毎日少しずつではあるものの息子の勉強を見てくれていた夫が、開始1ヶ月も経たないうちに音をあげた。
毎日5~10分程度しか勉強といってもやってこなかったわけだが、挫折の最大の理由は「お話の記憶」である。
G大附属O小やT大附属T小で必須の「お話の記憶」なのだが、当たり前の話だがストーリーは日本語である。そのストーリーを読んで聞かせて子どもがどこまで覚えているかということなのだが、そのストーリーを読んで聞かせることが夫にはできないのだ。
うちの夫は日本語を話すことはまずまずなのだけど、読み書きがいまいちだ。特に子ども向けの話といえ、大人が読んで聞かせることが前提に問題が作られているため、漢字もふつうに使われている。
これを機会にぜひ日本語の読み書きを学んでもらいたいところではあるが、夫にそこまでのモチベーションはない。
また言語学の修士号を持ち、特に専門が「バイリンガルと第二言語の習得」である夫の強固なポリシーは、「両親はいかなる場合でも自分の母語を子どもに対しては使うべし」だ。
たとえば私が英語を超堪能でネイティブ顔負けに話せたとしても(←残念ながらそれはないけどねっ。てへっ)、ネイティブでない以上英語を子どもに対して使ってはいけないという。
私の場合なら当然日本語で話しかけるべしということなのだが、その場合も英語とチャンポンで話しかけるなんてのは論外で、我が家のように母親は日本語と父親は英語と両親の母語が違う場合は、この人は「日本語を使う人」、この人は「英語を使う人」と明確に区別させるのが子どもたちをバイリンガルに育てる鉄則なのだそうだ。
その鉄則に従ってそれまで夫は図形の問題なら、英語で問題を出して息子に答えさせていたのだが、問題によっては日本語に言い換えないと息子がどうしても理解できないものが出てきたことがひとつ。
はなっから「お話の記憶」では日本語でストーリーを読まなければいけないのがひとつ。いずれにしても日本語とのチャンポンにならざるえないので、自分の言語学上のポリシーに反するのだと夫は主張する。
「だからミーはもうやらないね。もしお受験が全部英語で出題されるならミーがやるけど(←そんなこと日本の小学校で一生あるわけないだろっ!)、あとは美央よろしくね」
と夫は頑として聞かない。マジかよ。あんたが息子にも国立受験させろって言い出したんだろうが。
「L。これからはマミィが勉強見てくれるからね」と夫。
「え? いやだよっ! ダディがいいっ!!」とここで号泣する息子。
息子は超パパっ子なのだ。
ちなみにうちでは夫が子どもたちに英語で話しかけるのに対して、子どもたちは全部日本語で返している。
上記の会話も夫は英語で「これからはマミィが勉強を見てくれるからね」と息子に語りかけ、息子は日本語で「いやだよっ! ダディがいいっ!」と返しているのだ。
それでも双方理解しあっているし会話もちゃんと通じているのだが、傍からみるとすごく変だとよく言われる。
こうして息子の勉強を私が見ることになったのだが、なんだかんだといっても娘のときは2ヶ月だけだった。
それでもあんなに辛かったのに、今回は試験本番まであと何ヶ月あるんだよっ。
先行きの長さにゲンナリするのであった。
しかし本当にゲンナリするのは息子との勉強が始まってからである。
(この手の話、今後延々と続く)
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