2010年11月22日月曜日

娘の小学校入学

4月1日からは毎朝今まで通いなれていた保育園ではなく、娘は学童に通うことになった。
ちなみに保育園から学童までの距離はわずか100メートルほど。これから娘は学童で夕方6時まで過ごすことになるのだが、私はその時間までお迎えに行くことができない。
その後の時間についていろいろな角度から検討し、結果保育園の園長先生の好意に甘えることにして、夕方6時過ぎたらお迎えに行ける時間まで保育園で過ごさせてもらうことになった。
娘だけでなく他にも卒園生たちが何名か、学童後に保育園で過ごしている。双方の実家が遠方のため当てにできない私たちのような家族には本当にありがたい措置だ。

保育園のときは当たり前のように毎日給食が出ていたが、小学校になるとそれが当たり前ではなくなる。
 4月1日の時点ではまだ小学校に入学していないので、1日中学童で過ごすことになるのだが、こういう場合はお弁当持参なのである。
 入学して給食が始まるまで、お弁当作りの日々を過ごさなければいけない。ちなみに私は昨今雑誌なんかでよく取り上げられている「キャラ弁」とか「デコ弁」といわれるものが、だいっきらいだ。
こっちとら、働いてるんだよぉ。そんなチマチマと細かい作業してる時間なんてないっ!ちゅうの。たかがお弁当でそんなに子どもを甘やかすなっ! 
「可愛すぎて食べるのがもったいない~♪」
アホか。お弁当は食べるためにあるんだろが。そういう「私っていいママ♪」みたいな偽善が大嫌いだ。
まあ基本的に細かい作業が嫌いだという個人の資質の問題が私にはあるわけだが。

さて毎朝のお弁当作りも慣れてきた4月6日に、入学式が行われた。
娘が入学したのは我が家から歩いて20秒の区立M小学校である。銀座の先生から国立受験を勧められその気になってしゃかりきにお受験をやったのだが、結局どの学校からもご縁をいただけず、まあ予定通りといえば予定通りなのだが、とにかく激近のM小学校だ。
この小学校、なんと我が家の窓から正門が見えるので家にいながら娘がちゃんと校門をくぐったかどうか確認できるのだ。
 この日、私も夫も有給をとり入学式に出た。家から近いのでギリギリの時間に家を出たって十分間に合うのが大きなメリットだ。
 
モノトーンのチェックのワンピースを着て、その上に紺色のカーディガンを羽織り、髪の毛はアップにまとめて、赤いシャーリーテンプルのランドセルを背負えば、誰がどう見てもピカピカの1年生である。
子どもが小学校にあがるというのは子育てのひとつの区切りでもある。娘が生まれてから今までのことが走馬灯のようにグルグルと頭の中を駆け巡る。
赤ちゃんだったこの子がもう小学生かぁ~、大きくなったなあと思わず目頭も熱くなるが、夫も同じ気持ちらしく目がウルウルしている。

小学校の体育館で行われた入学式では、その前の保護者会などでもわかっていたことではあるが、同じ学年の半数の保護者は知り合いなので、あっちこっちで見慣れた顔を見た。
娘はなんと憧れの亮太くん(仮名)と手をつないで、行進している。
私はといえば、この日のためにちょっと前にReflectというブランドの黒と紺色の中間ぐらいの色のジャケットと揃いのワンピースを買っておいた。これだけだと地味というか、これってお受験スーツっぽいじゃんっというもの(←だから買った。息子のお受験ではバリバリ着るよ~)なので、大ぶりのパールのネックレスやコサージュを合わせて、我ながらいかにも入学式のお母さんっていう感じ。

娘は2組で担任の先生はなんと私と名前が同じで美緒先生(仮名)という。まだ20歳代半ばの華奢で可愛らしい先生だ。保護者席からボソボソと「おお~、先生、可愛いじゃんっ」と不謹慎な声があっちこっちから聞こえてくる。
頼みますよっ。お父さん方!
どっさりと教科書やらお道具箱などを受け取り、すべてのものに名前を書いてくるようにと言い渡される。

ちなみに国語の教科書を見てみると、新6年生の甥っ子が1年生だったときの国語の教科書を見せてもらったことがあるのだが、採択されている教科書会社の違いがあるとはいえ内容がまるで違う。
甥っ子のときは最初のページから何ページかは教科書にも関わらず文字が1文字も書かれていなくて絵だけだったので、ひどくビックリした思い出がある。
それに引き換え娘の教科書は、私たちが子どものときの教科書のように1ページ目からちゃんと文字が書かれている。
今から思えば甥っ子のときは悪名高き「ゆとり教育」の真っ只中だったんだなあ~。
2011年から新学習指導要領が施行され、現在は移行措置の時期だ。ギリギリでうちの子どもたちは「ゆとり教育」を受けずにすむことになる。
本来の「ゆとり教育」の精神はすばらしいものだったとは思うが、実際の運用には無理があったのだと思う。
教科書ひとつとっても、今が公立の学校教育の変換期であることがヒシヒシと伝わってくる。

その日の夜はこれから6年も続く娘の小学校生活に幸あれと、私たちは家族で記念写真を撮りに行き、夜は東京の夜景が見渡せるラブリーなシーフードレストランで入学祝のディナーを食べたのであった。

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