2010年12月26日日曜日

息子のピアノ

 GWに行われるピアノの発表会も無事に終わり、晴れて私はピアノを辞め、代わりに息子が泰子(仮名)のピアノ教室に通うことになった。
 銀座の先生からは息子はピアノに向いているのでぜひやらせるべきだというアドバイスをもらっていたが、肝心の泰子が「Lくんにはまだ早いよ」と息子を教えることを渋っていたのだ。
 しかし当初の予定通り、GW明けから息子もピアノを習うことに。

 初日。真新しいピアノバックを持って、前もって指定されていた楽譜を息子に持たせる。
 泰子が選んだのは、「ぴあのどりーむ」という幼児向けのシリーズ。
 娘はオーソドックスに「バイエル」だったのだが、泰子いわく息子が「バイエル」を耳で聞いているはずなので、兄弟の場合は違うシリーズを選んだほうがいいそうなのだ。
 しかも息子が始めるのは、娘のときより遥かに易しいやつなのだという。
 「たぶんLくんはこれぐらいから始めたほうが良さそうだよ。そうだ。Lくんって鉛筆持ったことあったっけ?」
あるに決まってるっちゅうの!  泰子はハナっから息子のことをアホだと思っている。失敬な。
 「ぼく、ピアノ嫌だ。だったら大人になってからやるよ」とわけのわからんゴネ方をする息子。だいじょうぶかいな。

 「あ、Lくん。いらっしゃい。ちゃんとやるんだよ」
 息子が新たな生徒として加わることに不安そうな顔を見せる泰子。
 「&#&‘〈〉’‘“huuy’’(#)(‘!!」
 泰子の問いかけに奇声で返す息子。バレエ代も相当授業料をドブに捨てているようなものだが、ピアノもその二の舞になるのだろうか。不安。

 30分のレッスンが終わるころ、泰子のところに息子を迎えに行く。すでにレッス
ンは終了していたらしく、息子は泰子の娘の真美ちゃん(仮名)のディズニープリ
ンセスシリーズのスクーターで室内を猛スピードで飛ばし、泰子と真美ちゃんに
「もうやめてよぉ! いいかげんにしなさい!」と叱られていた。
 しかしまったく人の話を聞いていない息子。とにかく息子は自分がやりたいと
思ったことをやりたいと思ったときにやらないと気がすまないのだ。まったく自由
奔放。

 「どう? ピアノの調子は?」おそるおそる泰子に尋ねると、意外や意外。
 「Lくん、すっごくいいよ。物覚えもいいし、ちゃんと楽譜も読めるし、なんだ。こんなんだったら、もう少し難しい本から始めてもよかったかな」
というではないか!
もしや銀座の先生の言うことは当たってる?

そして翌週。
「やっぱりLくん、いいよ。指がぺたーってなるのは残念だけど、ちゃんと楽譜見て弾いてるし、指の番号も守ってるし、ドレミもちゃんとわかってるから、ピアノ向いてるよ。もしかしたらAちゃん(娘)より進みが速いかもよ」
と、泰子ベタ褒めである。おお~、ようやく息子に向いているものを探してあげられた感じだ。
 家での練習も思ったより嫌がらずにやるし、楽譜のワークもスムースだ。娘のときはドレミを教えるのにずいぶんと苦労したっけ。まあその甲斐あって娘は1年半ほどで「バイエル6」に突入し、すでに私が教えられるレベルはすぎてしまったのだが。

 ちょうど息子がピアノを習い始めた日に、オカンもピアノを始めた。オカンは私たちの発表会で同世代のオバサンたちが頑張っているのを見て、すっかり触発されてしまったのだ。有限実行。東京から帰って速攻で先生を見つけたらしい。奇しくも息子と同じレッスン曜日だ。
 「暇やで毎日2時間ぐらい練習しとるよ」と張り切るオカン。
 元来、マジメで負けず嫌いな人である。

 「Lには負けんでね。今度、あんたら帰ってきたときに勝負するでね」
 果たして67歳のオバサンと5歳児のピアノ対決の勝負の行方はいかに!?

2010年12月20日月曜日

渋谷の父④

「えーっと、お子さんふたりね。どれどれ。おっ! この子たちふたりともいいねえ~。両親よりずっといい運勢だよ。両親より成功するしね。お姉ちゃんもかなりいいけど、この弟くん、すばらしくいいねえ。うちの子どももこれぐらい良かったらねえ~。うらやましいよ。息子さん、相当期待できるよ」
おっ! マジですか!?

「何がいいって言ったらね。この子たちの大波がちゃんと若いときに来るんだよ。お姉ちゃんは30代、弟くんは20代に来るから、やっぱりね、成功する人っていうのはこういう若い時期にこの大波が来るんだ。若くて体力があるうちに来ると、どこまでも昇っていけるからね。実にいい運勢だよ」
へえ~。しかししつこいようだか、誕生日だけでそんなことまでわかるのかね? しかも同じ誕生日の人なんてゴロゴロいるのに。

「ふたりとも芸能界とかそういうのがいいよ。そういうところで大成するタイプで、けどお姉ちゃんはもうちょっと現実的でマスコミとかそっちもいいな。弟くんはもうこれモロ、芸術肌で音楽とか、スポーツとか、小説とかそういう世界で大成功を収めるタイプだよ。もしかしたら世界中で活躍するようになるかもよ」
マジぃ!?
芸能界は銀座の先生はいいとは言わなかったけど、息子が世界的に活躍するっていうのは銀座の先生にも言われた通り。それも芸術とか、スポーツもいいって言われてたし。

「けど息子さんは子どものころはあまり賢そうに見えないんだな。これが」
・・・・。なんていうことを言うのだ! 渋谷の父よ。
しかしそうなのだ。賢そうに見えないというか、それどころかアホにしか見えないのだ。今現在の我が息子は。

「けどこの子、実は頭が相当いいよ。大成するタイプだから、見守ってあげるといいよ。それには甘やかさず、スポーツでしごかれるとか海外に出して揉まれるとか、苦労させたほうがいいよ。とにかく海外にとっとと出すこと。あと中年以降は会社の社長に適性があるから、実業家としても成功しそうだね」
おお~。どうなっているのだ。息子よ。芸術家またはスポーツで世界的に活躍した後は、ビジネスでも成功とは、すごすぎるではないか。
うふ。私の老後に乾杯だな。ほれ、お母様の面倒をみるがいい(←なぜか女王風)。
こうなったら大いに長生きしたいものだ。そりゃ私たち夫婦も今とは違ってるよね。

「あと、小学校受験なんですけどぉ」と切り出すと、
「何なに? 国立? どこ? T大附属? G大附属?」
と突然目が爛々と輝きだす渋谷の父。いったいどうしたんだ?

「いやあ~。うちの子どもたちも受けさせたよ。懐かしいなあ~。まったくあの抽選ってやつには頭くるけどよお。どれどれ? あ、お姉ちゃんは全然ダメだな。1年のうちの天中殺が10月11月の2ヶ月だから、ちょうどそのころでしょ? 受験って。時期が悪いよ。あ? 何? 小学校受験ダメだった? そりゃそうでしょ。ちゃんとそう出てるよ。けど中学受験はだいじょうぶだから、そっちで勝負だな。で、弟くんはお姉ちゃんよりはマシだけど、微妙だな。中学がその代わりヤバイ時期だから、中学受験させるなら2月4日以降の試験日のところにすること。そうすればだいじょうぶ」

なるほどぉ~。これに関しては銀座の先生とまったく違う判定結果。しかし誕生日で合格不合格が出るのかね? しかも2月4日以降の試験日の学校って、学校選びの基準はそれかいっ!

けど親として子どもたちの運勢がこれだけいいと言われると、すごくホッとするし単純にうれしい。うふふ。頼んだわよ。

あ、そうそう。何度も話に出てくる大波。私に大波が来るのはいつなの? 誰だって大波が来る時期があるんでしょ? もしかして知らないうちに終わってたりとか?

「あ~。美央さんに大波ねえ。あなたに来るのはね、108歳のとき!」
え??? そこまで生きてないっちゅうの!

「占いでは人間の人生を120年で考えるからね。それでいけば美央さんは108歳から118歳までが大波なんだけど、仮にそこまで生きててもね、そんな時期に大波が来たら、ほんと、体力が持たなくてあっと言う間にお陀仏さんだよ。だからね。ある一定以上の年を越えたら、大波なんて来なくて平穏に過ごしたほうが幸せなんだよ。わかる? そういう意味では美央さんの運勢は波があまりないとも言えるかな」
ってそれは波が来ないからじゃんっ!

そんなオチがついたところで、占いはお開きに。しめて2時間半で1万円也。
1時間半ほどはレクチャーだったけど、まあ安かったのかな。
銀座の先生に言われたことと、重なっているところはたぶん信憑性が高いのかしら?

しかし、108歳ねえ~。
そんなこんなで以上、渋谷の父のお話終了!

2010年12月18日土曜日

渋谷の父③

 「あ~、ダンナさん、こりゃ頑固だなあ~」
と渋谷の父の第一声。
 「頑固でマイペースで自立と独立。守るものがあると強いタイプだよ。いわゆるエリートの星(←マジかっ!)で、働いてる奥さんが好きって出てるけど、あんた働いてるの?」
 ええ、ええ。働いていますとも。
 しかし生年月日だけで“働く奥さんが好き”って、出るものなのかね?

 夫の天中殺は2013~14年。天職は今年か2013年が吉。今年はスポンサー運あり。だそうだ。
銀座の先生も夫の天職は今年か、一番いいのは夫が48歳のときがいいと言っていたのでほぼ同時期だ。銀座の先生も今年は出世運があるって言ってたから、期待していいのかな。

「この人の波は48歳から58歳までの10年だから、その間は呼吸器系に気をつけるといいよ。この時期を過ぎれば豊かな晩年が待ってるから」
おっと、このあたりの話も銀座の先生の話に大いに重なるぞ。

尚、銀座の父によると、人には大波が来る時期が誰にでもあるそうだ。大波の時期は10年間。この大波とは運気が急上昇する時期だそうなのだが、肝心なのは大波がいつ来るかということ。
大波は大きな幸運も連れてくるけど、その代わりその時期はものすごく消耗もするらしい。
たとえば夫の大波の時期は中年過ぎているので、この時期に来ると体力も大いに消耗してしまい、下手すると大病することもあるそうなのだ。
だからこそこの時期を無事に乗り切れば、豊かな晩年が待っているのだという。
何よ。何よ。老後に期待できそうじゃない♪

「あとふたりの相性は“天剋地冲”だから、ものすごい強い腐れ縁で、こりゃ簡単には離婚できんわな」
あの~。離婚したいわけじゃないんですけどぉ~。
そりゃあ結婚して子どもを作るぐらいだから、当然どんな夫婦だって腐れ縁なんじゃないの?
「まあすごい腐れ縁でも相性は精神的、肉体的にも良好。そういう相性だね」
じゃあいいじゃんっ! 単に相性がいいって言えば! 腐れ縁っていうのが余分だっちゅうの!

「ふたりとも晩年に“天報”が出ているから、今とは違う状況にあるね」
「違うとは?」
「住んでいる場所とか。置かれている状況とか」
まあ良く違ってればいいんですけど。
あ、住む場所と言えば、銀座の先生は晩年私たちは「どんよりと曇った天気の悪い田舎でも都会でもない似たようなレンガ造りの家が並ぶ街に住んでいる」って言ってたから、やはり同じようなことを言われてるのかな。

「そうそう、美央さんは今年、来年は転職や引越しとかいいよ。変化の年になるから。あと海外旅行とかとにかく動くことだね。あと48歳から58歳までが芸術の星まわり。それと去年までが誹謗中傷の年だったんだけど、何かあった?」
転職は銀座の先生からもこの時期だって言われてたけど、引越しや不動産を買うのは3年待てって言われたからこの点はちょっと違うな。
あと誹謗中傷って何よ? 誰か私の悪口を陰で言ってたのかしら(←知らぬが仏!?)?

「今日さ、次に来る予定の人がキャンセルしちゃったから、その次の人が来るまで時間あるから、もうちょっと診てあげてもいいよ。他に知りたいこととかある?」
という渋谷の父。

せっかくなので、子どもたちのことも診てもらうことにした。

2010年12月16日木曜日

渋谷の父②

 まず空間を表す十干(甲、乙、丙、丁~発までの10の漢字)と、時間を表す十二支(子、丑、寅、卯~亥までの12の干支)がある。十二支に比べ十干は2つ足りない。この足りない部分が来た時期がいわゆる「天中殺」なのだという。
 また十干と十二支にそれぞれ+と-があり、その組み合わせは60通り。60歳を還暦というのは、その組み合わせがまた初めに戻ることから還暦と呼ぶという。
 「運」について言えば、宿命は先天運、運命は後天運なので、「宿命は変えられない。けど運命は変えられる」というのは、まったくその通りらしい。

 なるほど~。ほおぉ~。こりゃあ~、ためになるなあ~。
そこまでの話はよかった。けどそれから延々と続くレクチャーは、私には苦痛だった。山木たちはこのレクチャーがおもしろかったと言っていたが、なんだかこれ以上は私にはチンプンカンプンだったのだ。
話の内容が頭に入っていかないというのか、ここへ訪れる前に、息子の保育園の親子遠足で行った葛西臨海公園で走りまわされたことの疲れが一気に出てしまい、猛烈な眠気に襲われた。意識が薄れていくたびに、テーブルに置かれた「ご自由にお召し上がりください」とメモが添えられている飴のカゴに手を伸ばし、むしゃむしゃとリンゴ味やらぶどう味の飴を片っ端から口の中に入れていく。
もう口の中はリンゴ味やらぶどう味やらみかん味など混ざり合って、まさにミックスフルーツ状態! アゴが変な感じなのである。

しかも渋谷の父ったらホワイトボードにいっぱい漢字を書き込んでいて、読めないっちゅうの!
「美央さんは異常干支なのでいわゆる“せんじょう(←戦場!?)の花嫁”タイプと呼ばれるもので・・」
ホワイトボードに思いっきり、「異常干支」と書く渋谷の父。なんだか字面だけ見ると、なんだよそれって感じ。
「戦場の花嫁っちゅうのは、平時より有事に強いんだな。戦後のどさくさとか、世の中が乱れているときのほうが、本領を発揮できるんだよ。その代わり平和なときにはいまひとつというか。こういう人は揉めてる家に嫁ぐと揉め事が収まったりするんだけど、どう? ダンナの実家とか揉めてない?」
「まあお姉さんたちが揉めてるらしいですけど・・・」
「やっぱりなあ。けどあんたが嫁いできたから、そのうちおさまるよ。あと申と酉のときが美央さんの天中殺で・・・・」
専門用語を大いに交えながら解説する渋谷の父。

具体的に言われたことをまとめると・・・


・天中殺は2016~17年。2010年は8~9月が不安定。
・生月中殺で家族や社会からはずれやすい(←はずれもんですか・・・)。
・家を出る宿命(←確かに)。子どもはひとり(←ふたりです!)。兄弟はなし(←3人姉弟です!)。
※ただしこれには説明が必要で、この数は実際の人数ではないそうで、縁の薄さを表すそう。私が家を出る宿命なので“兄弟はなし”ということになるし、子どものうちのひとりは家を出るので“家に残るのはひとり”と出るそうだ。

・本質は「玉堂」で知性を表し、しっかりした母親で学校の先生タイプ。古典、伝統、古風、礼儀、理屈っぽく、理論好きと出ている(←そんな自分を見てみたい!)。
・人から映る姿は「司禄」。妻の星で、家庭的で堅実。情報収集に長け、蓄財に良し。いわゆる良妻賢母で約束事やしつけをよく守る(←どひゃ~。誰もそんなふうに見てないと思うけど・・・)。
・性質はプライドが高く、自尊心が強く、几帳面で、夫の名誉を守るタイプ(←爆笑)。
・俗に言う“あげまん”タイプ(←じゃあ、なんで結婚以来、夫の収入が下がり続けてるの?)。全体的にバランスの取れた良い運勢。波はあまりない(←乱世のほうが本領発揮できるんだろ?)。

などなどが私の運勢。では夫はというと・・・。

2010年12月12日日曜日

渋谷の父①

 山木(仮名)に教えてもらった連絡先に電話を入れ、山木と森重さん(仮名)と美野里(仮名)の名前をいっぺんに出すと、
 「ああ~はいはい。S社(←前の会社)の人たちね。あの会社の人たち、このところよく来るんだよね」
と渋谷の父は明るい声で言う。声だけ聞いていると東京の気のいいおっちゃんって感じ。
 しかし占いって口コミが本当に大切なのね。占ってもらっているS社の人たちはたいてい女性たちなんだろうけど、きっと切実な悩みを抱えている人が多いんだろうなあ。
 山木や森重さんや美野里は結婚しているけど、圧倒的にシングル女性が多い職場である。
 女性として今後どう生きていくのか、結婚は? お相手は? 仕事は? 子どもは? 悩みや葛藤もてんこ盛りだろう。
 わかるよ。そんな気持ち。私もよく。

 予約はあっさり取れ、そのときに私と夫の生年月日をあらかじめ聞かれ、息子の保育園の親子遠足のあと渋谷にゴーと相成った。

 当日。方向音痴の私は迷いに迷ってようやく渋谷の父の元へ。
 場所はマンションの一室。住まい用のマンションというより、ほとんどの人がオフィスとして使ってそうな古びた大きめなワンルームといった趣だった。
 銀座の先生のところとはゴージャス感が違う。
 「はい。いらっしゃい」と迎えてくれた渋谷の父はでっぷりと肥えていて、似てないけどなぜか青空球児を連想してしまった。

 「あのさあ、最初に聞くけど、なんか悩みあんの? 生年月日見てもおたく、特に悩みなんてなさそうなんだよねえ」
 いきなり核心をついてくる渋谷の父。しかし生年月日だけで悩みの有無なんてわかるのか? だって私とまったく同じ生年月日の人なんて、世の中に何十万人といるんじゃないの?
 「う~ん。特にないです」
 「そうでしょう! こういう人が一番診るのむつかしいんだよ。あのね、ここに来る人はね、もっと深刻な悩みを抱えてんの。借金で首がまわんないとか、ダンナからひどい暴力を受けているとか、子どもがグレてどうしようもないとか、まるっきり縁がなくて男の人と付き合ったことがないとか、わかる? みんなもっと大変なんだよ」
 「はあ~」
 「でもまあいいや。今日時間ある?」
 「あります」
 「じゃあ、今日は占いの考え方っていうのか、そういったこともレクチャーしていきますからね」
と渋谷の父はホワイトボードに向かって何やら書き始める。
 出たっ! これが話に聞いた六星占術の話とやらなのだな。

 「まずは陰陽五行の話からしていくと・・・」

 こうして渋谷の父のレクチャーが始まった。

2010年12月9日木曜日

銀座の次は渋谷か!?

 前の会社の後輩山木(仮名)と先輩森重さん(仮名)が遊びに来た。山木は去年結婚してグアムで式を挙げたので、そのときの写真とか持ってきてもらったのだった。
 青い空と白い砂浜で幸せそうに微笑むウェディングドレス姿の山木はバッチリ決まっていて、とてもきれいだった。
 そのときの話などを肴にお酒を飲む私たち。

「どうよ。新婚生活は?」
 「楽しいですよ♪」
 「そりゃそうだって! 今楽しくなかったらいつ楽しいのよ!」
 森重さんも既婚者なので、彼女も私も結婚生活においても山木より先輩にあたるわけだ。
 「そうそう、山木も銀座の先生に彼とのこと占ってもらったのよねえ。その通りになってる?」
 「う~ん。微妙かも。私はアンチ・銀座の先生ですからねえ」
 「まあ計算間違いはないよなあ~」

 前にも書いたが私の紹介で銀座の先生のところで診てもらった山木は、計算間違いをされてしまった。
 銀座の先生の鑑定法のひとつが生年月日のひとつひとつの数字を足していって、逆ピラミッドの3角形を作る。3角形の角に来た数字を元に占う人の資質とか運勢とかを診ていくのだけど、山木の場合はこの3角形の足し算を間違えられていたのだ。
 しかし間違えるか? この足し算って一桁の足し算だから小1レベルですよ。
 2万円も払ってそれはないでしょう。
電話をかけて計算ミスの件を伝えた山木だったが、たった7分だけ間違えた分を電話鑑定されてそれで終わってしまったらしい。
 7分かよっ! 計算するとたった2333円分ですよ! それは納得いかないよなあ~。
 銀座の先生を紹介してあげた人は皆、先生のファンというか信者になり、その後も何度も鑑定してもらうようになってるが、そうした理由から唯一「あんなんは認めませんっ!」と山木はアンチ・銀座の先生になってしまったのだ。

 「そうそうお姉さん(←私のこと)に伝えなきゃ。先週、私と森重さんと美野里(←同じく前の会社の後輩)の3人で占いに行ってきたんですよ」
 「なぬ? 占い?」
 「そうそう、うちの会社(←前の会社。森重さんと美野里はまだ働いている)で流行っていてみんな行ってるのよ。すごっく当たるって評判で、山木ちゃんに話したら行くって言うから行ってきたんだ」
 「おもしろかったですよぉ~。私は絶対こっちのほうが銀座の先生よりおススメ。お姉さん、知ってます? 渋谷の父って言うんだけど」
 「渋谷の父ぃ!?」

 「六星占術って言うんですかねえ~。聞かれるのは生年月日だけなんですよ。名前とか手相とか霊感とかは一切なし。私たち3人まとめて診てもらって、イチイチ当たってておもしろかったですよぉ。ふつう人が占ってもらうの聞く機会ってないですもんね」
 「そうそう。3人で結局3時間診てもらったんだよね~」
 「3時間も! それでおいくら万円?」
 「ひとり7000円でいいですよって」
 「それは安いっ! しかし3時間も聞くことがある?」
 「ずっと占ってもらってるわけじゃないんだよ。“お時間ありますか?”って聞かれて“ある”って答えたら、陰陽五行って言うの? 暦の読み方とか六星占術の基本をレクチャーされるんだよね。それが勉強になるというか、ほぉ~って感じで、そのレクチャーだけでも1時間半!」
 「何それ! 占い教室か!?」
 「その話がおもしろいんですって! すっごくためになりましたよぉ」

 「で、何言われたの?」
 「えーと、それぞれの性格とか向いてる仕事とか、パートナーとの相性とか・・・」
 「それは当たってたのかい?」
 「それはもう。最高におかしかったのは美野里とダンナさん、超腐れ縁なんですって!」
 美野里とそのダンナは確かに15年ぐらい前から周りに猛烈に反対されながら、くっついたり別れたり揉めたり騒いだりしながら、ようやくめでたくゴールインしたところだった。
 それは確かに腐れ縁だろう。

 「へえ~、私も行きたいっ! どうしたらいいの?」
 「やっぱり清永ちゃんならそう言うと思ってたよ~。そこは紹介制だから私たちのうち誰かの名前を出せば予約取れるよ」
 「わりと予約もすぐ取れますから。お姉さん、行ったらまた教えてくださいね」
 
 ということで、さっそく渋谷の父に連絡してみることにしたのであった。

近田さん(仮名)の突然死④

 私が辞めたあと、ドラムンベース・チームは大躍進を遂げ、近田さん、桜井さん(仮名)の当初の目論見通り、クラブ系邦楽アーティストを手がけスマッシュ・ヒットを飛ばし、その後はアイドルまで手を広げミリオンを連発、この功績で部長はグループ全体の取締役に就任するほど大出世を遂げた。
鈴木さんはいつの間にか会社を辞め、フリーのプロデューサーになったとのことだが、その後消息不明だ。
 そのまま順当に行けば、ふたりとも分社化されたレーベルの社長ぐらいにはすぐになれていたはずだった。

 しかしそれだけ会社に貢献しながら、会社自体もどんどん変わっていき、彼らのように派手に遊び、派手にお金も使い、非合法の悪い遊びも悪びれずにガンガンやるというのが許される雰囲気ではなくなってきた。
 それでも華々しい実績と人脈と知名度を生かし、それぞれ業界ナンバー1とナンバー2の芸能プロダクションの音楽プロデューサーとして転職し、そこでも有無を言わさぬ実績を上げていたそうだ。
 
 告別式には早紀ちゃん(仮名)と出かけた。葬儀は近田さんが転職した芸能プロダクションとの合同葬儀になっていた。いわば半社葬のような形だ。
 葬儀場は読経の代わりに近田さんがこれまでの半生で手がけた音楽が流されていて、送られた花もひとつの会場には収まりきらず、3つの会場に所狭しと飾られていた。
  「俺が死んだらここまで人は来ないな」と早紀ちゃんが隣でぼそっと呟く。
 レコード会社、芸能プロダクション、出版社、テレビ局、ラジオ局、広告代理店、芸能プロダクション、音楽プロダクション、有名人、芸能人、アーティストなどからの今まで出た葬儀でみたこともない数の花々と、焼香のために長蛇の列を作って並ぶ人々。近田さんの才能に、近田さんの人柄に魅了された人ばかりなのだろう。
 告別式なのに華やかで賑やかだ。これも本人の人徳以外にないだろう。

あっちこっちで知った顔を見つける。ほとんどの知り合いはきっちり会わなかった時間の分だけ年を取っていた。けど黒い縁取りの写真に納まっている近田さんは、まったくと言っていいほど変わっていなかった。45歳でこの落ち着きのなさはないでしょうというのが、写真からの印象だ。
 焼香のため並んでいると、毎日強制的に大爆音で聞かされたドラムンベースが流れた。走馬灯のように当時の思い出が蘇り、涙が出た。あれから私の人生はまったく違ったものになっているのに、毎日ドラムンベースで洗脳されてた日々はまるでつい昨日のことのようだった。


 喪主は近田さんの奥さんで「超」がつくほどきれいな人だった。隣は小学校低学年ぐらいの近田さんと瓜二つの息子さんがいて、懸命に涙を堪えている姿にはかえって胸を打たれる。家族を残していく無念さはいかばかりかと思う。
 早紀ちゃんは隣でずっと「俺たちもよぉ、いつ何で死ぬかわからない年齢になっちまったんだよなあ」と呟いている。
 去年の今頃はやはり同じく前の会社の先輩の須崎さんが膵臓癌で亡くなった。いつの間に私たちの世代は、誰かのお父さんとかお母さんのお通夜だとか告別式だとかじゃなくて、本人のためのお通夜だとか告別式に出なきゃいけなくなったのだろう。
 
 
 棺の中の近田さんも少し以前より痩せたような気がするけど、いかにもやんちゃそうな業界人そのままだった。
 「なんで急に死んじゃうわけ? “あのとき本当は清永は黒人に×××はしてませんでした、おもしろおかしくふかしましたって、ちゃんとみんなに訂正してよ”」
心の中で棺の中にいる近田さんに話しかける。
 「バカ、なんで急だったかなんてこっちが知りてぇよ。噂の件は感謝しろよ。お前なんか、何にも実績ないくせに、なんだかすごいことをやりそうな女だってイメージをちょいとプロデュースしてやったんだぜ。まあ元々はおもしろかったらなんでもよかったんだけどよぉ」
 そういつものように答えてくれるような気がした。

 香典返しの中には当日葬儀で流れた曲のセットリストも添えられていた。年代順に近田さんが関わってきたもので、洋楽から邦楽まで幅広く、いずれも80年代終わりから今まで、時代を代表する曲ばかりだった。
 心底、音楽業界は近田さんというすごすぎる才能を失った損失は大きく、今後音楽業界がさらに斜陽化していく暗い前兆なのだろうと彼を見送った誰もが感じたはずだ。

2010年12月7日火曜日

近田さん(仮名)の突然死③

 しかし物事はそんなにうまくいくわけではなく、私が作ったCDも鈴木さんの作ったCDもまったく売れなかった。
 結局1年経って、私たちのプロジェクトは芽が出そうもないと判断された。
 それもあって、そのときいっしょに組んでいた外部のスタッフからこっぴどい裏切られ方をした。私と組んでもそれ以上いいことはないと思ったのだろう。
部長宛に私を中傷する手紙を送っていたのだ。部長から呼び出され、「読んでみろ」と言われその手紙に目を通したとき、あまりにひどい内容で頭にカァーっと血が上った。私を貶めるのと同時に自分のアピールもしていて、言うに事欠いてか本当はドラムンベースも好きなのでそちらのチームに入れてほしいと手紙には書いてあったのだ。

 部長は「お前、もうちょっと人を見る目を養えよ。コイツは最低なヤツだな。まあ今後いっさい出入り禁だな」と言った。ついでに「俺はクリエイティブなことはわからないけど、人を見る目はあるんだよ。コイツがダメなヤツでお前が騙されているのはわかってたけど、代わりに好きなことができたんだ。それで十分だろ?」と付け加えた。
 部長が手紙の内容を鵜呑みにせずキッパリとした態度をとってくれたことはありがたかったが、私はモロッコ音楽を騙されて作ったわけでもないし、作ったものには誇りがあった。好きなことをしたから裏切られても仕方がないとはどうしても思えなかったし、何よりその外部スタッフの品性の卑しさに吐き気を催した。
 
 その日の夜、珍しく近田さんが「飲みに行こうぜ」と声をかけてきた。親衛隊の若者のうちふたりがいっしょについてきた。
 「よお。手紙読んだぜ。まったく最低な野郎だな。安心しろ。ドラムンベース・チームは1000%ありえないから。しかしお前は本当にバカだなあ。あんな業界ゴロなんかと組むぐらいだったら、俺たちと組んでりゃよかったんだ。しかもお前は社員なんだ。なんだかんだ言ってほっとけないんだよ」
 飲みながら近田さんがしみじみと言った。
 「けどお前は根性あるよ。実は桜井さんと見所のあるヤツだってお前のことずっと評価してたんだぜ。売れなかったけど作ったCDだってカッコよかったし、何より俺たちの誘いを蹴ったヤツなんて今までいなかったんだから、それだけでも大したもんだよ」
 そう言われてしまうとあとは涙腺が緩むのに任せるしかなかった。それまで孤独な戦い方をしていると思っていたから、まさかそんなに優しい言葉をかけてもらえるとは思っていなかった。
 「泣くなよ。バカ。だからお前はバカなんだよ」
 
そのあとみんなで近田さんの行きつけのストリップバーに繰り出した。お前が払っておけと10万円近い領収書を切らされた。
 その前の店ではなんだかでたらめにドンペリをガンガン開けて、近田さんがやはり10万円以上の領収書を切っていた。
 「なんだよ。清永を慰めるためになんで俺がこんな大金払ってるんだよっ! 次はお前払えよ」と連れて行かれたのがストリップバーだったわけだ。トホホ。

 私たちはベロベロに酔っ払って、なぜか近田さんといっしょにタクシーで明け方、私の部屋まで帰ってきていた。
 部屋に入って、「なんで近田さんがうちにいるの?」と聞くと、「バカ。お前が送れってうるさかったからだろ」と近田さんは言い、うちにある壁一面のCDを眺めていた。
 「ふう~ん。こういうのがお前の趣味なんだ」とひとしきりCDのラベルをチェックし終わると、「お前、俺とやる気あるの?」と突然、真顔で聞いた。
 「何言ってんの。あるわけないじゃん」と笑うと、「そうか。じゃあ、ここいてもしょうがねえから、帰るわ」と背中を向け振り返ることもせず、部屋から出ていった。
 なんなの? なんなの? いったいなんなの? 意味不明!と思ったが、眠気には勝てず、私はそのまましばらく爆睡した。

 そして翌日、社内では私に関する噂があっちこっちに駆け巡っていた。
 「昨夜、清永が麻布のストリップバーで黒人に×××した!」
というので、もちろん発信源は近田さん。次から次へと噂好きの社員たちが私たちのオフィスに来て、「おい、清永、聞いたぞ。お前、マジかよ?」と好奇心むき出しに聞いてくる。
 「なわけないじゃないですか! まったくぅ! ちょっと近田さん、ちゃんと私の無実を晴らしてくださいよ!」と近田さんに詰め寄ると、
「バカ。おもしろいからそのままにしておけよ。この会社はこういう話大好きなんだからよ。お前の株も上がるぞ。変な業界ゴロに怪文書送られてしょげてる場合じゃないからな。サービスでもっと広めとくよ」
と楽しそうに笑った。
 確かに前の会社はクリエイティブ系な人間は男女問わず、遊んでいる豪快なイメージがあるほうが当時リスペクトされた。スタッフに裏切られて落ち込んでいるという話より、近田さんが広めてくれた噂のほうが遥かに人にプラスのイメージを与えられた。今から思うと変な職場だが、業界人とはかくあるべしというステレオタイプが横行していたのだ。

 その後すぐ、私に人事異動があり、そして会社も辞めた。近田さんとはそれっきりだった。
 もう12年以上前の話だ。

2010年12月6日月曜日

近田さん(仮名)の突然死②

彼らは次に私を傘下に入れようとした。ふたりより年上でクセの強い鈴木さんは初めから対象外で、年下で女の私は組しやすいと思ったのだろう。
「お前もドラムンベース・チームに入れよ。俺と桜井さんがお前のこと、ディレクターとしてひとり立ちできるように育ててやるって。普通、そんなチャンスないぞ。この業界のどれだけの人間がそんなチャンスを狙ってると思ってるんだよ。なんていったって俺と桜井さんだせ」
毎日近田さんは私にそう声をかけ続けた。桜井さんは私が軍門に下るまで口をきかないと決めていたらしく、声をかけてくるのはもっぱら近田さんだった。

ちなみに鈴木さんからも自分のプロジェクトを手伝ってくれないかと声をかけられたが、こちらは言語道断であった。
あそこまで嫌われ者になるほど実際の鈴木さんは嫌な人ではなかったが、いかんせん趣味が違いすぎる。
そんなぐらいならとっくにドラムンベース・チームに入っている。
面と向かってそう言うと、鈴木さんは「そらそうやろなあ~。けどお前はハッキリ物言うヤツやなあ~」と関西弁で困ったような笑顔を見せた。

そして私は自分のやりたいことを最優先した。
近田さんと桜井さんという両巨頭からのお誘いを蹴るという、私の判断はありえないことだったらしい。おかげで一時期はありえないことをしたヤツとして社内で有名になってしまった。
とにかくこのときの状況は何から何まで、ありえないことだらけだったのだ。
もちろん面子を潰された形になって、黙っているふたりではない。
私が一時期社内有名人になったのは、彼らふたりがせっせと私の悪口を言いまわったからでもある。

 ドラムンベース・チームの誘いを断って、やりたいことを始めた私に対する風当たりは強かった。
 あてつけ、あてこすり、イヤミはもう当たり前。
 今でもよく覚えているのは、「高速道路を三輪車で逆走するかのようなバカ」というのと、「英語もできないくせに英語も通じないようなところに行くバカ」と本人を目の前に大声でよその部署の人に悪口を言われたことだ。
 いやあ、まったくその通り!(←納得するなよ。自分で) 実に言いえて妙とはこのこと。
 挙句、近田さんと桜井さんのふたりは社内にDJブースを持ち込み、毎日大爆音でドラムンベースを流し続けた。
 おまけにふたりの親衛隊みたいな若者を何人も連れてきて、爆音に合わせて躍らせていた。しかし、踊るかね? 真昼間の会社で、ふつう。これは大爆音と踊る阿呆どもで周りを洗脳する作戦だったのだ。
 毎日よその部署から苦情が来たが、ふたりのすることなので誰も面と向かって文句が言えなかった。けど向かいに位置する演歌制作部のおっちゃんたちは本当に迷惑そうだった。
 ちなみに早紀ちゃん(仮名)はそのとき、隣の部署にいてふたりのところによく遊びにきていた。早紀ちゃんはふたりから小バカにされてたけど、早紀ちゃんはまったく気にするそぶりがなかった。もしやマゾ?と内心思ったものだ。

 そんな中で、私はひたすらやりたいことをやった。モロッコ音楽の制作を通じて世界に興味を持った。それまで究極なドメスティック人間だった私の世界観がガラリと変わった。その後しばらくして転職したことも国際結婚することになるのも、このときの経験を抜きにしては語れない。
 
 大逆風の中、私も鈴木さんも自分のCDを完成させた。
 今でもこのときに作ったアルバム2枚は自分の誇りになっている。
 音を聞かせたとき、それまで私を徹底的に無視していた近田さんと桜井さんが、
 「お前、カッコええの作ったやん! じゃあ、あとは頑張って売れよ」
と言ってくれたときは、少しはふたりに認めてもらえたような気がして本当にうれしかった。

2010年12月4日土曜日

近田さん(仮名)の突然死①

 突然訃報が届いた。
 知らせてくれたのは前の会社の後輩の三原(仮名)。亡くなったのは近田さんという前の会社の先輩だ。
 朝、自宅で突然倒れ、そのまま帰らぬ人になってしまったという。
 享年45歳。あまりに若すぎる、あまりに早すぎる死である。

 近田さんとは特に親しかったわけではないし、会社を辞めてから一度も会っていない。
 とはいえ彼に対して私は特別な思い入れを抱いていた。
 私が新入社員だったころから、音楽雑誌編集者とレコード会社の宣伝マンという関係で薄く仕事をする仲だったのだが、決定打は入社7年目のときに社長肝入りでまったく新しい制作オフィスが作られたときに、同じ部署になったことだ。

 新しいオフィスでは当時としては画期的なA&R制がとられ、従来のように制作部と宣伝部がそれぞれ独立しているのではなく、同じ部署内で役割分担をするインディーズ・レーベルのような組織として出発した。
 しかも新しいことなら何をやっても構わないということだった。 
 私たちのオフィスは曲者揃いだった。全員やりたいことがハッキリしていて、協調性のかけらもなく、部長は管理畑出身なのでクリエイティブ系なことは何もわからず、発令が出た当日、「誰だよ。こんなメンバー集めたのは?」ということで社内が騒然となったらしい。実際いろんな人から「お前、とんでもない部署に入ったな」と慰めされるやら、励まされるやらで、実際新しい部署に行ってみるとメンバーのアクの強さは想像を絶していた。

 現場は近田さん、桜井さん(仮名)、鈴木さん(仮名)、私の4人。近田さんと桜井さんには洋楽で大ヒットを飛ばした実績があり音楽的センスも抜群で、豪快な人が多い社内の中でも彼らの言動の派手さに敵う人はなく、社内のみならず業界内でも超有名人だった。
鈴木さんはずっと営業畑で制作希望だったがそれまで叶わず、豪快な人が多い社内の中でも仕事の仕方が細かくこだわりが強く、人付き合いも下手だったので、こちらは嫌われ者として有名だった。
あとは音楽雑誌の編集やレコード営業を経て、オフィスに配属された私。

レコード会社のクリエイティブとしての実績があるのは近田さんと桜井さんだけで、鈴木さんと私はズブの素人。
近田さんと桜井さんの意見は一致していて、このレーベルでは当時クラブで流行りつつあった「ドラムンベース」をやるべきだと主張していた。
海外のドラムンベースのアーティストの作品を何枚かリリースし、レーベルイメージを固めてからそのレーベルに賛同する日本人アーティストにもゆくゆくは手を広げていき、そこから大ヒットを狙うというのが彼らの戦略だった。
ふつうであればこのふたりが組んで何かをするというだけでも、業界の大ニュースだ。
上司がクリエイティブ出身者であれば(←なくたって!)なんのためらいもなく、鈴木さんと私は手足としてふたりを支えるという役割を与えただろう。

ところが鈴木さんにも私にもそれぞれどうしてもやりたいことがあった。
初めから「ドラムンベース」のセクションに配属されていたのならいざ知らず、「新しいことなら何をやってもいい」とお墨付きのセクションにせっかく配属されたのである。
鈴木さんは歌謡曲を、私はモロッコ音楽と黒百合姉妹がやりたかった。
私たちの主張をふたりは一蹴し、特に鈴木さんのタイアップ狙いの歌謡曲はふたりの美意識にはありえなかったらしく、風当たりは相当なものだった。
ひとつのセクションが与えられた制作費と宣伝費には限りがある。しかし「どれに芽が出るかわからない」と部長は何かひとつに絞ることなく、「とりあえずそれぞれ好きなことをやってみろ。半年経って芽が出そうなものに乗っかる」と普通なら考えられない宣言をしたのだ。
この状況に激怒したふたりは徹底抗戦した。けど部長の気持ちは変わらなかった。

2010年12月3日金曜日

ピアノの発表会♪③

そして3部のトリはもちろん一番上手い音大を目指すような高校生だ。彼女らはショパンの「ソナタ2番」とか「ソナタ3番」、「バラード4番」などの超難易度の高い曲を披露する。
他にも3部には小学4年生でベートーベンの「テンペスト」を弾く子だとか、中学生や高校生が「英雄ボロネーズ」だの「幻想即興曲」だの「黒鍵エチュード」などといった難しい曲に挑戦しているのだ。

泰子のピアノ教室は小さいころから習い始めた子が大きくなっても辞めないのが特徴らしく、中学生や高校生も多い。
しかしそれ以上の特徴として泰子のところは大人の生徒も多いのだ。一口に大人といっても30代や40代の人もいれば、お孫さんといっしょに習っているという60代や70代の人もいる。
 そのことにオカンが大いに衝撃を受けていた。 

毎年休憩を挟んで合間に子どもたちによる合唱が入ったり、泰子と真由子先生の連弾が入る。
やっぱり今年もふたりは花嫁のお色直しのような派手なドレスを着て、髪もばっちりセットして登場してくる。
 今年の選曲はリストの「ハンガリー狂詩曲第2番」。超難易度の高い曲に挑戦してくる生徒には負けないという矜持に溢れた選曲で、この曲を弾きこなすために派手なドレスに身を包み、己を奮い立たせているのだろうと思わせる気迫に満ちた演奏であった。
 泰子は日ごろは適当なヤツだが、ピアノを弾く姿は別人である。やっぱり音大出身は伊達ではないと思う。

 さて肝心な私の演奏だが、ボロボロであった。毎年のことだが練習の時には引っかからないパートを本番でトチるのである。日ごろトチるところはものすごく意識しているから、むしろ本番ではだいじょうぶだったりする。
 日ごろトチらないところをトチると、頭の中が真っ白になる。トチることを想定していないので、どうしたらいいかわからなくなるからだ。
 まったく越路吹雪風の赤いドレスが泣くぜ。

 代わりにといってはなんだが、3部のトップバッターで次に真美ちゃんや麻奈ちゃんが続くというプレッシャーの中でも、娘はミスひとつせず「タランテラ」を見事に弾ききった。
 エライ! よくやった! 感動した!(←小泉元総理風)

 しかし思いっきり見知らぬ何人ものお母様方から、
 「今年も可愛いドレスですねえ。でもそれ、去年泰子先生の娘さんが着ていたやつですよね?」
と突っ込まれた。
 ガーンっ! なんで皆さん、そんな他人のドレスとかチェックしてるわけ?
 う~ん。道理で泰子や真由子先生が、娘のドレスは目立ってたからバレると気にしていた理由がわかったような。
 さあ~てと、来年はドレスどうしましょうねぇ!?(←ちょっと憂鬱)

実は今回の発表会は、私にとって最後の発表会だ。
 これが終わったら、いったんピアノをやめるからだ。
理由はそろそろ息子にピアノを習わせるため。3人揃ってピアノをやるのも出費がかさむし、ピアノの練習をする時間も実際ない。
まあ問題は息子がちゃんとやってくれるかどうかだが、息子は3部の途中からすっかり飽きたのか大口を開けて爆睡している。
果たしてだいじょうぶか?

まったくやる気のない息子の隣で、それほど音楽が好きではないはずのオカンが食い入るようにステージを見つめている。
「あの人、私よりも年上やねえ?」
とステージでリストの「愛の夢」を弾いている柴田さん(仮名)という泰子の生徒さんを指差す。柴田さんは上品な感じの女性で確か74歳と言っていたっけ。去年は確か「乙女の祈り」を弾いていて、年々ちゃんと上達している。
 「私もあれぐらい弾けるようになるやろか?」
 「?」
 「私、この前67歳になったところやろ。74歳っていったらあと7年あるがね。7年後にはあれぐらい弾けるようになっているやろか?」
 「さあ~? 練習しだいちゃう?(←適当)」
 「決めたっ! GW明けから私もピアノ習う! L(←息子)も始めるんやろ? じゃあLとどっちが先に上達するか競争やっ(←5歳児と競争すんなよっ! しかも赤ちゃん返り中の!)。60の手習いやでぇ~(←四捨五入すると70です!)」

 ということでピアノの発表会は思わぬところで、オカンの音楽心に火を点けたのであった。
 

2010年12月2日木曜日

ピアノの発表会♪②

そして発表会当日。
発表会は泰子(仮名)と真由子先生(仮名)の教室の合同で行われるのだが、泰子は東京と埼玉の両方でピアノ教室をやっていて、埼玉の生徒のほうが人数も多い。真由子先生も埼玉の人なので、場所は毎年川口のリリアホールか、与野本町の彩の国さいたま芸術劇場というのが相場になっている。
今回は川口のリリアホールが会場になり、HANAちゃんも駆けつけてくれた。

今年の娘の衣装は真美ちゃん(仮名)から借りた、全身にスパンコールが散りばめられている白いヒラヒラフリフリのドレスだ。
今回は娘も楽屋で美容師さんに髪をやってもらうために、真美ちゃんと真由子先生の娘麻奈ちゃん(仮名)とともに鏡の前に座っている。
3人とも小学1年生と同い年。真美ちゃんも麻奈ちゃんもそれぞれ先生の娘だけあって、派手なドレスを着た女の子たちの間でも毎年際立って華やかにしている。
真美ちゃんはピンクの、麻奈ちゃんはレモン色のヒラヒラフリフリのお姫様ドレスに、ふたりとも「キャンディー・キャンディー」のイライザか、はたまた「ベルばら」のマリー・アントワネットのように巻き髪でティアラをつけている。
娘は髪をふんわりアップにしてもらいこれまたティアラと、3人が揃うとピアノの発表会というより七五三のようだ。
もし私が小1のときこんなお姫様みたいな格好をさせてもらったら、狂喜乱舞しただろうなあと思っていたら、やはりいまどきの子どもの3人もお姫様のような格好をしているとワクワクするらしく、「私たちが一番お姫様!」とずっと3人で楽しそうだ。

今年の発表曲は、私はショパンの「雨だれ(←簡単バージョンね)」、娘はブルグミューラーの「タランテラ」だ。
娘にとっては2回目の発表会で、去年は「かたつむり」と「聖者の行進」を弾いた。両曲とも単音のみでいかにも幼児の発表会の曲という感じだった。今から思うとそんな幼稚な曲を水色のゴージャスなお姫様ドレスで弾いたのだから、トホホである。
しかし今年の曲は全然違う。もう両手でバンバン、ペダルも踏みまくりである。「タランテラ」のレベルがどれぐらいかというと、私が弾く曲より遥かに難しい。たった1年でものすごい進歩である。

 ここの発表会は3部構成になっていて、1部は初心者、2部は中級レベル、3部は上級レベルとわかりやすい構成になっている。
去年娘は1部の2番目の出場だった。私はかろうじて3年ぐらい前から2部に入れてもらっている。
 今年娘の出番はなんと3部のトップバッター。初心者からいきなり上級レベルに大抜擢だ。
 「Aちゃんはうちのホープだから3部にしたよ。3部のトップバッターにコケられると話になんないから、絶対に完璧にしてきてね」
と泰子からものすごいプレッシャーをかけられた。

 さらにプレッシャーなのは、娘の次に真美ちゃん、麻奈ちゃんと続くのだ。 
当たり前だけどふたりとも母親がピアノの先生なので衣装が派手なだけではなく、それ以上にものすごい英才教育を受けている。
 もうふたりとも幼稚園の段階でシューマンとか弾いちゃっているのだ。
そもそも泰子は真美ちゃんが受験などで邪魔されることなく音楽に専念できるように、幼稚園受験を頑張りその結果O女大附属という、見事幼稚園から高校(←希望すれば大学も)までのエスカレータ式の学校の合格切符を手にしたのだ。
もう気合が全然違う。

いいのか? こんなところに娘が入ってきて。

ピアノ発表会♪①

 ここ数年GWのスケジュールを立てるのが難しい。その元凶はピアノの発表会がGWど真ん中にあるからだ。
 私と娘は近所のママ友にしてお受験エキスパートの泰子(仮名)にピアノを習っている。泰子の生徒は中学生や高校生も多く、彼らは日ごろ勉強で忙しくGWぐらいしかピアノの練習もできないので、GW以外の日程での発表会は難しいのだという。
 そんなこともあってGWはなかなか帰省もままならない。
その代わりに、今年は2月のバレエの発表会のときに、体調がいまひとつということでオカンが上京できなかったので、ピアノの発表会には来てくれることになったのだ。

今回オカンは3泊4日のスケジュールを慌しく過ごすことになる。
初日の夜は、友人のジョン&留美(仮名)ファミリーと我が家でホームパーティー。ジョンの弟トムが来日したので、ウェルカム・ジャパン・ディナーを夫が腕を奮って振舞うことになっている(夫は元フレンチのシェフで趣味はホームパーティー)。
2日目はピアノの発表会で、そのあとHANAちゃんを招いてホームパーティー。
3日目は葉山に住むクリフ&朝子(仮名)ファミリー宅に遊びに行きそのまま1泊し、翌日東京に戻ってから家に帰るというハードスケジュールだ。
しかもジョンはアメリカ人、クリフはユダヤ系オーストラリア人、HANAちゃんは関西人、朝子は台湾系とめっちゃインターナショナルである。
オカンの人生の中で一番国際色豊かな4日間だったことは間違いない。

さて、ピアノの発表会で毎年悩まされるのが衣装だ。
発表会は泰子の教室と、泰子の音大時代の友人である真由子先生(仮名)の教室と合同で行われる。
泰子と真由子先生は「衣装に気を使わないのは言語道断。衣装に気合を入れることによって演奏にも気合が入る」と頑なに信じており、毎年ふたりとも「花嫁のお色直しかっ!?」と突っ込みたくなるような色鮮やかなドレスで登場する。もちろんドレスは毎年新調し、楽屋に美容師を呼びつけるほどの念の入れようだ。

それを生徒にも強要するのだ。色もグランドピアノ(←スタンウェイの超高そうなやつ!)が黒なので、黒は禁止。スニーカー禁止、カジュアル禁止、ミニ禁止、特に幼稚園・小学生の女の子は華やかにしてくることと事前に衣装チェックまでされるのだ。
これで派手にならないはずはない。特に女の子の母親たちはここぞとばかりに娘たちを飾り立てるので、毎年エスカレートしてきている。
こういう発表会ではだいたい入学式とかで着るようなワンピースやスーツが相場だと思っていたが、ここでは誰もそんな地味な格好をしていない。

かくいう私も去年は泰子にそそのかされ、娘のために水色のドレスを買った。もうフリフリヒラヒラのお姫様ドレスだ。しかしこんなデコラティブなドレス、発表会以外にいつ着るっちゅうねんっ!
よしこうなったら毎年発表会で着倒してやると思っていたら、
「Aちゃん、今年は何着せるの?」と泰子が聞いてくるので、「去年と同じでいいよ」と答えたら、「だめだよ~! 去年と同じだなんてかわいそうじゃんっ!」と猛反対するではないか。
去年真美ちゃんが着ていたのは、白いドレスでスパンコールが全体に散りばめられていたこちらもフリフリヒラヒラなお姫様ドレスだ。
「じゃあさ、子どもたちのドレス、今年は交換しようよ」
と私が提案したら、断ると思っていた泰子が少し考えてから、
「そうだね。Aちゃんのドレス、去年実はこっちでもいいなあって買うとき、さんざん悩んだやつなんだ。いいよ。じゃあ今年はそうしよう」
と言うではないか。それではということで、事前にドレスを交換していた。

ところが直前になって、「やっぱ真美ちゃんに新しいドレス買ったんだ~」と泰子。
なんでも真由子先生から、
「去年のAちゃんのドレスは相当目立ってて話題になってたから(←いつ?)、だめだよ。借りたことがすぐばれるよ(←それってだめなの?)。真美ちゃんが着ていたのは白だからみんなの記憶にあまり残ってないかもしれないけど、Aちゃんのドレスはやめたほうがいいよ」
と強弁に反対されたらしいのだ。
まあ私としては真美ちゃんのドレスが借りられれば余計な出費をせずにすむので、それはそれで一向にかまわなかった。
ついでに私にも派手にしろと、越路吹雪が舞台で着るような赤いロングドレスを泰子が貸してくれた。
「これで美央さんもAちゃんもショぼい演奏したらシャレになんないからね。衣装に負けないように頑張ってよ」
と事前に泰子から大いにハッパをかけられていたのである。

2010年11月29日月曜日

美佳先生(仮名)のレッスン

 面接から1週間後の土曜日の午後、美佳先生がやってきた。ついにうちの子どもたちの英語のリテラシー教育が始まるのだ。
 美佳先生がやってくる時間は1時半から2時半まで。土曜日は1時半まで私がフラメンコのレッスンがあるので、帰宅するとすでに美佳先生の授業は始まっている。
 娘のアルゴクラブが3時半から始まり3時には家を出ないといけないし、息子の幼児教室が3時50分から始まるので、息子も3時にいっしょに娘と家を出るか、または3時半には家を出ないといけないので、ただでさえ慌しい土曜日が、より慌しくなってしまった。
 
初日はGWだったため、他の習い事はすべてお休みだったので最初から最後まで美佳先生のレッスンの様子を見ることができた。
夫がオクスフォードの教材を用意していたので、そのプリントに沿ってレッスンが始まった。
とりあえずはふたり揃ってレッスンを受けさせ、様子を見てひとりずつにするのか、ふたりいっぺんにやるのか決めることに。
リビングのテーブルをレッスンの場所にし、私たちはダイニングでそれぞれパソコンを見たり、本を読んだりしているのが、レッスンの様子はよく見える。
美佳先生は落ち着いたトーンの英語で子どもたちに話しかける。まずはアルファベットの練習だ。

しかし傍で聞いていてなんとも違和感を抱いてしまう。ちょっと専門的な話だけど、美佳先生のアプローチはストラクチャー・ベースと呼ばれるもので、たとえば「I have~」という構文を教えて、次に続く語は「a pen」「an apple」「some money」でも何でもいいのだが、構文を中心にして語彙を増やしていくというもの。
 私が日ごろ接しているアプローチ法がコミュニケーション・ベースとかシチュエーション・ベースと呼ばれる場面設定に応じたもので、たとえば「買い物」という場面では、買い物に必要な言い回しを文法などの説明抜きに紹介するものだ。
 要は私たちが学校でずっと習ってきたのが美佳先生のアプローチで、今の小学生が習うのが望ましいとされているのがコミュニケーション英語なのだ。
 この両者の違いはとてつもなく大きい。

 肝心な子どもたちはといえば、10分もしないうちに息子は美佳先生の膝の上に座っていて指しゃぶりを始めているではないかっ!
 しかもちらっとプリントを見ると、すでに意味不明の落書きでぐちゃぐちゃになっている!
 娘はちゃんとレッスンについていっているようだが、美佳先生の注意が息子に向けられている間は、娘も所在なさそうに絵を描き始めている。
 おい、だいじょうぶなのか?

 「ふたりともすごっくいい感性をしていますね」
レッスン終了後、美佳先生が言う。
 ええ~? そうですかあぁ?
 「Lくん(息子)もすごくわかってますよ。彼、頭いいですよ」
 本当か? 膝の上に座って指しゃぶってただけなんですけど。
 「ではまた来週」
と夫からレッスン料と交通費を受け取って軽やかに帰っていく美佳先生。

 「あのストラクチャー・ベースでいいわけ?」
 夫に直球で疑問をぶつける私。
 「リテラシーだからね。ユーの言いたいことはわかるよ。ミーの会社(←夫の会社は企業研修をやっている)のアプローチも違うからね。けどこれはミーの言語学上の実験でもあるからミーの好きなようにやらせてほしい。これがうまくいけばミーの組み立てた理論が正しいことが証明されるのだ」
 えっ? これって夫の学究的な実験だったんですかぁ?
 聞いてないぞ、そんな話。あの~、もしその理論が間違ってたらどうなるの?
 「最終的にはイギリスに送り込んじゃえばいいね。いやでもバイリンガルになるね」
 
だそうだ。子どもたちよ。
 君たちの検討を祈る!

2010年11月28日日曜日

早紀ちゃん(仮名)よ、お前もかっ!?

 早紀ちゃんのお休みは月曜日だ。早紀ちゃんはこの日は自分のためだけに使うと決めているらしく、夜は新宿か池袋の行きつけのバーで締めるというのが日課らしい。
 何軒かある早紀ちゃんの行きつけのバーのうちひとつがうちから徒歩5分のところにあり、月に1回か2回の割合で子どもたちを寝かしつけてから2時間ぐらいそこで飲むということがここしばらく続いている。
 
 そのバーは昭和レトロな雰囲気を残す横丁の一角にあり、私はいつもママチャリをバーに横付けする。
 カウンターしかないバーは5,6人も座れば満席になるようなこじんまりとしたところで、カウンターの中には蝶ネクタイと黒のチョッキというバーデンの正装をきっちりと着こなしたマスターが穏やかな微笑を浮かべながらカクテルを作ってくれる。
 私は基本的にビールとかワインとかスコッチが好きなのだが、こういう場所だとカクテルを飲まないともったいないよなあと思ってしまう。 
 ここではたいていフレッシュミントを使ったモヒートかマルガリータかジントニックを頼むのだが、マルガリータは夫が作ってくれたもののほうがおいしく、モヒートはここのマスターが作ってくれたもののほうが断然おいしい。
 早紀ちゃんはたいていマリブだとかアマレットなど甘いリキュールをロックで飲んでいる。

 その日も横丁のバーで私たちはカクテルを飲んでいた。
 「そういやあよぉ、この前、お前から生年月日聞かれたけどよぉ、誕生日にプレゼントでもくれんのかよぉ」
と唐突に早紀ちゃんが話を切り出す。生年月日を聞いたのは銀座の先生のところに行く前で、早紀ちゃんとのプロジェクトがどうなっていくか聞くために必要だと思ったからだ。
 「その件に関しては実はね・・・」
と銀座にすごく当たると私たちの間で有名な占い師の先生がいて・・・と話し始めると、
 「おいおい。マジかよぉ!?」
と素っ頓狂な声を上げる早紀ちゃん。
 「実はよぉ、俺も行きつけの占い師がいてよぉ。お前とのプロジェクトを診てもらったことがあるんだぜぇ」
 「え!? マジ?」
 そんなの初耳である。しかし45歳超えたおっちゃんに行きつけの占い師がいるというのもトホホな話である。
 人のことは全然言えんが。

 「俺、なんかあると必ずそこに行くんだけどよぉ(←えっ!?)。池袋のパルコによぉ、週1で来ているタロットのお姉さんなんだよぉ。この人がさあ、すげえ当たるんだぜぇ」
 池袋のパルコの占い師かあ~。池袋のパルコと言えば若者のブランドしか全館入っていない。場所だけでもこの男は相当浮くぞ。しかもタロット占い・・・。
 いったいどんな面してこの男は占ってもらってるんだ?

 「そこでなんって言われたわけ?」
 「お前がどうこうってわけじゃないらしいんだけどよぉ。物事は進まないって言われたんだよなぁ。どうやら俺が止めているらしいんだけどよぉ。で、お前はなんって言われたんだよぉ?」
 「早紀ちゃんが女性で対等な立場だったらいいらしんだけど、男だからダメなんだって。早紀ちゃんが女性だったら何がしら話は進んでたって言われたよ」
 正直に答えるべきかどうか一瞬迷ったものの、結局正直に答えた。ただ早紀ちゃんから紹介される女性は吉だと言われたことは伏せておいた。 
「なるほどなあ~。俺が言われたことと似てるじゃん。そっかぁ~、俺らって一緒に仕事していい相性というか、そんなんじゃなさそうだなあ」
 「けど言っておくけど、その占い、うちの子のお受験思いっきりはずしてるから、当てになんないからね」
 「まあそうだよな。当たるも八卦当たらぬも八卦って言うからな。お互い占いではいいこと言われてないけどよぉ、これからもよろしくな」
 「そうだね」

 別に仕事関係が進まなくたって、私たちは飲み友だちである。別にいいじゃん、飲みながら何かおもしろいことでもできないかなって、あーだこーだとぐだぐだやるだけでも。私にとってはそれだけでもいい刺激になっているのだから。

2010年11月27日土曜日

美佳先生(仮名)登場

 「明日ふたり面接にうちに来るから」
と夕食のときに突然言い放った夫。
 「面接って何よ?」
 「ユーは全然人の話聞いてないね! 英語の家庭教師だよ」
 「英語の家庭教師ぃ?」
 「うちの子どもたちは英語全然だめね。特に読み書きがどうしようもないね。英語の読み書きができないとだめね。だからそれ用の家庭教師つけるね」
 「そんなのユーが教えればいいじゃん」
 「自分の子どもはムリね。こういうのはプロを雇ってお金で解決ね」
 「英語もいいけど、その前にお受験でしょ! 英語はL(息子)のお受験が終わってからでいいじゃん!」
 「お受験より英語ね。これグローバル・スタンダードね」
 「っていうか、Lのお受験もやれって言ったのユーじゃんっ!」
 「でも英語もやるね。家庭教師はミーがインターネット上で募集したら、履歴書が50通も送られてきたよ。そのうちのふたりが、明日うちに来るからよろしくっ!」
 「料金設定はどうしたのよ?」
 「子どもふたり1時間で4000円ね」
 「4000円!! 高くない?」
 「それぐらい出さないといい人はこないね。これ投資ね」

 1時間4000円かあ~。しかし夫はこの手のビジネスのプロである。夫がこの値段が相場だというのならそうなのだろう。
 さらに言うなら夫が働いている会社にも私が働いている会社にも、プロの英語の先生が揃っている。ちょっと声をかければすぐに先生は職場で見つかる環境なのだが、夫は仕事のしがらみのないところで先生を確保したいのだという。
 まあ、わからんでもない話よね。

 こうして翌日美佳先生がうちにやってきた。もうひとりの候補だったアメリカ人女性からはドタキャンされたので、結局美佳先生だけが面接にやってきたのだ。
 30歳そこそこの美佳先生は背が高く、ものすごく整った顔をしたきれいな人だった。派手さはないけど、頭が良さそうできちんとした印象の人だ。
中学高校とアメリカで過ごし、慶応大学を卒業した後はまたアメリカに戻り、アップルで働いていたと英語で書かれた履歴書にはある。去年日本に帰ってきてWeb関係の仕事をしながら時折英語を教えているという。
 経歴もすばらしいっ! 夫はずっと英語で面接をしていて(←さすが人事部)、当たり前だけど美佳先生も英語で答えている。
 美佳先生の英語は西海岸特有のべっちょりとした話し方(←どんなん?)ではなく、もっとフラットでさらっとしたものだった。スピードも早くもなく遅くもなくいたってノーマル。彼女の穏やかで安定した人柄をしのばせる英語だ。

 夫はいつの間にか、使ってほしいテキストや来てもらいたい日時などを指定している。採用する気満々なのだろう。子どもたちも美佳先生に興味津々でこちらをうかがっていたが、ついに息子が近づいてきて気がついたら美佳先生の膝の上に座っている。
 基本的に息子は抱っこしてもらえれば誰でも(←きれいな女の人ならなおさら!)いいのである。美佳先生は突然息子が自分の膝の上に座っているので一瞬ぎょっとした表情を見せたが、「お名前なんていうの?」など英語で子どもたちに話しかける。

しかしである。
「え? 日本人でしょ? え? なんで英語なの? 英語人(←子どもたちは外国人のことをこう呼ぶ)じゃないよね?」
と子どもたちははなっから日本人相手に英語を話す気がない。
まったくもってトホホなことだ。
それでも美佳先生には翌週から来てもらうことになった。

「どう思う?」
美佳先生が帰ったあと夫が私に聞く。
「良さそうな人だと思うけど、イギリス英語を話す人じゃなくていいの?」
「読み書きだからね。読み書きならむしろ日本人の方がいいよ。あと英語にもクセがないし、履歴書なんかの英語も完璧だったから」
「ふうん。じゃあいいんじゃない。お金もユーが全部出すなら」

ということで子どもたちの習い事がまたひとつ増えたのであった。

2010年11月25日木曜日

息子の赤ちゃん返り

 娘が小学校に入学すると、毎日学校に持っていくものの点検や宿題、連絡ノートの確認など、親が関与しなければいけないことが保育園のときより倍増する。
 これでPTAの役員をやったり、学校の送り迎えがあったり、お弁当を作らなければいけなかったりすると、その手間は膨大なものになるのだが、幸い今年はPTAの役も送迎もお弁当もない。
 それでも毎日慌しく過ぎていく。娘はしっかりしているようで、意外と先生の話を聞いていなかったり、持ち物にまで気が回らなかったりするので、あれこれと口出しすることが多くなってくる。
 特に4月過ぎから私の帰りも遅くなっているので、帰宅後の慌しさといったらもう怒涛のごとくである。

 そんな忙しいときに限って息子が「抱っこ抱っこ」とうるさい。保育園に迎えに行くと、まず「抱っこ」で、家まで「抱っこ」で帰ってほしいとグズるのだ。
 いくらなんでも20kg近い息子を抱っこして帰宅するのは無理である。
 で、家に帰っても「抱っこ」である。ご飯を作っているときも「抱っこ」、娘の宿題をチェックするときも「抱っこ」、ご飯を食べているときも「抱っこ」して食べさせてと、おかげでただでさえ太い二の腕がとんでもないことになってきた!

 そして「抱っこ」の次は「おっぱい」である。
 さすがにもう母乳は出ないのだが、息子はおっぱいを飲むフリをする。本当の赤ちゃんのようにあやしてあげて背中をトントン叩いてあげると、「ウゲッ」とゲップを出すフリまでする。
 背中をトントン叩かないときは、「ほらっ、ちゃんとゲップさせて」とうるさいので、「本当の赤ちゃんは自分でそんなことは言いません」と切り返すと、「いやっ!」と言って私の胸に顔をうずめてくる。
 「抱っこ!」と言う息子を振り切ってキッチンで夕食の準備をしていると、「ハイハイ」をしながら追いかけてくる。
 おい、息子よ。いったいどうしたのだ?

 息子についつい甘い私でもさすがにドン引きである。ましてや自立自主を重んじるアングロサクソンの夫にはこういった息子の姿は耐え難いらしい。
 早生まれでただでさえ同い年の子どもたちの間でも幼い息子が赤ちゃん返りをしてしまったら、ますます他の子たちと差がついてしまうではないかっ。
 もともとボキャブラリーの乏しい息子の幼い言語能力がますます「ぼくぅ~、バブちゃん」と、なんでも「バブぅ~」としか表現しなくなったので、退化する一方だ。
 これではお受験どころではない。息子よ。せめてふつうになっておくれ。

 どうやら親の関心が小学校に入った娘に向いていることがおもしろくないらしく、自分のことも構ってほしいという懸命なアピールのようなのだが、物事には限度がある。
息子の赤ちゃん返りはひどくなるばかりだ。
 
 そんなある日、ママ友のひとりと息子の赤ちゃん返りの話が出て、
 「それってお母さんが妊娠してから、赤ちゃん返りする2~3歳の子みたいだね」
と言われ、もしやと思う。
 息子は私のお腹に赤ちゃんがいるとでも勘違いしているんじゃないか?
そう考えれば息子の赤ちゃん返りの激しさの説明がつく。
息子は意外とヤキモチ焼きで、以前から私がよその小さい子を抱っこすると息子は泣いて怒って、抱き上げた子を引きずりおろそうとする。
 「抱っこだめ! ぼくだけっ!」と自分以外の子どもを私や夫が抱っこするのは、許せないらしい。娘を抱っこしていても「ぼくも!」と言って割り込んでくるので、娘も慣れたものでそこでいったん弟に譲って、抱っこしてほしいときは息子がいないときを狙ってやってくる。
 2~3歳の子みたいというのも、ちょうど息子の精神年齢もそれぐらいだから納得である。
 
 それからいつものように息子を抱っこしているときに、
 「Lくん(←息子)って、もしかしてマミィに赤ちゃんできたって思ってない?」
と聞いてみると、「うんっ!」と思いっきり肯定するではないか。
 やはり。ママ友の推測どおりではないか。でもなぜ? 周りのお友だちのママで妊娠している人もいないし。

 「なんでマミィのお腹に赤ちゃんがいると思うの?」
 素直に疑問を息子に向けると、
 「だってお腹大きいじゃんっ!」
と私のお腹のお肉を掴む息子。
 「はっ!?」
 「こんなにお腹が太っちょだったら赤ちゃんいるよねっ!」
 ・・・・・。何? 私がデブってことですか?
 「赤ちゃん、いないよ」
 「うそっ! こんなにお腹が大きいのに赤ちゃんいないわけないよっ! マミィのお腹は太っちょ! ぼくぅ、弟も妹もいらないよぉ~。ぼくだけ赤ちゃんがいいよぉ~。ぼくだけ抱っこしてぇ~」
 むぎゅっと再び私の胸に顔をうずめ、シクシク泣き出す息子。
 マジかよ。私はそんなにデブなのか? 泣きたいのはこっちだよっ。
 とりあえず息子の赤ちゃん返りの原因が解明されたのではあるが・・・。

2010年11月22日月曜日

娘の小学校入学

4月1日からは毎朝今まで通いなれていた保育園ではなく、娘は学童に通うことになった。
ちなみに保育園から学童までの距離はわずか100メートルほど。これから娘は学童で夕方6時まで過ごすことになるのだが、私はその時間までお迎えに行くことができない。
その後の時間についていろいろな角度から検討し、結果保育園の園長先生の好意に甘えることにして、夕方6時過ぎたらお迎えに行ける時間まで保育園で過ごさせてもらうことになった。
娘だけでなく他にも卒園生たちが何名か、学童後に保育園で過ごしている。双方の実家が遠方のため当てにできない私たちのような家族には本当にありがたい措置だ。

保育園のときは当たり前のように毎日給食が出ていたが、小学校になるとそれが当たり前ではなくなる。
 4月1日の時点ではまだ小学校に入学していないので、1日中学童で過ごすことになるのだが、こういう場合はお弁当持参なのである。
 入学して給食が始まるまで、お弁当作りの日々を過ごさなければいけない。ちなみに私は昨今雑誌なんかでよく取り上げられている「キャラ弁」とか「デコ弁」といわれるものが、だいっきらいだ。
こっちとら、働いてるんだよぉ。そんなチマチマと細かい作業してる時間なんてないっ!ちゅうの。たかがお弁当でそんなに子どもを甘やかすなっ! 
「可愛すぎて食べるのがもったいない~♪」
アホか。お弁当は食べるためにあるんだろが。そういう「私っていいママ♪」みたいな偽善が大嫌いだ。
まあ基本的に細かい作業が嫌いだという個人の資質の問題が私にはあるわけだが。

さて毎朝のお弁当作りも慣れてきた4月6日に、入学式が行われた。
娘が入学したのは我が家から歩いて20秒の区立M小学校である。銀座の先生から国立受験を勧められその気になってしゃかりきにお受験をやったのだが、結局どの学校からもご縁をいただけず、まあ予定通りといえば予定通りなのだが、とにかく激近のM小学校だ。
この小学校、なんと我が家の窓から正門が見えるので家にいながら娘がちゃんと校門をくぐったかどうか確認できるのだ。
 この日、私も夫も有給をとり入学式に出た。家から近いのでギリギリの時間に家を出たって十分間に合うのが大きなメリットだ。
 
モノトーンのチェックのワンピースを着て、その上に紺色のカーディガンを羽織り、髪の毛はアップにまとめて、赤いシャーリーテンプルのランドセルを背負えば、誰がどう見てもピカピカの1年生である。
子どもが小学校にあがるというのは子育てのひとつの区切りでもある。娘が生まれてから今までのことが走馬灯のようにグルグルと頭の中を駆け巡る。
赤ちゃんだったこの子がもう小学生かぁ~、大きくなったなあと思わず目頭も熱くなるが、夫も同じ気持ちらしく目がウルウルしている。

小学校の体育館で行われた入学式では、その前の保護者会などでもわかっていたことではあるが、同じ学年の半数の保護者は知り合いなので、あっちこっちで見慣れた顔を見た。
娘はなんと憧れの亮太くん(仮名)と手をつないで、行進している。
私はといえば、この日のためにちょっと前にReflectというブランドの黒と紺色の中間ぐらいの色のジャケットと揃いのワンピースを買っておいた。これだけだと地味というか、これってお受験スーツっぽいじゃんっというもの(←だから買った。息子のお受験ではバリバリ着るよ~)なので、大ぶりのパールのネックレスやコサージュを合わせて、我ながらいかにも入学式のお母さんっていう感じ。

娘は2組で担任の先生はなんと私と名前が同じで美緒先生(仮名)という。まだ20歳代半ばの華奢で可愛らしい先生だ。保護者席からボソボソと「おお~、先生、可愛いじゃんっ」と不謹慎な声があっちこっちから聞こえてくる。
頼みますよっ。お父さん方!
どっさりと教科書やらお道具箱などを受け取り、すべてのものに名前を書いてくるようにと言い渡される。

ちなみに国語の教科書を見てみると、新6年生の甥っ子が1年生だったときの国語の教科書を見せてもらったことがあるのだが、採択されている教科書会社の違いがあるとはいえ内容がまるで違う。
甥っ子のときは最初のページから何ページかは教科書にも関わらず文字が1文字も書かれていなくて絵だけだったので、ひどくビックリした思い出がある。
それに引き換え娘の教科書は、私たちが子どものときの教科書のように1ページ目からちゃんと文字が書かれている。
今から思えば甥っ子のときは悪名高き「ゆとり教育」の真っ只中だったんだなあ~。
2011年から新学習指導要領が施行され、現在は移行措置の時期だ。ギリギリでうちの子どもたちは「ゆとり教育」を受けずにすむことになる。
本来の「ゆとり教育」の精神はすばらしいものだったとは思うが、実際の運用には無理があったのだと思う。
教科書ひとつとっても、今が公立の学校教育の変換期であることがヒシヒシと伝わってくる。

その日の夜はこれから6年も続く娘の小学校生活に幸あれと、私たちは家族で記念写真を撮りに行き、夜は東京の夜景が見渡せるラブリーなシーフードレストランで入学祝のディナーを食べたのであった。

2010年11月20日土曜日

夫、早々に息子の勉強を諦める

 毎日少しずつではあるものの息子の勉強を見てくれていた夫が、開始1ヶ月も経たないうちに音をあげた。
 毎日5~10分程度しか勉強といってもやってこなかったわけだが、挫折の最大の理由は「お話の記憶」である。
 G大附属O小やT大附属T小で必須の「お話の記憶」なのだが、当たり前の話だがストーリーは日本語である。そのストーリーを読んで聞かせて子どもがどこまで覚えているかということなのだが、そのストーリーを読んで聞かせることが夫にはできないのだ。
 
うちの夫は日本語を話すことはまずまずなのだけど、読み書きがいまいちだ。特に子ども向けの話といえ、大人が読んで聞かせることが前提に問題が作られているため、漢字もふつうに使われている。
 これを機会にぜひ日本語の読み書きを学んでもらいたいところではあるが、夫にそこまでのモチベーションはない。
 また言語学の修士号を持ち、特に専門が「バイリンガルと第二言語の習得」である夫の強固なポリシーは、「両親はいかなる場合でも自分の母語を子どもに対しては使うべし」だ。
 たとえば私が英語を超堪能でネイティブ顔負けに話せたとしても(←残念ながらそれはないけどねっ。てへっ)、ネイティブでない以上英語を子どもに対して使ってはいけないという。
私の場合なら当然日本語で話しかけるべしということなのだが、その場合も英語とチャンポンで話しかけるなんてのは論外で、我が家のように母親は日本語と父親は英語と両親の母語が違う場合は、この人は「日本語を使う人」、この人は「英語を使う人」と明確に区別させるのが子どもたちをバイリンガルに育てる鉄則なのだそうだ。

その鉄則に従ってそれまで夫は図形の問題なら、英語で問題を出して息子に答えさせていたのだが、問題によっては日本語に言い換えないと息子がどうしても理解できないものが出てきたことがひとつ。
はなっから「お話の記憶」では日本語でストーリーを読まなければいけないのがひとつ。いずれにしても日本語とのチャンポンにならざるえないので、自分の言語学上のポリシーに反するのだと夫は主張する。

「だからミーはもうやらないね。もしお受験が全部英語で出題されるならミーがやるけど(←そんなこと日本の小学校で一生あるわけないだろっ!)、あとは美央よろしくね」
と夫は頑として聞かない。マジかよ。あんたが息子にも国立受験させろって言い出したんだろうが。

「L。これからはマミィが勉強見てくれるからね」と夫。
「え? いやだよっ! ダディがいいっ!!」とここで号泣する息子。
息子は超パパっ子なのだ。
ちなみにうちでは夫が子どもたちに英語で話しかけるのに対して、子どもたちは全部日本語で返している。
上記の会話も夫は英語で「これからはマミィが勉強を見てくれるからね」と息子に語りかけ、息子は日本語で「いやだよっ! ダディがいいっ!」と返しているのだ。
それでも双方理解しあっているし会話もちゃんと通じているのだが、傍からみるとすごく変だとよく言われる。

こうして息子の勉強を私が見ることになったのだが、なんだかんだといっても娘のときは2ヶ月だけだった。
それでもあんなに辛かったのに、今回は試験本番まであと何ヶ月あるんだよっ。
先行きの長さにゲンナリするのであった。

しかし本当にゲンナリするのは息子との勉強が始まってからである。
(この手の話、今後延々と続く)

2010年11月17日水曜日

銀座の先生の事務所をあとにして

 
事務所を出るとさっそくHANAちゃんに電話する。HANAちゃんが働く事務所と銀座の先生の事務所は歩いていける距離にある。前から占いが終わり次第、お茶しようと約束していたのだ。
HANAちゃんはすぐにつかまり、近くのカフェでお茶しているという。「じゃあ、そっちに行くね」と指定されたカフェに向かう。
なんだかスッキリしない気持ちを抱えながら、すっかり日の暮れた銀座の街を歩く。

これまで占ってもらった過去の2回は勇気をもらったり、ワクワクしたり、希望に満ちた心で事務所をあとにすることができたが、今回は決定的に違う。
言われた話もどうも時系列で考えた場合に矛盾があっちこっちであるし、何よりもまったく「ハズされた」という事実がトラウマになって、はなっから信用できなくなっているのだ。
まあ所詮占いなのだから、そこまで期待するなよという話なのだが。金額が金額だけあってどうも納得いかんのだ。

HANAちゃんの待つカフェはすぐに見つかった。私に気付くといつものようにひまわりを連想させる明るい笑顔で迎えてくれる。
「どないでした?」
この日は飲み会が入っていてあまり時間がないと言っていたHANAちゃん。そのためかいきなり直球だ。
言われた内容を順を追って説明する私。その都度「うむうむ」と声に出してうなずくHANAちゃん。
つくづく終わったあと待ち合わせしてよかったと思う。
こんなモヤモヤした気持ちを抱えて地下鉄に乗って家に帰って、夫からそんなことで2万円も使ったのかとイヤミのひとつでも言われようなら余計にモヤモヤするではないか。

「なんかすっきりしないですねぇ。どないやねんって感じですもんね」
とHANAちゃん。
「うん。最初が一番インパクトもあったし、良かったかな。なんかだんだんトーンダウンしていく感じというか、もしかしたら先生もパワーダウンしてんのかな?」
「だって1日に何人も診てるんでしょ? 中には死ぬほど悩んでいる人とか、すっごいマイナスのオーラを出す人とかいるやろうから、そりゃあ消耗しますってっ!」
「そうやなあ~。2回目のときやったかいな、私の前に診てもらっていた人ってめっちゃ陰のある感じっていうのか、不幸なオーラが出てる人やったで」
「そうでしょ? そういう人に接していくうちにエネルギーを吸い取られたりすることもあるわけやから、よっぽどタフやないと本物ほど大変やと思う」
「それにしてもどないやねんって感じよ」
「ホンマですねえぇ~」
と堂々巡りの話を続ける私たち。

いずれにしても銀座の先生に4回目を診てもらうことはないなと、この期に及んでようやく悟った私であった。
けど言われたことの検証は続けますよ。
だって「ブログは続けてください」って言われたんですもの。

2010年11月16日火曜日

3度目の銀座の先生④

 あ~、娘と息子の件ですでに1時間。アシスタントの女性が時間を終了の催促をするまでに、急いでその他のことを聞かねばっ!
 「あの~、これまで会社を辞めて“先生”と呼ばれる仕事をするようになるだとか、クリエイティブな仕事をするだとかって言われてきたんですけど、それってどうなんですか? そういう仕事を始めるのは今年の4月からって言われてたんですけど、もう来月ですよね? 会社を辞めるような感じにはまったくなってないんですけど」
 時間がないので質問も直接的だ。

 前回見てもらったときに、5月7月9月と「先生」と呼ばれる仕事関連で頼まれごとをするのでボランティアでもいいから受けることと言われていたが、結局それは早紀ちゃん(仮名)とのプロジェクトを指すのか、時期はズレたが黒百合姉妹から頼まれた英訳を指すのか未だに不明だし、それは全然実を結んでいない。それ以外でもましてや来月会社を辞めてまでやるような仕事なんてあるわけでもない。
 お受験のみならず、私の仕事に関しても、なんだ当たってないじゃんっ!というのが、今の現状なのだ。

「そうですか。でも今年の4月から仕事運は上昇するんですけどねえ。やはり個人で仕事をして成功するって出てますよ」
のんびりとした口調で話し続ける先生。前までは個人で何かできることがあればと思っていたものの、このところはむしろ「寄らば大樹」というか、昨今の不況を考えればしがみつけるならば会社にいつまでもしがみついていたいものだと考えるに至っている。
要は個人でどうこうしたいだなんて、最近では望んでいないのだ。

「43~45歳の間が勝負ですね」と先生。
43歳って今年じゃんっ! いったいどうやって勝負するのだ?
「やっぱりね、3~4人で集まって話をしているのが見えるんですよね。うん、内容も“教えること”、“伝えること”、“クリエイティブなこと”で変わりなし」
今の仕事だって3~4人で集まって結構話してますよ。
「だから今の仕事ではないです」
ああ、だからそれっていったいなんなの? 以前先生は自然にしていればそういう仕事を周りから押される形でやっていくって言ってたけど、全然そんなふうになってないじゃんっ! 

「そうそう、前に先生に勧められてブログもやってますよ」
えへへ、内容は先生の占い結果が当たるかどうか検証するブログだなんて、本人を目の前にしては言えないけどね。
「ブログはいいですよぉ。ぜひ続けてください」
マジですか。先生の占い結果は当たってないぞぉって書きますよ。正直に。

「そうだ。あとこの人がビジネスパートナーなのかなって人が、ひとりいるんですけど」
来る前に教えてもらっておいた早紀ちゃんの生年月日を書き込む。
ささっと計算して数字を見ながら、
「対等なパートナーだったらものすごくいい相性ですよ。けどこの人の下につくと良くないな」
と言う先生。そうかあ~。早紀ちゃんは先輩だけど今のところ、どっちが上ってこともないから、今の感じだったらいいのかな?
「この人って女性ですよね?」
念を押す先生。いえいえ。男性ですよ。れっきとした。名前は女性っぽいけど。うん!? でも名前は教えてないし。生年月日だけで女っぽい名前だって出るのかしらん。
「え? 男性なんですか? ああ~、じゃあだめですね。この人はあなたが今後組んでいく人ではないです。彼がこれから紹介してくれる女性は吉ですけどね。この人自身ではないです。この人が女性だったら話は進んでいたし、これまでにも細かい仕事がちょこちょこ入ってきたはずです。基本的にはあなたの仕事に関して前お話したことと、変わりはありませんよ」
 そうなんだ~。確かに早紀ちゃんとのプロジェクトは全然進んでないもんなあ~。
 納得と言えば納得だ。

 おっ! ここでアシスタントの人がドアをノックした! もう時間だという催促だな。
 けど1回2万円なのである。セコい私は粘れるとことまで粘っちゃうぞ~。
 お受験で大きくハズされてるしな(←一生言ってやるっ!)。

 「夫はどうですか? 相変わらず会社辞めたがってるんですけど」
 「今年来年、出世運がありますよ。会社にもっと認められます。転職はもう少し待ってください。だんだん収入は増えていくので心配ないですよ」
 実際は結婚以来、年々収入が減ってるんですけどね(←切実)。
 「この人はマイペースですよね(←その通り!)。然るべきときにいい条件の仕事の話がありますからだいじょうぶ。これも前に言った通りです」
 だったらいいけどね。

 「あと不動産とか、将来住む場所は?」
 「3年は動かないでください。日本でも海外でもいずれにしろ将来の拠点という形で不動産を買うことになります」
 「あれ? でも前に先生は日本では私たちは不動産を買わないって言ってましたよね?」
 「それは子どもたちと住むための、つまりは家族全員で住むための通常の不動産の買い方ではないということです。日本における子どもたちの拠点という贅沢な買い方をすることになります。将来的に住むならヨーロッパでしょう(←そりゃあいいよね)。時期は娘さんが中学生になるときか、大学を卒業するかのタイミングでしょう(←10年のタイムラグだぜっ)。息子さんにとっては中途半端な時期の移住(←だからうちは年子だっちゅうの。1年ぐらいでそんなに変わるかぁ?)になりますが、彼を個人プレイヤーとしてしっかりさせるためには、早く海外に出したほうがいいです」
 え? 娘が中学生になるか、大学を卒業するタイミング?
 だって先生はさっき、中学はG大附属系がいいって言ってたじゃん。大学だってG大って言ってたんだから、それならそんな時期に海外に移住なんてありえないじゃん。
どうなわけ? そこのところは?
 
 再度ドアがノックされる。今回のノックは「はよせい。ええかげんにせいよっ」という苛立ちがこめられているノックだ。
 「あ。もうお時間ですかね」
 さすがの先生も2度のノックは無視できないらしく、終わりを告げる。
 ドアを開けるとアシスタントの女性が、「すみませんね。あとが詰まっていて」とちっともすまなさそうに事務的に言う。
 私は釈然としない気持ちのまま、2万円払って事務所をあとにした。

2010年11月15日月曜日

3度目の銀座の先生③

 「あの~、うちもうひとり子どもがいるんですけどぉ」
と息子の写真を見せる私。
 「ああ、男の子のほうもかわいいですねえ~。3歳ぐらいですか?」
と写真を見たあとにっこりと笑いかける先生。
 そんなあ~。いくら幼稚だとはいえこう見えて息子は5歳で、来月からは年長さんになるのだ。その旨を先生に伝えると、
 「え~!? そうなんですか? じゃあ体が小さいんですかね?」ときた。
 いえいえ、早生まれながらも息子はクラスでも大きいほうだ。たぶん4月とか5月生まれだったら保育園でも1、2位を争うぐらいデカかっただろう。
「へえ~。意外ですねえ~。なんだか小さい子みたいな感じがしたんですけどねえ」
先生はいつまでも意外そうな表情を浮かべていたが、たぶん息子の精神年齢が3歳ぐらいだからそう思われたのだろう。
っていうか、過去2回も診てもらってるじゃんっ!

「お姉ちゃんほど勉強はできないですね(←キッッパリっ!)」
おいっ、いきなりそれかっ!
「小学1年とか2年のときは学校の勉強も良くないですね」
あの~、息子は確か天才だったのでは?
「でも大きくなれば段々良くなっていきます」
そうでないと困るのよん。
「モデルとか芸能関係には向かないですね」
そうでしょうとも。それは先日のDVDの撮影でいやというほど実感しましたよ。

「小学校受験ですけど、制服はぼんやりとなら見えるのですが、お姉ちゃんのときほどはハッキリとは見えません(←そんなこといってお姉ちゃんのときはずしたじゃんっ!)。白い襟がついた制服がぼんやりと見えるんですけどねえ。微妙です。でも前回のこともありますから(←おっ、認めたな)、これぐらい微妙なほうが受かる確率は高いかもしれませんけどね」
う~ん。本当に微妙だなあ。

ここで前にみっちゃん(仮名)がくれた「首都圏国立私立小学校一覧」という本を取り出し、この本にすべての小学校の制服のイラストが載っているので見てほしいと先生に手渡す。
「あ、こんなに便利なものがあるんですか。いいですねえ。これ。この子も私立は見えないからやっぱり国立ですよねえ~。あ、これかなあ。これが近いですかねえ~」
先生が指差したのは、G大附属T小とG大附属O小の制服だった。確かに両校とも男子の制服には白い襟がついている。

「受かるとしたらこのふたつですかね。どっちかといったらO小のほうがいいですけどね。T大附属T小はお姉ちゃんは向いてませんでしたけど、彼はとっても向いてます。受かればすごっくラッキーですけどね。ただ制服が違うんですよねえ~」
「じゃあ可能性があるのはG大附属T小とG大附属O小だけなら、この2校だけ受ければいいんですか?」
「いや、受けられる学校はすべて受けてください」
「あとうちからならO女附属小学校も受けられるんですけど、そこの可能性は?」
「O女附属小学校も見えないです。けどとにかく4校すべて受けてください」
先生に言われるまでもなく4校すべて受けるつもりだけど、不思議なのは、どうして先生から見て受かる可能性がなさそうな学校まで受験を勧めるのだろうか? やっぱり受験したら受かったのにも関わらず、真に受けてトライもしないでみすみすチャンスを棒に振ってしまったといった例が今までにもあったのかしらん。そういうものの予防線のために「とりあえず全部受けろ」と言うのかしらん。

「彼はお姉ちゃんと違って環境に大きく左右されるタイプなので、周りに流されちゃうんですよね。だから公立は向かないんです。それより周りがみんな勉強しているような環境にいたほうがいいんですよね。そういう環境を整えてあげないといけないタイプなんです。まあ度胸はあって本番には強いタイプなので抽選が通ればいいですよね。けど本番に強いのはお姉ちゃんもいっしょですけどね(←じゃあなんでT大附属T小の試験に落ちるんだよっ!)」

「お姉ちゃんのときは塾とか行かなくてもいいって言われてたんですけど、この子は塾とか行ったほうがいいですか?」
「それは絶対です。4月になったら通い始めたほうがいいです」
「え? マジですかぁ?」
「う~ん。じゃあ夏からでもいいです(←なんだよ。それ。ゴネれば塾に入る時期がずれてもいいのか?)」
「一応、パパが家で勉強を見てるんですけど、それだけじゃだめですか?(←再度ゴネてみる。ってなんのためだよ!?)」
「あ、パパが勉強をみてるんですか。ママがみるよりそっちのほうがいいですね。けど塾は行ったほうがいいです。この子は家庭学習だけだと無理です。夏までに入らなければ単発の講習とか模擬試験は受けたほうがいいです」
そうですかあ~。塾通いが必要なんですね。と言われてもやはり抽選が通らなければ塾通いは無駄ではないかと、ついつい思ってしまう私。

「とにかく運動に力を入れてあげてください。サッカーなんかとってもいいですよ。運動は絶対にさせてください」
ということで息子に関する占いは終わった。
過去2回は天才だの、世界で活躍するだの、将来大成するだの輝かしい未来をさんざん予言されていた息子だったが、今回はその手の話はいっさいなかった。
「神童、二十歳になったら普通の人」
という有名な言い回しがあるが、過去2回の先生の占い結果でうちの息子はこの逆を行くものだと思い込んでいたが、どうやらそれもなさそうだ。
「ぼんやりくん。二十歳になってもぼんやりくん」
そんな言葉がふと脳裏に思い浮かび、やめてくれよっと自分に突っ込む私である。

2010年11月12日金曜日

3度目の銀座の先生②

 「娘さんは大きなトラブルが特に起こるわけではないのですが、お友だち関係で悩んでいないですか? このお友だちとは小学校に行っても関係が続きます。ショートのボブの女の子が見えるんですけど、心当たりはありませんか?」
と銀座の先生。
 ショートのボブの女の子ねえ~。
 ・・・・むむむ、あるぞあるぞ心当たり。
 うちの娘は口が立つので保育園での出来事もよく話す。将来、絶対に関西弁で言うところの「文句言いぃ」になると思うのだが、何せグズグズとあーでもない、こーでもないと言うタイプなのだ。
 そんな文句言いぃの娘の文句の中でも頻度が高いのが、“晴美ちゃん”(仮名)というお友だちで彼女はズバリ、ショートのボブなのだ。

晴美ちゃんは小柄なのだか、気が強くしっかりしているので、みんなを仕切っている。保育園の行事なんかではよく「始めのあいさつ」だの「終わりのあいさつ」などを任されるタイプだ。
いっしょに遊んでいてもあれこれ仕切られることや、持っているものや着ているものをやたらとほしがられることや、面と向かって「Aちゃんって太ってるよね」と言われることが娘にとっていやなことなのだそうだが、人懐っこい子で会えば「Aちゃんママ~」と必ず向こうから話かけてくる。
娘が今お友だち関係で悩んでいるとすれば、今の時点では晴美ちゃんしかいないだろう。

「この子は悪気があるわけではないんですよねえ。芯は悪い子じゃないし。たぶん娘さんのことがものすごく好きでやきもちを焼いている節もあるんですよねえ」
うん、それだったらわかるかも。娘の持ち物や着ているものをやたらとほしがったり、私のところに来て甘えてみたり、やきもちだと言われると晴美ちゃんの言動はすっきりする。挙句に娘が好きな亮太くん(仮名)のことを晴美ちゃんも好きらしいし、恋のライバルでもあるのだ。
「小学校でも同じクラスになる可能性は高いですね。とにかく縁のある子です。」
なるほどねえ~。けど娘が4月から通うM小学校の新1年生は2クラスしかないのよねえ。晴美ちゃんと同じクラスになるかどうか、4月になったら確かめてやろうじゃないの。

「あとはやっぱり中学受験ですかねえ~。制服も見えるし受かるって出てますよ。中高一貫で共学がいいですね。女子校は向いてません」
「制服ってどんな制服なんですか?」
「いやあ~、ちょっとボヤけているんで、よくは見えないんですけど」
「実は今、ちょっといいなあと思っている中高一貫校はG大附属T中ではなくて、G大附属O中なんですよね。そもそもT中は高校と一貫校ではないですけど、O中は国際教育に力を入れてますから、うちには向いているんです」
「ああ、G大附属系は特に向いてますよ。T中じゃなくてもG大附属系ならいいと思います。もしかしたらG大まで進む可能性もありますからね」
「でね、先生。O中は制服がなくて私服なんですよ。中高とも。なのになんで制服が見えるんですか? ってことはO中ではないってことですか?」
淡々と理屈をこねる私。
「へえ~、O中って制服がないんですか? でも受験する場合には制服が見えるんですよ。ふつう区立でも制服がありますよね? けど中学受験しないで区立に行く場合には制服が見えないんです。だから受験すれば制服がないところでも制服が見えるんですよ」
先生も微笑を絶やさず淡々と先生なりの理屈を言う。
でもなんか釈然としないよなあ~。

「中学から高校に行くときは一応テストを受ける形は取りますけど受験ではないです。大学受験もしますけどやっぱり系列の大学って出ているからG大ってことになりますかね。同じ国立でもT大附属系はやっぱりダメです。娘さんには向いてません。あと塾はあまり早くから行かなくてもいいです。娘さんのピークは5年生ですから受験時にピークに近づけるためには塾通いは5年生または4年生からでもだいじょうぶです」
中学受験塾ねえ~。やっぱり話が先すぎて全然ピンとこない。

「あと海外と縁が深いですねえ。交換留学生に選ばれる可能性も中学生ぐらいのときに出てきます。あとは海外の大学に行く可能性もありますね」
「え!? でも大学はG大に行く可能性が高いんですよね? それってG大を卒業してから海外の大学に行くってことなんですか?」
「・・・うーん、そこまではちょっと」
途端に歯切れの悪くなる先生。おいおい、だいじょうぶかよ。

「あと本人がモデルとかアイドルに憧れているみたいなんですけど、どうなんですか?」
うちの会社の宣伝用のDVDに出演して以来、何かあるたびに「芸能事務所に入れろ」とうるさいうちの娘。芸能人なんて国立小学校に入るよりもよっぽど倍率が高いんだぞ。抽選はないかもしれないけど。
「ああ、いいんじゃないですか。お母さんがステージママになってがんばりすぎなければだいじょうぶですよ。芸能界で大成はしませんけど、趣味程度だったらOKですよ」
なるほど。青春の思い出程度ならという意味なのね。それにしてもステージママだなんて。こういうときに本人以上張り切ってプレッシャーをかけかねない自分の性格を言い当てられているようで、いやな感じ。

 おっと、この時点ですでに50分経過。このままいくと娘の話だけで2万円かかってしまうではないか!
 いけないいけない、早々に次に話題を移さねば!

2010年11月11日木曜日

3度目の銀座の先生①

 いよいよ3ヶ月待った銀座の先生に占ってもらう日がやってきた。
 見事に娘の小学校受験結果をはずされたので、結構どうでもいいやという気分になっている。
 1回2万円もするのに、あれだけはずされてまたノコノコ行って支払うのもシャクではあったが、そこは小心者の私。ドタキャンする勇気もなかったので、時間通りに例のマンションに向かった。

 ちなみに先生に3回目診てもらうことを夫に話したら、心底驚かれた。「あれだけはずされてなぜ?」というのが一番大きいのだろう。
 私だって驚くよ、自分自身を! まったくネギを背負った鴨かいっ。私は!

 10分ほど待たされたあとに先生がいる部屋に通される。
 部屋を暗くしてろうそくの炎で背後を見られる儀式も今までどおり。
 上半身だけの人型の書かれた用紙にいつものようにさらさらと先生はボールペンを走らせ、「今回も何も悪いものは憑いていませんね」とにっこり微笑む。
 前髪を短くしているので、印象が違って見える。前髪が短いとより素朴な感じになり、これはこれで可愛らしいんだけど、前髪が長くて横に流していた前の感じのほうが私の好みだ。

 「お久しぶりですね」と先生が微笑みかけてきて、「ご主人のご家族がまた揉めていますね」と切り出してきた。
 最初はここからかい。確かにクリスマスのときにも姉妹たちが2グループに分かれてしまい、対立をしていた。揉めていることは確かだ。でも離れている私たちにはどうすることもできない。
 そんな気持ちを見透かすように、
 「いったんは解決したみたいですけどね。まあ気にせずに。関わらないことです」
と先生は淡々と言う。だったら言わなくてもいいのにっ!

「さてっと」と先生はこれからが本題だという調子で、
「お嬢さんのG大附属T小をはずしたこと、いまだによくわからないのですよ」
と切り出してきた。
 って言われてもさっ! よくわからないのはこっちなのさっ!
 「写真持ってきていらしゃってますか?」と聞かれたので、写メールで写した娘の写真を何枚か先生に見せる。
 「わぁ、やっぱり可愛いですね~」と褒めてくれるのはいいんだけど、どうなのよ? そことのところは?

 「やっぱり写真見てもG大附属T小の制服が未だに見えるんですよねえ。お電話でもお話した通り、編入とかありえるのかなあ。ああ、でも公立から国立の編入って帰国子女でもない限りふつうないですよねえ。う~ん、やっぱりわからないなあ。G大附属T小に縁がとっても強いんですけどね」
 と考え込む先生。そんなに縁が強いところがなんで一次抽選であっけなく落ちるのよ?

 「中学は確実に行くと思うんですけどねえ」
 なぬ中学だと! そんな先すぎる話、まったくピンとこないねっ! だって1年以内の小学校受験をあれだけはずされて、今から6年も先の中学受験の話なんてもっと当てにならないじゃないかっ!
 「G大附属T中学を受験するという前提で常にこの学校のチェックはしてください。ただ仮に編入があるとしてもたまたまそういう情報が入って知るというパターンになりそうです」
 はあ~。

 「でもこの子は公立小学校でも全然問題ないですよ。ちゃんと勉強もやるし、優等生です。お友だちにも恵まれるし、大きなトラブルは見えないです。私立もインターナショナルスクールも見えないですからね。今、精神的にも安定してるし、ちょっと前は少し不安定だったこともあったみたいですね」
 あのね~。仮に娘が不安定だった時期があったとしたら、お受験のころでしょ? 確かに私もずいぶんガミガミ言って娘を追い詰めた側面もあったかもしれない。
 けどね、元々近所の公立でいいと思っていた私に、絶対に国立が受かるから絶対にお受験させろとアドバイスをしたのは誰なのよ? あなたでしょうが!
 そう言い出したい気持ちをぐぐぅーっと抑える。

 そうは言っても先生の予言を鵜呑みにして、実際その通りに動いたのは他ならぬ私自身だからだ。

2010年11月10日水曜日

子どもたちのDVDデビュー②

 撮影場所は高級住宅街の中にあるハウススタジオだった。中には会社の担当者たち以外に、制作会社の人たちや出演するタレントの事務所のスタッフやヘアメイクやスタイリストもいる。気のせいかやたらとスタッフが多い。
 元々エンターテインメント系の仕事をしていた私にとっては懐かしい雰囲気だ。しかし今日の私の役割は子役モデルの付き添い、つまりはステージママ!
 気分はりえママか、はたまた美空ひばりのおっかぁさんか。(←安達祐美の子役時代のママ説もあるよなあ~)

 登場する子役モデルはうちの子どもたちを入れると全部で4人。当たり前だが4人のうち2人はうちの子どもたち! 重責だなあ~。
 スタッフの一人がうちの子どもたちを見て、「おっ、やっぱりハーフってかわいいな」と言う。
 そういわれるたびにゲンナリする。もちろん悪気があるわけじゃないことはよくわかっている。けど言われる親にしてみればハーフだからうちの子はかわいいんじゃなくて、私たちの子どもだからかわいいのだ。
「ハーフだから」という前置きには、なんかズルしているイメージというのか、「だからかわいくて当たり前だ」という前置きもいっしょについている感じがして、どうも素直にかわいいと言われている気になれないのだ。
私だけが被害妄想でそんなふうに思っているのかと思いきや、同じくハーフの子を持つ友人たちとその手の話をすると、「そうそうそう!!!」と激しく盛り上がる。
そんなこともあり、ついついそんなことを言ってしまいがちな人にこの場をお借りしてお願いしたいのは、冠の「ハーフだから~」という言葉はできたら呑み込んでほしい。ただ単に「かわいいね」とだけ言ってもらえればうれしいな。

 さて撮影に関する手順が説明される。子どもたちに特にヘアメイクだとかスタイリストはつかないので、手遊びとかジェスチャーを練習して覚えたらそのまま撮影開始となる。
 お姉さん役のアイドルの卵はなんと14歳だという。顔が小さくて細くて確かにかわいいけど、あまり華がない。
 歌だとか踊りだとか何か特別に秀でているものがあれば別だが、ただのアイドルだとかただの女優だかの道を歩むなら厳しいかなとエンターテインメント業界人の目で思わず観察してしまう。
 それでも彼女の顔の大きさは、並んでいる子どもたちとほとんど同じだ。うちの娘と並ぶと下手したらうちの娘のほうがデカイかも。誰よりも顔のデカイ私なぞは、絶対にこういう人といっしょに写真は撮られまいと固く心に誓う。

 はい。ここでさっそく問題発生。撮影前の練習ですでに息子は「やらないっ!」の一点張り。おい、頼むよ。まったく。
 子どもモデルの残りのふたりはそれぞれ3歳と4歳の男の子だったのだが、ちゃんと自分の役割がわかっているらしく健気に練習している。ふたりともどこかの事務所に所属しているわけではない素人さんなのだという。
 娘は元々やる気満々なので張り切って練習している。子どもたちの中では6歳と最年長で体もデカイのでみんなを引っ張っている感じだ。

 それに比べて我が息子よ。「ねえ抱っこしてえ~」と私にしがみついて離れない。
 ねえ、この中で君は2番目に大きいんだよ。
 「さあLくんもせっかくハンサムなんだからがんばってやってみようか」
 スタッフ全員で息子をおだてたりなだめたり持ち上げたりするが、息子は「出ないっ!」の一点張りなのだ。困ったのぉ~。
 私も「ここでがんばったら、あとでアイスクリーム食べさせてあげる」と食べ物で釣る。
 それでも息子は「いやっ!」の一点張りだ。

 ついに監督さんが「じゃあ、Lくんは抜き! 子どもは3人で行こう」と号令をかけると「イエーイ」と答えるうちのバカ息子。どうやら出なくてもいいということがわかって喜んでいる様子。せっかくのいいチャンスを棒に振ったことをわかってるのか? 息子よ。

 子どもたちが一生懸命練習しているところで、ふと気付くとニヤニヤしながらTさんの胸を揉んでいる息子。お前はセクハラおやじかっ! Tさんは我が社でも巨乳で有名なのだが、されるがままにされているTさん。
「ちょっとあんた、何やってるの! ごねんね~」と息子の手をはたき、Tさんに平謝りに謝ると、「いいっすよ。だってLくん、ハンサムだし」ときた。
 まじかよ。そんな問題か!? それにいい気になってずっとTさんの胸を触り続ける息子。ああ、誰かこの坊主をなんとかしてくれよ。(←それって親の役目だろうがっ!)

 そして撮影開始。そこでまたまた問題発生。なんとカメラが回っている本番中に、何を思ったが息子が乱入したのだ!
 「カットぉおおお!」と監督さん。
 「何? Lくん出るの?」
 「やだよ」と舌を出す息子。
 本番が始まると、何度も乱入を試みてスタッフたちから取り押さえられるのだけど、その手を振り切っては撮影を中断させる息子。
あんた、いったい何者?
ついに監督さんもキレ、「外につまみ出せ!」との命令が。
うちの会社の若手男子がおどおどと「ぼくが散歩に連れ出します」と息子の手を引き、スタジオから出て行った。
いったいなんなの? なんでこうなるの?
我が息子ながら?マークがいっぱい。
「赤すぐ」編集部からはたまたま声がかからなかっただけだが、こんな調子じゃあ子役モデルとかとんでもないよな。

対する娘はカメラが回ると絶好調で、練習のときより弾けている。なんと途中からはアイドルの卵を押しのけてひとりで目立っているではないかっ!
たくさんのスタッフに囲まれてスタッフたちも「いいねえ~」とか「Aちゃん、かわいいよ~」とかおだててくれるので、すっかりその気になっている!
すべてのシーンを撮り終わり、「お疲れ様でしたっ! もういいよ」と監督さんから声をかけられると、「ええ~!? もう終わり? もっと出てもいいよ」と名残惜しそうだ。

「あ~、楽しかったぁ~。またやりたいなあ。ねえ、マミィ、アイドルとかモデルってどうしたらなれるの?」
帰り道にハイな調子で聞く娘。
「う~ん、芸能事務所とか入るんじゃない?」
適当に答える私。
「じゃあ、事務所に入れてよ。どこにあるの? なんて名前のとこなの? それってジャニーズ事務所みたいなの?」
ジャニーズは男子しかおらんだろうが。
それにしても我が家では地上波のテレビをほとんどといっていいぐらい子どもたちに見せていないのにも関わらず、事務所=ジャニーズ事務所と結びつけるとは恐るべし未就学児だ。

 「マミィ、アイスクリームは?」
それに対する息子の反応だ。
「だめだよ。だって撮影でがんばってないもん」
「イヤア~!!! アイスクリーム!!! マミィ、“あとでアイスクリーム食べさせてあげる”って言った!! 嘘つきっ!!!」
 泣き叫ぶ息子。
 あのね、その前に“ここでがんばったら”っていう前置きがあったの! だからアイスクリームはなしっ!

 「アイスクリーム!!!!」
 「事務所入りたいっ!! アイドルになるっ!」

 子どもたちの要求の二重奏を聞きながら、「ハイハイハイ」と適当に答える私であった。

2010年11月9日火曜日

子どもたちのDVDデビュー①

 ある冬の寒い1日。この日は我が社の通信教育コースの宣伝用DVDの撮影日であった。担当のTさんからぜひうちの娘をモデルにしたいと言われ、ふたつ返事でお受けした。
 うちの娘はこのコースを年中のときからやっていたので、宣伝用のパンフレットに何回か利用者のコメントとして顔写真を載せたこともあり、「Aちゃんは可愛いのでぜひ♪」ということで白羽の矢が当たったのだ。

 他にも制作会社のスタッフのお子さんもモデルに出るということだったので、「なんだったらうちの息子もぜひ!」とTさんにねじ込んで、無理やり息子も出してもらうことに。
 ちなみに息子はひとりでコツコツやるような通信教育には向いていないと思い、このコースは取らしていない。
 今から思えば、お受験対策用に息子にもやらせればよかったと悔やむことしきり。
 うちの通信教育は小学校で学ぶ先取りが基本だから、お受験自体には内容はリンクしないけど(←お受験のペーパーと小学校で習うことはまったく別物)、机に向かってコツコツ勉強する習慣作りにはなったはずだ。

 Tさんによると撮影する内容はアイドルの卵の女の子がお姉さん役となって、子どもたちと歌ったり、手遊びしたり、踊ったりするのだという。2~3分の歌や手遊びを全部で6パターン撮影するということで、これと使用キャラクターの着ぐるみのシーンを合わせたものが今回、宣伝用のDVDの内容になるそうだ。
 DVDは資料請求してきたユーザーに資料と一緒に送られたり、イベント時にはモニターで流したり、場合によっては会社のHPにも流したりするらしい。
 そのプレス数はなんと8万枚!
 昔、私が作ったモロッコ音楽のCDより遥かに多いプレス数ではないかっ!

 この話を娘はずいぶんと喜び、「撮影だなんて、アイドルとかモデルさんみたい♪」とはしゃいでいた。
 対する息子は「絶対に出ないっ!」の一点張り。

 ちなみに子どもたちが赤ちゃんだったときに、登場する読者モデルの8割以上がハーフだという説のリクルート刊「赤ちゃんができたらすぐに読む本」こと略して「赤すぐ」にモデル登録をした。
 娘のときには結構頻繁に声がかかり、何度か出させてもらったし、そのうちの何回かは私もいっしょに撮影された。
 その当時、まさか30代半ば過ぎになって読者モデルとして雑誌に出られるなんて夢にも思っていなかった。これも子どもがいるといろんなことを経験させてもらえる一例だ。
 対する息子にはなぜか一度も編集部から声がかからず。
 多分いかにもハーフといったルックスの娘に対して、息子はあまりバタ臭くない。赤ちゃんのときは特に今より日本人色が強く出ていたので、ハーフ好きの編集部の好みには合わなかったのかもしれない。
 代わりにといってはなんだが、息子が1歳のときに街で芸能プロダクションのスカウトの女性から声をかけられたことがあり、あまりの誇らしさに鼻の穴を全開にしてあっちこっちで自慢しまくったら、うちの近所の子どもたちにとって一度や二度スカウトから声がかかることって全然珍しいことじゃないことが判明して、がっくりきたことがある。
 さすが都会の子どもは違うねえ~。
 うちの実家のほうならたとえ田舎者相手の詐欺だったとしても、スカウトなんて事態は末代まで話題になるぞ。

2010年11月4日木曜日

HANAちゃんとのど自慢大会②

 番組が始まる前にオカン(←オカンはHANAちゃんに会っている)やら、沙織(仮名)やら高校時代からの友人の真美ちゃん(仮名・彼女もHANAちゃんに会っている)や我が家でのホームパーティーで何度か顔をあわせているカリンママこと洋子(仮名)にも、「HANAちゃんが出るからヨロシクっ!」と連絡をする。
 
 そして番組オープニング。出たあ~!! さっそくHANAちゃんが出ているぅ~。
 画面に映るHANAちゃんはやっぱりひまわりのような明るい笑顔を浮かべている。しかしテレビというのはよく1.5倍増に映るというが、その通りだ。
 HANAちゃんはずいぶん以前と比べると痩せたんだけど、それでも実物より太って映っている。今回コンビを組んだRKさんもとっても痩せている人なのに、テレビでは痩せているようには見えない。
 テレビで痩せている人って相当痩せてるんだろうなあ~。私なんて映ったらエライことになりそうだ。

 彼女たちの出番は11番目。画面にいつふたりが映りこむがわからないので、目が離せない。
 生まれて初めてじっくりとこの番組を見たわけなのだが、出場者のレベルがいまいちというのは完全に私の思い込みだということがわかった。
 昔ちらっと見た出場者の中には、よぼよぼのおばあさんが出てきて歌のクオリティーよりもその年齢でチャレンジをしたことに対して評価されていたり、あがりまくって完全に音程を外している人もいたので、そういうイメージを引きずっていたのだが、今はさすがにそんなことはなさそうだ。

 HANAちゃんの歌もRKさんの歌も何度も聞いていたので、当然優勝でしょうと思っていたのだが、ライバルたちは手ごわい。
 またNHKなので選曲も考慮に入れられそうだ。単なる想像だがポップスやロックを歌う人よりも演歌や浪曲を歌う人のほうがポイントが高いんじゃないか?
 スポーツでもそうだが、漠然と見ているよりこっちのチームに勝ってほしいと思いながら見るほうが断然盛り上がる。
当然、HANAちゃんたちに勝ってほしいと思うので、自然と他の出場者のレベルがどれぐらいなのかということが気になり、目が離せなくなってしまう。ライバルたちが歌い始めると、「やばいっ! この人、上手いっ!」と、その都度ハラハラする。
「のど自慢大会」がこんなにもハラハラ・ドキドキするものだとは40歳過ぎるまでわたしゃあ、知らなかったねっ!
 
そしてやってきたHANAちゃんたちの出番。
「HANAちゃん、頑張れっ!!」
 テレビに向かって声援を送る私たち。うちの息子なぞ、「HANAちゃん、ここにいるよ」とテレビ画面を直に触りながら、「あれ? HANAちゃん、気づいてくれないよぉ~」とほざいている。まったく“おいっ、しっかりしてくれよっ”状態である。まったくもって“お受験”どころではない感じ。トホホ。

 まずはRKさんから歌い出す。曲はjujuの曲だとあとから聞いた。
 RKさんは透明感のある声でさらっとしたやさしい歌い方をする。対するHANAちゃんはパワフルで歌い上げるタイプのボーカリストだ。
 最初にAIをテレビで見たときに、「あれ!? なんでHANAちゃん、テレビに映ってるの? うん!? どうやら別人!?」と家族全員で驚いたものだった。
 HANAちゃんとAIは見た目もそっくりなのだ。けど歌に関してHANAちゃんの力はAIと比べても(←ってか、勝手に比べるなよっ!って話だよね?)、遜色ないと私は思っている(←大いに贔屓目もあるけどなっ)。

 HANAちゃんが歌い始めると、家族揃って「おぉ~!」と歓声を上げる。曲に合わせて歌い方を変えているのか、いつもより抑制の効いた感じだ。
 ちなみにどれぐらいいつもと違ったのか名作「ドリーム・ガールズ」に無理やりたとえてみると、前のHANAちゃんのスタイルがジェニファー・ハドソンのような感じだったとすると、今回のHANAちゃんはビヨンセのような感じなのだ。
もっともこの映画ではビヨンセ自体、忠実に役柄のモデルとなったダイアナ・ロスとジェニファー・ハドゾンが演じたフローレンス・バラードの基になったエフィ役との対比を再現するために、普段と比べて相当抑えた歌い方をしていたのだという。
HANAちゃんもRKさんと組むことで全体のバランスを考えたのかもしれない。

そして全員が歌い終わって結果発表!
ジャジャーン♪
見事、HANAちゃん&RKさんの優勝! おめでとう!!!

そして渋谷のNHKホールでおこなわれる全国大会へ!

知らなかったんだけど、何人か「のど自慢」で優勝した人が歌手デビューとかしてるんだよねえ。例)ジェロとか
あとは全国大会も征してなんらかのチャンスが巡ってくればいいのだけど。

それと驚いたのはこの日ゲストで出ていた伍代夏子の美しかったこと!
素人さんたちに囲まれた伍代さんの美しさは際立っていた。
やっぱバリバリの芸能人ってふつうじゃないんだね。

その後のHANAちゃんの活躍にも乞うご期待!

HANAちゃんとのど自慢大会①

 その日、私たち家族はテレビの前で全員きちんと正座して画面を見守った。
 その様子は傍から見ればきっと、高度成長期の日本で初めてテレビを購入した家庭で(←しかも町内初!)で力道山とブラッド・プラッシーの戦いを固唾を呑んで見守る人々の姿を彷彿させたことであろう(←適当)。

 私たちが待ちわびたテレビ番組とは、毎週日曜日放送のNHKの「のど自慢大会」。
 この番組は1946年から続いているのだという。
これだけの超長寿番組なので当然何度か見たことはあるのだが、初めから最後まで通して見たことはこれまでなかった。
 NHKの「のど自慢大会」といえば、演歌か浪曲というイメージが染み付いている。今のアラフォー世代以下で演歌や浪曲が大好きという人は圧倒的少数派だろう。
子どものころ、母方の祖父母の家に行くとおじいちゃんが好きでよく見ていたが、番組が始まると同時に私はテレビのある部屋を離れたし、うちの両親も昔は演歌とか浪曲を嫌っていたので(←今ではジャパネット高田で買ったホームカラオケで演歌ばかり歌ってるけどなっ)、実家でも「のど自慢」が始まると誰かが有無をいわさずチャンネルを替えるというのが習い性になっていた。
 
 もちろん最近では演歌や浪曲ばかりじゃなくて、歌謡曲やロックなど歌われる曲の幅が増えてきていることも知っていたけど、いかんせん所詮素人である。
 素人でもある水準以上の人を時間もかけて見せる「アメリカン・アイドル」みたいな番組だと見ごたえもあるが、1フレーズ、2フレーズで鐘が鳴った段階でおしまいみたいな感じはなんとあわただしく、また出る人の水準も相当いまいちで野暮ったいというのが「のど自慢大会」に対するイメージだった。

 それなのにである。
 どうして私たち家族が正座までして「のど自慢大会」の始まるのを待っているかというと、なんとHANAちゃんが出演することになったからだ。
 
HANAちゃんはうちの会社が運営委託されている施設の職員として働きながら、歌を歌っている。
 もちろんプロとしてデビューできて歌1本で食べていければそれに越したことはないけど、現実はなかなか厳しい。
 同じようなことを考えている人がゴマンといるのに、音楽はダウンロードするものという風潮の中で肝心な市場は収縮している。
 それでもHANAちゃんが歌うのをやめないのは歌わずにはいられないからだろうし、何よりも好きだからだろう。
 この場合の「好き」というのも、歌を歌っているときが楽しいからだとかそういったレベルのものではなく、歌のためなら徹夜が続こうがどんな労力があっても構わない、これをやっていないと死んでしまうというレベルのものだと思う(←HANAちゃん、違ってたらごめんねっ)。
 当然ゴマンといるライバルたちから頭ひとつ抜きん出るために、虎視眈々とチャンスを窺うことになる。
 そこでやってきたのがNHKの「のど自慢大会」への出場というビッグチャンスである。

 果たしてHANAちゃんはチャンスをモノにすることができるのか!?

2010年11月1日月曜日

公立不信②

 「誰じゃぁ、うちのY介をボコボコにした罰当たりモンはっ!?」
 可愛い甥っ子がやられたと聞いて、むかっ腹を立てる私。
 「やったのはね、同じクラスの女の子の3年生になるお兄ちゃんなんやて。女の子がお兄ちゃんをそそのかしてやらせたんやがね」
 「どういうこっちゃ? 1年生のくせにどういうあばずれなんじゃぁ!? そいつはよぉ~」
 「教室でね、Y介が通ろうと思っとった通路にその子がおって邪魔やったらしいんやわ。で、“どいて”って言っても知らん顔されたもんで、“どけよっ!”って強く言ったらしいんやわ。で、その言い方が気に入らんかったらしくて自分のお兄ちゃんに“あいつ、しめたって”って頼んで、お兄ちゃんもひとりやと心細かったんかしらんけど、もうひとり悪いヤツ連れてきてそいつとふたりでY介をボコボコにして、影でその女の子が笑いながら見とったらしいんやて」
 「なんちゅう話や! まあそのお兄ちゃんとその友だちは単なるアホやけど、その女の子、末恐ろしいなっ! で、どうしたん?」

 「もちろん学校に行って担任の先生に話をして、その子らの親にも話してもらったんやけど、ウンともスンとも言ってこん。知らん顔されとる」
 「なんちゅう~、あきれた親じゃ。知り合いなん?」
 「元々顔は知っとるよ。母親はまだ20代前半で男と遊び狂っとるで、子どもほったらかしらしいわ。いわゆるネグレストってやつやね。どうしようもないあばずれなんやけど、最近赤ちゃんができたから家にはおるらしいわ」
 「絵に描いたような下流家族やなあ~。小3の子がおってまだ20代前半とは! で、赤ん坊の父親は誰なん?」
 「なんや彼氏らしいけど、彼氏も家に転がり込んどるみたいやよ」

 「延々と続く不幸の再生産ちゅう感じやねえ~。で、ウンともスンとも謝りにこんの、学校側はどうなわけ?」
 「完全に及び腰やて。その下流家族はそんな程度やん。やけどY介がボコボコにされたんは、学校内やから完全に学校の監督下でのできごとやろ。やけどあかん、学校側は私らに“すいませんでした”って言うだけで、なんもせん」
 「T(←私の弟)はなんって言ってるの?」
 「めっちゃ怒っとるよ。“うちのY介はお前んとこの薄汚いガキとは出来が違うんじゃ。バカタレが、この激安一家のくせによぉ”って」
 「お、本人に言った?」
 「陰で言っとるだけやって。あの人、そんな根性ない」
 「確かに。でもそれじゃあ収まらんやろ?」
 「そうや。学校は当てにできん。そういやあ千恵子ちゃん(仮名)覚えとる?」

 千恵子ちゃんとはRちゃんのママ友のひとりで、長男のS太朗の友だち朝也くん(仮名)のお母さんだ。
 ふたりは中学受験の同志で、お互い切磋琢磨し励ましあって受験に臨んでいる。
 私たちが帰省したときにうちでホームパーティーを開き、朝也くん一家と飲んだことがある。
 千恵子ちゃんは一見、元ヤンだ。何がすごいって目つきが鋭い。愛想もない。けどものすごく教育ママで、朝也くんの塾代の費用を捻出するためにスーパーのお惣菜売り場で毎日お惣菜を作っている。勉強もいっしょに子どもたちとやり、S太朗の勉強も見てくれて弱点なんかも教えてくれたりする。
 塾でいっしょだったことがきっかけになってふたりは仲良くなった。ふたりのタイプはまったく違うが、千恵子ちゃんは仲良くなればとことん面倒見のいい姉御肌なのだ。

 「千恵子ちゃんにもY介がボコボコにされた話をしたらえらい怒ってくれて、“よっしゃ、これから学校に行ってその小1のあばずれ、しめたろか”って言って、いっしょに学校に行ってきた」
 「ちょっと待て! まさか大の大人ふたりで小1の子になんかしたんか?」
 「うふふふ。お義姉さん、この顔見て」
 「うわぁ! なんや、これっ!」
  携帯に送られてきた写メール。

 Rちゃんは顔の筋肉をある程度自由自在に動かせる変な特技を持っている。私に送ってきたのは、なんとも壮絶な恐喝顔というか、ちんぴら顔というか、これ普通、子どもうなされるでぇ~というまったく本人の顔の原型を留めていない怖い顔の写真だった。
 
 「“あんた、よぉ、うちのY介におもろいことしてくれたなあ? 今度しょうもないことやったら、あんたもあんたのお兄ちゃんもわかってるやろなあ?”ってその子にこんな顔して言うたった。で、隣にはめっちゃメンチ切った千恵子ちゃん」
 「う~ん。そりゃあ怖いなあ~」
 「そのあばずれ、心底恐怖に歪んだ顔して震えとったわ。ま、しばらくY介も無事やろ。学校がなんもせんで、こっちも自衛せんと」

 なんということだ。私の母校はどうなってるのだ?
 とっても救いのない話を聞いて、かなり気が滅入った。
 これは公立云々は関係のない話かもしれないが、少なくても国立や私立にはそういった家庭の子どもはいないだろう。
 今後、同じようなことがうちの子どもたちの身の上で起こった場合、私にはRちゃんみたいに顔の筋肉を自由に動かせる特技もなければ、頼れる千恵子ちゃんみたいな人もいない。
 娘の小学校入学を控えて神経質になる私であった。

2010年10月31日日曜日

公立不信①

 ある日、実家に電話をすると両親と同居する弟の嫁のRちゃんが出た。
「今、お義母さん、買い物に行ってますよ。帰ってきたらお義姉さんから電話があったこと伝えておきます。そうそう、Aちゃん、小学校に入るにあたって何か必要なものないですか?」
「あるある。ランチョンマットとか、体操着袋とか、上履き袋とかの縫い物系」
「ファックスでサイズ送ってもらえれば、作っておきますよ」
「うわっ! 助かる助かる。布代はママからもらっておいて」

 小姑根性丸出しにして言わしてもらえれば、うちの嫁のすばらしいのはこういうところに尽きる。
 うちのオカンはめっちゃ不器用だ。その遺伝はしっかりとしかもパワーアップして私に伝えられ、特に縫い物系に関しては私たちの不器用ぶりは爆発的な破壊力をまわりに撒き散らす。

 そんな女どもを見て育ってきた我が弟たち。手芸好きのRちゃんに出会ったとき、弟Tは相当衝撃を受けたらしく、めっちゃ興奮しながら、
 「お姉ちゃんっ! トイレのカフェカーテンを自分で縫う女に会ったことあるか?」
とまるで「昔の漫画みたいに、本当にトーストをくわえながらセーラー服姿でバスを追いかける女子高生に会ったことがあるか?」と聞くがごとく私に尋ねた。
「ないっ!」と竹を割ったように爽やかに答えると、
「俺もないっ! 生まれて初めてや。ほんなら聞くけど、自分でピアノカバーを縫う女に出会ったことあるか?」
「そんなもん、あるかい。そんな女は単なる暇人じゃっ!」
「もういっちょ、聞くけどな。お姉ちゃんは自分のマイミシンを持っとる女を見たことがあるか?」
「あるわけがないっ! そんな女は単なる外道じゃっ!」
「そうか。よおぉ~わかった。お姉ちゃん。俺、その女と結婚するわ。俺、そんなん自分で作る女がこの世の中におるって知っただけで、世界が広がって新鮮やわ。なんでかしらんけど幸せになれそうな気ぃするわ」

あれから12年。
弟Tは出会って早々のRちゃんと結婚をした。Rちゃんはオカンや私の縫い物関係のものに対する「そんなもんはお金で解決じゃっ!」という札束で人の顔をはたくがごとくの横着な態度に衝撃を受けたらしく、子どもたちが保育園に入るときも、「縫い物は私がやりますから」と申し出てくれて、ずいぶんと助かった。
それなのに実際に出会う前だとはいえ、暇人で外道だなんて罵倒してごめんね。
そんなRちゃんが、
「そうそう、いただいた電話やけど」
と声を落として言う。
「Y介がこの前学校でボコボコにされたんやて」
「なぬ?」

Y介はふたりの次男でこのとき小学校1年生だった。うちの娘より1つ年上だ。
小学校は私たちも通った地元の公立小学校に通っている。
「Y介が泥だらけであっちこっち傷や痣も作って、服も一部破れて帰ってきて、けどあの子、負けず嫌いやで泣かんとずっと歯を食いしばっとって、ようやく誰にやられたんやって聞き出せたんやて」
「誰じゃあっ! うちのY介にそんなことするばちあたりモンはっ! そんなことでY介の指にもしものことがあったらどうするんじゃっ!」
「そうそう。指とか手は無事やったもんで、ホッとしとるわ」

長男のS太朗はバイオリンを、弟のY介はチェロを習っていて、特にY介は先生から才能を認められ小1にして大人のオーケストラに最年少で入団している。
 「芸術で腹はいっぱいにはならんぞ」と考える実利的な商売人のうちの両親は、「そんなもん習わして元が引けるんかいっ!」と常々陰口を叩いているが、本人たちはできれば音楽で食べていきたいと考えているようだ。
 実際夢がかなうかどうかわからないが、それでもチェロを極めようと精進しているY介にとって手や指は普通の人以上に大切な器官のはずだ。
 そういう子がボコボコにされるというのはいったいどういう事態だったのか。

 「お義姉さん、ホント思うけど公立小学校って良くないわ」
 「それはどういう意味?」
 そんなことを聞くと、忘れたはずの娘の苦いお受験失敗の思い出が蘇ってくるのであった。

2010年10月30日土曜日

息子とバレエ③


 超満員のメルパルクホールにて。

 最初に登場したのは娘たちのグループ。「パリの喜び」の1曲目である「overture」の曲に乗って、エシャペとかルルベといったステップを多用しているところが、さすがは発表会歴23回目の年中または年長グループだ。

 娘はオレンジ系のチュチュつきの衣装を着て、頭には同系色の大きなお花をつけている。女の子を持つ親は娘のこういう姿を見るためだけに、バレエを習わせるのではないか。こういった可愛らしい姿は親のナルシシズムを激しくくすぐるのである。

特に私のように激しい西洋コンプレックスを持ち、挙句田舎者特有の偏狭なルサンチマンを有する者にとっては、こうしたハイソなムードっちゅうのはたまらんわけですよ。

つつがなく娘たちのグループが踊り終えたあとは、いよいよ最年少チームの登場だ。「パリの喜び」の3曲目の「No.2Polka No.3 Allegro/Valse」のイントロに乗って、息子が女の子12人に花を1本ずつ渡していく。

「あらっ、男の子が出てきたわよ」

「まあ、可愛らしい!」

会場中がそれだけでざわざわし出す。もうそこはもらったも同然だ。

思わぬ会場のざわめきで息子は動転したのか、途中で花をボトボトと落としてしまいあわてて拾うが、それすらも「ほら、お花、ちゃんと拾ってるわよ。エライわねえ~」「ほんと、マジやばい。可愛すぎ♪」という声があっちこっちで上がっている。

観客のみなさん~! あれがわたくしの息子なんでございましてよ。おーほほほっ! 可愛らしいでしょっ!

もう誇らしさのあまり私の鼻の穴は全開状態だ。フンっ!!

途中アクシデントがあったものの、息子は無事イントロ10秒内に花を渡し終え、女の子たちが一斉に踊りだす。

そこでいったん息子は舞台の袖に引っ込むのだが、なぜか戻ってくる。

たぶんそこからのパートが追加された息子の出番だ。ステップを踏んでる女の子たちの隣で左右にカニ歩きしているだけの息子。カニ歩きとはいえ、出ないよりマシか。

そして最後は手を振りながら全員舞台下手に向かってスキップをして退場する。女の子は全員袖に引っ込んだ後に、息子ひとり袖から顔を覗かせ、観客に向かってバイバイをするというおいしい役どころ。

もうこの息子の顔見せバイバイに観客たちがどよめくことどよめくこと。

「きゃぁ~、可愛いっ! バイバイしてるぅ~」

「やっぱ、バレエやってる男の子って可愛いわねえ~」

その後は小学生たちのグループが出てきたのだが、すっかりどよめきは消えてしまっている。

いやあ~、男子のバレエって思っていた以上においしいわ。

最後は全員が出てきてフィナーレ。曲は「パリの喜び」の中でもっともメジャーな曲、「CanCan」である。そうフレンチカンカンのカンカンである。というより運動会でかかる音楽である。この曲になじみがあるからか、いっちょまえに息子も踊っている。それを見ている観客たちは、

「あらっ、あの男の子、また出てきたわよ。ちゃんと踊ってるぅ!」

「あっ、くるって回転した。可愛いわあぁ~」

一心不乱にビデオカメラを回す夫。あの~、ここではビデオ撮影禁止されてるんですけどぉ~。

「ねえねえっ! L、可愛くない? もう大成功じゃないのっ!! あれが私たちのラブリーな息子よっ! ちょっと誇らしくない?」

興奮のあまり、ビデオカメラを回している夫の腕をバンバン叩きながら言うと、

「ちょっとぉ、画像が揺れるってば」

と言い、舞台の子どもたちの退場とともにカメラを片付けながら、

「いいなあ~。Lは」

とぽつりと言う夫。

「ミーは子どものころ、足が悪くてずっと入院していたし、それで運動もロクにできなかったし、変な髪型をして変なメガネをかけていたから、スプーキー(=キモイ)っていじめられたし、転校ばかりしていたから友だちはいなかったし、全然自分に自信もなくて、人から注目されることもなかったし・・・。それに比べてLはいいなあ~。こうやってみんなから注目されて、いつも自信ありげで明るくて。ミーの子どものときはこんなじゃなかったよ。こういうタイプの子が自分の子どもだってなんだかちょっと信じられないよ」

ブツブツと子どものころのルサンチマンを延々と繰り返す夫。

暗い。暗すぎるぞっ! しっかりしておくれ。

楽屋では先生がもう大興奮状態で近づいてきた。

「お母さんっ! 今日の発表会は大成功ですっ! Lくん、やってくれました! もう私、うれしくて・・・」

なんと涙まで浮かべているではないかっ!

「ちょっと花とか落としちゃいましたけどね」

「いいんですっ! そんな些細なことは! もうLくんが出てきたときの客の反応で、もう“もらったっ!”ってなもんですよ。来年もがんばってくださいっ! 期待してますからっ!」

え!? 来年ですかぁ? 先生もえらい変わりようである。

そして夜はちゃっかりフラメンコのほうの打ち上げに参加すると、そこでも息子の話で持ちきりだった。

今年の舞台はバレエの次がフラメンコだったので、発表会に参加しなかったメンバーや発表会に出たメンバーの家族や友だちもみんな息子のバレエを見ていたのだという。

「Lくん、可愛かったよ。周りの観客もどよめいてたし、思わず私、いっしょに見に来た友だちに、“美央さんっていっしょにフラメンコをやっているお友だちのお子さんよ”って自慢しちゃった」

と言うのは明美さん。

「そうそう、私もLくんのこと、自慢しちゃった。男の子のバレエって本当にいいわね~」

と長谷川さん。

ああ~。なんておいしいんだ。男子のバレエ。

本当は今回の発表会が終わったらバレエは辞めさせるつもりでいたが、こんなんだったら辞められないではないかっ!

よし。来年ももう一度、発表会で目立ちまくってやるっ!

銀座の先生の「バレエは長続きしない」という予言の結果は、こうして1年先延ばしにされたのである。

2010年10月26日火曜日

息子とバレエ②

 そのころ我が家ではタイマーが大活躍だった。
まだ娘のT大附属T小学校のお受験が目前に控えていたので、ちぎりや図形の練習のスピードアップを図るためにタイマーを使っていたし、息子の花を渡す練習のためにもタイマーを使っていた。
見学日に出て、どうして息子が花を渡すだけなのにそんなに時間をかけていた謎が解けた。
練習用の造花は1本1本違っていて、息子は女の子ひとりひとりにその子に合うと思った花を吟味して渡していたからだ。
なんてスウィートなんだっ! 可愛すぎるぞっ!

しかしそれではあかんということで、造花は全部同じものに揃えられることになった。
家での練習は家族総出でおこなった。年が明けたころには10秒で12人分花も渡せるようになった。
娘のお受験が終わってしまえば、息子のバレエの練習(←花を渡すだけね)に集中もできた。
でも出番はそれだけなのかい?
むなしい。むなしすぎるぞ。

年が明けてからは小学生と合同でレッスンを受けることになったので、レッスン時間は2時間になった。
1月は見学日もなく、照明あわせのときまで仕上がりを見ることができなかったが、先生からは、
「Lくん。なんとかなりそうです。せっかくなんで出番も増やします」
と言われ、ほっと胸をなでおろす。

それまで衣装合わせだとかいろいろあったけど、全部すっ飛ばして、本番行きます!
発表会当日。白いブラウスに青のスパッツ、白いバレエシューズの衣装を着た息子。保育園児のくせにいっちょまえに前がモッコリしているのが可愛い。
女の子たちもそれぞれの衣装に着替え、今年、私は楽屋当番に任命されていたので、女の子たちの体に水おしろいをガンガン塗っていくミッションが課せられていた。
しかし見も蓋もないことを言ってしまえば、日本人が全身白塗りにしてなんちゃって白人みたいになってバレエをやるのって、本家本元のヨーロッパ人から見たら“なんだかなあ~”感ってないのかな。

そんなことをぼんやり考えていると、息子のギャーギャー泣き喚く声が聞こえてきた。
どうやらメイクするよっていう段取りになったときに、「ぼくは男の子だからお化粧はしないっ!」とぐずりだしたのだ。
困り果てた先生たち。結局先生が3人がかりで1時間半もかけ、息子を説得。
手間のかかるやっちゃなあ~。

しかしメイクを施された顔を見ると、あら~、可愛い♪
もう楽屋中、騒然で他のお母様方も「あら、素敵♪ 本当の王子さまみたい」と息子に大注目だ。
女の子たちは体中にも水おしろいを塗られて大変な思いをしているのに、ちょこっとメイクしただけの息子のほうにみんなの視線が向かう。
世の中って不条理よねえ~。

でも私の狙いはここにあったのだ。今の子どもたちはずっと過酷な競争に晒されなくてはいけない。
それはうちの子どもたちも例外ではない。
だからこそ長い人生の中で1回でもいいから競争率が異様に低い世界で(←そう、それがまさに子どものバレエにおける男の子の立ち位置!)、ちやほやされる醍醐味を味わってほしかったのだ。
どうやらその狙いはドンピシャだったようだ。

そして幕が開く。場所は芝公園のメルパルクホール。子どもたちのバレエクラスは百貨店内のカルチャーセンターに属しているので(←私のフラメンコも同様)、発表会はカルチャーセンターのほぼすべてのダンス系教室と合同でおこなう。
そういう事情もあり客席は超満員。数千人は下らない観客だろう。

果たして息子は無事に役目を果たすことができるのか?
いやあ~。ドキドキですわぁ~(←関西弁風)。

2010年10月25日月曜日

息子とバレエ①

 夕食後、夫と息子のお勉強タイムが始まった。娘のT大附属T小学校の2次試験から3週間後のことである。
 言葉を換えれば、私たちの安らぎの時間は3週間しかなかったということだ。
 まだ時間があるので初めは5分ぐらいから始める。幸い息子はずっと娘の勉強しているのを見ていて自分も参加したがっていたので、今度は自分の番だ、やったあ!ぐらいに思ってくれている。
 それでも夫はずいぶん苦戦しているようだった。
 まあ、がんばってくれたまえ。

 2月には子どもたちが習っているバレエの発表会がある。娘にとっては3度目の、息子にとっては初めての発表会だ。
 秋ごろから発表会用の練習を始めていて、今回はオッフェンバックの「パリの喜び」を上演することに。
 通常、発表会といえば全員参加に決まっているが、発表会の練習に入るときに、バレエの先生から、
 「お母さん、Lくん、発表会どうしますか?」
と打診された。それってどういう意味よ?
 「Lくんしか男の子がいないので、ぜひ出てほしいのはヤマヤマなんですけど・・・」
 何やら先生は言いにくそうに口ごもっている。
 「あまりにも微妙すぎるんですよねぇ~。彼は・・・」

 ああ、やっぱり。微妙すぎるというより、ダメダメすぎるのだ。
 バレエを始めてなんだかんだで10ヶ月近く経っているが、とにかくやる気がない。先生の言うことを聞かない。みんなと同じ動きができない。奇声を発する。脱走する。バーにずっとぶら下がっている。叱られてもヘラヘラしている。ステップとかスキップとか全部できないふりをする(←レッスンでやらないくせに、家などで軽やかにスキップとかステップとか踏まれると超ムカつく。やればできるんじゃんっ!)。

 月1回の親の見学日にはいつも息子の狼藉ぶりに、他の親御さんたちから失笑が漏れる。もう申し訳なくて赤面することしきり。
 私がよその親だったら絶対に先生に文句言うね。
 ちなみに夫は一度見学に来て以来、2度と来ない。バレエ代は夫が払っているので、お金をドブに捨てるとはまさにこのことっ!と、腹が立つからだそうだ。
 う~ん。わかるぞ。その気持ち。
 まさに学級崩壊児そのもので、こんな様子を毎月見せられるとお受験どころか、普通の小学校生活すらままならないのではないかと大いに不安にさせられる。

 「お母さんもおわかりだと思いますけど、あの調子だとステージ自体、破壊しかねないですよねぇ?」
 う~ん。確かに。
 けど息子はいつも無茶苦茶なわけじゃあない。保育園の運動会や発表会ではクラスの出し物にちゃんと参加しているし、とりたててひとりだけおかしな動きをするわけではない。
 発表会の演奏では事前に担任の先生から、
「Lくん、すごっく木琴が上手でした。リズム感もあるし、すぐに覚えるし、何か楽器でも習ってるんですか?」
と聞かれ、誇らしさのあまり大いに鼻の穴を膨らませたぐらいである。
 
 「そうなんですけど、Lは保育園の発表会とか運動会では普通ですよ」
 とりあえず息子をかばう私。だっていつだって我が可愛い息子がディストロイヤーだと思われるのもシャクではないかっ!
 「そうですか。Lくん、イケメンですからね、出てはもらいたいんですよ。そうだなあ~。とりあえず出しますか。踊らなくて済むような、出るだけでいい振り付けを考えてみますから。それでもやってみてダメそうでしたら、またご相談しますから」
ということで、首の皮一枚でなんとか発表会に出られることに。

こうして発表会用の練習が始まり、娘は踊り子さんの役のグループに、息子は別の踊り子さんの役のグループに花売りの役として登場することに。
しかしそもそも発表会とは、今まで練習してきた成果をみんなの前で発表するのが本来の趣旨ではないか。
それを踊らなくて済むような役とは、いったい何のためにお金を払って毎週レッスンに通わせているのだ? まったく無駄ってこと? そりゃあ、夫も怒るよなあ。

息子のチームは年少さんと年中さんのバレエを始めて1年目の一番幼い子どもたちがメンバーだ。
 一列に並んだ女の子たちに息子が音楽に合わせて1本1本花を配って、全員に配り終わったところで、その花を掲げて女の子たちが一斉に踊りだすという流れなのだか・・・。

 「お母さんっ! 家で花を渡す練習をしてきてくださいっ。花を渡す時間は10秒、渡す女の子の数は12人。ひとり1秒もありませんから。チャッチャと渡す! タイマーで計ってください。Lくん、30秒もかけてます。これだと女の子たちが踊りだせません。Lくんの出番はこれだけですから、これぐらいは死んでもやらせてくださいっ!」
 必死の形相の先生。しかし出番は花を渡す10秒だけなんですか?
 この10秒のために発表会参加料と衣装代、そしてその他諸々の諸経費+親の費やす労力。
 しょっぱいぞ。息子よ。あまりにもしょっぱすぎる。

 確かに銀座の先生の言うとおり、息子にバレエは向いていそうもない。長続きしないと言われていたが、もはやこれまでか。

2010年10月22日金曜日

夫の爆弾発言

 帰国後、次々に娘の入学準備のための用事を済ます。まずはランドセル。シャーリ・ーテンプルのこげ茶色のかわいいのを狙っていたのに、なんと茶色は超人気色で年内でソールドアウト! 完全入手不可になっていたのであった。
 結局さんざん迷った結果、シャーリー・テンプルの赤を購入。
 今ってランドセルの色も信じられないくらいいろいろ(←シャレですか? あっ、寒っっ!)あって選ぶのも一苦労だ。選択肢が多くて良いと考えるべきか、選ぶのがめんどくさいと考えるべきか。
 あとは学童の手続きをしたり、保育園の卒園準備をしたりとなんだかんだと年明けも忙しく過ごす。

 しかし普通に区立小学校に行くだけでも、結構いろいろ準備することがあるんだなあと実感。
 これが私立だとか国立とかだったら、もっと大変だったんだろうなあ。
 お受験が終わり、その後すぐにイギリスだとかニースに行ったこともあって、お受験失敗の心の傷もすっかり癒えてしまった私。
 基本的に終わったことなどどうでもいいので心穏やかに過ごしていたところに、夫がとんでもないことを言い出した。

 「L(息子)の小学校はどうするの?」
 「え? 別にM小学校(近所の区立)でいいよ。近いし」
 「Lは国立、受けないの?」
 「は!? もういいよ。めんどくさいし、去年大変だったし、姉弟いっしょのところに行ってくれたほうが楽だし。まあ、Lに関しては区立でちゃんと勉強するのかってところが大いに不安だけど」
 「それってフェアじゃないよね?」
 「なんで?」
 「A(娘)だけ国立を受けるチャンスがあって、なんでLにはないの?」
 「そりゃあ、Aが国立落ちたからだよ。Aが受かってりゃあ、Lも受けさせたよ」
 「それって変じゃない?」
 「変じゃないよ。同じところに行くならそれこそフェアでしょ?」
 「美央が言ってるのは結果の平等であって、そこまでに至るプロセスが平等じゃない。AだけチャンスがあってLにはないのは、機会の平等じゃないよ」

 ほぉ~なるほどぉ~。さすがはアングロサクソン。
我々のロジックの違いはまるで農耕民族と狩猟民族の違いを見るようだぞ(←適当)。
結果の平等か、機会の平等か?
これってまさに昨今教育現場でしきりに議論されていることではないか。

 夫の言い分にはそれなりの分がある。
 けどね、百歩譲ってね。誰が息子に勉強させんのよっ! 
 息子と娘では勉強させる労力が比べ物にならんのだよ。
 息子にお受験をさせるなんて、サルに芸を仕込むより難しいのだ。
 そう、息子はサル以下なのだ。あんたはちゃんと自分の息子のことを客観視できてるのかい?

 「そんなに平等にこだわるんならさ、今度はユーが勉強させなさいよ」
 「マジっ!?」
 「Aのときは私だけが勉強を教えたんだから、次はユーの番でしょうがっ!」
「うっ!」
うふふ。夫の痛いところを突いてやったぞ。そもそも受験させるなんて口で言うのは簡単なんだよ。
 どうせやるなら勝ちに行かねば。国立には抽選という大きな壁が立ちはだかっているが、幸運にも抽選を突破していざ試験となったときにまるでできないというのでは、かえって子どもがかわいそうだ(←ということを娘のときに学んだ)。
 
繰り返し言う。息子はサル以下だ。
娘と違って土壇場になって勉強させたって間に合いっこないのだ。やらせるならまだ10ヶ月以上ある今のうちからだ。
 「わかったよ。頑張ってみるよ」
 よっしゃあっ、言ったな? お手並み拝見といこうではないか。

 こうしてお受験第2ラウンドの始まりを告げるリングが鳴らされたのであった。
 
 

2010年10月20日水曜日

ニースで老後を


 街歩きをするたびに不動産チェックをする夫。

 私もそういうチェックは嫌いじゃないので、ついつい付き合っては「高い」だの「安い」だの好き勝手なことを言い合っている。

 結論から言えば、ヘレン姉さんは相当いいタイミングでニースにアパートを買ったようで、今ではさすがに旧市街の便利な場所に60平米のアパートが600万円という具合にはいかない。

 「美央はニース好き?」

とサリア広場近くのレストランやカフェがつならる通りに面したシーフードレストランで、キンキンに冷えたシャブリと生牡蠣やロブスターやタニシみたいなものが盛りあわされたフィルドメール(海の幸の盛り合わせ)を食べているときに、夫が聞く。

 あたぼ~だろうかよぉ。しつこいようだが、私は生牡蠣に目がない。

 そんな至福の時間を過ごしているときに、そいつは愚問だぜ。

 「子どもたちもニースが好き?」

 夫がそう子どもたちに質問したのは、娘がクリーム・ド・ブリュレの特大のヤツを、息子がラズベリーやクランベリーのアソートにクリームが添えられているこれまた大盛りのデザートと格闘しているときだった。

 「うんっ!!」

 子どもたちは飛び切りの笑顔で答える。そりゃそうだって! こんな状況なら子どもたちは何にだって「うんっ!」って答えるぞ。

 それにつけてもふたりとも未就学児のくせにニースで正月を過ごすとは、生意気なヤツだ。

 私がこれぐらいの年のときには熱海にすら行ったことがなかったぞ(←初熱海は10歳のとき)。

 「ニースにアパートを買うってのはどう?」

 想像していた通りのことを言い出す夫。

 「ニースのどこによ?」

 「ヘレンのアパートの近くで、100平米ぐらいのやつ。1500万から2000万ぐらいだったらいいな」

 「買ってどうすんのよ?」

 「子どもたちの学校の問題があるから、住むなら子どもたちが高校を卒業した以降だよ。それまでは人に貸せばいい。ローンは賃貸料で賄えばいいし、ローン返済後の老後はニースに住む」

 老後をニース! 

 何やら良さげではないかっ! けど銀座の先生の言う「レンガ造りの似たような家が立ち並ぶ田舎でもなければ都会でもないどんよりと曇ったところ」というのから大きく逸脱するぞ? しかも先生からは一軒屋だと言われていたのに。

 しかしそれにしても夫の提案は魅力的だ。イギリスは街並みも家も素敵で一番大きな利点は英語の国だということだけど、天気は悪いし、何より食べ物がまずい。

 元々私はイギリスよりも遥かにフランスのほうが好きで、大西洋側のラロシエル(←という街。フランス産の牡蠣の7割がここで獲れる。ここの牡蠣は身がでかくて超美味)ほどではないが、ニースもシーフードがふんだんにあって、食べ物は最高においしいし、気候もいい。

 ニースからイタリアも近いし、地中海を挟んだ海の向こうはチュニジアだ。

 ナイスすぎるぞ!

 一番大きいのは私たちの東京の住処はしょせん賃貸だ。今住んでいるマンションは相場から見ても破格に安いので、不動産を買うモチベーションが持てない。

 それ以前に不動産を買うことでその土地に縛り付けられてしまうことにも抵抗があるし、不動産を買うことは資産を持つことと同時に負債を抱えることだとも思う。

 しかも来る来ると言われている大地震で家が潰れたらローンしか残んないし、とかいろいろ不動産を買わない理由はあるけど、一番大きな理由はそんな大きな買い物を思い切る度胸がないからだ(←二番目は先立つものがないからさっ《涙》)。

 ちっっ、我ながら小者だぜ。

 じゃあニースでならそんな蛮勇は発揮できるのか? 

 東京より安いといってもデパートのバーゲンじゃないのだ。いったいどうする?

 とりあえずしょっちゅう来ている夫の両親やヘレン姉さんに常に不動産情報をチェックしてもらい、よさげな物件があったらすぐに連絡をもらうということにして、ニースをあとにしたのであった。

  

 さて私たちが幸せな老後を過ごすためのマーベラスっ!な物件は見つかるのかしら?

 果たして銀座の先生の言う、海外の家との関連は?