そして講習の締めは試験当日までの時間の過ごし方だ。
泣いても笑っても試験まで1週間切っているのだ。あとは体調を整えて、楽しく笑顔で試験を受けられるように子どもたちをその気にさせようとのこと。
T大附属T小に向いている子どもは「明るくてタフであきらめない子ども。問題を解決しようとあがく子ども」。
うん。うちの娘に向いてそうだ!(←ついこの前まではO女附属小が一番向いていると思っていたが、それはそれ。これはこれ)
「ここまでお子さんたちなりに頑張って、お父様方お母様方もずいぶんいっしょに頑張ってこられたと思います。どういう結果になっても、仮にダメだったとしてもやってきたことは絶対に無駄になりません。国立受験の勉強を通じて身につけたことは公立であろうとどこであろうと学校という場所では絶対に必要とされ、先生方に評価される資質です。あと小学校受験で人生が決まるわけではありません。どういう結果であれお子さんのすべてを受け入れてください」
カリスマ講師新田先生(仮名)が熱く語る。聞きようによっては「ダメでもそれはそれ。うちでは責任は取りませんよ」と言っているように聞こえなくもないが、「どういう結果であれ受け入れる」というのはその通りだと思う。
確かにダメならダメで仕方がないではないか。
確かに娘はよくがんばった。私に叱られ怒鳴られ、ときには手を上げられながらも「クイズ大会(←未だにお受験だとは知らないでいる!)をやめる」とは言わなかった。
これこそ、T大附属T小が求める「あきらめない子」ではないか!
確かに当日マスクをしたまま試験を受けさせられるだろうからと、家の中でマスクをしてプリントに取り組む様子などは異様だった。
このあと娘に会ったらしっかりと抱きしめ、よく頑張ったねと優しく声をかけてあげよう。
私の心は穏やかに満たされていた。
・・・・のは娘から見せられたこの日のプリント結果を見るまでだった。
なんと! こんな直前になってニアミスの連続で試験結果がボロボロだったのである。
「何をやってるんだぁ~!!! このバカモンがぁ!!!!」
一瞬で頭に血が上る。
何が頑張っただ、何がありのままを受け入れるだ。
こんなんじゃあかんだろうがぁっ!!!
どうしてこんなにハラハラさせられるんだろう。うちの娘はダメなら徹底してダメならあきらめもつくのに、中途半端にできたりできなかったり、下手に期待を持たされたり、裏切られたりする。
まあ期待するのは親の勝手なわけだし、徹底してダメな娘を持ってもそれはそれで困る。
振り上げた拳を振り下ろすわけにもいかず、モヤモヤとするばかり。
神童・朔美ちゃん(仮名)の試験結果を見せてもらうと、それなりにできている。
朔美ちゃんママはそれほど結果に拘泥している様子もなく、淡々としている。きっとこれぐらい淡々としているほうが子どもにとってはいいんだろうなあと頭では思うものの、なかなか感情がついていけない。
朔美ちゃん親子とお茶してから別れたあと、駅につながっているデパートの通路を歩きながらもついつい説教モードになる私。
ところが何やら辺りにものすごく禍々しいオーラを感じて、つないでいた娘の手をぎゅっと固く握る。
「マミィ、急に黙ってどうしたの?」
と訝しがる娘。
何だ何だ。これは?
禍々しいオーラは同じく地下でつながっている大型書店から流れてくるようだ。そのオーラに引かれるように書店に足を踏み入れると、なんとそこには知っているような知らないような疲れ切ったおじさんが異様な存在感を放って佇んでいた。
この人、もしかして・・・・?
「おお、もしや清永なのでは?」
そのおじさんが声をかけてきた。やっぱり。思ったとおりだ。
「マミィ、知ってる人?」
娘は怯えて私の背後に回る。子ども心にもその風貌は異様に映っただろう。
その人とは私の前の会社の先輩である前原さんなのであった。
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