面接から1週間後の土曜日の午後、美佳先生がやってきた。ついにうちの子どもたちの英語のリテラシー教育が始まるのだ。
美佳先生がやってくる時間は1時半から2時半まで。土曜日は1時半まで私がフラメンコのレッスンがあるので、帰宅するとすでに美佳先生の授業は始まっている。
娘のアルゴクラブが3時半から始まり3時には家を出ないといけないし、息子の幼児教室が3時50分から始まるので、息子も3時にいっしょに娘と家を出るか、または3時半には家を出ないといけないので、ただでさえ慌しい土曜日が、より慌しくなってしまった。
初日はGWだったため、他の習い事はすべてお休みだったので最初から最後まで美佳先生のレッスンの様子を見ることができた。
夫がオクスフォードの教材を用意していたので、そのプリントに沿ってレッスンが始まった。
とりあえずはふたり揃ってレッスンを受けさせ、様子を見てひとりずつにするのか、ふたりいっぺんにやるのか決めることに。
リビングのテーブルをレッスンの場所にし、私たちはダイニングでそれぞれパソコンを見たり、本を読んだりしているのが、レッスンの様子はよく見える。
美佳先生は落ち着いたトーンの英語で子どもたちに話しかける。まずはアルファベットの練習だ。
しかし傍で聞いていてなんとも違和感を抱いてしまう。ちょっと専門的な話だけど、美佳先生のアプローチはストラクチャー・ベースと呼ばれるもので、たとえば「I have~」という構文を教えて、次に続く語は「a pen」「an apple」「some money」でも何でもいいのだが、構文を中心にして語彙を増やしていくというもの。
私が日ごろ接しているアプローチ法がコミュニケーション・ベースとかシチュエーション・ベースと呼ばれる場面設定に応じたもので、たとえば「買い物」という場面では、買い物に必要な言い回しを文法などの説明抜きに紹介するものだ。
要は私たちが学校でずっと習ってきたのが美佳先生のアプローチで、今の小学生が習うのが望ましいとされているのがコミュニケーション英語なのだ。
この両者の違いはとてつもなく大きい。
肝心な子どもたちはといえば、10分もしないうちに息子は美佳先生の膝の上に座っていて指しゃぶりを始めているではないかっ!
しかもちらっとプリントを見ると、すでに意味不明の落書きでぐちゃぐちゃになっている!
娘はちゃんとレッスンについていっているようだが、美佳先生の注意が息子に向けられている間は、娘も所在なさそうに絵を描き始めている。
おい、だいじょうぶなのか?
「ふたりともすごっくいい感性をしていますね」
レッスン終了後、美佳先生が言う。
ええ~? そうですかあぁ?
「Lくん(息子)もすごくわかってますよ。彼、頭いいですよ」
本当か? 膝の上に座って指しゃぶってただけなんですけど。
「ではまた来週」
と夫からレッスン料と交通費を受け取って軽やかに帰っていく美佳先生。
「あのストラクチャー・ベースでいいわけ?」
夫に直球で疑問をぶつける私。
「リテラシーだからね。ユーの言いたいことはわかるよ。ミーの会社(←夫の会社は企業研修をやっている)のアプローチも違うからね。けどこれはミーの言語学上の実験でもあるからミーの好きなようにやらせてほしい。これがうまくいけばミーの組み立てた理論が正しいことが証明されるのだ」
えっ? これって夫の学究的な実験だったんですかぁ?
聞いてないぞ、そんな話。あの~、もしその理論が間違ってたらどうなるの?
「最終的にはイギリスに送り込んじゃえばいいね。いやでもバイリンガルになるね」
だそうだ。子どもたちよ。
君たちの検討を祈る!
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