2010年10月31日日曜日

公立不信①

 ある日、実家に電話をすると両親と同居する弟の嫁のRちゃんが出た。
「今、お義母さん、買い物に行ってますよ。帰ってきたらお義姉さんから電話があったこと伝えておきます。そうそう、Aちゃん、小学校に入るにあたって何か必要なものないですか?」
「あるある。ランチョンマットとか、体操着袋とか、上履き袋とかの縫い物系」
「ファックスでサイズ送ってもらえれば、作っておきますよ」
「うわっ! 助かる助かる。布代はママからもらっておいて」

 小姑根性丸出しにして言わしてもらえれば、うちの嫁のすばらしいのはこういうところに尽きる。
 うちのオカンはめっちゃ不器用だ。その遺伝はしっかりとしかもパワーアップして私に伝えられ、特に縫い物系に関しては私たちの不器用ぶりは爆発的な破壊力をまわりに撒き散らす。

 そんな女どもを見て育ってきた我が弟たち。手芸好きのRちゃんに出会ったとき、弟Tは相当衝撃を受けたらしく、めっちゃ興奮しながら、
 「お姉ちゃんっ! トイレのカフェカーテンを自分で縫う女に会ったことあるか?」
とまるで「昔の漫画みたいに、本当にトーストをくわえながらセーラー服姿でバスを追いかける女子高生に会ったことがあるか?」と聞くがごとく私に尋ねた。
「ないっ!」と竹を割ったように爽やかに答えると、
「俺もないっ! 生まれて初めてや。ほんなら聞くけど、自分でピアノカバーを縫う女に出会ったことあるか?」
「そんなもん、あるかい。そんな女は単なる暇人じゃっ!」
「もういっちょ、聞くけどな。お姉ちゃんは自分のマイミシンを持っとる女を見たことがあるか?」
「あるわけがないっ! そんな女は単なる外道じゃっ!」
「そうか。よおぉ~わかった。お姉ちゃん。俺、その女と結婚するわ。俺、そんなん自分で作る女がこの世の中におるって知っただけで、世界が広がって新鮮やわ。なんでかしらんけど幸せになれそうな気ぃするわ」

あれから12年。
弟Tは出会って早々のRちゃんと結婚をした。Rちゃんはオカンや私の縫い物関係のものに対する「そんなもんはお金で解決じゃっ!」という札束で人の顔をはたくがごとくの横着な態度に衝撃を受けたらしく、子どもたちが保育園に入るときも、「縫い物は私がやりますから」と申し出てくれて、ずいぶんと助かった。
それなのに実際に出会う前だとはいえ、暇人で外道だなんて罵倒してごめんね。
そんなRちゃんが、
「そうそう、いただいた電話やけど」
と声を落として言う。
「Y介がこの前学校でボコボコにされたんやて」
「なぬ?」

Y介はふたりの次男でこのとき小学校1年生だった。うちの娘より1つ年上だ。
小学校は私たちも通った地元の公立小学校に通っている。
「Y介が泥だらけであっちこっち傷や痣も作って、服も一部破れて帰ってきて、けどあの子、負けず嫌いやで泣かんとずっと歯を食いしばっとって、ようやく誰にやられたんやって聞き出せたんやて」
「誰じゃあっ! うちのY介にそんなことするばちあたりモンはっ! そんなことでY介の指にもしものことがあったらどうするんじゃっ!」
「そうそう。指とか手は無事やったもんで、ホッとしとるわ」

長男のS太朗はバイオリンを、弟のY介はチェロを習っていて、特にY介は先生から才能を認められ小1にして大人のオーケストラに最年少で入団している。
 「芸術で腹はいっぱいにはならんぞ」と考える実利的な商売人のうちの両親は、「そんなもん習わして元が引けるんかいっ!」と常々陰口を叩いているが、本人たちはできれば音楽で食べていきたいと考えているようだ。
 実際夢がかなうかどうかわからないが、それでもチェロを極めようと精進しているY介にとって手や指は普通の人以上に大切な器官のはずだ。
 そういう子がボコボコにされるというのはいったいどういう事態だったのか。

 「お義姉さん、ホント思うけど公立小学校って良くないわ」
 「それはどういう意味?」
 そんなことを聞くと、忘れたはずの娘の苦いお受験失敗の思い出が蘇ってくるのであった。

2010年10月30日土曜日

息子とバレエ③


 超満員のメルパルクホールにて。

 最初に登場したのは娘たちのグループ。「パリの喜び」の1曲目である「overture」の曲に乗って、エシャペとかルルベといったステップを多用しているところが、さすがは発表会歴23回目の年中または年長グループだ。

 娘はオレンジ系のチュチュつきの衣装を着て、頭には同系色の大きなお花をつけている。女の子を持つ親は娘のこういう姿を見るためだけに、バレエを習わせるのではないか。こういった可愛らしい姿は親のナルシシズムを激しくくすぐるのである。

特に私のように激しい西洋コンプレックスを持ち、挙句田舎者特有の偏狭なルサンチマンを有する者にとっては、こうしたハイソなムードっちゅうのはたまらんわけですよ。

つつがなく娘たちのグループが踊り終えたあとは、いよいよ最年少チームの登場だ。「パリの喜び」の3曲目の「No.2Polka No.3 Allegro/Valse」のイントロに乗って、息子が女の子12人に花を1本ずつ渡していく。

「あらっ、男の子が出てきたわよ」

「まあ、可愛らしい!」

会場中がそれだけでざわざわし出す。もうそこはもらったも同然だ。

思わぬ会場のざわめきで息子は動転したのか、途中で花をボトボトと落としてしまいあわてて拾うが、それすらも「ほら、お花、ちゃんと拾ってるわよ。エライわねえ~」「ほんと、マジやばい。可愛すぎ♪」という声があっちこっちで上がっている。

観客のみなさん~! あれがわたくしの息子なんでございましてよ。おーほほほっ! 可愛らしいでしょっ!

もう誇らしさのあまり私の鼻の穴は全開状態だ。フンっ!!

途中アクシデントがあったものの、息子は無事イントロ10秒内に花を渡し終え、女の子たちが一斉に踊りだす。

そこでいったん息子は舞台の袖に引っ込むのだが、なぜか戻ってくる。

たぶんそこからのパートが追加された息子の出番だ。ステップを踏んでる女の子たちの隣で左右にカニ歩きしているだけの息子。カニ歩きとはいえ、出ないよりマシか。

そして最後は手を振りながら全員舞台下手に向かってスキップをして退場する。女の子は全員袖に引っ込んだ後に、息子ひとり袖から顔を覗かせ、観客に向かってバイバイをするというおいしい役どころ。

もうこの息子の顔見せバイバイに観客たちがどよめくことどよめくこと。

「きゃぁ~、可愛いっ! バイバイしてるぅ~」

「やっぱ、バレエやってる男の子って可愛いわねえ~」

その後は小学生たちのグループが出てきたのだが、すっかりどよめきは消えてしまっている。

いやあ~、男子のバレエって思っていた以上においしいわ。

最後は全員が出てきてフィナーレ。曲は「パリの喜び」の中でもっともメジャーな曲、「CanCan」である。そうフレンチカンカンのカンカンである。というより運動会でかかる音楽である。この曲になじみがあるからか、いっちょまえに息子も踊っている。それを見ている観客たちは、

「あらっ、あの男の子、また出てきたわよ。ちゃんと踊ってるぅ!」

「あっ、くるって回転した。可愛いわあぁ~」

一心不乱にビデオカメラを回す夫。あの~、ここではビデオ撮影禁止されてるんですけどぉ~。

「ねえねえっ! L、可愛くない? もう大成功じゃないのっ!! あれが私たちのラブリーな息子よっ! ちょっと誇らしくない?」

興奮のあまり、ビデオカメラを回している夫の腕をバンバン叩きながら言うと、

「ちょっとぉ、画像が揺れるってば」

と言い、舞台の子どもたちの退場とともにカメラを片付けながら、

「いいなあ~。Lは」

とぽつりと言う夫。

「ミーは子どものころ、足が悪くてずっと入院していたし、それで運動もロクにできなかったし、変な髪型をして変なメガネをかけていたから、スプーキー(=キモイ)っていじめられたし、転校ばかりしていたから友だちはいなかったし、全然自分に自信もなくて、人から注目されることもなかったし・・・。それに比べてLはいいなあ~。こうやってみんなから注目されて、いつも自信ありげで明るくて。ミーの子どものときはこんなじゃなかったよ。こういうタイプの子が自分の子どもだってなんだかちょっと信じられないよ」

ブツブツと子どものころのルサンチマンを延々と繰り返す夫。

暗い。暗すぎるぞっ! しっかりしておくれ。

楽屋では先生がもう大興奮状態で近づいてきた。

「お母さんっ! 今日の発表会は大成功ですっ! Lくん、やってくれました! もう私、うれしくて・・・」

なんと涙まで浮かべているではないかっ!

「ちょっと花とか落としちゃいましたけどね」

「いいんですっ! そんな些細なことは! もうLくんが出てきたときの客の反応で、もう“もらったっ!”ってなもんですよ。来年もがんばってくださいっ! 期待してますからっ!」

え!? 来年ですかぁ? 先生もえらい変わりようである。

そして夜はちゃっかりフラメンコのほうの打ち上げに参加すると、そこでも息子の話で持ちきりだった。

今年の舞台はバレエの次がフラメンコだったので、発表会に参加しなかったメンバーや発表会に出たメンバーの家族や友だちもみんな息子のバレエを見ていたのだという。

「Lくん、可愛かったよ。周りの観客もどよめいてたし、思わず私、いっしょに見に来た友だちに、“美央さんっていっしょにフラメンコをやっているお友だちのお子さんよ”って自慢しちゃった」

と言うのは明美さん。

「そうそう、私もLくんのこと、自慢しちゃった。男の子のバレエって本当にいいわね~」

と長谷川さん。

ああ~。なんておいしいんだ。男子のバレエ。

本当は今回の発表会が終わったらバレエは辞めさせるつもりでいたが、こんなんだったら辞められないではないかっ!

よし。来年ももう一度、発表会で目立ちまくってやるっ!

銀座の先生の「バレエは長続きしない」という予言の結果は、こうして1年先延ばしにされたのである。

2010年10月26日火曜日

息子とバレエ②

 そのころ我が家ではタイマーが大活躍だった。
まだ娘のT大附属T小学校のお受験が目前に控えていたので、ちぎりや図形の練習のスピードアップを図るためにタイマーを使っていたし、息子の花を渡す練習のためにもタイマーを使っていた。
見学日に出て、どうして息子が花を渡すだけなのにそんなに時間をかけていた謎が解けた。
練習用の造花は1本1本違っていて、息子は女の子ひとりひとりにその子に合うと思った花を吟味して渡していたからだ。
なんてスウィートなんだっ! 可愛すぎるぞっ!

しかしそれではあかんということで、造花は全部同じものに揃えられることになった。
家での練習は家族総出でおこなった。年が明けたころには10秒で12人分花も渡せるようになった。
娘のお受験が終わってしまえば、息子のバレエの練習(←花を渡すだけね)に集中もできた。
でも出番はそれだけなのかい?
むなしい。むなしすぎるぞ。

年が明けてからは小学生と合同でレッスンを受けることになったので、レッスン時間は2時間になった。
1月は見学日もなく、照明あわせのときまで仕上がりを見ることができなかったが、先生からは、
「Lくん。なんとかなりそうです。せっかくなんで出番も増やします」
と言われ、ほっと胸をなでおろす。

それまで衣装合わせだとかいろいろあったけど、全部すっ飛ばして、本番行きます!
発表会当日。白いブラウスに青のスパッツ、白いバレエシューズの衣装を着た息子。保育園児のくせにいっちょまえに前がモッコリしているのが可愛い。
女の子たちもそれぞれの衣装に着替え、今年、私は楽屋当番に任命されていたので、女の子たちの体に水おしろいをガンガン塗っていくミッションが課せられていた。
しかし見も蓋もないことを言ってしまえば、日本人が全身白塗りにしてなんちゃって白人みたいになってバレエをやるのって、本家本元のヨーロッパ人から見たら“なんだかなあ~”感ってないのかな。

そんなことをぼんやり考えていると、息子のギャーギャー泣き喚く声が聞こえてきた。
どうやらメイクするよっていう段取りになったときに、「ぼくは男の子だからお化粧はしないっ!」とぐずりだしたのだ。
困り果てた先生たち。結局先生が3人がかりで1時間半もかけ、息子を説得。
手間のかかるやっちゃなあ~。

しかしメイクを施された顔を見ると、あら~、可愛い♪
もう楽屋中、騒然で他のお母様方も「あら、素敵♪ 本当の王子さまみたい」と息子に大注目だ。
女の子たちは体中にも水おしろいを塗られて大変な思いをしているのに、ちょこっとメイクしただけの息子のほうにみんなの視線が向かう。
世の中って不条理よねえ~。

でも私の狙いはここにあったのだ。今の子どもたちはずっと過酷な競争に晒されなくてはいけない。
それはうちの子どもたちも例外ではない。
だからこそ長い人生の中で1回でもいいから競争率が異様に低い世界で(←そう、それがまさに子どものバレエにおける男の子の立ち位置!)、ちやほやされる醍醐味を味わってほしかったのだ。
どうやらその狙いはドンピシャだったようだ。

そして幕が開く。場所は芝公園のメルパルクホール。子どもたちのバレエクラスは百貨店内のカルチャーセンターに属しているので(←私のフラメンコも同様)、発表会はカルチャーセンターのほぼすべてのダンス系教室と合同でおこなう。
そういう事情もあり客席は超満員。数千人は下らない観客だろう。

果たして息子は無事に役目を果たすことができるのか?
いやあ~。ドキドキですわぁ~(←関西弁風)。

2010年10月25日月曜日

息子とバレエ①

 夕食後、夫と息子のお勉強タイムが始まった。娘のT大附属T小学校の2次試験から3週間後のことである。
 言葉を換えれば、私たちの安らぎの時間は3週間しかなかったということだ。
 まだ時間があるので初めは5分ぐらいから始める。幸い息子はずっと娘の勉強しているのを見ていて自分も参加したがっていたので、今度は自分の番だ、やったあ!ぐらいに思ってくれている。
 それでも夫はずいぶん苦戦しているようだった。
 まあ、がんばってくれたまえ。

 2月には子どもたちが習っているバレエの発表会がある。娘にとっては3度目の、息子にとっては初めての発表会だ。
 秋ごろから発表会用の練習を始めていて、今回はオッフェンバックの「パリの喜び」を上演することに。
 通常、発表会といえば全員参加に決まっているが、発表会の練習に入るときに、バレエの先生から、
 「お母さん、Lくん、発表会どうしますか?」
と打診された。それってどういう意味よ?
 「Lくんしか男の子がいないので、ぜひ出てほしいのはヤマヤマなんですけど・・・」
 何やら先生は言いにくそうに口ごもっている。
 「あまりにも微妙すぎるんですよねぇ~。彼は・・・」

 ああ、やっぱり。微妙すぎるというより、ダメダメすぎるのだ。
 バレエを始めてなんだかんだで10ヶ月近く経っているが、とにかくやる気がない。先生の言うことを聞かない。みんなと同じ動きができない。奇声を発する。脱走する。バーにずっとぶら下がっている。叱られてもヘラヘラしている。ステップとかスキップとか全部できないふりをする(←レッスンでやらないくせに、家などで軽やかにスキップとかステップとか踏まれると超ムカつく。やればできるんじゃんっ!)。

 月1回の親の見学日にはいつも息子の狼藉ぶりに、他の親御さんたちから失笑が漏れる。もう申し訳なくて赤面することしきり。
 私がよその親だったら絶対に先生に文句言うね。
 ちなみに夫は一度見学に来て以来、2度と来ない。バレエ代は夫が払っているので、お金をドブに捨てるとはまさにこのことっ!と、腹が立つからだそうだ。
 う~ん。わかるぞ。その気持ち。
 まさに学級崩壊児そのもので、こんな様子を毎月見せられるとお受験どころか、普通の小学校生活すらままならないのではないかと大いに不安にさせられる。

 「お母さんもおわかりだと思いますけど、あの調子だとステージ自体、破壊しかねないですよねぇ?」
 う~ん。確かに。
 けど息子はいつも無茶苦茶なわけじゃあない。保育園の運動会や発表会ではクラスの出し物にちゃんと参加しているし、とりたててひとりだけおかしな動きをするわけではない。
 発表会の演奏では事前に担任の先生から、
「Lくん、すごっく木琴が上手でした。リズム感もあるし、すぐに覚えるし、何か楽器でも習ってるんですか?」
と聞かれ、誇らしさのあまり大いに鼻の穴を膨らませたぐらいである。
 
 「そうなんですけど、Lは保育園の発表会とか運動会では普通ですよ」
 とりあえず息子をかばう私。だっていつだって我が可愛い息子がディストロイヤーだと思われるのもシャクではないかっ!
 「そうですか。Lくん、イケメンですからね、出てはもらいたいんですよ。そうだなあ~。とりあえず出しますか。踊らなくて済むような、出るだけでいい振り付けを考えてみますから。それでもやってみてダメそうでしたら、またご相談しますから」
ということで、首の皮一枚でなんとか発表会に出られることに。

こうして発表会用の練習が始まり、娘は踊り子さんの役のグループに、息子は別の踊り子さんの役のグループに花売りの役として登場することに。
しかしそもそも発表会とは、今まで練習してきた成果をみんなの前で発表するのが本来の趣旨ではないか。
それを踊らなくて済むような役とは、いったい何のためにお金を払って毎週レッスンに通わせているのだ? まったく無駄ってこと? そりゃあ、夫も怒るよなあ。

息子のチームは年少さんと年中さんのバレエを始めて1年目の一番幼い子どもたちがメンバーだ。
 一列に並んだ女の子たちに息子が音楽に合わせて1本1本花を配って、全員に配り終わったところで、その花を掲げて女の子たちが一斉に踊りだすという流れなのだか・・・。

 「お母さんっ! 家で花を渡す練習をしてきてくださいっ。花を渡す時間は10秒、渡す女の子の数は12人。ひとり1秒もありませんから。チャッチャと渡す! タイマーで計ってください。Lくん、30秒もかけてます。これだと女の子たちが踊りだせません。Lくんの出番はこれだけですから、これぐらいは死んでもやらせてくださいっ!」
 必死の形相の先生。しかし出番は花を渡す10秒だけなんですか?
 この10秒のために発表会参加料と衣装代、そしてその他諸々の諸経費+親の費やす労力。
 しょっぱいぞ。息子よ。あまりにもしょっぱすぎる。

 確かに銀座の先生の言うとおり、息子にバレエは向いていそうもない。長続きしないと言われていたが、もはやこれまでか。

2010年10月22日金曜日

夫の爆弾発言

 帰国後、次々に娘の入学準備のための用事を済ます。まずはランドセル。シャーリ・ーテンプルのこげ茶色のかわいいのを狙っていたのに、なんと茶色は超人気色で年内でソールドアウト! 完全入手不可になっていたのであった。
 結局さんざん迷った結果、シャーリー・テンプルの赤を購入。
 今ってランドセルの色も信じられないくらいいろいろ(←シャレですか? あっ、寒っっ!)あって選ぶのも一苦労だ。選択肢が多くて良いと考えるべきか、選ぶのがめんどくさいと考えるべきか。
 あとは学童の手続きをしたり、保育園の卒園準備をしたりとなんだかんだと年明けも忙しく過ごす。

 しかし普通に区立小学校に行くだけでも、結構いろいろ準備することがあるんだなあと実感。
 これが私立だとか国立とかだったら、もっと大変だったんだろうなあ。
 お受験が終わり、その後すぐにイギリスだとかニースに行ったこともあって、お受験失敗の心の傷もすっかり癒えてしまった私。
 基本的に終わったことなどどうでもいいので心穏やかに過ごしていたところに、夫がとんでもないことを言い出した。

 「L(息子)の小学校はどうするの?」
 「え? 別にM小学校(近所の区立)でいいよ。近いし」
 「Lは国立、受けないの?」
 「は!? もういいよ。めんどくさいし、去年大変だったし、姉弟いっしょのところに行ってくれたほうが楽だし。まあ、Lに関しては区立でちゃんと勉強するのかってところが大いに不安だけど」
 「それってフェアじゃないよね?」
 「なんで?」
 「A(娘)だけ国立を受けるチャンスがあって、なんでLにはないの?」
 「そりゃあ、Aが国立落ちたからだよ。Aが受かってりゃあ、Lも受けさせたよ」
 「それって変じゃない?」
 「変じゃないよ。同じところに行くならそれこそフェアでしょ?」
 「美央が言ってるのは結果の平等であって、そこまでに至るプロセスが平等じゃない。AだけチャンスがあってLにはないのは、機会の平等じゃないよ」

 ほぉ~なるほどぉ~。さすがはアングロサクソン。
我々のロジックの違いはまるで農耕民族と狩猟民族の違いを見るようだぞ(←適当)。
結果の平等か、機会の平等か?
これってまさに昨今教育現場でしきりに議論されていることではないか。

 夫の言い分にはそれなりの分がある。
 けどね、百歩譲ってね。誰が息子に勉強させんのよっ! 
 息子と娘では勉強させる労力が比べ物にならんのだよ。
 息子にお受験をさせるなんて、サルに芸を仕込むより難しいのだ。
 そう、息子はサル以下なのだ。あんたはちゃんと自分の息子のことを客観視できてるのかい?

 「そんなに平等にこだわるんならさ、今度はユーが勉強させなさいよ」
 「マジっ!?」
 「Aのときは私だけが勉強を教えたんだから、次はユーの番でしょうがっ!」
「うっ!」
うふふ。夫の痛いところを突いてやったぞ。そもそも受験させるなんて口で言うのは簡単なんだよ。
 どうせやるなら勝ちに行かねば。国立には抽選という大きな壁が立ちはだかっているが、幸運にも抽選を突破していざ試験となったときにまるでできないというのでは、かえって子どもがかわいそうだ(←ということを娘のときに学んだ)。
 
繰り返し言う。息子はサル以下だ。
娘と違って土壇場になって勉強させたって間に合いっこないのだ。やらせるならまだ10ヶ月以上ある今のうちからだ。
 「わかったよ。頑張ってみるよ」
 よっしゃあっ、言ったな? お手並み拝見といこうではないか。

 こうしてお受験第2ラウンドの始まりを告げるリングが鳴らされたのであった。
 
 

2010年10月20日水曜日

ニースで老後を


 街歩きをするたびに不動産チェックをする夫。

 私もそういうチェックは嫌いじゃないので、ついつい付き合っては「高い」だの「安い」だの好き勝手なことを言い合っている。

 結論から言えば、ヘレン姉さんは相当いいタイミングでニースにアパートを買ったようで、今ではさすがに旧市街の便利な場所に60平米のアパートが600万円という具合にはいかない。

 「美央はニース好き?」

とサリア広場近くのレストランやカフェがつならる通りに面したシーフードレストランで、キンキンに冷えたシャブリと生牡蠣やロブスターやタニシみたいなものが盛りあわされたフィルドメール(海の幸の盛り合わせ)を食べているときに、夫が聞く。

 あたぼ~だろうかよぉ。しつこいようだが、私は生牡蠣に目がない。

 そんな至福の時間を過ごしているときに、そいつは愚問だぜ。

 「子どもたちもニースが好き?」

 夫がそう子どもたちに質問したのは、娘がクリーム・ド・ブリュレの特大のヤツを、息子がラズベリーやクランベリーのアソートにクリームが添えられているこれまた大盛りのデザートと格闘しているときだった。

 「うんっ!!」

 子どもたちは飛び切りの笑顔で答える。そりゃそうだって! こんな状況なら子どもたちは何にだって「うんっ!」って答えるぞ。

 それにつけてもふたりとも未就学児のくせにニースで正月を過ごすとは、生意気なヤツだ。

 私がこれぐらいの年のときには熱海にすら行ったことがなかったぞ(←初熱海は10歳のとき)。

 「ニースにアパートを買うってのはどう?」

 想像していた通りのことを言い出す夫。

 「ニースのどこによ?」

 「ヘレンのアパートの近くで、100平米ぐらいのやつ。1500万から2000万ぐらいだったらいいな」

 「買ってどうすんのよ?」

 「子どもたちの学校の問題があるから、住むなら子どもたちが高校を卒業した以降だよ。それまでは人に貸せばいい。ローンは賃貸料で賄えばいいし、ローン返済後の老後はニースに住む」

 老後をニース! 

 何やら良さげではないかっ! けど銀座の先生の言う「レンガ造りの似たような家が立ち並ぶ田舎でもなければ都会でもないどんよりと曇ったところ」というのから大きく逸脱するぞ? しかも先生からは一軒屋だと言われていたのに。

 しかしそれにしても夫の提案は魅力的だ。イギリスは街並みも家も素敵で一番大きな利点は英語の国だということだけど、天気は悪いし、何より食べ物がまずい。

 元々私はイギリスよりも遥かにフランスのほうが好きで、大西洋側のラロシエル(←という街。フランス産の牡蠣の7割がここで獲れる。ここの牡蠣は身がでかくて超美味)ほどではないが、ニースもシーフードがふんだんにあって、食べ物は最高においしいし、気候もいい。

 ニースからイタリアも近いし、地中海を挟んだ海の向こうはチュニジアだ。

 ナイスすぎるぞ!

 一番大きいのは私たちの東京の住処はしょせん賃貸だ。今住んでいるマンションは相場から見ても破格に安いので、不動産を買うモチベーションが持てない。

 それ以前に不動産を買うことでその土地に縛り付けられてしまうことにも抵抗があるし、不動産を買うことは資産を持つことと同時に負債を抱えることだとも思う。

 しかも来る来ると言われている大地震で家が潰れたらローンしか残んないし、とかいろいろ不動産を買わない理由はあるけど、一番大きな理由はそんな大きな買い物を思い切る度胸がないからだ(←二番目は先立つものがないからさっ《涙》)。

 ちっっ、我ながら小者だぜ。

 じゃあニースでならそんな蛮勇は発揮できるのか? 

 東京より安いといってもデパートのバーゲンじゃないのだ。いったいどうする?

 とりあえずしょっちゅう来ている夫の両親やヘレン姉さんに常に不動産情報をチェックしてもらい、よさげな物件があったらすぐに連絡をもらうということにして、ニースをあとにしたのであった。

  

 さて私たちが幸せな老後を過ごすためのマーベラスっ!な物件は見つかるのかしら?

 果たして銀座の先生の言う、海外の家との関連は?

2010年10月18日月曜日

お正月はニースだっ!

 クリスマス、年末をイギリスで過ごした後、年初の5日間をニースで過ごした。
 と聞くとめっちゃ優雅に聞こえるよなあ~。
 イギリスはもちろん全泊人んちだし、ニースはヘレン姉さんの別荘といえば、これまた聞こえがいいが、彼女の所有するアパートを貸してもらったのだ。
 なので全然お金がかかってないのですよ。奥様っ!

 夫の父親が銀行員だったので現役時代は転勤族で住むところを転々としたため、このファミリーには故郷と呼べるところがない。
 そのころの習性なのか夫の母親は1つの場所にいつまでも住み続けられない人で、引退後も転居を繰り返し、そのためにひと財産使い果たしてしまった挙句、転居のために家を売却した金額の15%が税金で差っぴかれるという恐ろしい法律の改正もあったため、ロンドンから車で5時間もかかるウェールズ・ネクスト・ザ・シーというとんでもない田舎町に引っ越して以来、身動きがとれなくなっている。

 それで1年の半分ぐらいをあっちこっちと旅行しているのだが、それでも飽き足らないらしく膨大な借金を背負ってでも引っ越そうとするので、見かねたヘレン姉さんが、「それならミーがお金を出してあげるからファーザーもマザー(←このファミリーはなぜかダディだとかダッドとかマムなんて呼び方じゃなくて、両親をファーザー、マザーと呼ぶ。夫も同様)もちょっとはお金を出して、ニースでアパートを買いましょうよ。で、好きなときに使えばいいじゃない」と提案し、それ以来、両親は年にのべ3~4ヶ月ぐらいニースで過ごし、ヘレン姉さんたちものべ2ヶ月近くニースのアパートで過ごすので、1年のうちの半分ぐらいは誰かが使用している状態になっているのだという。

 今回私たちがニースに行きたいと言うと、気前よく「どんどん使ってちょうだい」と鍵を渡してくれて、気前いいついでに私たち家族4人分のロンドン、ニース往復の航空券まで買っておいてくれた。
 このヘレン姉さんはとにかくいい人で気前がいいので、同タイプの夫相手だと気前いい合戦になってしまう。
 この航空券に対する夫の気前いい返しはパナソニック32型ハイビジョン薄型テレビだった。日本に比べるとイギリスは特に日本製の家電は高級品で値段も高い。こういったタイプのテレビを持っている人は日本よりずっとずっと少ないので、とても喜ばれたみたいだ。
 そういえばヘレン姉さんたちが来日して私の実家に来たときに、うちの50インチのテレビを見て相当衝撃を受けたようだった。

 ヘレン姉さんのニースのアパートは旧市街にあり、長距離バスターミナルからも徒歩7分ほどの便利な場所にある。迷路みたいに細い路地が入り組んでいて、狭い路地を挟んだアパートとアパートの間に張られた洗濯ロープには色とりどりの洗濯物が吊るされ、その光景はフランスというよりむしろイタリアの町を髣髴させられる。
 ニースはコンパクトな街なので歩いてどこにでも行けるし、さらにニースから足を伸ばしてエズやグラースやモナコといった近郊の町にもすぐに行くことができる。

 アパートの築は古そうだったが、いわゆる1LDKの間取りで60平米ぐらいあるので、ホテルよりもずっと広い。
 寝室にはまだ娘が赤ちゃんだったときに私たちがイギリスに里帰りしたときに、大家族全員が集まりプロのカメラマンを呼んで撮ってもらった写真が飾られていた。
 そのときにはまだ息子と妹の3女のマデリンが生まれていなかったので、ふたりのスナップ写真もパネル大に引き伸ばされた集合写真の隣に貼られていた。
 これでこのファミリーが全員揃ったことになる。ヘレン姉さんはいつも2人のお姉さんの悪口ばかり言ってるけど、本当は家族のみんなを気にかけているんだなと寝室の写真を見て改めて思う。

 アパートにはテレビがなかったが、街をブラブラするのが楽しいのでなければないで別にどうってことはなかった。
 キッチンも使い勝手が良くて、今回私たちは5日間しかいられなかったが長期滞在するにはいいと思う。
 このアパートをヘレン姉さんは7年前に600万円(!)で買ったのだという。当時ニースは治安が悪いと言われていたらしく不動産自体が安かった上にポンドが強かったのが、安く購入できた理由らしい。
 さすがに今ではこのアパートも1300万円ぐらいになっているらしいが、それでも東京でマンションを買うことなどを考えればずっと安い。

 ニースを訪れるのは実は私にとっては2回目で、12年ほど前に当時付き合っていたモロッコ人のボーイフレンドに会うためにモロッコを訪れ彼の地でのラマダン(断食)に耐え切れず、シャンパンと生牡蠣を求めてニースにひとり避難して以来だった。
 あれから12年。まさか家族連れで再び来ることになるとは思いもしなかったぞ。

 それに対して夫は今回初めてのニース。
 相当気に入ったらしく、街をブラブラするたびに不動産屋さんに張り出してあるチラシとにらめっこしている。
 おぬしよ、いったい何を企んでいるのじゃ?

2010年10月17日日曜日

ロンドン♪ ロンドン♪ 愉快なロンドン(←古っっ!)

 T大附属T小の2次試験からきっかり1週間後、私と娘はブリティッシュ・エアウェイ0006便に乗り込んでいた。
 午前中の便だったので、前日から成田のホテルに泊まり、成田山にお参りに行ったり夕食は娘とふたり海鮮居酒屋に入り、イギリスに着いたらロクなシーフードにはありつけないからと、生牡蠣だの刺身だのを今生の別れのごとく食べ散らかした。
 あとまったく偶然なのだが、飛行機には昔よく仕事をいっしょにしたライターのYさんと乗り合わせ、大いに驚かされたのであった。

 行きの飛行機は定刻どおり出発し、定刻どおりヒースロー空港に到着した。娘はイギリスのパスポートを持っているので、いっしょにそっちの窓口に並ぶ。外国人用の窓口は長蛇の列ができているので、こういうときにちょっぴり優越感を抱いてしまうイエロー・モンキーな私である。
 イエロー・モンキーついでに、私が初めてロンドンに来たのは1995年のこと。ちなみに今は解散してしまったイエロー・モンキーのロンドン・レコーディングに同行取材させてもらったのが、私のロンドン初体験である。

 それはさておき。ヒースローは行くたびにルールが変わっているので、果たして私まで娘といっしょにイギリス人と同じ窓口で入国させてくれるかはどうか、自分の番が来るまでわからなかったが、今回は無事にその窓口で対応してもらった。

 入国ロビーには夫と息子が迎えに来てくれていて、ウィンブルドンに住む夫の3番目のお姉さん宅に向かう。
 夫は5人兄弟の4番目で、3人のお姉さんと1人の妹の間に挟まれたたったひとりの男の子だ。
 これが日本だったら大切な跡取り息子さまなんだろうけど、ここでは全然そんな感じではない。
 いわゆる小姑4人の鬼4000匹状態なのだが、彼女たちからすれば私は外国人なので、まあ珍重されているといったところか。
 夫は姉妹たちの中ではダントツに3番目のヘレン姉さんと仲がよく、しょっちゅう連絡を取り合ってるし、また彼女が一番便利な場所に住んでいることから、ロンドンに行くと必ずお世話になっている。
 今回もいつものようにウィンブルドンを足場にあっちこっち友だちや親戚を訪ねて行くことになっている。

 夫の両親もヘレン姉さんのところに泊まっていて、翌日は妹家族も加わってクリスマスを過ごす。
 2回目のイギリスで過ごすクリスマスだったけど、本物のもみの木を飾り、みんなでターキーやクリスマスプディング(←激甘っ!)を食べたり、朝から飲んだくれたり、ゲームをやったり、クラッカーに入っているカードをめくるとつまらんギャグが書いてあったり、となかなか楽しく、私は好きだ。
 なんといっても日ごろはロクなもんを食べていないイギリス人だが、クリスマスにはちゃんとしたものにありつけるありがたい季節でもあるのだから。
 
 こうしてはじめの3泊はウィンブルドンで過ごし、そのあとはヘレン姉さんのボルボを借りてひたすら毎日、姉妹の家や友人宅を泊まり歩いた。
 みんな結構離れたところに住んでいるので、泊りがけで行かないとなかなか回れない。
 そのおかげでいろんなお宅を拝見できるので、インテリア好きな私にはうれしいイベントだ。

 イギリス人はそもそも食べ物やファッションにお金をかけない。何にお金をかけるかといえば、やはり家だのインテリアだのガーデニングだのといった衣食住で言えば、圧倒的に住の部分だ。お宅拝見をして楽しくないはずがないっ!
 外を歩きながらまったく赤の他人のよそ様の家に対してあーでもないこーでもないと勝手に論評し、人んちに呼ばれようものなら(←初めて行く家だと最初に家中を案内させられる。家主に対してはひたすら家を褒めるべし)、陰でこれまた間取りがどうだとか、ソファーの色がイマイチだったとかなどをあーでもないこーでもないと言い合う。
 ちなみに夫はイギリス人のくせに、住の部分にはほとんど関心がなく、ファッションにはもっと関心がないので、お金をかけるのはひたすら食の部分だ。

 しかし地価は未だに高い。リーマンショック以降、金融工学に大いに依存していたイギリス経済は壊滅的な打撃を受け、バブル景気に沸いたイギリス景気に一気に冷や水をあびせたわけだが、地価が下がっているといっても、もともと住宅の供給が圧倒的に少ないイギリスでは未だに不動産にはけた外れの値段がついている。

 たとえばヘレン姉さんのウィンブルドンの家はセミ・ディタッチド(←1棟が半分に分かれている家。1棟の家はディタッチド、何軒も連なっている場合はテラスハウス、大きなお屋敷はマナーハウス、マンションタイプはフラット)で、間取りはキッチン、ダイニング、リビング、サンルーム、寝室4つで20年ほど前に6000千万で購入したらしいのだが、今はなんと2億4千万円程度になっているという。

 最初に銀座の先生のところに行ったとき、私たちは将来「曇っていて同じようなレンガの家ばかりが並んでいる田舎でもなければ都会でもないところに、将来家を建てる」と言われたのだが、特にウィンブルドンの街を歩いていると、まさにここだよなあと思うところしきりである。
 でも2億円でっせ、ダンナ。
ウィンブルドンは東京でいえば成城とか田園調布みたいな感じのところなのだ。

ウィンブルドン駅の裏側から超有名なテニスコートに至るまでのエリアは、超お屋敷街で執事がいそうなアッパーな感じの超豪邸が建ち並ぶ。ああいった家だとだいたい6億から10億ぐらいらしい。
しかしそんな大層なエリアじゃなくミドルクラスが住んでいる駅周辺で、公園に近かったりするちょっといいなあと思う家があったので、いくらぐらいするのだと聞くと、ヘレン姉さんから、
「オー、あの家は4億円ぐらいのはずよ」
と返ってきた。

 マジかっ! いったいどこなんだ!? 
将来私たちが住むレンガ造りの似たような家ばかりが建ち並ぶ田舎でもなく都会でもないどんよりと曇った街とやらはよぉ! ちなみに先生は「かなり大きい家です。もしかしたら3世帯で住むかも」と言っていた。
 そんな家はよぉ、4億もするんだぜぇ。そんな金、宝くじでも当たらない限り鼻血も出ないっちゅうのっ!
 

2010年10月14日木曜日

お受験の余波

 T大附属T小への合格を見事に勝ち取った雪美ちゃん&由美子さん(仮名)親子と、同校を第一志望にしていたが本人の強い希望で私立の超難関校G小学校に進学が決まった陽太&みっちゃん(仮名)親子。
 由緒正しい人気お嬢様学校S女学院に決まった詩音ちゃん&里美さん(仮名)。S女学園に決まった泰子のお友だち。
 こうして結果が出揃ってみると、順当にというか、やはり努力した親子に勝利の女神は微笑んでいる。
 少なくても私の周りではまぐれだとか、たまたまなんてことは起こらなかったわけで、やっぱりちゃんとやらないと小学校受験は成功しないんだなというサルにもわかるごく当たり前の真実を今さらながら実感したのであった。

「おうぅ。受験終わったかい? いつからロンドンに行くんだったっけか?」
お昼を食べてゆっくりしているところに早紀ちゃん(仮名)から電話がかかってきた。
早紀ちゃんは前の会社の先輩で、一緒に何かエンターテインメントと教育を絡めたおもしろいことはできないかと常にコンタクトを取っている。早紀ちゃんの娘さんがG大附属O小学校に通っていることもあり、意外と国立小受験にはくわしかったりする。

「あかんかったよ。ちょっと聞いてくれる? T大附属T小のときにさあ」
と2次試験のときの話をする。「誰か始めのあいさつをできる子はいませんか?」と言われた話に及ぶと、
「おいおいおい。まさかお前の娘、そこでのこのこ手なんて挙げてないよなぁ?」
と話の腰を折る早紀ちゃん。
 「えっ? 挙げたよ」
 「あちゃぁ~! それ絶対にダメだぜぇ。で、どうしたんだよぉ」
 「“皆さん、今日はいいお天気ですね。この晴れやかなお天気に負けないように晴れやかな気持ちでクイズ大会をがんばりましょう”って言って、先生からほめられてみんなから拍手してもらったって」
 「おいおいおいおい。そりゃあ落ちるぜぇ」
 「な、なんでよっ!?」
 「あのなあ。国立ってのは子どもたちは実験台なんだよ。同じぐらいのレベルの子どもたちを揃えたいんだよ。だからできないヤツもダメだし、できすぎるヤツもダメなんだよ。話を聞いてりゃあ、お前の娘は突出しすぎてるんだよ。そんな子は実験台に使えないだろ。私立だったらいいけどよぉ、そこんとこ考えないとな」
 「終わりのあいさつをした子もいたよ」
 「そいつもダメだったろ?」
 「うん」
 
 そうなのだ。白の23番さんも落ちていた。なんだよっ! できすぎるとダメってそんなことあるのかよっ!
 ブー垂れる私に、
 「まあ、中学受験でリベンジだな。でもダメで落ちるよりできすぎて落ちるほうがいいだろぉがよぉ」
となだめにかかる早紀ちゃん。

 できすぎたから落ちたかどうかは本当のところはわからない。実はペーパーも本人はできたつもりでも答えが違っていた可能性もあるので、事実は定かではない。
 けどそう思うことで自分の気持ちが楽になるのなら、そう思わせてもらおうかな。
 早紀ちゃんよ。ありがとよっ!である。

 そしてこの日は黒百合姉妹のライブであった。いそいそと準備をしているところにまたもや電話が鳴る。電話の相手はみっちゃんだ。
 「雪美ちゃんのところはおめでとうだったけど、Aちゃん、本当に残念だったね。もしよかったら山ちゃん(←名古屋の激安居酒屋・世界の山ちゃん。うちとみっちゃんちの間になんと2店舗もある)にでも行って飲んじゃう?」
ときた。
 みっちゃんと山ちゃんで痛飲かあ~。それもいいなあ。しかしこれから私たちはライブに行くのである。
 また今度ねということで、ライブ会場にゴーっ!

 4年ぶりぐらいに見た黒百合姉妹のライブはやっぱり素敵だった。
会場には姉妹のママ・ゆうさんもいて、なんとこの人、娘のライブそっちのけでひたすらマイケル・ジャクソンのドキュメンタリー「This is it.」がよかったという話をしている。もうマイケルの話をしているか、うちの娘と遊んでいるかのどちらかで、ゆうさんパワー全開である。
 「そや、JURIからAちゃん、お受験してるって話聞いたけど、どうなったん?」
 「あきませんでしたよっ!!!」
 「まあ、しゃあないな。ええやん。どこでも学校なんて。うちなんかはまあピアノでもやらせばええやんって気楽に考えとったよ」
 ・・・そうか、そうなると娘たちは黒百合姉妹になるのだな。

 ライブ後にはJURIがやってきて、
 「そうそう、結局お受験どうだった?」
と聞くので、ダメだったことを伝えると、
 「ふう~ん。まあねえ、確かにダメそうなオーラは見えてたけどね」
ときた。それならそんときにそう言ったってくれよっ! プンプン!

 そしてライブの帰り道。娘が私にぽそりと呟いた。
 「私、知ってるんだ。本当は私、クイズ大会に負けたんだよね」
 そう言われて胸がギューッッと締め付けられた。なんてせつないことを言うんだ。

 「いいんだよ。そんなことは。負けてなんていないよ。だってその証拠にM小学校からお手紙が来て、ぜひ4月から来てくださいだって」
 私は握っていた手にグッと力を入れる。
 M小学校とはうちから徒歩30秒以下のところにある近所の公立小学校である。必然的にM小学校に行くしかない。
 「わーい。よかった~。お友だちはみんなM小学校なんだよね?」
 「そうだよ。カリンちゃん(←洋子とタケルの娘。一番の仲良し)も亮太くん(←娘の片思いの相手。実は近所の地主のひ孫。クラスの女の子たちは全員亮太ラブ。けど神童・朔美ちゃんと両想いという噂)もM小学校だよ」
「よかった~。朔美ちゃんはMG小学校(←隣接する公立小学校。超高級住宅街にあり中学受験率100%の区内ナンバーワン人気校)に行っちゃうから、亮太に近づけるビッグ・チャ~ンス♪」
そう娘は無邪気に喜んでいる。

 娘は心の優しい子だ。めいっぱい気を遣ってくれているのだろう。私は目頭を熱くしながら、娘をぎゅっと抱きしめる。
 「そうだよ。小学校に行ったら楽しいことがいっぱいあるよ」
 「わーい。私、M小学校に行くの、とっても楽しみ♪」
 「そうだね。マミィも楽しみにしているよ。イギリスから帰ってきたら可愛いランドセル買いに行こうよ」
 「本当? だったら私、赤いのがいいかな」

 こうして私のお受験は終わりを告げた。もはやこんな経験をさせてもらうことは二度とないだろう。
息子もM小学校で決まりだっ! 文句あるかっ!

2010年10月12日火曜日

T大附属T小3次抽選! 最後に笑うのは誰だ?

 娘が寝たあと、Hanaちゃんにさんざん愚痴った私である。あ~、Hanaちゃんがいてくれてよかった。
 もうお受験に失敗してモヤモヤした気持ちをどこにぶつけていいかわからず、悶々とするところだったぜ。

 しかし元々、あまり物事に執着しない性格のせいか、3歩歩けば忘れる鳥頭のせいか、はたまた前の晩にHanaちゃんにさんざん愚痴ってスッキリしたせいか、一晩寝てしまえば、すでに半分ぐらいどうでもよくなっていたのには我ながら驚いた。
 気分はすっかりロンドンへの里帰りである。
 そう、私は未来志向の女。
どうせ行けない小学校のことなんて、もうどうでもいいのよっ。前進あるのみ。

 息子に関して公立ではダメだと銀座の先生は言うが、もういいのだ。先生の言うことは当てにならないし、娘が公立なら息子も公立でいいのだ。
 だって同じ小学校に行ってもらったほうが、親にとって何かと都合がいいではないか。
 こうなったら中学受験でリベンジだ。
 今にみておれぇ~。持ち前の探究心で首都圏の全中学校を調べ上げてやるっ! あ~あ、私みたいな親が日経キッズだのプレジデント・ファミリーなどの購読層なんだろうなあ(←納得)。

 娘とバレエのレッスンに向かうとちょうど朔美ちゃん(仮名)ママに出くわした。ママがバレエに付き添ってるということは、さてはパパが抽選に行ってるな。
朔美ちゃんママはすっかり恐縮した雰囲気で、「いやあ~、うちなんかはまぐれ以外の何者でもないんで、その上抽選通るなんておこがましいことはとても考えられないよ」と、ひたすら“実るほど頭を垂れる稲穂かな”状態である。
 
レッスンが終わり、再度迎えに行ってみると、待ち合わせをしていたのか朔美ちゃんパパが現れた。
娘も2次試験に通ってたら、いっしょに朔美ちゃんパパと抽選会場に向かってたんだろうなあと思うと、“ちくしょうっ!! うちの娘を落としやがってよおぅ”という無念さがムクムクとよみがえってくる。
 しかしそんなちくしょう感も朔美ちゃんパパの、
「いやぁ~、ダメでしたよぉ~。でもいい夢見せてもらいましたよぉ~」
というおっとりとした口調で空中霧散してしまう。
 お主、人徳者よのぅ~という感じ。

「もう一次抽選通ってから慌てて準備の真似事のようなことを始めたうちが通って、何年も頑張ってる雪美ちゃん(仮名)が落ちたら申し訳なくて合わせる顔がなかったけど、順当に雪美ちゃんが通って、うちが落ちてよかったですよぉ」
 そう微笑む朔美ちゃんパパ。
 おっ、ということは雪美ちゃん由美子さん(仮名)親子は無事T大附属T小の合格切符を手に入れたということなのだな。

「ほんと、ほんと。結果が逆だったら卒園するまで、私、保育園には行けないところだったよ」
 と朔美ちゃんママもパパに同意している。

 あんたら、マジか!? そんな気弱なことを言っていてどうするっ!
 由美子さんだったら間違ってもそんなこと考えないだろうなあ~。
 だって運というのは準備していようがしていまいが関係なく降りかかってくるものだし、そもそも朔美ちゃんは実力で2次試験を突破しているのである。
 もっと図々しく勝ちを狙ってもよかったんじゃないか?

 しかし由美子さん、天晴れである。気合勝ちというか、どれだけ気持ちが強いかが勝負の分かれ目だったような気がする。
 毎日夜遅くまで勉強させた甲斐があったね。抽選という最後の運試しも気迫に満ちた由美子さんに味方したのだ。

 「ごめんね~。朔ちゃん。パパ、抽選ではずしちゃったよぉ~」
 娘に向かって頭を掻きながら平謝りに謝っている朔美ちゃんパパ。
 「まあ、こうなることは予想がついたけどね。じゃあ、MG小学校のほうに行けばいいのよね」
と恐ろしく醒めた口調の神童・朔美ちゃん。
 君なら我が区屈指のMG小学校でも神童ぶりを発揮してくれると思うよ。

 「そうそう、Aちゃんママ(←私のことね)。こうなったらランドセル買いますよね?」
と唐突に話を変える朔美ちゃんパパ。
 「S百貨店のスペシャルエディションっていうシリーズがあってね、色がすごぉーく可愛いバージョンがあるんだけど、知ってます?」
 「さあ~? うちはシャーリー・テンプルにしようかと思ってるんだけど」
 「シャーリーもすっごく可愛いですよねえ。うちが狙ってる可愛いのはね、都内じゃ売り切れちゃって、今埼玉まで行くしかないんですよねえ。大宮だったら割引券も使えて15%オフになるから、今日行っちゃおかなあ~」

 ここでも広告チラシ大好き割引券・クーポン券大好きの血が騒ぐ朔美ちゃんパパであった。

2010年10月7日木曜日

銀座の先生に電話してみた②

 ドキドキしながら電話をかけると女性アシスタントが、即座に銀座の先生につないでくれる。
 「お久しぶりですね。お元気でしたか?」
 相手を包み込むような柔らかな口調は電話を通しても、相変わらずだ。
 
「実は娘の小学校受験の件なんですけど」
 時間ももったいないので単刀直入に切り出す私。
 「ああ、G大附属T小でしたよね。いかがでしたか?」
 おおっ! 前回訪れてから10ヶ月ほど経っているのに内容を覚えているぞ、先生。

 「実は落ちたんです。本当は一次抽選に落ちた日に電話しようと思ってたんですけど、国立小は全部受けるようにということだったので、結果が全部出る今日まで待ってたんです。G大附属T小とO小、O女附属小学校は一次抽選で落ちて、唯一抽選が通ったのがT大附属T小で・・」
 「あっ、たぶん前にも言ったと思うんですけど、T大附属T小はダメです」
 みなまで言い終わらないうちに私の言葉を遮る先生。
 「けどそこしか抽選が通らなかったんです」
 「G大附属T小がダメでしたか? 信じられない。ものすごくショックです」
 ええ??? ショックを受けてるのはこっちやっちゅうねんっ!

 「ああ~、全部逆に出てしまったんですねぇ。T大附属T小というのは娘さんには合わないんです。娘さんのいいところを発揮できないというか、ここじゃあもったいないんですよねぇ。けどいいセンまでいってたと思います。選考過程で揉めてますね。どうやら保守的な先生が多くて落とされてしまったみたいですけど、進歩的な先生の力が強ければ通ってましたよ」
 と、あんた、その場におって見たんかっ!?と突っ込みたくなるようなことを言い始める先生。

 「娘さんの場合はものすご~くハッキリとG大附属T小って出てたんですよ。むしろあんなにハッキリとOKと出るのは珍しいぐらいなんです。だいたいはもっとボヤ~とした感じで出るもんなんですけど、私の言い方も悪かったかもしれません。私も普段はあそこまで断言しないんですけどね。あとたまにですけど、15件中1件、2件は大ハズしすることもあるんです。そういうのに限ってハッキリ見えていることだったりするんですけどね。たまたまそれに当たってしまったというか・・・」
 おいっ! ハズしたのはたまたまかよっ! クジ運が悪いから抽選も全然当たらなかったけど、こんなめったにないというハズレクジだけ当てるというのも納得いかないぞっ!
 なんだかハズしっぱなしの人生みたいじゃんかよぉ~(号泣)。

 「私、相当ショックを受けています。本当にG大附属T小、ダメだったんですか? それにしても娘さんにはまだG大附属T小の制服が見えてるんですよ。4月から行かれる公立校に制服とかあったりするんですか?」
 「まさか。普通の公立なんで私服ですよ」
 「おかしいなあ~。じゃあなんでずーっと制服が見え続けてるんだろう?」(←知らねぇ~よ。こっちが聞きたいぜ)
 「中学の制服とかでは?」
 「いや。小学校の制服です。G大附属T小って編入とかないんですか?」
 「普通ないでしょっ! あるとすれば空きがあるときに他県の国立小からの転籍でしょ? 公立小から国立小に入ったなんて話聞いたことないですよ」
 「そうでしょうねえ。けど見え続けているので何かあるんだと思います。今後もG大附属T小の動向には注目していてください。あと娘さんは公立小でも十分うまくやっていきますよ。小さなトラブルは出てくるかもしれませんが、大事になるようなことはなさそうです。優等生で勉強もできるし、心配はないでしょう」

 「これだけハズされるというのは何かあるんでしょうか。たとえばどこかで運命が変わってしまったとか?」
 「そうですね。これだけハズれると何か影響しているかもしれません。今度いらっしゃるときには本人をつれてくるか、写真を持ってきてもらえますか。もう一度娘さんを鑑定し直す必要があります」
 「私、結構いろんな人に娘はG大附属T小に入るって占いで言われたってベラベラしゃべってたんですけど、そういうのって影響しますかねぇ?」
 「それはないです。それにしても本当になんでハズしたんか私にもわかりません。まだ見え続けてますからねえ」
 先生自体も不思議だ不思議だと連発するのだが、そんなこと言われてもな、である。

 「それより弟さんです。お姉ちゃんのほうは公立でもやっていけますが、弟さんはマズいです」
といきなり息子が出てきた。
 「この人は公立だとダメです。ヤバいです。けどお姉ちゃんと同じ学校って出てますから、このままだと公立になってしまいます。そこはなんとか阻止しないと」
 阻止するっていったいどうするんだよっ! けど理由は聞かないまでも、なんとなく息子の場合だと公立じゃダメな感じは確かにするんだよなあ~。
 
 あれこれ私も突っ込んで約束の15分はとっくに過ぎ、かれこれ30分経とうとしている。
 さすがにそろそろということになり、では次回ということになり電話を切った。
 
30分といえば1万円分。ちょっと得した気分だと一瞬思ったが、これだけハズしたんだから3ヶ月先といわずすぐに診てくれとか、今度は鑑定料まけろとかゴネてもよかったのかな。
 しかし所詮、占いは当たるも八卦、当たらぬも八卦。野暮は禁物というやつか。

2010年10月6日水曜日

銀座の先生に電話してみた①

 さて気が治まらない私である。
オカンは「信じるほうがたーけ(たわけ)だ」と言うが、だって銀座の先生、あんなに断言してたじゃんっ!!
本当は受かると言われていたG大附属T小の一次抽選に落ちたときに連絡しようと思ってたんだけど、取り急ぎ受かってもダメでも国立小の受験がすべて終わってからにしようと心に決めていた。
そうだよ。終わっちゃったじゃんかよっ! 小学校受験がよぉ~!

「あらっ、ご無沙汰しています」とは、私が名乗ったあとに電話口で出た女性の第一声だ。
さすがに私が紹介した人たちが多数訪れているためか、いちげんさん扱いはされていない。
「ワレ、2万円も鑑定料払わせやがったくせに、思いっきりはずしやがったやんけっ!」と言いたいところをグぅーとこらえ、「予約を入れたいのですが」と性懲りもなく3回目の予約を入れる私。
電話で物を聞くにしてもまず予約を入れないと、答えてくれないような気がしたからだ。まったくぅ~、小心者な私。

「次回はですねえ、3ヶ月先になりますね」
なぬっ! 3ヶ月先だとぉ~!!! 最初は1ヶ月待ちで次が2ヶ月待ちで今回が3ヶ月待ちだとは、どんどん延びてるじゃんっ!
「一番早いところで3月16日になります」
マジか!? 来年のことを言うと鬼が笑うぞ。 
「じゃあ、その日でいいです。けどその前にちょっとどうしても先生にお電話でもいいので早急に確認したいことがあるんですけど」
「そうですか。でも先生は今、ちょっと買い物に出かけているので戻ったら確認します。あと15分後にもう一度電話をもらえますか?」
ということなので了解して、いったん電話を切る。
しかし買い物ってなんだろう? アシスタントに行かせりゃいいのに。

言われたとおり15分後に電話をかけると、再度女性のアシスタントが出て、
「確認したところ、清永さんなら15分ほどお電話でお話してもいいと言っています。今、鑑定中なのでゆっくりお話ができる9時半すぎぐらいにお電話いただけますか」
ときた。
おしっ! 15分だったら5000円分だなっ!

キッチンに立ってあれこれHanaちゃんが来たときのためのつまみやら夕食の準備をしていたら、家の電話が鳴る。
電話の相手は夫であった。
「ハロー、元気? ロンドンは寒いよ。雪降った」
背後では息子が誰かとふざけているのか、笑い声が聞こえてくる。息子の笑い声と夫の屈託のない声を聞いているうちに、張り詰めていた何かがプチッと切れたみたいに涙が溢れてくる。
「受験だめだったよ」
娘がTVアニメに夢中なのをいいことに、彼女から見えないように子どものように泣いた。

「ええええ~!! なんで泣くの?」
「だって落ちたから」
「それで?」
「それでって何よ」
「いいじゃん。ミーはホッとしてるよ。どうせ送り迎えするのミーじゃん。M小学校はいいよ。近いし。友だちもみんな行くし。国立行ったって、ミーたちは将来どこ住んでるかわかんないじゃん」
「そうだけど、けど私がもっと早くから準備してあげればよかったとか、Wだってもっと早く行かせてあげればよかったとか、いろいろ考えちゃうよ」
「M小学校はいいところだよ。いつまでもそんなつまんないこと言ってないで、早く気持ちを切り替えて。じゃあロンドンで待ってるから。あ、そうそうニースで行きたいレストランとかも調べておいてね。毎日電話入れるから」
そう言って夫は電話を切った。
そうは言うが気持ちなんぞは、なかなか切り替えられないものである。

そうこうしているうちにHanaちゃんがうちにやって来て、あらかじめ冷やしておいたカヴァの辛口を開け、氷を入れたワインクーラーにボトルを放り込んでおく。
娘はHanaちゃんが来てくれて大喜びしている。娘が起きている間は今日の結果の話はご法度だ。
そのあたりはHanaちゃんも心得ている。
「さっき、銀座の先生のとこ、電話したんよ」
「マジですかっ? で、どうなったんです?」
「先に予約入れてんけど、3ヶ月先やって」
「ひぃ~!」
「で、話したいって言ったら9時半に電話くれやて。15分ぐらいなら話してくれるらしいよ」
「ホンマですか。へえ~、どう先生、説明するんですかねぇ。この結果を」
「いやあ~、このあとの楽しみやなぁ」

 3人で夕食を囲みながらおしゃべりしているうちに約束の時間が近づいてきた。
「美央さん、そろそろ電話してください。私、Aちゃんとここでおしゃべりしてますから」
とナイス・フォローのHanaちゃん。
 
 銀座の先生よ。この落とし前はどうつけてくれる?

2010年10月5日火曜日

ブルータスよ。お前もか?

 娘が幼児教室に行っている間、私は悩んでいた。 
「今晩は娘とふたりでどうしよう?」と。
 夫と息子はすでにロンドンにいるので、私たちはふたりっきりだ。
 こんな気分のときに娘とふたりっきりだと何かよからぬことを口走ってしまいそうで、自分が怖い。誰かがそばにいてほしい。
 
 こんなときにいっしょにいてくれるとうれしいのがHANAちゃんだ。
 家が近いということに加えて、HANAちゃんには包容力がある。私より13歳も年下なのだが、すべてを赦しすべてを受け止めすべてを包み込んでくれるような圧倒的な安心感を与えてくれる。
 お願いだからいてくれよと祈るような気持ちで携帯に電話を入れると、「どうでしたか? 合格発表!?」といきなり聞いてくる。
 「あかんかったよ」
 「マジでっ!? そんなんありえへんわ。なんかの間違いちゃいますか?」
 「間違いちゃうよっ! そうや、あんた今何してるん?」
 「え? ああ、今目白の美容院で髪切ってるんですわ」
 「またかいな」

 そうなのだ。「今晩うちに来い」と突然私が誘うとき、なぜかHANAちゃんはいつも目白の美容院で髪を切っていたり、染めていたり、パーマをかけていたりするのだ。
 「夜、なんか用事あんの?」
 「ないですぅ、ないですぅ。あ、ほなお邪魔していいですかねえ」
 「何がなんでも絶対にうち来てっ!」
 「了解ですぅ。美容院終わったら速攻で向かいますわ」
よし。今晩の関門はこれで切り抜けた。HANAちゃんの胸を借りて思いっきり泣こう。
 
 家に帰ったらHANAちゃんが来るのを待ちながら、あっちこっちに電話をかけまくる。
 まずはオカンである。
 「ふうん。まあしゃあないがね。あんた、そんな学校行ってまったら入ったあとついてけぇへんよ。公立でええほうにおったほうがええがね」
 なぜかオカンは昔から同じようなことを言い続けている。私や弟たちが高校受験とかするときもそうだった。
 オカンの言い分は「あまり難関校に入ると優秀なみんなについていけなくて、落ちこぼれて苦労する」というものだ。
 これはオカンの強固な信念らしく、来年中学受験を控えている甥っ子にも同じことを言っている。
 私はまったくそうは思わない。優秀な同級生たちと切磋琢磨していったほうが本人が伸びる可能性がよっぽど高いではないかと思う。
 井の中の蛙で楽をするよりは、大海を泳ぎまわれる環境である。

 「あんたもあんたやわ。占いなんか信じとったんかね。そんなもん、当たるわけないがねっ」
 「ええ~、ママだって占ってもらいたいって言ってたくせに」
 「そんなもんはお遊びなの。そんなもん信じるほうがターケ(たわけ)なの」
とにべもない。そうか信じる者は救われないのか?

 そのあとは沙織(仮名)である。
 「ええ~、あかんかったん? 銀座の先生、そんなアホなって感じやなあ。あんたが国立やって言うからがんばったんやっちゅうのになあ~。まあ気ぃ、落とさんとなんか楽しいこと考えてたほうがええでぇ~」
 そうやなあ。
 
 泰子(仮名)の場合は「ショックすぎるよっ! 先生が外すなんて!」と大騒ぎし、みっちゃん(仮名)はしんみりと「そうか。でも学習指導要領も変わるから公立もどんどん良くなっていくと思うから、心配要らないと思うよ」と締めくくった。

 念のためとは言え、「2次試験が通っていたら、3次抽選のときに娘を預かってほしい」と頼んでいた朔美ちゃん(仮名)ママに、もうその必要がない旨を伝えねば。
 あ~あ、先走った間抜けなお願いをしちゃったよなあと赤面することしきりだ。
 しかしなかなか朔美ちゃんママとは連絡がつかない。そういえば合格発表の場でも会わなかったよなあ。
 仕方がないので用件を留守番電話に吹き込む。

夜になってようやく朔美ちゃんママから、「ごめんね、連絡もらってたのに」と電話が入る。
「メッセージ入れた通りなんだけど、明日もうだいじょうぶになったから。ところで朔美ちゃんはどうだったの?」
「あ、う、うん。そっかあ、Aちゃんは絶対にだいじょうぶだと思ってたんだけど・・・」
何やら口ごもる朔美ちゃんママ。
「実はなんの間違いだかさっぱりわからなくて、うちでもみんな戸惑っていて、それでおじいちゃんおばあちゃんまでこっちに出てきちゃって、それで連絡が遅くなったんだけど・・・」
何やら前置きが長い朔美ちゃんママ。
「こんなことありえるのかしらって感じなんだけど、なぜか朔美の番号があったのよ」
「!」
「本番でできてなかったら絶対にだめだと思ってたんだけど、なぜか合格してたんだよね」
最後のほうは聞き取れないぐらい小声になっていく朔美ちゃんママの声。

なんとブルータスよ。お前もかっ!?
結局、同じ保育園から3人で受けに行って、落ちたのはうちの娘だけだったのだ。
オー・マイ・ガァ~!!! なんたる不条理!

じゃあ尚更、受かってたら3次抽選のときに娘を預かってくれって前もってお願いしていたの、どうしようもなくアホなお願いだったではないかっ!
あ~、恥ずかしい。もう私、バカみたい。

「そっか。おめでとう。雪美ちゃんも合格していたから、明日の抽選ふたりとも通るといいね」
「いや、なんだか怖くて。うちなんかで本当にいいんですかって申し訳ない感じで」
「そんなこと思わなくていいよ。朔美ちゃんってやっぱ神童だったんだね。明日結果がわかったら教えてね」
そう言って電話を切った。

あ~、私ってホント間抜けだわ。ちゃんと合格できる実力のある朔美ちゃんにこれまであれこれアドバイスしてたなんて、図々しいのにも程がある。もう恥ずかしすぎて穴があったら入りたい。
とはいえ、ここまできたらきれいごとでもなんでもなくて、雪美ちゃんと朔美ちゃんには抽選も勝ち抜いていってほしい。
さあ、我らが屍を踏み越えて行け!

2010年10月4日月曜日

合格発表の結果は?

 由美子さん(仮名)・雪美ちゃん(仮名)親子と待ち合わせをして、T大附属T小学校へ向かう。12月の下旬に入ったけど、穏やかで暖かい日だった。
 「もう私立に行く準備しているから」と由美子さん。
 「結果も見てないのに気が早いんだから」 
「朔美ちゃん(仮名)ママとも話したんだけど、受かってるのAちゃんだけだから」
 「そんなのわかんないじゃん」
「いやわかるよ。だってうちも朔美ちゃんも図形で4問も5問も残してるし、出題も今年はそれほど難しくないからね。これでできてないとキツイよ」
「そうかなあ」
そう言いつつも、確かにそれだけできてないと辛いかもなと心の中で思う。と同時に心は明日の抽選に飛んでいる。ここまで来て最後の抽選で落ちると水の泡である。

けど銀座の先生が間違いないって太鼓判を押してくれたんだもん。まあ太鼓判を押してくれたG大附属T小は一次試験にあたる抽選で落ちてしまい、あげくT大附属T小は合わないと言われていたけど、国立に行くことは間違いないって断言してたんだから、ここで落ちているはずがない。
絶対にだいじょうぶ。
ドキドキする胸を押さえつつ自分に言い聞かせる。

合否は掲示板に張り出されている。ずらりと並ぶ番号。
ふと大学の合格発表を思い出したが、その光景は幻想だとすぐに思い当たる。なぜなら私の受けた大学は全部他県にあり遠かったので、合格発表のためにわざわざ大学には出向かず、電報での合否連絡にしていたからだ。

 T大附属T小は約4000人が一次に出願し、抽選で1800人に絞られ(←ただこの後、私立等がどんどん決まり受験を辞退する人も出てくるので、実際に2次まで進むのは1500人前後だという)、2次試験でおおよそ260人ぐらいに絞られ、3次抽選で男子80人、女子80人計160人が合格者だということになる。
 前にも書いたけどここが最後の小学校受験の日程に当たるため、合格者160人から辞退者が出ることはない。

 娘の受験番号は217番。試験当日は白の7番だった。
 217番を目で追う。
 あれ!? すぐに異変に気づく。200番台がほとんど出ていなかったのだ。

 ないっ!!!!

 217番がないっ! 嘘でしょっ!?

 酸っぱいものが込み上げてくる。と同時に、「あれ!? 受かってる!」と突拍子もない声を由美子さんが上げている。

 「Aちゃん、どうだった?」
 「ないよっ! 番号」
 「そうか。あの悪いんだけど、3次の受付しなきゃいけないから、雪美見ていて!」
と言ったと同時に受付場所になっている講堂へ駆け込んで行く由美子さん。

 ガーンっ!!!!!

 「あれ? ママどっか行っちゃったぁ~。Aちゃんママ、うちのママどこ行ったの?」
と間延びしたような雪美ちゃんの声。
 「あ、うん。すぐ戻ってくるよ。だからそれまでAと遊んでて」
 そう言いながらちょっと由美子さんって無神経だよなと、ムッとくる。
 でも逆の立場だったら、私も舞い上がって同じことをしたのかな。

 すると後ろからポンと肩を叩かれる。振り返ると幼児教室でいっしょの澪ちゃん(仮名)とママだった。
 「やっぱダメだったよ。そっちは?」
と自嘲気味の澪ちゃんママ。
 「うちも。けどいっしょに来た保育園のお友だちは合格してて、今3次の受付に行ったよ。だからそのお友だちも見てるの」
 「そっか~。それちょっといやなシチュエーションだねえ」
 「まあね」
 「今日、幼児教室のクラス、これからあるけど行く?」
 「うん。そのつもりで用意もしてきたよ」
 「じゃあいっしょに行こうか」
ということで澪ちゃん親子も由美子さんの戻りを待ってくれることに。

 その間、泰子にもメールを入れ、何度も掲示板も見直した。何度掲示板を見直してもやっぱり217番という数字はない。
 おっ、そういえば白の23番さんはどうなったんだ? この数字の流れで行くと白の23番さんは233番のはず。
 233番もないっ!
 あんなにすばらしい終わりのあいさつをした白の23番さんも落ちているとは、いったいどういうことなのだ!?

 わからん! さっぱりわからん! なんでうちの娘と白の23番さんが落ちているんだ!?
 不条理だ。この世は矛盾に満ちている。
 胃がキューっと縮んで固くなっているのがわかる。もう人目も構わず大声で泣き出したい感じ。
 娘は何がおこなわれているのか、全然わかっていない。ここで私が悲しんだり、怖い顔をしたら心に傷を負ってしまうかもしれない。
 そう思うと極力微笑むようにしようと思うと、体がバラバラに動き出してしまうような感覚に襲われる。

 しばらくしたら由美子さんが戻ってきたので、澪ちゃんママを紹介し、3人でとりあえず私たちの幼児教室が入っている百貨店まで向かった。
 まだクラスが始まるまで少し時間があったので、お茶をすることになったのだけど、澪ちゃんママもいたので敢えて、
 「あぁ~、もうやってられないから飲むよっ!」
と言って、百貨店の地下にあるイタリアン・バールに入る。
 「私もビール、飲んじゃぉ~」と澪ちゃんママ。
 「じゃあ私も飲もうかな」と由美子さん。
 あんたは飲まんでよろしっ!
 けどここで優雅にカプチーノとか飲まれたらやっぱムカつくかな。

 真昼間から3人でビールをかっくらい(←娘たちはオレンジジュース)、由美子さんに向かって、
 「ここまできたら抽選、絶対に勝ち取ってこいよっ!」
とドスの効いた声でエールを送る私。
 「そーよ、そーよ。私たちの分までよろしくねっ!」
 初対面のくせに参戦してくる澪ちゃんママ。
 「あ、う、うん。がんばるよ」
とここに来てちょっと気まずそうに俯き加減で答える由美子さんであった。

2010年10月3日日曜日

T大附属T小学校2次試験合格発表の前に

 いよいよ発表当日だ。午前中は部屋の掃除をしたり娘のピアノの練習をみたりしながら、ゆっくり過ごす。
 お昼は昨日の夜の残りでいいやと考えていたら、泰子(仮名)から電話がかかってきた。

 「今日だよね。発表。ねえねえ、その前にいっしょにお昼食べようよ」
と言うので近所のイタリアンで待ち合わせる。
 ちなみにそのイタリアンは2次試験の日、お祝いで夜出かけたフレンチと姉妹店である。ここのオーナーは30代前半とおぼしき長身のなかなかのイケメンで、娘はこのオーナーの大ファンだ。

 ついこの前までこれまた近所の洋食屋さんで働くウェーターのお兄さんのことが好きで、私もこの場所に引っ越してきて以来、彼に勝手にときめいていたので、親子揃って「あのお兄さんはイケている♪」とキャアキャア騒いでいたのだが、いつのまに娘は「だってこっちのお兄さんのほうが偉い人っぽいんだもん。もうあっちはどうでもいい」と、すっかりこちらに乗り換えてしまった。

 確かにねえ。泰子とランチを食べることになったイタリアンも昼も夜もいつも満席で、雑誌にもよく取り上げられている。
イタリアンのほうもフレンチのほうも若くて感じのいい美男美女のスタッフを揃え、テキパキと采配を振るうオーナーは確かに素敵だし、いかにもこれからどんどん店舗も増やしまっせといったやり手で野心家の上昇志向臭もぷんぷん漂ってくる。
こういう男性は魅力的だしモテるよね~。将来性もありそうだし(←といっても3歳の息子さんがいるらしいが)。
 未就学児の女の子にもわかりやすい魅力だってことなのかしら?

 さてその日、あいにくオーナーはこちらの店には出てきていなくて、娘はブーブー文句を言っていたが、私たちはバジルのスパゲティーとサーモンのクリームソースのスパゲティーとマルガリータピザをシェアしながら、お受験話に花を咲かせる。
 その間、娘と泰子の娘の真美ちゃん(仮名)も女の子同士でお話をしている。

 「今日、発表何時からなの?」
 「午後2時半からなんだけど、2時に雪美ちゃん(仮名)たちと待ち合わせしてるんだよねえ」
 「そうかあ~。私もこれからレッスンじゃなかったら一緒に行くんだけどなあ~」
と好奇心むき出しの泰子。いくら娘がピアノの生徒だからといってもそこまでしようというのは、単純に泰子自身がお受験話が大好きだから以外何者でもないと思う。

 「今年から行動観察が入ったという時点でかなりAちゃんには有利だよ。ここでポイントが稼げるはずだから、これまでの準備不足はかなり撤回できるはずだよ」
 泰子にはすでに試験当日の話はしてあって、「それって私立だったらその場で合格だよ」と言っていた。
 「でもなあ~。銀座の先生にはT大附属T小じゃないって言われてたしなあ~」
 「だからさ、先生間違ってるんだよ。G大附属T小じゃなくて、T大付属T小だって学校名を間違えただけなんだよ。あの先生が外すわけないよ。うちの子だって当たったし、友だちもS学園受かったからね」
 「まあそれを言うならバレエでいっしょの里美さん(仮名)のところもS女子学院受かってるからなあ~」
 「そうだよ。絶対に受かってるよ。でもさ、AちゃんがT大附属T小に入ったらLくん(←息子)はどうするの? 塾入れるの?」
 さっそく来年の話をする泰子。そうだよなあ~。うちは年子だから続くのよ~。

 「T大附属T小は抽選は通りやすいからね。別々の小学校に行かれてもめんどくさいし、Lはコツコツ勉強したりできないタイプだから、受かってったら速攻でLの受験準備始めないとね。まあ逆にダメだったらもうLも公立でいいけど」
 「勉強するなら早いほうがいいよ。それに兄弟で国立って珍しくないから。そうそう、そういえばさあ、この前O女附属小の入学者のための説明会ってのがあったんだけど、***のボーカルのHの息子が入学してたよ」
 「マジ!?」

 ***とは元々ヴィジュアル系のバンドとして90年代にデビューし、今では国民的バンドと言ってしまえば大げさだが、それに準ずる超大物バンドである。
 ちなみにかつて音楽雑誌の編集者をしていたころ、私はこのバンドのデビュー当時担当だった。
 最初から事務所もレコード会社も気合が入っていて、スタッフからもメンバーからも「絶対に売れる」という強い信念が感じられ、案の定と言うか、やはり紆余曲折はありつつも依然としてメインストリームを歩き続けているバンドである。
 そのバンドのボーカリストの息子がO女大附属小とは、あのすさまじい抽選の倍率を勝ち抜いたということだから、どこまで運が強いのか。
それにしてもO女大付属小もヴィジュアル系からやんごとなき方(幼稚園のほうだか)までなんと幅広いことか。

「でもさ、O女大附属のお母様方ってさ、***のこと知らないんだよね。そういう私も全然詳しくないんだけどさ」
「嘘でしょ? ***ぐらいだったら誰だって知ってるでしょ?」
「ほんとだって! 誰?それ?みたいな反応だったよ。けど、奥さんのほうは元タレントの××だからそっちはみんな知ってたけどね」
「ふ~ん。そういう世界もあるのかぁ。さすがO女のお母様方って感じだね」
などと話は盛り上がるのだが、そろそろ時間だ。

「結果わかったら速攻でメールか電話で教えてね。まあ、絶対に受かってるからだいじょうぶだよ」と別れ際に泰子が力強く励ましてくれた。

2010年10月1日金曜日

発表前夜②

あと問題がひとつ。土曜日(翌日)は2次試験の発表でこの日は子連れでもOKなのが、2次試験に受かってる場合、日曜日(翌々日)の朝っぱらから3次試験すなわち抽選がおこなわれる。
この抽選は保護者1名のみの参加になるので、娘を連れて行くことができない。
夫たちはすでに空の人。そして日曜日のその時間帯はバレエの日。どうする!?

一番この場合頼みやすいのは家も近く、バレエもいっしょの朔美ちゃん(仮名)のところで預かってもらうことだろう。
しかも朔美ちゃんもT大附属T小を受けてるんだし。
朔美ちゃんも娘も2次試験に通っていて、私と朔美ちゃんのパパかママどちらかといっしょに抽選に行き、娘と残ったほうの朔美ちゃんの親子でバレエに行ってもらい、終わったら帰ってくるまでのちょっとの間、朔美ちゃんのおうちに居させてもらうことができればベストだ。
その場合、3次抽選には当然うちも朔美ちゃんも通って、「バンザイ!」ってことでそのあとそのままランチでお祝いにしちゃってもいい。

けど朔美ちゃんのところは2次試験に落ちてしまっている場合、どうする? 娘だけ預かってもらうのは気まずいけど、ほかに頼める人がいるわけでもなし。
この場合も頼んでみるしかない。

夕方朔美ちゃんのところに電話をして、「まだ2次試験の結果も出ていないし、受かっている可能性も低いだろうけど、それでも万が一という可能性もなくはないだろうから」というまどろっこしい前置きをしたうえで、その場合にはパパはイギリスに帰ってしまったので、娘を預かってほしいというお願いをした。
すると「じゃあ、Aちゃんが来るなら掃除しなきゃね」と快く引き受けてくれる朔美ちゃんママ。

「今日、Cグループはどうだったの?」
「う~ん。うちはダメだね」
と即答する朔美ちゃんママ。
「図形も4,5問残してるし、製作も途中までしかできなかったらしいし、うち元々クマ歩きも得意じゃないんだよね。あ、そうそう。Aちゃんのグループって始めのあいさつと終わりのあいさつをさせたって言ってたじゃない? うちの子たちはそういうのもなかったって。だからいいことはなんにもなかったって感じよ。そうそう、今日たまたま雪美ちゃんママ(=由美子さん)とバッタリ会ったんだけど、ふたりしてうちは落ちてるよって言い合ってて、3人の中で有望なのはAちゃんだけねって話してたんだよ」
「そんなの結果を見てみないとわかんないよ(←と言いながらかなりまんざらでもない感じ)」
「いやあ、Aちゃんだけだね。受かってるのは。じゃあ土曜日に連絡を取り合いましょう」
ということで、後顧の憂いもなし。

そうそう3次抽選のある日曜日の夜は黒百合姉妹のライブに行くことになっている。3次抽選も通ったあとのライブはさぞかし至福のときが約束されるだろう。
そう思っているときに黒百合姉妹のJURIから電話が入る。
「あさってのライブ、もちろん来るよね?」
「うん、行く行く」
「何度も悪いんだけど、また英語お願いしたいんだよねえ」
「いいよ。けど年明けでいい?」
「もちろん。今度はホームページの英語を見てほしいんだけど」

はっとここで思い当たった。黒百合姉妹から英訳仕事(←お金はもらってないけどなっ)が来たのはこれで3回目。
皆さん、すっかりお忘れのころだと思うが、銀座の先生から「3回、次の仕事につながるようなお願いごとを2009年はされる。ボランティアでも受けること」と言われたことは、黒百合姉妹関係の英訳のことだったのだろうか。
時期は違うけど、なんとなくこのことのような気がしないでもない。
私は黒百合姉妹の大ファンである。
どんな仕事であれ、黒百合姉妹に関わることが仕事に結びつくならばこんなうれしいことはないだろう。

それと同時にJURIが占い師でもあることを思い出した。
「そうそう、うち娘が今、受験していて明日、2次の発表があって黒百合のライブの日は3次抽選なんだけど・・・」
「あ、ごめん。私ね、受験関係のことは診ないって決めてるんだよ」
即答するJURI。そうだったんだ! そんなの知らなかったぞ!
「受験のことは当たるも八卦だし当たらざるのも八卦だから、保証できないんだよ。だからね、診ないようにしてるんだ」
まったくぅ~。占い自体が当たるも八卦、当たらざるも八卦なんだから、答えになってないよなあ~。
けど診ないことがポリシーならしかたない。
その割には「どこ受けたの?」などと根掘り葉掘り聞くJURI。
久しぶりにJURIと長電話を楽しむ。

いよいよ明日は2次試験の発表日。
夫のいないベッドはなんだかやけに大きく感じられ、久しぶりに私は娘と同じベッドで眠った。
娘からは女の子らしい甘い匂いが漂ってきて、寝顔を見ながら幸せな気分に浸ったのであった。