早紀ちゃん(仮名)は細かいアイディアがいっぱいあるらしく、教材がどうだとか、フォニックスがどうだとあれこれ語るが、正直私にはおもしろくない。
私がおもしろくなければ、教育に関してまったくの予備知識のない彼らにとっては、もっとわけのわからないつまらない話になってしまうだろう。
早紀ちゃんの話を聞きながら、ではその教材だとかフォニックスだとかって、なんのために作るのだろう? 誰のために作るのだろう?と思う。
教材だって英語のクラスだって教育目標が必要だ。
教育目標というと大仰な感じがするが、要はいったいどういう子ども(だけとは限らないが)を育てたいかに尽きる。
英語をはじめとする語学を使ったエデュテイメントでどういう人材に育ってほしいのか?
それは世界に通用するアーティストを育成するというのがレコード会社と組むにはふさわしいのじゃないか?
今、インターネットの出現で世界への壁は低くなっている。田舎のバンドが東京ではなく、いきなり海外を目指し、世界進出するってことも珍しくなくなってきているのだ。
それに拍車をかけたのがYOUTUBEの出現だ。
自分たちの手で世界で通用するアーティストを育成する。
なんてやりがいのありそうな仕事なんだろう。
何もアーティストに限定しなくても、ゴルフの世界の石川遼くんや、フィギアの浅田真央ちゃんなどスポーツの世界ではいくらでも例がある。
そうだ。コンセプトは“ひとりでも多くの石川遼を育てる”だ。
それを私が前にいたレコード会社(の親会社)のブランドと知名度を使ってやればインパクトがあるし、意義もある。
折りしも教育最大手のBN(←おおっと、今では夫の会社の親会社の親会社だ)も、いきなりハーバード大を筆頭とする世界の有名大学を目指す高校生のためのコースを開設したところだ。
日本に市場がなければ海外を目指せばいいのだ。
一部の公文みたいなところを除いて、言葉の問題もあるからなのか、海外に進出している教育産業は少ない。
そもそも「世界に通用するアーティスト」を育成するスクールなんて、ゆくゆくは成長著しい中国やインドで展開したっていいのだ。
そういったアイディアが頭上に次から次へと降り下りてくる。そのアイディアたちはまるでキラキラと降り注ぐ砂金のように輝き煌いている。
うん、これならみんなノッてくれる!
なぜならそれは天が私にお与えになった使命だからだ。
もうその後は何かに憑依されたが如くしゃべりまくる私。
早紀ちゃんもうーむとずっと唸っている。
さあ、いくらでも唸るがいい。
いつもは電話口で鼻くそをほじくりながら、「それで~ぇ?」と投げやりに早紀ちゃんの話を一方的に聞いているだけの私だが、今回は天啓なのだから、もうどうにもとまらない。
「っつーか、お前、やっとやる気になったな」
そう切り返す早紀ちゃん。
「おう、あたぼうよ。やるときゃやるよ。あたいも」
なぜか70年代の大映テレビドラマのスケバンみたいな口調になる私。
「よし、じゃあ来週の月曜日、みんなに会う直前にお互い資料を持ち寄って、事前打合せしようぜ」
「あいよ!」
そう言って電話を切った私はその後もテンションが下がらず、夫相手にも大いに熱弁をふるい、自説を展開したのであった。
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