帰国後、次々に娘の入学準備のための用事を済ます。まずはランドセル。シャーリ・ーテンプルのこげ茶色のかわいいのを狙っていたのに、なんと茶色は超人気色で年内でソールドアウト! 完全入手不可になっていたのであった。
結局さんざん迷った結果、シャーリー・テンプルの赤を購入。
今ってランドセルの色も信じられないくらいいろいろ(←シャレですか? あっ、寒っっ!)あって選ぶのも一苦労だ。選択肢が多くて良いと考えるべきか、選ぶのがめんどくさいと考えるべきか。
あとは学童の手続きをしたり、保育園の卒園準備をしたりとなんだかんだと年明けも忙しく過ごす。
しかし普通に区立小学校に行くだけでも、結構いろいろ準備することがあるんだなあと実感。
これが私立だとか国立とかだったら、もっと大変だったんだろうなあ。
お受験が終わり、その後すぐにイギリスだとかニースに行ったこともあって、お受験失敗の心の傷もすっかり癒えてしまった私。
基本的に終わったことなどどうでもいいので心穏やかに過ごしていたところに、夫がとんでもないことを言い出した。
「L(息子)の小学校はどうするの?」
「え? 別にM小学校(近所の区立)でいいよ。近いし」
「Lは国立、受けないの?」
「は!? もういいよ。めんどくさいし、去年大変だったし、姉弟いっしょのところに行ってくれたほうが楽だし。まあ、Lに関しては区立でちゃんと勉強するのかってところが大いに不安だけど」
「それってフェアじゃないよね?」
「なんで?」
「A(娘)だけ国立を受けるチャンスがあって、なんでLにはないの?」
「そりゃあ、Aが国立落ちたからだよ。Aが受かってりゃあ、Lも受けさせたよ」
「それって変じゃない?」
「変じゃないよ。同じところに行くならそれこそフェアでしょ?」
「美央が言ってるのは結果の平等であって、そこまでに至るプロセスが平等じゃない。AだけチャンスがあってLにはないのは、機会の平等じゃないよ」
ほぉ~なるほどぉ~。さすがはアングロサクソン。
我々のロジックの違いはまるで農耕民族と狩猟民族の違いを見るようだぞ(←適当)。
結果の平等か、機会の平等か?
これってまさに昨今教育現場でしきりに議論されていることではないか。
夫の言い分にはそれなりの分がある。
けどね、百歩譲ってね。誰が息子に勉強させんのよっ!
息子と娘では勉強させる労力が比べ物にならんのだよ。
息子にお受験をさせるなんて、サルに芸を仕込むより難しいのだ。
そう、息子はサル以下なのだ。あんたはちゃんと自分の息子のことを客観視できてるのかい?
「そんなに平等にこだわるんならさ、今度はユーが勉強させなさいよ」
「マジっ!?」
「Aのときは私だけが勉強を教えたんだから、次はユーの番でしょうがっ!」
「うっ!」
うふふ。夫の痛いところを突いてやったぞ。そもそも受験させるなんて口で言うのは簡単なんだよ。
どうせやるなら勝ちに行かねば。国立には抽選という大きな壁が立ちはだかっているが、幸運にも抽選を突破していざ試験となったときにまるでできないというのでは、かえって子どもがかわいそうだ(←ということを娘のときに学んだ)。
繰り返し言う。息子はサル以下だ。
娘と違って土壇場になって勉強させたって間に合いっこないのだ。やらせるならまだ10ヶ月以上ある今のうちからだ。
「わかったよ。頑張ってみるよ」
よっしゃあっ、言ったな? お手並み拝見といこうではないか。
こうしてお受験第2ラウンドの始まりを告げるリングが鳴らされたのであった。
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