2010年5月5日水曜日

計算ミス①

 前の会社の後輩で新婚ほやほやの山木(仮名)から電話があった。
 そういえばそろそろ銀座の先生のところに行ってきたはずだった。夏に予約をしてから3ヵ月ほど待たされていた山木は、「結果は必ず報告しますね」と楽しみにしていた。
 
案の定、山木の第一声は、「今日ね、行ってきたんですよ。銀座に」だった。
「で、お姐さんのアドバイス通りに忘れないうちに言われたこと箇条書きにしなきゃって思って、そのまま近くのカフェに飛び込んで。今そこから電話しているというわけです」
「おお~、どうだった? 何占ってもらったの?」
「まあ基本はダンナとの相性とか、家庭生活ですよね。あとは仕事とか」
「で、当たってた?」
「う~ん。えええ???っていうのはなかったんですけど、へえ~、そうなんだぁ~、なるほどねえ~っていうのはいっぱいありましたよ」
「たとえば?」
「子どもは将来できるとか、いろいろあったんですけど。・・・実はね、私、発見しちゃったんです」
 急に声を落とす山木。

「生年月日のところを足していって最終的に先生、数字を出すじゃないですか。この数式自体は単純だから、どうってことないんですけど、もらった紙をじっと見てたら、なんとダンナの生年月日を計算した表のところ、間違ってるんですよ!」
「間違ってるって何が?」
「だから計算がですよ! 私、計算間違いされたんですよ!」
「はあ!?」

 目の前が暗くなる私。占いなんて当たるも八卦、当たらぬも八卦っていうけど、いいことばかり言われていた私は懸命に信じようとしていた。実際にそうなるといいなって表立って考えていなかったようなことでも、もしかしたら深層心理では望んでいたことだったのかもしれない。

そういう願望を刺激されていた私は、すでに「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という心境ではなくなってきている。
ご神託はそうなるべき未来として私の中で定着している。
だからこそ、自分以外の人が占われたこともご神託の通りになっていてくれないと、私の未来まで揺らいでしまう。
その前提のひとつである計算が間違っていた? 

「それ本当なの?」
「私も信じられなくて何度も計算し直したんです。けど何度やっても計算間違いがあるんですよ。結局占ってもらったことの8割がダンナに関係あることなんで、結果も全然違うものになってしまうと思うんですけど、こういうのってどうしたらいいと思います?」
「そりゃ、2万円も払ってるんだから、放っておくことないよ。電話してみたら?」
「そうですよねぇ~」

「そうだよ。ただ先生の占いって霊感みたいなものあるから、生年月日はすべてじゃないとは思うけど。考えられるのは、①計算が違っていても占い結果は変わらない ②一部変わるところもある ③全然変わってしまう・・・のうちのどれかだよね。まず、それを確認しなよ。そのうえで占い直してもらうとかしないと。だって2万円だからね」
「そっか、まずは結果がどれくらい変わるかですよね。ありがとうございました。じゃあ、今から連絡してみます」
「また結果教えてね」
「はいはい。お姐さんのブログ的にはおいしいネタですもんね(←なので今、取り上げている!)」

さすがは山木。わかってるぜっ!

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