前原さんは前社長の右腕兼ペットのような存在だった。
しかし編集長として任された雑誌を前原さんは何冊も廃刊させてしまっていた。
折からの出版不況で経営危機に襲われた会社の建て直しの任を受けた森田が社長になったときに、高給取りだけど会社のお荷物になってしまっていた前原さんは、森田からリストラされたというもっぱらの噂だった。
マスコミOB会で森田に会ったときにその噂の真偽を本人に確かめたことがあったが、森田は苦虫を潰したような顔をして、
「前原さんはセンスもあるし、めっちゃええ人やけどな。広岡さん(仮名:昔の私の上司)にしろ、給料がめっちゃ高いねん。他のやつらを守らんとあかんからな」
とかなり飲んだ後にぽつりと漏らした。
森田は情に厚いやつだけど、情に流されるやつではない。
いくら私のことを「女の中では一番の親友」といったところで、もし私がまだ会社にいたとしたら、私の首だって躊躇なく切るだろう。やつはそうゆうやつだ。
「おお~、これが噂の清永の子か」
しみじみと前原さんは娘を見る。
「前原さん、今お仕事は?」
「まあ、適当だよ。適当。アハハハ」
声だけは明るいがその調子じゃ仕事はしていなさそうだ。
どう考えても40歳代後半の前原さんが以前と同じぐらいの収入を得るのはかなり難しいというか、不可能だろう。
出版の世界だけでなく、音楽業界も縮小していっているのだ。
前原さんだけじゃなく、未だその業界に残っている人たちから景気のいい話を聞くことはない。
つくづく30歳の早いうちに他業界に転職しておいてよかったと思うこのごろである。
5分ほど立ち話をしてお互い連絡先を交換することもなく私たちは別れた。
今後、前原さんはどうなっていくんだろう。
いい大学を出てたって、いい会社に入ったって本当にこれからはどうなるかわからない世の中なのだ。
そう思うと娘がテストでいい結果を残さなかったことなんて、急にどうでもよくなってしまった。
お受験していいところに入ったところで所詮、たかが小学校なのである。
前原さんとの偶然の再会は結果的に、感情的に熱くなった私の気持ちをクールダウンさせるのに十分なものであった。
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