2009年12月11日金曜日

久々登場! KちゃんとTちゃん

元はといえば、Kちゃんの育児休暇中にみんなで赤ちゃんを見に泊りがけで横浜に遊びに行ったことがきっかけで、銀座の先生の話を知った私(←詳細は3月の「プロフィール」参照のこと)。
 所属する部が組織変更されたことによって、ビルの所在地がちょこちょこ変わったため、本社勤務のKちゃんとTちゃんとはなかなか会えずにいた。
 しかし5月の下旬に本社の近くにあるビルに私の所属するセクションの場所が移転されたため、たまにはKちゃんとTちゃんとランチできるようになった。
 最初に銀座の先生をみんなに教えてくれたRちゃんは現在育児休暇中で、先生から子どもはふたりできると占われたそうなので、また次のお子さんに恵まれる可能性は大だ。

「清永さん、どうです? 最近。占い通りにいってますか?」
 そう聞くのはKちゃん。
 Kちゃんも2回銀座の先生のところには行っていて、1回目に行ったときはいまひとつピンとはこなかったらしいが、2回目に行ったときにお母さんの病気のことを言われて、慌ててお母さんに確認したところ本当に深刻な症状になっていて、先生のアドバイスに従い、九州からお母さんを引き取り、介護休暇を取って看病にあたった。その甲斐あって、お母さんは回復し、危機的な状況からは脱したのだという。
「Kちゃんもあれからどう?」
「そうですねえ。銀座の先生から去年の12月に二人目が授かるって言われてたのがハズレてましたね。あと会社を辞めて独立するって言われたのもまだ実現してないかな」

「Tちゃんは?」
「ほら、私が言われたのは、離婚以外のことは先の話ばかりだから、まだまだわかんないね」
 Tちゃんが銀座の先生に診てもらって、離婚線なるものを入れてもらった話も3月の「プロフィール」で書いた通り。

「清永さんの小説って結局どうなったんですか?」
「そうそう、知り合いの編集者に見せてるって話じゃなかったっけ?」
 この日のランチにチョイスしたお店は会社近くの和食屋さんで個室風の作りになっているので、密談っぽくっていい感じ。
「何にもなってないよ。営業の人に見せるって話から進んでないし」
「他の編集者にも当たったほうがいいんじゃないですか?」
「あと何かの新人賞に出すとか?」
「それもありだけど、いまひとつ自分で積極的に動くっていう心境でもないんだよね」
「清永さん、せっかくいいこと言われてるんだから、本当にそういうふうになるといいんだけどなあ」
「そうそう対策会議開こうよ」
 めちゃめちゃうれしいことを言ってくれるKちゃんとTちゃん。
 持つべきものは社内のお友だちよねえ~(←しみじみ)。

「でもさ、銀座の先生の言ってることって当たってるかな?」
 ちょっと懐疑的になっている私。
「うーん。過去とか現在のことはほぼ完璧なんですよねえ」
「そうそう。あまりにも当たってるから、紹介者が前もって私の情報流したのかって疑ったぐらい」
「そうだよねえ。確かに過去と現在のことはバッチリなんだよね。でも知りたいのは過去のことじゃなくて未来なんだよね」
「ほんとほんと。私に関していえば、未来については半々ぐらいかな」
とKちゃん。
「私の紹介で先生のところに行った人も結構いるけど、みんなの話を聞いてると確かに半々ぐらいかなあという気はするなあ」

「なんかね、ちょうどそのときに言ってほしい言葉を銀座の先生ってドンぴしゃりと言うんですよ。私の場合はそのころちょうど二人目のことを意識していたときだったし、辞めて自分で何かできればなあって考えてたから、先生に言われたことってすっごくうれしかったんですよ。けどそのあとこのまま会社にいてもいいかと思うようになったし、二人目ももう少しあとでもいいかって思うようになったから、言われたようにはなっていないけど」
「なんか話を聞いていると、きっと言われたことによってその通りになるように努力させるっていう意味合いもあるかもね」
「なるほど~。占いによって努力を引き出すっていうことね」
「そうそう」

 努力かあ~。そう言われると何も努力していないよなあ。
 しかも自然と言われた通りになるっていうことだったけど、実際はどうなんだろう。
 相変わらず、漠然と毎日を過ごし、流されている私なのであった。

2009年12月6日日曜日

黒百合姉妹③

 JURIからの電話の用件はライブのお誘いだった。あいにくどうしても抜けられない用事があり、ライブには行けなかったのだが、良かったらうちに遊びにおいでよという話になり、その週にJURIとLISAがうちに遊びに来てくれた。

 夫をふたりに紹介するのは初めてだった。
 ふたりの好きなワインやチーズを用意して、久々に楽しい時間を過ごす。
 いっしょに食事をするのは8年ぶりぐらいじゃないだろうか。
 ふたりとも出会ったころと見た目もまったく変わっておらず、その変わらなさ具合はまるで「15年間いっさい容姿が変わってはいけない」という契約をアメリカの会社と結んだといわれるプリンセス・テンコーを彷彿させる。
 また博学で教養豊かな彼女たちとの会話は無条件に楽しい。
 元々パンクで黒百合姉妹の音楽にほとんど興味を示していなかった夫も、すっかり彼女たちを気に入ったようだ。

「そうだ。黒百合姉妹が出てくる小説を書きたいんだけど、いい?」
「えぇ~、私たちどんなキャラなの?」
「黒百合姉妹はそのままで、主人公は黒百合姉妹のファンの子なの。できたら見せるよ」
「そう。じゃあ楽しみにしてるね」

 それから1週間もしないある金曜日の夜、家の近所にできたペルシャ・レストランの様子を探ろうとそのレストランの前まで、保育園のお迎え帰りに子どもたちと寄った私はこちらに向かって歩いてくるLISAに出くわした。
「あれ? なんでこんなところにいるの?」
「あらあら、清永さんこそ。この前ね、JURIとお邪魔したときにペルシャ・レストランを見つけてね、ゆうさんも好きそうだと思って、また来てみたってわけよ」
 LISAの横には華奢で上品な感じの女性が立っている。その女性は黒百合姉妹の母、ゆうさんだった。
「あ、ご無沙汰してます」
「お会いしたことあったかしら?」
 ありますよ~。お母さん! と、いっても10年以上経ってるか。

「あ、奇遇奇遇。実は私もこのレストランが気になって様子を見に来たんだ~」
「な~んだ。相変わらず私たち気が合うわね」
「じゃあ、あとで合流しようよ。私たちも家族で出直すから。そのあとうちで飲もうよ」
「いいよ~」
そういうことで、黒百合姉妹LISAとそのママ&うちの家族で怪しげなペルシャ・レストランというおもしろすぎる展開に。

そのペルシャ・レストランはなぜかカーペットの上で靴を脱いで食事をするようになっていて、レストランのスタッフはダルビッシュ(!)さんというオーナー兼シェフ兼ウェーターただひとり。そして客も私たちのみ。
イランのワインを飲みながら、優しい味のするペルシャ料理を堪能していると、ダルビッシュさんが、「おいしいですかぁ~」とものすごく堪能な日本語で話しかけてきて、「ではライブを始めます」
といきなりあたり一面に見たこともないような楽器を並べ始めた。それもイランの古い楽器らしく、ダルビッシュさんがひとつひとつ楽器の説明をしてくれて、音も奏でてくれる。

食い入るように見つめる私たち。
一通り音を出したあとに、次々と楽器を変えながら吟じ始める。
ああ、素敵過ぎる光景。私は中近東系の文化が大好きで(←だからモロッコにもハマったのだが)、こういうエキゾチックなシチュエーションには大いにヤラれてしまうのだ。
子どもたちも目をキラキラ輝かせながら、聞き惚れている。
しかし関係ないが、うちの子どもたちはラッキーだ。小さいうちからこういった異文化のものにちょくちょく触れているのだから。
私の子どものときなんて、家で流れてたのは裕次郎とか青江美奈とかロス・インディオスなんかのムード歌謡一色だったぞ(涙)。

ダルビッシュさんが子どもたちにも小さな太鼓を持たせてくれて、やってごらんといっしょにリズムを刻み始める。
うれしそうに太鼓を叩き始める子どもたち。
「ふたりともリズム感いいねえ。上手だよ」
次第にリズムセッションのようになってきていて、時折ダルビッシュさんがリズムのパターンを変えて、変化球を投げてくる。
10分ぐらい太鼓を叩いたあとに、
「娘さんもリズム感良くて上手だったけど」
とダルビッシュさんは前置きしたあと、
「この男の子、すごいよ。音楽の才能、めちゃくちゃあるよ。お母さん、絶対にこの子にはドラムでもいいし、リズム感が最高にあるから、何かやらせてあげてよ」
と言うではないか! その後も何度も「いやあ~、驚いた」と繰り返している。
いやあ~、驚いたのはこっちだって!
これがもしかして、銀座の先生に言われた息子の天才ぶりの一環なのか?

片やLISAは弦楽器の方をしげしげと眺め、
「これいくらですか?」
と突然値段を尋ねる。
「私、買う!」
と言い出し、楽器の細かい解説を聞き始めるLISA。
ピアノではなく弦楽器! 黒百合姉妹の音楽にペルシャ楽器が導入される日が来るのか!と勝手に興奮していると、
「それはないから」
とLISAからあっさり否定された。

ペルシャ・レストランをあとにして、我が家で飲み始めた私たち。
 黒百合姉妹もおもしろいけど、さすがこの娘たちにしてこの母、ゆうさんもめちゃくちゃぶっ飛んでいる。
ゆうさんともたくさんお話をして、その日も楽しく過ごした。

 それから5日ほどしたあと、LISAから電話がきて、ゆうさんが関西に帰る前にもう一度うちに遊びに行きたいと言っているという。
 ぜひぜひ来てくださいなということになり、LISAとゆうさんがやってきた。
 もちろんこの日も話が尽きることなく、楽しい時間はあっという間にすぎていった。
 久しぶりの黒百合姉妹だったが、6月は短期間の間にギュッと何年かぶりのご無沙汰を補うかのように黒百合姉妹三昧と言う贅沢な月であった。
 それは満ち足りた時間でもあった。

2009年12月5日土曜日

黒百合姉妹②

 偶然、黒百合姉妹のJURIとお友だちになることのできた私は、その後姉のLISAも紹介してもらい、LISAともつるむようになる。
 思ったとおり、好きな音楽も一致していて、CDの貸し借りをしたり、黒百合姉妹のほかのCDもいただいたりして(←「月の蝕」以外もものすごく良かった! 今でも全部愛聴盤になっている)、親交を温めた。
 マガジンバトル後には私が所属していた音楽雑誌でJURIの連載も始めた。
 
そんなある日、彼女たちから黒百合姉妹のライブに出ないかと誘われる。
「いろいろと演出を考えたんだけど、やっぱりコーラスで参加してもらうのがいいかな」
とJURIが選んだのは、「ローリー」と「花」という比較的初期のころの作品2曲。どちらとも大好きな曲だったので、私は大いに張り切った。
だって大好きなバンドのライブに出られるなんて経験はめったにできないでしょう。

 ところが、である。
 私はLISAから特訓を受けていたのだが、どうも私が音痴であるということが判明してしまったのだ。
 それまで自分が音痴だって知らなかったというのも間抜けな話だが、ひとくちに音痴といっても、誰にでもわかるひどい音痴だったわけではなく、どうも半音シャープの方向に音が不安定になるのだそうだ。
ところがその半音の違いが私には区別がつかない。
しかも私は大学時代にハードロックバンドでボーカルをやっていたのだ(←赤面モノだ!)。
もちろんロックでもきちんと音が合ってなければ話にならないだろうが、ギターの音だったりドラムの音である程度、ロックバンドのボーカルだとごまかせてしまう。
ロックで大切なのは何より勢いだったりするからだ。

しかし黒百合姉妹の音楽は違う。音の構成自体繊細だし、完璧主義者の彼女たちは妥協を知らない。
彼女たちの強烈な美意識は微かな(←私の音のハズし方は微かじゃすまなかっただろうけど!)ズレでも容認できなかったはずだ。
というわけで、私の黒百合姉妹ライブ競演は夢のもずくと化したのである。
JURIは何度も「ごめんね。誘っておいて」と恐縮してくれたが、とんでもない。音痴な私がいけないのだ。期待に添えなくて残念だったが、やっぱり黒百合姉妹には完璧を目指してほしい。

そんなこんなもありつつ、初めての出会いから3年ちょっと過ぎた1996年秋。
私は念願叶ってレコード会社の制作セクションへ異動になった。
異動になったセクションは「とにかく新しいものをやれ」という邦楽も洋楽も関係のない異例づくめの制作オフィスで、何を担当するかということまで白紙の状態だった。

たまたまその直前にモロッコ音楽にハマっていたこともあり、モロッコ音楽と黒百合姉妹の2本柱でやっていきたいと考えた私は部内で猛プッシュを始めた。
本人たちも私とならメジャーでもいいと言ってくれ、それだけ信用してくれているのだとうれしかった。
当時業界最大手のメジャーレーベルだった会社では、私の企画はぶっ飛びすぎていたらしく、大いに反響(←っていうか反感!?)を呼んだ。
モロッコ音楽では組むパートナーがいたので(←のち決裂)、ある程度形が見えていたが、黒百合姉妹に関しては完全に孤独な戦いになってしまった。
ふたつの企画を押して押して押しまくったが、辛うじてモロッコ企画だけが通り、黒百合姉妹の契約までこぎつけられなかった。

黒百合姉妹は売り方によってはミリオンいくかもしれない。
当時私は強くそう信じていたし、実はその気持ちは今でも変わっていない。
いったん引いて、モロッコに専念し、モロッコである程度の成果が上げられれば、次は再度黒百合姉妹。そう思っていた。
ところがモロッコ音楽自体も簡単には売れず、私はその部署自体を去ることになった。
このとき黒百合姉妹をデビューさせることができなかったことが、私の中ではトラウマとして残り、実はしつこく現在まで至っている。

前の会社を辞め、音楽業界から足を洗った私は、結婚もし、子どもも産みとまったく違う生活を始めたが、それでも細々と黒百合姉妹との付き合いは続いた。
新作のCDが完成するたびに送ってくれるし、何年かに一度はライブに足を運んでいる。
JURIが関西に引っ越してしまったこともあり、滅多に会えなくなってしまったが、相変わらず私は黒百合姉妹のCDを聴いているし、どうすれば黒百合姉妹が売れるかということを今でも考え続けている。

モロッコ音楽を作っていたときの経験を基にした「エッサウィラ」という小説を書き終えたとき、とっさに次は黒百合姉妹だと思った。
モロッコ音楽は限りなく実話に近いけど、黒百合姉妹の場合はまったくのフィクションにするつもりだ。
主人公はロリータになりきれない高校生の女の子で、黒百合姉妹の大ファンという設定で書き始めたのだが、頓挫した形になっている。

黒百合姉妹に捧げる小説を書き始めたことを、本人に伝えたほうがいいかなあと思っていた今年の6月のある日、何かお互い通じるものがあったのか、何年かぶりにJURIから電話がかかってきた。
ああ、私たちにはやっぱり何か目に見えない力で結びついているのね! 
と妄想エンジン全開の私であった。

2009年12月3日木曜日

黒百合姉妹①

黒百合姉妹というバンドをご存知だろうか?
 JURIとLISAという姉妹によって20年ほど前から活動しているバンドで、私は彼女たちの大ファンなのだ。

 黒百合姉妹との出会いは1993年だ。その当時、私は音楽雑誌の編集者をしていた。
 渋谷のタワーレコードでインディーズのコーナーをチェックしていたら、「月の蝕」というアルバムがあり、そのジャケットワークに一目ぼれしてしまった。
 ホーリー・ワーバートンというイギリス人の女性アーティストによる耽美的なイラストにすっかりノックアウトされた私は、さらに音を聴いてイントロのコンマ数秒ですでに黒百合姉妹の信者になっていた。

 バッハ作のパイプオルガンと美しい声で始まるこのアルバムの1曲目は、その日のうちに我が家の留守番電話のイントロと化した。
 ちなみにそれまではオランダのプログレバンド・フォーカスのヨーデル歌唱でおなじみの「Hocus Pocus」が我が家の留守番電話のイントロだった。

 黒百合姉妹の音楽はこれ以上ありえないほど、私のツボを突いたものだった。
 美しいメロディ。神秘的な世界。実はクラッシック好きの私が特に好きなのは、ルネッサンス期の音楽だったり、それ以前の作者も誰だかわからないような教会の古い音楽で、これらのジャンルは「古楽」とか「音楽史」というカテゴリーに入っている。
 きっとこの人たちもこのジャンルが好きなんだろうなあと思い、よし、アルバム全部揃えるぞ!と心に誓った矢先に意外な出会いを経験する。
 なんと! 黒百合姉妹のCDをジャケ買いして1ヶ月もしないうちに、ボーカルのJURI本人とお友だちになってしまったのだ!

 出会いはまったく偶然だった。
 ちょうど私が担当している音楽雑誌と同業他社が出している音楽誌計3誌で、それぞれの雑誌がイチオシのバンドを立てて競う“マガジン・バトル”という企画が進行していた。
 要は3誌が一致するイチオシバンドを擁立し、合同企画で毎号各誌乗り入れ掲載し、イベントでファン投票によって勝敗を決めるというもので、今から考えてもかなり画期的な企画だったと思う。
 この企画の立案者はハリー・ジェーンというバントのマネージャーをしていたI氏。元々ハリー・ジェーンを売り出す企画だったのだが、このI氏の戦略が素晴らしかったのは、ハリー・ジェーンだけではなく、他のバンドも巻き込み、違う会社同士の雑誌もバトルとは言いながら、裏で組ませ、みんなで協力して3つのバンドを盛り立てていくことが可能になったからだ。
 ひとつひとつのバンドや雑誌がそれぞれ紹介しても取れるスペースが限られてしまう。
 でもマガジンバトルでなら、それなりに紙面を割くことができる。
 また選ばれた3誌の担当者も絶妙な構成だった。当時私を含めてみんな若くて同世代で、各々の雑誌で自分のやりたいバンドをなかなかやらせてもらえなくて悶々としていたのだ。
 3誌の担当者と他の2つのバンドをどうするかという話し合いになったときに、推したいバンドも即決だった。
 3人ともハリー・ジェーンの他に推したのは、電気グルーブを脱退したCMJKがピコリンと組んで作ったキュートメン、もうひとつは当時まだまだマイナーだったイエロー・モンキーだった。
 話し合いの結果、私の担当はキュートメンになり、キュートメンを盛り上げるためにライバル誌の編集部に殴りこみをかけたり、激辛カレーの早食い競争をさせたり(←ちなみにボーカリストに咽喉の負担を強いる激辛のものを食べさせるとは何事!とあとでヒンシュクを買った。確かに。若気の至りである。この場を借りてすいませんでした)
考えられる限りのアホなことをやった。

 ライバル誌RJ誌も負けていなかった。私たちが直情型のアホなら、RJ誌はひねったアホというかカルトなアホを模索していた。
 ある号のRJ誌の企画は、「オッパイ占いでバトルの勝者を占う」というもので、占い師としてその場に呼ばれたのが、なんと黒百合姉妹のJURIだったのだ!
 
 彼女は占い師としても活躍していて、当時「タモリ倶楽部」で「オッパイ占い師」として紹介されて有名になっていたのだ。
 「オッパイ占い」という言葉だけがひとり歩きしてしまった感が強いが、実際は相手の手を自分の鎖骨から下のあたりに触れてもらい、自分も相手の同じ場所を軽く触れてオーラを感じるというものだ。
 生で見るJURIは黒い髪を長く伸ばし、全身黒いドレスを身につけていた。切れ長の瞳はなんでも見透かしているようで、占われるバンドのメンバーたちも緊張した面持ちだった。

 しかしなんという偶然! 
 取材が終わったあとに女性だけで何人か食事でもしましょうという流れになり、よーし、お近づきになれるチャンス!とばかりにJURIの向かいに席をゲット。
「黒百合姉妹のファンなんです。うちの留守番電話に曲を使わせてもらっています」
と音楽雑誌の編集者にもあるまじき自己紹介をすると、
「生年月日を教えてください」
と返された。
 うーん、さすがプロの占い師。
 いきなり占い始めるJURI。ただしJURIと出会えた喜びがいっぱいでそのときに占ってもらったことをほとんど覚えていない。

「清永さんは赤ワインを飲んでください」
と自身も赤ワインを飲んでいるJURIが言う。
「なんで?」
「あなたは赤ワインがよく似合うからです。そうしてください」
「あ、はい」
 そういわれてから赤ワインを飲み始め、今ではすっかりワイン党(←ビールもウィスキーもいくけどねっ!)になってしまったのだから、人生はわからないものだ。

佑子さん(仮名)の報告

 保育園のお迎えでバッタリと佑子さんと鉢合わせる。
「あれ、ずいぶん早いね?っていうか、もう辞表出したんだったっけ?」
 SEの佑子さんはワンマン社長から突然賃金を下げられたことに怒り狂い、5月には辞表を出すと言っていたのだが、すでに6月も半ば。しかも会社帰りの様子だ。
「あれから行ってきたよ。銀座に。その話もあるんだけど、美央さん、今日予定は?」
「まあ特に何もないけど。じゃあうち来る? 夕食は何か出前でも取る?」
「いいねえ。じゃあお邪魔するよ」

ということで、佑子さんは子どもたちを引き連れて我が家へ。子どもたちは子どもたちで勝手に遊んでいる。
 缶ビールで乾杯しながら、佑子さんは本題に入る。
 話によると銀座の先生は初めに、会社の状態や社長の話を長々話し始めたらしく、佑子さんが、
「会社の話はもうどうせ辞めるんだから、どうなろうとどうでもいいんです」
と言っても、
「スパっとは辞められませんよ。長引きます」
と言われてしまったそうなのだ。

「冗談じゃないよ、スパっと辞めたいのにさあ」
「で、結局スパッと辞められたの?」
「労働局に駆け込んだんだけど、手続きが結構かかるらしく、会社にまだ行ってるのよ」
「じゃあ、先生の言ってること、当たってるじゃん」
「これに関しては微妙よね。ずっとかかるっていうようなこと言われたからね」
「他は何言われたの?」
「他は実家のこととか、ダンナのこととか」

 佑子さんは銀座の先生に言われたことを一通り教えてくれて、
「でもね、1回目の方が感動だったな。今回はちょっといまひとつな感じ。まあだからといって2万円損したとは思わないけど、何せ1回目のインパクトが強かったから。その分、2回目は感動が薄れてたってことかな」
と自分自身を納得させるかのように、ビールをぐいっとあおっていた。

早紀ちゃん(仮名)がうちにやってきた

早紀ちゃんがうちに電話をしてきて10日ほど経ったとき、本人がうちに遊びに来ることになった。
 おばあちゃんちがたまたまうちから歩いて5分とかからないところにあったらしいので、我が家のあたりに土地勘のあった早紀ちゃんは、ワイン片手に「どぅもどぅも~」と言いながらやってきた。

 子どもたちが、
「この人だれぇ?」
と寄ってきた瞬間、英語講師としてのスイッチが自動的に入ってしまうのか、
「ハロゥ~、エヴゥリワン! アイム・サッキー、ユー・マスト・ビー・A(娘の名前)アンドL(息子の名前)!」
と異様にテンションが高くすっかりネイティブ化する早紀ちゃん。久しぶりに早紀ちゃの英語聞いたけど、やっぱりうまいよなあ。それなのに、
「はあ? なんで英語しゃべってんの? 日本人なのに!」
と身も蓋もないことを言う子どもたち。
「キャン・ユー・スピーク・イングリッシュ? オッケー、レッツ・トーク・イングリッシュ!」
 めげない早紀ちゃん。
「いいよ、日本語で(←言われていることはわかっている)」と娘。
「日本語しゃべってよ」と息子。
 早紀ちゃんがどれだけ英語で話しかけても、全部日本語で返す子どもたち。

 ガックリと肩を落としているところに夫が帰ってくる。
「ハァーイ、アイム・サキ。ナイスチューミーチュー」
と再び流暢な英語で夫に話しかけるものの、
「あ、こんばんは。はじめまして」
と夫からも思いっきり日本語で返されて、それでも英語で話し続ける早紀ちゃん。よっぽど英語が好きなんだなあ(←感心)。

 早紀ちゃんも交えて夕食を摂り、子どもたちもお風呂に入れたあと、夫が外でゆっくり飲んでおいでよと勧めてくれたので、早紀ちゃん行きつけのロック・バーに出かけた。
 その店はうちから歩いて5分ぐらいのところにあった。
 カウンターだけの狭い店でカウンターの奥にアナログのターンテーブルが2台置いてあり、壁は一面アナログのレコードが隙間なくビッチリと置かれていた。
 かかっていたのはシロい感じの80年代ロックが主でスミスとかアダム&ジ・アンツとかジョイ・ディビジョンあたりのイギリスのバンドのものが多かった。
 そういった懐かしい音楽がそれほど大音量でもなく、いい感じで流れてくる。
 この手の店に来るのはどれぐらいぶりだろう。
 
 軽く音楽談義をしたあとで、本題に入る。
 しばらくお互いの仕事の話を報告し合いながら、特にお互いが関わっている分野についての意見交換は、喧々諤々の議論になってしまった。
 なぜなら早紀ちゃんが師事している団体のやり方と私のかつての上司、鋼鉄の女との手法は水と油でまったく合わないからだ。
 早紀ちゃんが師事しているこの世界のカリスマおばあさんと鋼鉄の女は犬猿の仲で、特に鋼鉄の女は蛇蝎の如くカリスマおばあさんのことを嫌い抜いていた。
 お互いがそれぞれから多大な影響を受けているために、今後のエデュテイメントのために何か考えるという話にはなかなかならず、双方の言い分はまるで代理戦争の様相を呈していた。

「なんかよ、ケンカみたいになってねぇか?」
「確かに」
「あとよぉ、公教育で個人が参入することって可能かな。俺の住んでいる市がやっている英語教育って学校によってバラバラでよぉ。どこの学校に通っているかによって受けられる教育が変わっちゃうんだよ。そういうのって、公教育の平等性からいっておかしいだろ? たとえば俺がお前と組んで市の教育委員会に入り込むってありなのかな?」
「ないね!(←キッパリ) 長年英語教育に携わっている会社がその信用をバックに市教委に話を持っていったって、なかなか入り込むことなんてできないんだよ。ましてや個人相手だとボランティアの地域の人材として活用されるのがオチだよ」
「そうかぁ~、厳しいなあ。なんかないかなあ。まあボチボチ考えてくか」
「うん。この少子化の時代に教育関係で何かとなればよっぽど考えないとね」
「そりゃ、そうだ」

 会ってみたところでなかなか妙案は浮かばない。
 さてどうなっていく?

2009年11月28日土曜日

5月の終わりに②  

 北部長(仮名)にパンフレットの編集をお願いするかもと言われたその日のアフター・ファイブ(プップ)は、前の会社の後輩・山木(仮名)と三原(仮名)と先輩の森重さん(仮名)がうちに遊びにきてくれることに。
 山木はすでに前の会社を辞めていてベンチャー系の管理職の仕事をしていて、三原と森重さんはまだ会社に残っていて、たまたま今同じ部署にいるという。
 この日は夫が会社の飲み会で帰りが遅くなるということで、うちで家飲みをすることになったのだ。
 
 前の会社からうちまで4駅しか離れていないけど、みんなが我が家に到着したのは9時過ぎぐらいと遅く、どうしても仕事が終わらなかったのだという。
 どうやら毎日みんな終電近くまで仕事しているらしく、こういうのを目のあたりにすると、つくづく生きがいとかやりがいとか以前に早く帰れるというのはありがたく、そうでないとジジババが近くにいない私たちみたいに子どもがいる家庭は、仕事との両立はとてもむつかしい。
 森重さんはうちの息子と同い年(年中さん)の男の子がいるが、ご主人が専業主夫をして、代わりに森重さんがバリバリ働くという役割分担をしている。
 夫婦双方の意思統一が図られているのなら、それもひとつの方法だと思うし、女性としてもカッコいいと思う(私にはあいにくそんな甲斐性はないが)。
 
 子どもたちも寝かしつけ、女4人、飲みながらくっちゃべる。
 やっぱりこのメンバーだと話題は、“前の会社の現状”に尽きる。
私と山木は辞めてしまっているけど、やっぱり最初に入った会社というのはいつまで経っても気になるもの。
前の会社が以前より雰囲気が悪くなっているだとか、業績が悪いだとかといったネガティブな話を聞くと、辞めるときに死ぬほど悩んだので、「ああ~、私はいいときに辞めたんだな。やっぱり辞めて正解だった」とホッとする反面、すごく好きな会社だったのでやっぱりいつまでもカッコよくあってほしいとも思う。

 残念ながら森重さんや三原の話を聞くと、音楽業界自体ダウンロード問題などで縮小しているし、会社自体すでに業界No.1の地位を他社に奪われてしまっていた。
会社の雰囲気も変わってしまったらしく、失敗を恐れずイケイケでチャレンジする豪快さも、オヤジどもにゴマをするのはダサいとする反抗精神もどこかに吹っ飛び、今では何も企画しない人、ひたすら上に気に入られるためにゴマをする人が偉くなっていくという空前の閉塞感の中でみんな汲々としているという。
何よりも辞めて10年以上経つが、新陳代謝していないので、丸々10年分年をとってしまっているのだ。
かつてレコード会社定年40歳説というのがあったが、それも今は昔か。

「そうそう、清永さん、○○さんって覚えてる?」
「ああ、いたね~、そんな人」
「その人がね、仕事はしないわ、部下は潰すはどうしようもないんだけど、××役員に気に入られていてぇ~。そうそう××役員に☆☆ちゃんがセクハラされて大変だったんだけどぉ。それはさておき、○○さんが転勤するにあたってぇ~」
などという話で盛り上がっているところに、携帯が鳴る。誰かと思えば早紀ちゃん(仮名)だった。

「よぉ~。つぅか、あれ? ずいぶん賑やかだなぁ」
「前の会社のメンバーが遊びに来てるんだよ」
「おお~、誰が来てるんだよぉ?」
「山木と森重さんと三原」
「俺、三原しか知らねぇなあ。三原に代わってくれよ」
「三原! 早紀ちゃんから。電話代わってくれって」
「早紀ちゃんって、樫村さんですか? ええ? なんで清永さんのところに電話かかってくるの?」
「知らないよぉ~。今、彼は実家の学習塾を継いでるんだよね。で、去年バッタリ教育関係のフォーラムで会って、2ヶ月ぐらい前にランチしたんだよ」
「へえ~、そうなんだぁ? 意外ですね」
と言いながらしばらく早紀ちゃんの電話の相手をする三原。
って、いったい彼は何しに電話してきたんだろう。

「樫村さんが清永さんに電話代わってくれって」
 そう携帯を私に戻す三原。
「何?」
「この前よぉ、俺、フォニックスのCD作るって話したよなあ?」
「聞いたよ」
「やっぱさ、教育関係者が作る教材っていうのはCDの音質だったり選曲がイマイチなわけよぉ。テキストにしてもそうでさ、エンターテインメントの要素を入れないとさ」
「それで?」
「うちも少子化で生徒が減ってきてるしよぉ、ここいらで何かやらないといけないわけよ。でよぉ、俺としては教育の仕事だけやってるって物足りないわけよ。やっぱ、元がレコード会社出身の人間だからよぉ。お前もそうだろ? こうエンターテインメントの要素がないとよぉ、つまんないんだよなぁ。かといって今さらエンターテイメントだけの世界には戻れないけどよぉ、そこでだ。両方の世界を知ってる人間ってのは貴重なわけでよぉ、お前と組んだらなんかできそうな気がするんだよ」
「なんかって何よ」
「たとえば教材とかよぉ」
「うーん」
「まあそれが何かはわかんないけどよぉ、一度会って話しようぜ。いろいろと出てくるかもしれないぜ。CDのラフも聞いてほしいしよぉ」
「いいよ」
「じゃあ近いうちに連絡するわ。お前も何か考えておいてくれよ」

ということで電話を切った。
 うーん、もしかしたら5月に何か頼まれるっていうのは、北部長のパンフレットの件ではなく、この早紀ちゃんの電話に関わることなのか?
確かに教育に関わることだから“先生”と呼ばれる仕事といえなくもない。
うーん、うーん、これっていったいどうなるの?
早紀ちゃんと組んでできることなんてあるのか?
謎が謎を呼ぶ展開になってきた! さてどうなる?

2009年11月24日火曜日

5月の終わりに①

 私が来年以降2本柱でやっていくと言われた仕事(ひとつは人に何かを教えたり伝えたりして先生と呼ばれる仕事、もうひとつはクリエイティブな仕事、執筆活動になる可能性大)の展開がまったく読めない。

 「クリエイティブな仕事」に関してはT書店の本田くん(仮名)は「営業に読ませます」と言ったきり、なんの進展もないし、3月から先生に言われた通り、ブログを始めてみたものの、これでどうこうなっているわけでもない。
 
ましてや「先生と呼ばれる仕事」に関しては、さっぱり何がなんのことやらわからない。
 「5月、7月、9月に“先生と呼ばれる仕事”に関して何か頼まれるでしょう。そのときはボランティアでも引き受けること」と先生から言われたけど、すでに5月も終わり。
 なんだよ、はずれてるじゃんかよぉ~と思っているときに、会社の後輩の浅井さん(仮名)とランチへ。
 
今はフロアーが分かれてしまったが、半年ほど彼女とは同じフロアーで席が近かったこともあって、それ以来仲良しだ。
 彼女が関西人であること、彼女の上司が私の大学の先輩にあたることなんかも親しくなる要因だったが、何よりも仕事もバリバリ頑張りながら、いつもおしゃれできれいにしているところが私的に“いい感じ”なのだ。
 そんな彼女は33歳。私と8歳違い。恋に、仕事に、人生に、大いに悩み、もがいている。
 そこがまたいい。
 いいぞ、いいぞ。もっともがきなさい。そのころは私だって大いにもがいて、悩んで、苦しんだんだから(←ちなみに今は開き直ってるかも。いいじゃん、許してよ。その分、年くってるんだから。それがオバサンになるということなのか!?)。

 20代後半から30歳前半の独身で仕事をしている女性が、もし何にも悩んでいないんだったら、私はそういう女性を絶対信用しないことにしている。
 だってそうでしょ。真剣に生きているからこそ、この時期は悩むのだ。より良く生きたいと、仕事だけじゃなくて女としてどう生きていくのかということも含めて、この時期は悩むものなのだ。
 悩んで、もがいて、その分だけ女性は鍛えられる。
 そういう意味では、浅井さんという女性は正しい時期に正しく悩み、もがいていると言えよう。
 と、本人にそう言ってみたところで“寝言は寝て言えよ”と思われているかもしれないが、それもまあ良しとしよう。

 さて話は戻るが、彼女とのランチである。
 「どうですか。最近。占い通りにいってますか?」
 浅井さんがトマトソースのパスタをフォークでクルクルと巻き上げながら聞く。
彼女には銀座の先生の話もしてあって、私が書き上げた小説「エッサウィラ」もブログも読んでもらっている。
「それがさあ、もう5月の終わりなのに、“5月、7月、9月で何か頼まれることは、ボランティアでもいいからやれ”ってことなんだけど、そんなの何もないんよねぇ」
「今日は29日ですからねえ。まだ今日も入れたら3日もあるやないですか」
「そうは言っても今日って金曜日やし、もう何もないやろ」
「いやぁ~、わかりませんよぉ。決め付けないでギリギリまで待ってみましょうよ」
 なかなか楽観的な浅井さんだ。

その日の午後、たまたま浅井さんのいるフロアーに用事があったので顔を出してみると、彼女の上司である北部長(仮名)がニコニコしながら近づいてきて、
「ちょうどいいときに清永さん!」
と両手を広げて抱きつかんばかりの勢いだった。
 「清永さんって、編集者経験あるよね?」
 「ええ、まあ」
 「あのさ、もしかしたら手伝ってもらうことがあるかも」
 「????」
 「今、ちょうどうちの部署でパンフレット作ろうと思っててさあ。でも作れる人がいないわけよ~。手伝ってくれるとうれしいんだけどなあ~」
 「はあぁ~」
 「そんときは声かけるからさ、よろしくねっ!」
 そう言いながら去っていく北部長。軽いぜっ!

 「もしかしたら北部長が言ってたことが、清永さんの5月、7月、9月に頼まれることだったりして」
 と浅井さん。
 「うーん、でもボランティアだって。これ会社の仕事やん。っていうか部署どころか事業部も違うから、その作業だけ手伝うっていうのも無理やろ?」
 「確かにねぇ~。けど北部長、やり手やからうまいこと手伝ってもらえるように根回しするかもしれませんよ。それにほら、今日のランチのときも言ったでしょ。31日までちゃんと待ってみなきゃわかりませんよって」
 「それはその通りやねぇ~」

 う~ん。これって・・・・。 
果たして北部長の仕事を手伝うことが、「何か教えたり伝えたりして、先生と呼ばれる仕事」に結びつくのか。
 それとも単なる会社の仕事、すなわち業務命令にすぎないのか。
 はたまた北部長の思いつきにすぎず、この場のノリだけの話なのか。
 いったいどうなるのでしょうか?

2009年11月21日土曜日

里美さん(仮名)、お受験組になる

 日曜日の朝は子どもたちのバレエ・デー。月1回の見学日以外は子どもたちのレッスン中は気の合うママ同士でくっちゃべるお楽しみタイムだ。
 詩音ちゃん(仮名)ママこと里美さんが、ニコニコしながら切り出した。
 「うふふ、行ってきましたよ。銀座2回目」
 「おお~」

 里美さんの1回目の占い結果は4月のブログに書いた通り。
 1回目は里美さん自身、先生に言われたことにあまり突っ込まず、また言われたこともそれほど覚えていなかったので、いまひとつ傍で聞いていてもわかりにくい鑑定結果であった。
 特筆すべきは「引越しの相が出ている」ということと、「ダンナが女々しい」という2点ぐらいか。
うーん、ここ最近、2回目の人が増えてるなあ~。

 「美央さんのところ、G大附属T小だって言われたって言ってたでしょ。うちも国立狙っているから、詩音の受験のことを診てもらおうかと思って行ってきたんですよ」
 「おお~、それでそれで?」
 身を乗り出すバレエママ友たち。
 「でね、国立は出てないって」
 「うーん、残念」
 「しかもこれから受験の準備をするのはちょっと遅すぎるって」
 「厳しいなあ」
 「けどギリギリ間に合うかもだって」
 「おお~」
 「そのためには行きたい学校を本人に選ばせろって言うんですよ」
 「幼稚園児が自分で学校なんてどうやって選べるっていうの?」
 「でしょ? まあ、でもいっしょに小学校のホームページとか見たりして、なんとなく情報を得てるんだけどね」
 「でもさあ、子どもが学校の教育理念とかに共鳴するわけではないから、結局選ぶのっていったら制服とかそういった見た目しかないでしょ」
 「その通り! 銀座の先生からも多分制服とかで選ぶでしょうって言われていて、制服もね、襟がこうって(と大きめな襟を両方の人差し指で表している)、変わった制服なんだって」
 「国立はないっていうことは私立だよね」
 「そうそう。で、アーチェリーとかエアガンとかのクラブがある小学校なんだって」
 「なんだそりゃ。私立ってぇのはそんなすごいクラブとかが小学校のときからあるわけ?」
 
「なんかね、先生が弓を射るようなジェスチャーをやたらとしていて、そういう動きみたいなのが見えたらしい。でね、詩音ったらいろんな小学校の制服を見て、ついに私ここにするっ!って決めた学校があったの」
 「ほう、それは?」
 「それがね、よりによってS女子学院なのよ!」
 「ひょえ~!!!」
 「しかも制服が変わっていて襟が大きい!」
 「おお~」

 ちなみにS女子学院とはカソリック系で、大学まである超お嬢様学校で、やんごとなきお方の母校としても有名だ。
 「セレブっぽいねえ~」
 「さすが家2軒の財産持ち!」
 「学費高そう~」
 「ここってマジで“ごきげんよう”ってあいさつするらしいよ」
 「だって先輩を“お姉さま”、後輩を“エンジェル”って呼ぶんでしょ?」
 「すごすぎっ!」
 好き勝手なことを言うママ友たち。

 「でもね、ここ、エアガンとかアチェーリーのクラブなんてないんですよ」
 「ふつう、ないよっ!」
 「で、銀座の先生が言うには、詩音は演劇とかやらせたほうがいいって言うんだけど、でもこの子の行く学校に演劇部はないわって言われて、でも調べたらS女子学院ってちゃんと演劇部があるの。ってことはS女子学院以外に行くのかしら? あと今回がダメでも小学校の途中で私立に行くことになるって」
 「小学校の途中から私立なんて行けないでしょ? 中学の間違いじゃないの?」
 「それがね、調べてみたらS女子学院って小学校の5年生で転入生を受け入れてるんだよね。もちろん試験を受けなきゃいけないんだけど」
 「ということは早くても遅くてもどっちみちS女子学院に縁があるということだね」
 「そのようですねえ」

 「じゃあ、これから大変だね」
 「うん。一応、お受験塾も入れてみました」
 「あ~あ、子育てってほんと、お金かかるねっ!」
 「まったくです」
 
 そう言いながらも里美さんは新たな楽しみを見つけたように、満足げに微笑んだ。

2009年11月13日金曜日

佑子さん(仮名)の憂鬱

 うららかな春の日の昼下がり。メール着信が一件。送ってきたのは娘のクラスのママ友佑子さんだ。
 佑子さんは3人の子持ちで上のお兄ちゃんの件で、一度銀座の先生のところで診てもらったことは4月のブログでも紹介したとおり。
 娘と同い年の莉奈ちゃん(仮名)は同じバレエクラスに通っていたが、1年前に辞めてしまっていた。
 そのとき佑子さんは「日曜日のバレエの待ち時間にママ同士でくっちゃべっているのが、最高の息抜きになっていたのに」と莉奈ちゃんがバレエをどうしても辞めると言って聞かなかったことをずいぶん残念がっていた。
 送られてきたメールの内容は、なんと銀座の先生に関するもの。

 「最近、銀座の先生のところに行った? または行ったって知り合いの人いる?」

 あら~、佑子さんったら、また先生のところに行く用事でもできたのかしらとオバハンのヤジ馬根性丸出しで速攻、電話をかける私。
 「銀座の先生のところだったら今年の1月下旬に私は2回目行ってきたし、そのあとに泰子(仮名)も行ってるよ」
 「ええ! 美央さん、2回目行ったんだ。やっぱりまた1カ月ぐらい待たされるのかな?」
 「1ヵ月どころか、最近じゃ2カ月待ちだよ」
 「2カ月!」
 「けど泰子は緊急だって言い張って10日ぐらいで予約を取ったらしい。夕方とかじゃなければ比較的取りやすいんじゃないかな」
 「あ、それいいこと聞いた。いいの、私どうせ時間いっぱいあるから、朝だろうと昼だろうと行けちゃうし」
 佑子さんは意外なことを言う。だって彼女はフルタイムでめいっぱい働いていて、いつも時間に追われている。
 「来週、保育園の懇談会あるじゃない。そのあと美央さん空いてる?」
 「空いてるよ」
 「じゃあそのときにちょっと相談に乗ってよ。あと2回目で銀座の先生に言われたことも教えて」
 「いいよ~」

 こんな電話のやり取りから1週間後。懇談会のあとに我が家でビールを飲みながら語り始める私たち。
 うちの子どもたちと佑子さんの一番上のお兄ちゃんを除く2人の子ども計4人は、女の子同士はリカちゃん人形で遊び、男の子同士はトミカで遊んでいるので、しばらく放っておいてもよさそうだ。

 「あれからね、銀座の先生のところに予約入れて行くことになったよ。美央さんの言う通り2カ月先だって言われたけど、平日の昼の早い時間にしてもらったら1ヵ月後には予約取れたよ」
 「今度はどうしたの? お兄ちゃん落ち着いた?」
 「うん、おかげさまでお兄ちゃんは担任の先生も変わったこともあってずいぶん落ち着いたよ。相変わらずKYだけど。今回はね、実家のゴタゴタのことと、私の勤め先のことで聞きたいことがあるんだ。けど会社のことはもう今月中にカタがつくだろうから、もう先生のところに行くころには終わっちゃっている話になるけどね」
 「何? 会社がどうしたの?」

 佑子さんによると、彼女はIT関係のSEとして働いているが、社長がワンマンで彼女が3人目の子どもを妊娠したときに、人事から3回目の産休取得は認められないと圧力をかけられたらしい。その話は当時私も聞いていた。
 佑子さんは法律を盾にとり、3回目の産休育休も無事取り終えたが、会社に復帰したときは管理職の立場を解かれ、毎年年棒の交渉があるこの会社では収入も25%ほど引かれてしまったらしい。
 これだけでも重大な法律違反だが、佑子さん自身に3回も産休育休を取ったという罪悪感があったこと(本来ならそんなものをまったく感じる必要はないのだが、まだまだ日本の会社ではこういった制度を活用することに罪悪感を植えつけられるような土壌があるということだ)、管理職の責務から逃れられ実際に残業時間が減り子育てとの両立がしやすくなったというプラス側面もあり、本人もそれで良しという状態がこれまで続いていたという。
 ところが今年に入ってこのワンマン社長が突然佑子さんの存在を思い出したのか、今年の年棒の交渉時に突然金額の書いた紙切れが渡され、その金額が元々の金額の25%差し引かれた現在の年収のさらに半額になっていたというのだ!
 元々の金額からいくと75%ほど減額されてしまう計算になるという。
 それはあんまりだ。

 「だからもう、やってられないから辞めようかと思って。で、どうせ辞めるんだったら会社を訴えてから辞めるつもりでいるんだよ」
 「それひどいね!」
 「でしょう~!! だからこのことはもうカタもつくだろうし、初めて銀座の先生のところに行ったときに、ちょうどこの時期ぐらいに会社を辞めて自分で仕事を始めるって言われたから、時期は合うんだよね。だから具体的な話を聞きたいと思って」
 「なるほどね~」
 「銀座に行ったらまた報告するよ。ちなみに美央さんは2回目何言われたの?」

 順を追って2回目に銀座の先生のところに行って言われたことを報告する私。
 「なるほどね~。いいじゃん。いいことばっかり言われてて」
 「えへへへ。まあね。けど言われた結果、絶対に教えてよ」
 「もちろん」

ということで、佑子さんの報告を待つことに。

2009年11月11日水曜日

早紀ちゃん(仮名)とのランチ

 4月の半ば、突然前の会社の先輩早紀ちゃん(♂)から電話が入った。都心まで出かける用があるから、ランチを食べようというお誘いだった。
 バッタリ教育関係のフォーラムで再会して5ヶ月ぐらい経っていた。
 会社の近くの交差点で待ち合わせをして、京都の町家風の一軒家になっている知る人ぞ知るレストランで私たちは松花堂弁当を頼んだ。
 久しぶりの再会なのにアルコールがないのは寂しいが、いかんせん仕事中なので仕方がない。

 「んで、清永はいったい教育のどの部分の仕事をしているわけ?」
と前置きなくいきなり突っ込んでくる早紀ちゃん。この「んで」と話の頭につくのは昔からこの人の癖だ。
 大雑把に今の仕事の話をすると、早紀ちゃんは「うむうむうむ」と大きな声で呟き、
細かいカリキュラムの話や指導法の話をひとしきりしたあとに、
 「要はさ、俺、前の会社辞めた後は同業他社であるA社に行ってさ、結局4年ぐらいそこにいたんだけど、社風が合わなかったわけよ。どっちみちオヤジの塾は継がなきゃいけなかったら、いつ継ぐかという話だけだったんだけど、2年ぐらい前にA社辞めて塾の仕事始めてよぉ」
 早紀ちゃんはせわしなくお弁当のお煮しめを口に放り込みつつ、ずっとしゃべっている。
 この店のお弁当はきっちり京都風の味を守っていて、板前さんの職人的なこだわりを感じさせてくれる逸品なのだが、早紀ちゃんがずっとしゃべりまくっているので、いまひとつ味わえない。
 密かに今度から彼とどっかでご飯を食べるときはこういう繊細な味のものではなく、ガンガンお互いしゃべり倒してても味覚に影響を及ぼさないガッツリとした味わいのものにしようと心に決める。

 「2年ぐらいやりゃあ、だいたい塾経営のノウハウは掴んできて、授業ももうバッチりやれてるわけよ。で、家の仕事だけじゃつまんないからJ-SHINE(小学校英語指導者認定協議会の略。一定の講座を受ければ小学校で英語を教える指導員としての資格を得られる。ただし国家資格ではない)も取ってよぉ、近所の公立の小学校でも教えてるわけよ。でもそれも結局ボランティア程度の金しか出ねぇし、最近マジで少子化でうちの生徒も減ってってるのよぉ。俺も結婚して子どもふたりいるからよぉ、かみさん専業主婦だし、稼がにゃあかんつぅーことでよぉ、なんかしたいわけよぉ」
 「なんかって何よ?」
 「取りあえず教材でも作るべって、CD作るのは得意だからよぉ、ミュージシャン呼んでフォニックスを取り入れて、レコーディングしたわけよぉ。で、K社は幼児向けのCDいっぱい出してるからよぉ、今日はそこに行ってこんなの出しませんかって営業に行ってきたってことよ」
 「ほぉ~」
「そんでさ、今偶然お前もなんでかしらないけど、教育の仕事してるじゃん。被ってる要素もあるからよぉ、まあ情報交換なんかしてだなぁ。組めるところは組めればいいかなって思ったわけよぉ」
 「うちは中で仕事が全部完結しちゃってるから、組めるところっていうのはないよ(キッパリ)」
 「全然かよ?」
 「うん、全然だね。なんかあったら連絡するけど」
 「そうか、じゃあしょうがないな。あ、すいません。ご飯お替りくださーい!」
 突然、ご飯をお替りする早紀ちゃん。

 2杯目のご飯を掻きこみながら、
 「まあ、仕事はおいおいだな。ところでよぉ、お前んちの子ども、小学校はそのへんの区立入れるのかよ?」
 話の矛先を変える早紀ちゃん。
 「そのへんの区立でもいいけど、来年、再来年と小学生になるのが続くし、ダメもとで国立は受けてみるけど」
 「ダメもとなんて言ってちゃだめだぜ。みんな受かるつもりで受けてるからよぉ」
 「そういうあんたんちってどうなのよ?」
 「うちの娘は今、小2になったんだけどよぉ、G大附属O小行ってるぜ」
 「え? マジ?」
 G大附属O小とは国立小学校のひとつで、うちの子どもたちが銀座の先生から受かると言われていたG大附属T小の系列校だ。
 国立4校の中でもO小は離れたところにあるので、受けるかどうか迷っていて、受けない方向で考えも固まりつつあるところだった。
 なんとその小学校に早紀ちゃんの娘が通っていたとは!

 「記念なんて言う親がいるけどよぉ、受験なんてもんは受かるつもりでやんないと。うちだってかみさんがW(国立に強いと言われているお受験塾)に早くから入れてよぉ、ガンガン勉強させてたからね。で、お前んちはどこ受けるんだよ」
 「記念なんて言う親はうちだけどさ。一応G大附属T小とT大附属T小とO女かな。G大附属O小は遠いからパス」
 「おいおい、G大附属O小はいい小学校だぜ。それは絶対に保障するよ。遠いってたってよぉ、お前のところの最寄駅からだったら全然大したことないぜ。それより遠いところからみんな通ってきてるからよぉ。悪いこと言わないから受けるだけだったらG大附属O小受けてみろよ。絶対にオススメだから」
 それから早紀ちゃんはいかにG大附属O小がいい小学校かを熱く力説する。

 「そんなにいい小学校だって言うんだったら、受けるだけ受けてみようかな~(←簡単に流されている)」
 「おお、そうしろそうしろ。受かったらラッキーだし、ここの情報だったらいくらでも教えてやるぞ」
 となぜか早紀ちゃんに説得されて受けるのをやめようと思っていたG大附属O小も受ける方向に転がったのであった。
 ずっと音信不通だった早紀ちゃんとひょんなことでバッタリ再会したのも、もしかすると小学校受験の助言を受けるためからだったのかもしれないと、そのときはチラッと感じたのであった。

2009年11月10日火曜日

意外な再会

 ある日、思わぬ人からランチのお誘いのメールが来た。
 その人の名は樫村早紀(仮名)。早紀(さき)と聞けば一見女性の名前だけど、彼はれっきとした男だ。まあたとえていうなら亀井静香や押阪忍みたいなものか。
早紀ちゃんは前の会社の一期上の先輩なのだが、昔から私は彼に対してなれなれしくファーストネーム+ちゃん付けで呼んでいる。
前の会社を10年ほど前に辞めたあと、とんと消息はわからなかったのだが、2008年の11月、私たちは意外なところでバッタリと顔を合わせた。

10年前に音楽業界から足を洗った私は今の会社に移り、社内で部署異動を繰り返し、流れ流れて、今は教育関係の部署にいる。
音楽業界と教育業界はまったく似ても似つかぬ世界で、それぞれの業界に向いているタイプも全然違えば、付き合う人種もまったく違う。
音楽業界にいたときは、毎日が変化に富んでいて付き合う人たちもでたらめで不規則な生活ながらも楽しいこと悔しいこと腹の立つことなどジェットコースターに乗っているみたいに次々といろんなことが起こる日々だった。
若くて独身なら最高に楽しい生活だが、20代後半からいずれは結婚をして子どもを産み育ててという人生プランを考えていた私は、音楽業界に踏みとどまっていてはワークライフバランスが取れないと考え、悩んだ挙句30代前半に学生時代にめちゃくちゃ憧れて、念願かなって入社できた会社を辞めた。
今でも退職届を出して駅に向かう途中に振り返って見た本社の背後でゆらゆらと揺れる大きな夕焼けをありありと思い出せる。

その後、縁あって今の会社に入り、思い描いていたように結婚もして、子どももふたり産み育て、仕事も無理なく続けるという理想どおりの生活をしている。
たまたま教育関係の仕事に関わることになったのだが、前にいた部署が最悪すぎた(←詳しくは3月のプロローグの章参照のこと)こともあってか、決して居心地の悪い世界ではない。
自分にとってべらぼうにおもしろい仕事かと言われれば答えはノーだが、自分の子どもを持つことによって教育の世界にも興味が出てきたし、何よりも規則的な9時5時的な生活が送れることは大きい。
最優先事項が家庭となった今は自分にとってのやり甲斐などは二の次、三の次だ。
 そんなときに教育関係のフォーラムで早紀ちゃんと出くわしたのだ。

 早紀ちゃんはアメリカの大学を卒業後、前の会社に入社して得意の英語力を買われて国際部にしばらく在籍していたが、その後社長の肝いりで出来た社内レーベルのメンバーの一員になった。
 その社内レーベルは制作1から7まであって、それぞれのレーベルには4人か5人のメンバーが配置されていた。ひとつのレーベル内で制作から宣伝までするというのは今ではふつうに行われているようだが、当時は制作と宣伝はきっちり分かれていたから、画期的な組織形態だった。
 社長のもくろみは1から7までのレーベルを横並びで競わせ、ヒットを狙うというものだった。
私は制作1でモロッコ音楽の制作をしていて、早紀ちゃんは制作2だか4だかで、邦楽アーティストの宣伝をしていた。
早紀ちゃんが国際部にいたときに散々仕事をしたというメンバーがふたり制作1にいたことから、よく私たちの部署に顔を出していて、それでなんとなく仲がよくなったのだ。

早紀ちゃんはまったく異性を感じさせない人で(といっても線の細いゲイタイプとかではない)、なおかつあまり業界業界していないタイプの人だった。
プライベートでは早紀ちゃんの異業種のお友だちを紹介してもらい、みんなで飲みに行ったり、湯沢にある早紀ちゃんちのリゾート・マンションに泊まったり、ドライブに出かけるなど、大学のテニスサークルのようなノリで遊んだものだった。
 
意外な場所で早紀ちゃんと再会したのだが、お互いに時間もなかったので、名刺だけ慌てて交換して別れた。
早紀ちゃんの名刺は東京郊外の学習塾の塾長になっていた。
そういえば実家が学習塾をやっているという話を昔聞いていた。どうやら実家の跡を継いだようだ。

「こんなところで会うとは夢にも思わなかったよ。今度連絡するから飲みに行こうぜ」
と言い、久しぶりに会った早紀ちゃんはしばらく会わなかった歳月の分だけきっちりおじさんになっていた。
 私も意外な再会に驚き、そして懐かしくちょっぴりうれしくなったが、その後は何度かのメールのやりとりだけで終わってしまっていて、再び早紀ちゃんのことを忘れかけていた矢先にランチのお誘いがあったのだ。

2009年11月9日月曜日

みっちゃんの教育論②

花見のあと、陽太(仮名)ママことみっちゃん(仮名)が酔っ払いながらも教育論をぶつ。
「でも2011年には指導要領も変わって授業の時数も増えるじゃん」
なぜか文科省の肩を持つようなことを言う私。
「遅いっ! 子どもは勉強一筋で良しっ! ガンガン詰め込むべし! 詰め込み賛成っ!」
「おお~」
「うちの陽太は暁星とかT大附属T小のようなスパルタ式のところでガシガシしごいてもらいたいのっ。きちんと学力を付けてくれるのが学校の仕事でしょう。けど最近の先生は怒らないっていう話だし、学級崩壊の話も聞くし」
「モンスター・ペアレンツも話題になってるよね」
「そうそう。それで私立に学校訪問したり公開授業を見たりしたんだけど、本当に高度なことやってるんだよね。先生も熱心で指導力が高いし・・・・」

その後、延々とみっちゃんが学校訪問した私立校がいかに素晴らしかったかという話が続き、みっちゃんの私立びいきさ加減にはびっくりさせられた。
もうほとんど私立原理主義者の域に入っているではないか!

「他にもね、宗教を取り入れている学校が良かったの。うちは特定の宗教を信じているわけじゃないけど、何かを畏れ敬う気持ちっていうのはなかなか宗教教育を通じてじゃないと身につかないから、そこははずせないポイントなの。美央さんはそういうの何かないの?」
ええ~? そうねえ~。子どもの教育かぁ~。
改めて言われてもねえ~。
基本は子どもが健康で幸せで、食べていくのに困らないスキルを身につけること。
あとはプラスアルファかなあ。

「ほら、うち受験っていっても準備してるわけじゃないし、占いでG大附属T小に行くって言われちゃったから、その気になって受けるだけだからね」
「ああG大附属T小ね。自由な校風で子どもにとっては楽しいらしいよね。でも藤吉さん(仮名)のところの雪美ちゃん(仮名)もそうだし、Aちゃんも受験ということだったら、お互い切磋琢磨してがんばりましょうね。情報交換もしましょう。国立はうちも全校受ける予定だから、いっしょにやっていきましょう。今度SG会が出しているスケジュール表とか模擬の予定表とかがあるから、持ってくるよ。ほんと、美央さんも受験組(←おいっ! いつからだ!?)でよかったわ」
そうみっちゃんは言い終わるや、ビールを一気飲みし、
「受験、いっしょにがんばりましょうねっ!」
と瞳をキラキラさせながら、私の両手を握り締めた。

2009年11月8日日曜日

みっちゃんの教育論①

 先行き不安な春にも桜は咲く。
 2009年のお花見は王子の飛鳥山公園へ。
 メンバーは、うち、右京家、松野家、藤吉家という娘のクラスの飲み会メンバー+ベイカー家(すべて仮名)。

 ベイカー家のパパはアメリカ人のジョン。ITエンジニアの仕事をしているジョンは来日5年にして日本語がペラペラで、「さんまの恋の空騒ぎ」で日本語を覚えたという。
ママのルミ(仮名)は私と同い年。なんと開業医で半年前から夫の保護者バンド「オヤジズ」にベーシストとして加入している。なんでも医者になる前はセミプロのような状態で都内のライブハウスに出まくっていたらしい。
なんでもこのふたり、出会い系サイトで知り合い、そのまま出来ちゃった婚へ突入したという高収入な肩書きからはイメージしにくい方法でゴールインしている。
ジョンとルミの娘リリー(仮名)は3歳で同じ保育園に通っている。リリーはジョンそっくりで、金髪でくりくりとした瞳のためか、ハーフというより100%白人にしか見えない。息子より1つ下のクラスだけど、気が合うらしくよくくっついて遊んでいる。保育園でもふたりがくっついて遊んでいると、先生たちからペアのお人形さんみたいだねとなどと言われているらしい。
ルミがオヤジズに加入したことと、外国人保護者同士気が合うのか、このところベイカー家との付き合いが密になってきている。

まあ今年の花見はオヤジズ・メンバー+藤吉家ということになったのだが、ひとしきり桜も見て、ひとしきりお酒も飲んで、夜風も冷たくなってきたということで2次会は我が家で。
妊婦の洋子(仮名)と由美子(仮名)は先に帰り、我が家での飲み会も10時過ぎた頃にはボチボチとみんな帰っていったのだが、なぜか残ったのは松野家の光子(仮名)ことみっちゃんひとり。
夫であるカズヒロ(仮名)は酔っ払うと唐突に宣言する。
「じゃあ、みっちゃん、子どもたちを連れて先に帰れ! 俺はまだ飲むっ!」
ということもあれば、
「俺は子どもたちを連れて先に帰るっ! みっちゃんは残って飲んでろっ!」
というパターンもあり、いずれにしろ毎回なぜか一緒に帰ろうとはしない。
この日のカズヒロは、「じゃあ、光子置いていくから。美央さん、光子と飲んでて」と子どもたちを連れてとっとと帰ってしまったのだった。
謎なカップルだ。

「じゃあ、みっちゃん、ゆっくり飲もうか」
「わーい。じゃあ改めて乾杯~」
子どもたちも夫も寝てしまい、急にシーンと静まり返った部屋で飲み始める私とみっちゃん。
「そうそう、陽太(カズヒロとみっちゃんの息子)、受験するんだって?」
「うん。SG会(お受験対策幼児教室)にも入ったよ」
「月謝っていくらぐらいするの?」
「基本は7万円で・・・」
「7万!?」
「それに強化コースや対策コース、合宿なんかも入れると20万ぐらいになることもあるかな」
「すごいね。カズヒロはOKなんだ」
「パパはなんにも考えてないからね」
みっちゃんは福々しい笑顔を浮かべる。一見彼女は気のいい肝っ玉母ちゃん風だが、なんといっても世界のSの管理職だ。
しかも四谷雙葉出身のお嬢様で、こういう人を見ると本物のお嬢様は決して派手ではなく、ブランドモノで身を固めるなどといったわかりやすいことはしないというのがよくわかる。究極の例が民間に下られた黒田清子さんだ。

「陽太どこ狙ってるの?」
「私立だったら暁星が第一志望で、あとは宝仙と淑徳。国立は全部受けるけど、やっぱりT大附属T小狙いだね」
「じゃあ暁星とT大附属T小、どっちも受かったら?」
「迷うところだけど、国立は月謝がタダだからね。やっぱりT大附属T小だけど、国立はクジがあるから、不確定要素が強すぎるんだよね。しかも私立の方が早いから仮に国立に受かっても入学金は捨てなきゃいけなくてね」
なんだそりゃあ~。まるで大学入試みたいじゃないか。

「Aちゃん(娘)はどこも受けないの?」
「まあ、記念で国立は全部受けるつもりだけど」
「うん、Aちゃん、しっかりしてるから受験向いてそうだよね」
「親の私が向いてないからダメだよ(トホホ)」
「まずね、面接まで行ったら7割は見た目なんだよ」
「ほう~(感心)」
「私立にしろ国立にしろ、バスや電車なんかの公共交通に乗って、遠いところをわざわざ通うわけでしょ。それには体力が必要なんだから、いかにも細くて弱々しい子は通えるのか?ということになってその分不利なんだよね。その点、Aちゃんはだいじょうぶ!」
ええ、ええ、そうでしょうとも。
うちの娘はタテにもヨコにもデカく発育がいいので、逆にまだ小学生ではないということに驚かれてしまう。いかにも健康優良児然とした姿で華奢ではかなげな要素はゼロだ。
見た目のじょうぶさを競うだけだったら、うちの娘はどんな難関校でも突破しそうだぞ。

「まあ、またなんでそんなに小学校受験にこだわることにしたの?」
松野家の住まいはMZ小学校区に当たり、公立でも我が区の中の屈指の人気校だ。高級住宅街にあるMZ小は場所柄裕福な子が多く、ほぼ100%の子どもたちが中学受験をするという特殊な小学校だ。
隣接選択性を取っている我が区では、隣り合う小学校は各校定員40名まで選択が可能で、MZ小は40名の定員に対して毎年3倍の希望が集まり、公立のくせにクジによる抽選があるという。
みっちゃんはもとより、単なる酔っ払いとはいえ夫のカズヒロも高学歴エリートである。ふたりの子どもだったら頭はいいだろうから、中学受験からでも十分だろう。
私のイメージの中では小学校受験させる親というのは、よっぽどの金持ちで代々我が家はこの学校と決まっているところか、両親の頭脳に自信がない小金持ちの親が、お金にモノを言わせて小学校のうちから一貫校にねじ込んでしまうというパターンのどちらかだった。

「まずね、ゆとり教育反対っ!」
「おお~」
アルコールも結構回ってきているせいか、いきなりテンションの高いみっちゃん。
おお、いいぞ、おもしろい展開になってきた。

2009年11月6日金曜日

春が来た♪②

 今年の春は転職運があると言われていた夫。
 社長(イギリス人)と折り合いが悪く、周期的にターゲットにされることもあって、その度に“もう辞めたい”と愚痴る夫。
 仕事の内容の割には待遇(主に給与面)に納得がいかないらしく、転職を狙っているが、なかなか叶わない。
 ある意味悪運が強いのか、破たん前のリーマン・ブラザーズやAIGの最終面接で落とされて、のちに胸をなでおろした話は以前した通り。

 定期的に会社の愚痴を言う夫に、“本当は2年半後のほうがいいんだけど、今年の春も転職運があるらしいよ”と慰めたものの、それどころかこの不況の影響は夫の会社もまのがれておらず、突然手取り減の状態に陥ることが決定してしまったのだ!

 手取り減の要因は社会保険料だ。
 会社が小さいためか夫の会社は外国人に限って、社会保険料(健康保険、雇用保険、厚生年金)は払っても払わなくても本人の意思次第ということになっていた。
 健康保険は海外のものに入っているし、子どもたちの分は私の社会保険に入れているし、年金はどうせイギリスでも払っていない。
 要は社会保険料を払うメリットが何もなかったので、その分手取りとしてもらい、所得税だけを引かれた手取りから住民税は自分で払い、源泉徴収も自分でやってきたのだ。
 年収自体はたいしたことがなくても、手取りでそれなりにもらえていたため、ダブルインカムでそれなりに暮らしてきたのだ。

 それなのにここにきて、いきなり会社が全員社会保険に入るようにと強引に推し進めてきたのだ。
 これまでも国の方針としては、外国人も社会保険料を払うようにという流れになっていた。
 それを一気に入管法を改正して、ビザの管理は入管、外国人登録カードの発行は市町村と2つの窓口に分かれていたものを一本化して、就労ビザの更新時には就労先の健康保険証提示が条件と改められたのだ。
 もちろんこれまでだって規模の小さな会社でも社会保険加入は強制だが、会社側の負担が大きいためかなりの会社が未加入だというのが現実だった。
 法改正によってもう未加入のままでいいわけにはいかなくなった。
 増え続ける不法滞在者対策なのだが、とんだとばっちりである。

 しかも夫の会社の総務がまたいい加減で算出した社会保険料が毎回違う数字で上がってくるので、夫もぶち切れ、私も自分の会社の総務の人に相談したほど。
 ますます夫の会社に対する愚痴は増え、“会社辞めたい”病はひどくなるばかり。

 「春に転職運というか、それより転職せざるえない状況だな」
 暗い口調で呟く夫。
 「しかもジャック(仮名。会社の社長)のヤツ、どうやら会社をどっかに売るつもりらしいんだな」
「え、マジ?」
ジャックはアフリカ系イギリス人。まったく外人ときたらすぐに会社を売ったり、買ったりしやがる。もうちょっと腰据えて商売しろっていうのっ。

「入管法の改正だけじゃなくて、会社を少しでも高く売るために、全社員社会保険に加入させたということも考えられるな」
「ちょっとちょっと、会社をどこに売るつもりなわけ? あと売られたらどうなるわけ?」
「まあ2、3候補があるだろうけど、そのうちのどこかだと思う。そのあとのことはわからないよ。場合によったらクビかも」
「クビっ!?」
「そうなったらゆっくり勉強もして、日本語もやり直して、君のために毎晩ご飯作ってあげるよ」
 いらんちゅうーの! それより働いて外貨を稼いでおくれ(涙)。

と我が家ではこんな具合に転職運の春どころか、先行き不透明な春を迎えたのであった。

2009年11月5日木曜日

息子のバレエ②

 バレエの体験レッスンの日。
前髪をムースで固めておでこを出した我が息子をうっとりと見つめる私。
イケている! めっちゃイケている! 我が息子ながらなんて美男子なんだ!
鼻息荒く教室に向かった私たち。

教室に入ると一斉に視線が息子に注がれる。女の子ばかりの集団で男の子はとにかく目立つのだ。
愛先生(仮名)も夢先生(仮名)も、
「きゃあ~、Lくん(←息子)、来てくれたのね! やっぱ、美形だよね」
と黄色い声を出している。
さあ、息子よ。お行き。お前のその華麗な容姿と優雅な動作でリトル・バレリーナたちを陶酔させておいで。

3歳ぐらいの女の子たちが4人体験レッスンに加わっている。
2年前、娘も今回体験レッスンに来ている女の子たちのように小さくて、フリルのついたレオタードを着るのがうれしくて仕方がないという様子だったことを思い出す。あのころはスキップすらおぼつかなかったのに、今ではすっかり幼児クラスのお姉さん格だ。
「はい、みんなこっちに集まってきてください」
愛先生が声をかける。自分の子がちゃんとついていけるのか、体験レッスンの見学の親たちはヤキモキしながら我が子を見守っている。
「さあ、Lくん、行ってらっしゃい」
と息子を促すが、なんと息子は私の背中に張り付いていて離れないではないか。

「ちょっと何やってるの? 早く行きなさい」
「いやだ」
「なんで?」
「いやだから」
「おいっ!」

息子よりも小さな3歳ぐらいの女の子たちがきちんと前に出て、可愛らしくバレエの挨拶をして柔軟体操を始めても、ビクとも動かない息子。
「Lくんもこっちにおいでよ」
「そうだよ、楽しいよ。やってみようよ」
 先生たちも声をかけてくれるが、頑なに拒否する息子。
 しゃがんでいる私の背後に回りこんでしがみつき、顔すら上げようとしない息子を無理やり私の正面に立たせてみるが、ぐにゃぐにゃと絡み付いてきて離れようとしない。

「ちょっと、何やってるの!」
「いやだ。やらない!」
結局息子は私にしがみついたまま離れず、1時間まんじりともしない時間を過ごしたのだ。

こんなはずでは・・・。
これまで何人もの体験レッスンを見てきたが、こんなにひどい子は初めてだ。
ふつうどんな子でも一応は参加するものだ。その上でできなかったり、泣いちゃったりすることはあっても、ハナからすべてを放棄する子はいなかった。
しかもそれが我が子!
柔軟体操にもバーレッスンにもスキップの練習にも目をそむけ続け、ひたすら私にしがみつくだけの息子を脅してもすかしても何をしても効果なし。
いったいどういうことなの?

 娘のときはその体が硬さに“ああ~ん、もうなんであんなにできないのっ!”と自分の体が超合金並みに硬いことを思いっきり棚に上げてモヤモヤしたものだったが、息子の場合は“出来るor出来ない”の問題ですらない。

 ものすご~く気の毒な人を見るような視線が見学の保護者たちから投げかけられるのを感じる。
 これではまるで嫌がる子どもを無理やりレッスンに強制的に連れてきた親みたいじゃないか!
 まったくっ! なんて痛々しい展開だ!
 愛先生たちのすがるような視線も目にしみる。

 レッスン終了後。
 「うちの息子、だめでしょうか(←かなり弱気)」
 「お母さんっ! 男の子はこんなもんですっ! 3ヶ月はこんなんでも無理やりでいいんで連れてきてくださいっ!」
 「無理やりですか!?」
 「そうですっ! Lくんは何もしなくても、いてくれるだけでいいんですっ!」
 いてくれるだけって。おいっ! それじゃあレッスン料払っている意味ないだろうっ!
 「王子を! 王子を! バレエには王子が必要なんですっ! ぜひ、Lくんを王子さまにしてやってください。お母さんっ!」
 ほとんど涙目の愛先生。まだ私の背後にしっかりとくっついている息子。
 「マミィ、何か食べたいっ! お腹すいた!」
 「何もやってないくせに、なんでお腹がすくんだっ!」
 「お母さんっ! ぜひ来週もあきらめずにLくんを連れてきてくださいっ!」
 「お腹すいたよぉ~!」

 はあ~。
ええ、ええ。連れてきますとも。だってもう3か月分のレッスン料払っちゃってるんだからね。
前途多難な息子のバレエ生活だ。
これに関しては銀座の先生の予言が当たりそうな可能性大だ。

2009年10月28日水曜日

息子とバレエ①

 同じカルチャーセンターで、私はフラメンコ、娘はバレエを習っている。
 かねてから年中クラスになったら、息子もバレエのクラスに入れるつもりでいたので、4月度から息子の分も申し込んでおいた。

 何度か娘のバレエの見学をさせたこともあったし、講師の愛先生(仮名)に、
 「うちの息子にもバレエを習わせたいのですが」
と以前相談したら、
 「彼だったら大歓迎ですよ♡ もう男の子って本当にいなくて。自分でバレリーノ(男性バレエダンサーのこと)を育てられるんだったら、私、養子に迎えてもいいぐらいなんですよ!」
 と私に抱きつかんばかりの勢いだった。
 愛先生はまだ25歳。養子だなんて大げさな。

 「ぜひ私に預けてください。お母さん(←私のことねっ!)、Lくんでしたっけ。彼を立派な王子様に育てますからっ!」
 そう愛先生は力強く私に迫ったのであった。

 「年中さんになったらバレエをやるんだよ」
 実はここ1年ぐらい毎日息子を洗脳し続けていた私である。
 「うん、ぼく、バレエやるよ」
 可愛らしく頷く息子。よしっ! 洗脳成功!

 4月からのお金は払った(←夫のカードでね!)ものの、3月の半ばにある体験レッスンに一応参加することに。
 女の子はバレエ用のレオタードにバレエ用のタイツ、シューズという組み合わせを着用するが、教室によってはレオタードの色や形が決められているところもあるが、娘が通っているところは所詮、カルチャーセンターなので厳格な取り決めはない。
 だいたい幼児クラスは子どものモチベーションを上げるために、ひらっとしたスカートがついているパステルカラーの可愛いレオタードをチャコットあたりで買う人が多いが、小学生クラスになると大人っぽくスカートのついていないシンプルなレオタードに髪もきっちりシニョンにまとめるスタイルの子が増えてくる。

 男子のスタイルは小学生クラスにいる唯一の男の子、世流寿(仮名・これでセルジュと読む。純日本人。ぷっ!)くんを参考に。
 息子にこういう名前をつける親のセンスは相当寒いが、彼自体はなかなかのイケメンで、大量の小学生女子の中では一服の清涼剤のような役割を果たしている。

 彼の練習着は、上はシンプルな体に合ったTシャツ。色は黒とか白とか何せ無地のヤツ。下は膝が出るぐらいの丈の黒いスパッツ。白いソックスにバレエシューズだ。
 男子のこういう姿は可愛らしくてイケている!
 チャコットで男子用の練習着を買うと、全部で1万円ぐらいかかってしまうので、実家に帰ったときに西松屋で買いだめした無地のTシャツ(1枚300円ぐらい)と光沢のあるタイプのスパッツ(680円!)で代用。シューズは娘が以前はいていたピンクのバレエシューズ。
 いかにもお金がかかっていないが、息子にその恰好をさせてみると、あらっ、不思議!
 激安商品もラブリーなバレリーノの練習着に大変身!
 息子はぼやっ~としてても、一応はハーフである。ぜひ西松屋の専属モデルにでもしていただきたいぐらい、可愛くキマっている!

 「Lくん(息子)!! なんて可愛らしいのっ!!」
 黄色い声を上げ、息子を抱きしめる私。
 「可愛いじゃないでしょ。カッコいいでしょ」
 このところ自分の男子っぷりをアピールするようになってきた息子。
 「ああ、そうねえ~。カッコいいわねえ♡」

  ああ、これなのだ。私は息子のこういう姿を見たかったのだ。
  銀座の先生は、息子にバレエは合わないから、続かない。まあ絶対ダメではないけど、すぐに辞めるでしょうねと言っちゃってくれてたけど、見た目的にはこんなに合っているじゃないか!

 「いつもはA(娘)のバレエを見ているだけだけど、今日はLくんもちゃんとバレエやるからね。できる?」
 「うん。ぼく、やってみる!」
 よし! その意気だ!
 鼻息荒く体験レッスン(娘にとっては通常レッスン)に向かった私たちなのであった。

2009年10月25日日曜日

春が来た♪①  

 2009年の春が来た。
 春と言えば、娘、息子がそれぞれ進級し、娘は幼稚園で言うところの年長のクラスへ、息子は年中クラスに。
 娘が年長とかけて、来年小学1年生。そのココロは?

 そう、いよいよ小学校受験の幕開けだ。
 といっても、塾通いしているわけでもない我が家にとって、何やらとっても先の話のようでもある。
 こういうのってやっぱりお受験仲間がいたほうがいいんだよなあ~。
 誰かいないかなあと思っていた矢先に、カリンちゃん(仮名)ママこと洋子ちゃん(仮名)と話をしているときに、
 「そうそう、美央ちゃん知ってる? 陽太くん(仮名)と雪美ちゃん(仮名)、SG会に通ってるんだって。由美ちゃん(仮名・雪美ちゃんママ)がSG会に20万振り込んだって言ってたよ」
 「20万!」
 「すごいよねえ~。塾ってお金かかるんだねえ」

 カリンちゃん(右京家)とともに、陽太くん(松野家)、雪美ちゃん(藤吉家)は飲み会コアメンバーである。
 それとSG会とは小学校受験の有名塾で、塾費も高いが進学率も高いらしい。難関校を目指す子がよく入るといわれているところだ(←泰子情報)。

 「カリンちゃんはどっか受けないの?」
 「まあせっかくこの辺に住んでるから(*注:うちの地元は国立4校受けられる)、国立は記念で受けてみようと思うけど、Aちゃん(うちの娘)はどうするの?」
 「うちも国立受けるよ。だって占いでT小に行くって言われたから(←我ながら頭悪そうな発言だ)」
 「(私の発言は無視)まあ国立って9月過ぎてからだから、まだ先の話だよね。で、塾とか行かないの?」
 「え、だって占いで記念でいいって言われたから(←私、やっぱりバカだ)」
 「(やっぱり私の発言は無視)そうかあ、うちも記念だから塾はいいかな」

 そうか、左京家は純粋に記念っぽいから、受験話は松野家と藤吉家にするのに限るな。
 そう思いつつ、それぞれのメンバーを思い浮かべる。
 今後もこのメンバーがちょくちょく出てきそうなので、この際記憶にとどめてもらいたい。

 まずは左京家。洋子とタケル(仮名)のカップル。娘はカリン。
 洋子は管理栄養士、タケルは営業マンというカップルで、洋子の実家は池袋西口1番街の商店街というそのまんま「池袋ウェストゲートパーク」シリーズの主人公マコトが住んでいるところの出身者だ。
 ふたりは夫が組んでいるオアシスのコピーバンド“オヤジズ”のメンバーでもあり、洋子はドラマー、タケルはサイドギターだ。
 高校時代の同級生だというふたりは今年でちょうど40歳。結婚前はインドやヨーロッパをともに放浪したというバックパッカー系カップルである。

そして松野家。みっちゃん(光子・仮名)とカズヒロ(仮名)のカップル。息子は陽太と2歳の茜(仮名)。
 みっちゃんは世界のSの管理職で、カズヒロも外資系コンピューター会社の技術者というエリートカップルだ。
 カズヒロもオヤジズのメンバーで、パートはギターとキーボード。
 ふたりは大学時代からの付き合いで、今年でちょうど41歳。なぜか夫婦そろって生年月日がまったく一緒だという腐れ縁カップルでもある。
ちなみにカズヒロは単なる酒好きの酔っ払いだが、責任感は強く、オヤジスでもリーダーで、保育園でも前年父親初の父母会会長を務め、男を上げた。

 最後に藤吉家。由美ちゃん、ヒロキ(仮名)のカップル。娘は雪美ちゃん。
 ふたりとも厚生労働省の役人で、社保庁の年金未払い等の問題が勃発して以来、「お前かっ!」と飲み会の度にみんなから突っ込まれる因果な職業の人々である。
 由美ちゃん40歳、ヒロキ38歳のカップルで、ヒロキは年下のせいか、いつも由美ちゃんのことをオドオドと「由美さん」とみんなの前でも呼んでいる年金問題カップルである。

ちなみに由美ちゃんと洋子は妊娠中で、なんと6月2日と予定日も2人いっしょだ。これは単なる偶然だが。

 「タケル(←私たちはなぜか人のダンナのファーストネームを呼び捨てにする習慣ができている)は受験どうなのよ」
と洋子に聞く私。
 「ああ~、うちはふたりとものんびりしてるからね」
 「カズヒロとかヒロキとかどうなんだろうね」
 「うーん、松野家も藤吉家もダンナは嫁に言われて黙ってお金出すってパターンじゃないの。そういうお宅のAD(←私の夫)はどうなのよ?」
 「うち? うちのはお金さえかけなければなんでもいいみたいよ。基本的には区立は歩いて20秒だからそこでいいって考え方なんだよね」
 「そうだよね。美央ちゃんち、区立だったら保育園より近いぐらいだもんね。まあ小学校受験に熱心な外人のダンナっていうのもイヤだけどね」
 「まあ確かに」

 とまあ、春が来れば、こんな話が出るぐらいの感じになってきたのであった。

ママ友の書評②

 フリーライターのママ友・井戸田さん(仮名)からメールが来た。
 小説「エッサウィラ」を送って3日も経っていなかった。
 感想は後ほど送りますという文面のあとに、至急プロフィールを送ってほしいとメールには書かれていた。
 私は単純に井戸田さんの読んだ感想を聞きたかっただけなので、意味がわからず適当に書いたプロフィールと、何に使うのか?というメッセージも送った。
 そのあと彼女から電話があり、
 「美央さんはどこの賞に出したいの?」
と唐突に聞かれた。
 あまりに唐突な質問だったので、わけがわからずしばらく彼女のクワバタオハラのクワバタそっくりな顔を思い浮かべていた。

 「ほらK社だったらG新人賞があるでしょ。私もダンナもそこの編集者は顔見知り程度には知っているから送ったほうが良かったら送るけど」
 「はあ?」
 「何? そういうことじゃないの?」
 「っていうか、井戸田さん、私の小説もう読んでくれた?」
 「うん、読んだよ」
 「いや、単純に読んでもらって感想を聞きたかったのと、もう少しいやらしいことを言えば、読んでもらって気に入ってもらえたんだったら、こういうタイプの小説に興味を示してくれそうな編集者を教えてもらえればいいかなあぐらいに考えてたんだけど」
 「ああ、そういうことだったのね。じゃあ、賞には応募しないの?」
 「うん、下手に送らないほうがいいような気がしているんだけど」
 「そうか。私文芸系の編集者はよく知らないから、誰がどうっていうのはわからないけど、単純にK社内の新人賞宛のところに送ることだけだったらできると思ったんだよね」
・ ・・・・・・うーん、どうもこの人とは話が噛み合わない。そんなもん、社内便で送ろうと、こっちから直接送ろうと何も大差などないではないか。

「じゃあ、まあ感想だけでも教えて」
 そう答えて電話を切ったのち、彼女から長文の感想が届いた。
 さすがライターだけあって字がいっぱい書いてあるのには驚いたが、考えたら私は彼女の書いた記事を読んだことがないのだ。

 その感想を読んで私はぶったまげた。
 基本的に褒めてくれているようなのだが、主人公が完璧すぎるというのだ。
 ええええええ~、なんで???
 井戸田さんによると、主人公が完璧すぎるので感情移入できない。たとえばもっと色情狂だとか、抜けているところがあるほうがいいというのだ。
 えええええ~???
である、

 「エッサウィラ」の「私」は基本的に男にだらしなく、仕事も中途半端。情熱だけが空回りし、簡単に周りに流される“痛い女”だ。
 ただ同じ“痛い女”でもそれなりに学歴はあり、有名企業に勤めているという設定にしているだけあって、吉村萬壱や戸梶圭太の小説に出てくるような下流感はなく、心底ダメではないが、プチダメというか、ダメさ加減も中途半端な女として描いたつもりだった。
 それを“完璧すぎる”と言われると、“なんでやねん!!”と激しく突っ込みたくなってしまう。

 その話を後日、私の親友沙織(仮名)にしたら、彼女も激しく“なんでやねん!!”と突っ込んでいた。
 「ええ~、どう考えてもこの主人公、信念はないわ、だらしないわ、仕事できへんわ、自分勝手やわ、貞操観念ないわ、優柔不断やわ、相当あかんやん!!!」
 彼女は電話口で吐き捨てる。
 「うううーん、そうやけど一応モデル私やしなあ~」
 「わかってるって!」
 えええ~、わかっていて、そんなあ~。

 「美央、心配せんでええで。十分、この主人公はダメ女やからな!」
 ううう~ん、別にダメ女自体を描きたかったわけじゃないんだけど。
 「お、赤ちゃん(沙織は無事41歳で可愛い女の子を出産したのだ)がぐずり始めたから、またな。まあ、そんなママ友の書評なんで気にしんとき。十分美央のダメさが伝わってくるから。だいじょうぶやで。じゃあ、ほなな!」
 そう沙織は元気づけてくれているのか、私がただ単にダメなヤツだと言いたいのか、よくわからない反応をして早々に電話を切ってしまった。

2009年10月20日火曜日

ママ友の書評①

 娘の保育園のクラスの保護者たちは仲がよく、よくつるんでいる。
クラス全体でもよく飲み会をするし、一部の親たちだけで集って飲むこともしばしば。
 だいたいいつもつるむメンバーというのは決まっていて、うち、右京家(仮名)、松野家(仮名)、藤吉家(仮名)、井戸田家(仮名)、脇坂家(仮名)、白波家(仮名)あたりがコアメンバーで、中でも右京家と松野家は夫がバンドをいっしょにやっていることもあり、行き来はしょっちゅうだ。

 それぞれの子どもたち同士が仲のいいからという理由ではなく(ただし5~6歳ぐらいの子どもだったら、たいてい誰とでも遊ぶ)、単純に親同士、気の合う合わないだけの基準で付き合っている。
 多少の例外はあるが、そういう家のママたちは私と大して年が違わない。
 35歳になる年で結婚して、36歳になる直前で娘を産んだ私は、地方によっては最高齢ママになるかもしれないけど、うちは都心に住んでいるのでママたちの年齢層が結構高い。
 あとの共通項はママのキャリアもしっかりとあること。どの家の夫たちも協力的で夫婦仲がいいこと。それぞれの子どもたちに弟か妹がいること。そして夫婦揃ってノリがよく、酒好きであることだ。

 また基本的にみんな歩いて行ける範囲のところに住んでいるので、外で飲もうが家で飲もうが電車とか気にしなくていい気楽さがいい。
 まあたいてい誰かの家で飲んでいるので、子どもたちも放って遊ばせておけるし、何か作って持ち寄ったりして、下手に外で飲むよりずっと楽しい。

 例によってみんなで集まって飲んでいるときに、小夏ちゃん(仮名)ママこと井戸田さんと日本の小説家の話になり、ふたりして舞城王太郎はすごいという話で盛り上がったついでに、自分の書き上げた小説についてポロッと漏らしてしまった。

 彼女はこのメンバーの中では最年少の20代後半(というかクラスのママの中でもほぼ最年少)でフリーのライターとして大手出版社を中心にして活躍している。
彼女の夫は日本最大の出版社K社のコミック編集者なので、夫婦揃って出版業界人だ。

 ちなみに娘のクラスはこの夫婦のほかに、飲み会コアメンバーではないが、夫婦揃って日経系の出版社の編集者だとか、同じく日経系の広告を扱っている編プロで編集者をやっているママもいて、私も元編集者なので、出版系限定の飲み会というのも鋭意企画中だ。

 それはさておき、井戸田さんに小説の話をすると、読んでみたいという話になり翌日送ったのだ。
 彼女は若いが、出版系の人間だ。T書店の本田くん(仮名)とどう違う見方をするのだろうか。

 それよりも彼女はママ友でもある。ママ友というのは性的なものを匂わすべからずという不文律があると私は考えている。そこが単なる友だちとの大きな違いだ。
 女全開で子育てはできないし、第一家族ぐるみで付き合うのにそんなものは邪魔なだけだし、警戒されてしまう。
 当然この保護者たちの中で、私はお母さんで夫の妻であるという揺ぎない立場抜きでは好き勝手なことは言えないのだ。
 
 だからこそ母でもなく、妻でもないときのことを書いた小説は女の部分が突出しているし、そういうのをママ友でもある井戸田さんに見せるのもいかがなものかという懸念はあった。

 そういう意味で送る前に、「ママ友が書いたものだという概念は絶対に捨ててから読んでね」と彼女に念を押したのだ。
 「うん、わかった~」と彼女はアルコールで頬を染めて答えた。
 その顔には小じわだとか、毛穴だとかは全然現れていない。なんせ私と彼女は一回りも違うのだ。
 私はなんとなくため息をついた。

2009年10月15日木曜日

パイナップル・パイ

パイナップル・パイ

 のんびりとした日曜日の昼下がり。
 パイナップルのパイでも焼くかとふと思いつく。

 それは例によってアレですよ。

 銀座の先生から“私の守護霊さまがパイナップルでパイを焼いてほしいとリクエストしているので、夫との共作でもいいので作ってあげてほしい。それが何かのきっかけになるかもしれないから”と言われたことを思い出したからだ。

 しかしパイナップルのパイねえ~。
 私は酒飲みなので甘いものは苦手だ。だからケーキも食べないし、もちろんお菓子作りだなんてとんでもない!
 そんな余分な糖分を甘いもので摂るなんてもったいない。糖分はアルコールから摂るに限りますよ。

 それでも銀座の先生のお告げとならば致し方なし。
 作ってやろうじゃないの、そのパイナップルのパイとやらを!

 しかしノー・アイディアだ。そもそもお菓子作りをしない私にパイ作りのレシピなどあろうはずはない。
 ここは素直に夫のアドバイスを受けるとするか。

 ところがパイナップルのパイだなんて想像もつかないし、わからないと夫は首を横に振るばかり。
 うーん、仕方がない。前回元上司の鋼鉄の女稲橋さんから教わったリンゴのタルトをそのまんまパイナップルに変えて作ってみるか。

 (材料)
缶詰のパイナップル1缶(オリジナルはパイナップルの代わりにリンゴ2個)、砂糖1カップ、卵2,3個、サラダ油1/2カップ、プレーンヨーグルト1カップ、薄力粉1カップ、ベーキングパウダー小さじ2、粉砂糖少々、ラム酒少々

(作り方)
1. 型にサラダ油を塗り、小麦粉を一面にまぶしておく。
2. パイナップルを食べやすい大きさに切り、適当に並べる。(オリジナルはリンゴを四つ切にして皮と芯を除き、ぎっちり詰めて一周する)
3. 卵、サラダ油、砂糖、ヨーグルトをミキサーで混ぜる。
4. 3に小麦粉とベーキングパウダーを入れて、だまができないようにとろりとなめらかになるまでよく混ぜる。
5. ラム酒を適当に入れて混ぜる。
6. パイナップルを並べた型(タルト用)にミキサーにかけたタネを注ぐ。
7. 260℃のオーブンで10分程焼く。
8. いったん取り出して粉砂糖を全体にまぶす。
9. 温度を230℃にしてさらに25~30分焼く。

できあがり♪

 オリジナルのレシピのいいところは主な材料がすべて1カップずつなので、ほかの煩雑はお菓子作りと比べると、まだとっつきやすいところだ。

 さあ~てと、お味は?

 といっても甘いものが得意ではない私には正直言っておいしいのかどうかなんてわからない。
ちなみに家族の反応はといえば、おお~、みんな、まあまあ食べているではないか。

 よそ様の反応も知りたいので、うちのマンションの3Fに住む博恵さん(仮名)のお宅におすそわけ。
 博恵さんのダンナさまも外国人で、うちの娘よりふたつ年上の男の子がいる。彼も同じ保育園に通っていたから、子どもたち同志も仲がいい。
マンションの上下だということで、博恵さんとはそれこそ味噌やしょうゆを借り合う仲だ。

 お互い差し入れするのに慣れているので、博恵さん宅のチャイムをピンポンと鳴らし、ちょっと実験的に作ってみたパイだけどとお皿にラップをかけた状態で手渡す。
 「へえ~、パイナップルのパイかあ~。おもしろいね」
と言いながら博恵さんはイラン産のピスタチオ(激うま)を代わりにくれた。

 後日反応を聞くと、
 「うん、おいしかったよ。ありがとう~」
という答えをもらったけど、本当かなあ~。
 いまひとつ疑心暗儀。

 結局パイナップルのパイを作ったからといって、私と夫の生活は変わらなかった。
今のところ銀座の先生のパイナップル・パイの見立てはハズレなのか!?

2009年10月5日月曜日

悲しいお話③

 川越まで須崎さん(仮名)のお見舞いに山木(仮名)と行ってから、1ヵ月後にフォーシーズンズ宿泊計画を実行した。
 桜のシーズンより1週間早かったが、ホテルの部屋から見下ろせる椿山荘の庭園は桜が咲いていなくても十分すぎるほどすばらしかった。
 さすがは天下のフォーシーズンズ。
 
 須崎さんはすでにレストランで食事をすることが難しくなっていたので、すぐに横になれるように山木とデパ地下でシャンパンやワイン、チーズやお惣菜を買い込んで部屋に持ち込んだ。
 気分を盛り上げるためにルームサービス(←お茶漬け2200円! おにぎり1600円! 金粉でもまぶしてるのか!?)も頼み、同じく前の会社で今も働いている嵐山さん(仮名)も呼び、食べては飲みくっちゃべった。
 ゴージャスな場所でアラフォー4人。
話題は男、仕事、ファッション、人の噂話。
まさに気分は「セックス&シティ」だ。
これで楽しくないはずがない。
 時折須崎さんは体調が悪くなると横になっていたが、私たちが好き勝手にしゃべっていると、体調が復活すると会話にも参加して楽しそうだった。
 ホテルの部屋を満喫し、翌日は須崎さんの体調も良かったので椿山荘を散歩して、私たちは笑顔で別れた。
思えばこのころがフォーシーズンズなんかに泊まれる最後のチャンスだったのだ。

 それから2週間後、再びがんセンターに入院した須崎さんを山木とともに訪ねた。たった2週間の間に須崎さんは自分の力でトイレに行くこともできなくなっていた。
 食事もとれなくなっていて、別人のように痩せていた。
 フォーシーズンズではアルコールも飲み、タバコまで吸っていたのが嘘のようだった。
 ここまできて私と山木はようやく須崎さんは末期がんにやっぱり罹っていたんだということを思い知らされる。
 それまでは頭では理解していても感覚的にわからなかったのだ。やはりビジュアルの力は大きい。
 それでも私と山木はやっぱりバカ話をして、好き勝手にしゃべって帰った。
 須崎さんは「落ち込んでたけど気が紛れた」と言ってくれ、私たちは救われた気分になった。
 それが私たちの聞いた最後の須崎さんの言葉らしい言葉だった。

 それから須崎さんのブログは本人ではなく妹さんや親友の方が代筆するようになった。私たちはブログで彼女の容態や入院情報を知るしかなく、がんセンターにお見舞いに行ってから1ヵ月経ち、次は豊島病院のホスピスに入ったという情報を得て、山木と私、他、前の会社の友人2人の計4人で彼女の元を訪れた。
 私と山木は段階的に須崎さんに会っていたので、ショックは少ないほうだったかもしれない。
 それでも私と山木はそのときの須崎さんを見て言葉を失った。
 もう呼吸も自力でできなくなっていて、呼吸器をつけられた須崎さんは文字通り骨と皮だけになっていたのだ。
 他の2人はどんなに驚いたことだろう。
 パジャマの上からも骨の形が透けて見えた。あれだけふっくらしていた人でもここまで痩せてしまうのか。

 意識が混濁しているという話だったが、私たちが来ているということはわかったようで、必死で何かを言おうとしているのを、山木が制止した。
 山木はこんな状況でも何事もなかったように、世間話を始める。
 私は下手に何かを言えば泣き出してしまいそうで、黙って須崎さんの手を握った。痩せて骨だけになった手だったけどびっくりするぐらい温かく、まだ血が通っているのだと改めて思う。
時折須崎さんの体がビックっと動く。山木は飾ってある花の様子を須崎さんに伝えてあげている。山木以外の3人は山木が何か言うたびに「そうそう」とか「うんうん」とかしかぐらいしか言えなくて、須崎さん本人も「ふう」とか「はあ」とか「うう」とか音を発することしかできないようだった。
「じゃあまた近いうちに来るね」
そう言うのがせいいっぱいで病室を出ようとしたときに、須崎さんは出せる力のすべてを振り絞るように小さく手を振ってくれた。

「私たちが来たのわかったんだね」
「うん。手を振ってくれたね」
 病室を出た後、私たち4人は目を真っ赤にして「近いうちにまた来ようね」と誓い合った。

翌朝、山木から須崎さんが早朝に亡くなったという連絡が入った。
私たちと別れて8時間ほど経ったあとに亡くなったことになる。私たちが最後の見舞客になったのだ。
ちょっと前まではあんなに温かい手をしていたのに。
人って死んでしまうんだ。
そんな当たり前のことが重くのしかかる。
結局須崎さんは銀座の先生のところには行かなかったけど、もし行っていたら先生はなんて彼女に言葉をかけたんだろうか?
今でもずっとそのことが心に引っかかっている。

悲しいお話②

 「そういえば清永の子ってそろそろ小学生ぐらいじゃなかったっけ?」
 アフタヌーンティーで紅茶を飲みながら切り出す須崎さん(仮名)。
 「今度年長になるんで、小学校は来年ですね」
 「お受験とかしちゃうわけ?」
 とここでなぜか受験話に。
 受験話と来たら銀座の占いの先生のことは抜きに語れないので、大雑把に銀座の先生の話をした。
 
 「へえ~、そんなすごい占い師がいるんだ。場所も国立がんセンターから遠くなさそうだね。その先生、病気のこととかもわかるのかな」
 須崎さんは興味深そうに聞く。
 「私の友だちが娘のチックが心配で見てもらったときに、悪いところがあれば黒く見えるって言われたって」
 「じゃあ私のすい臓なんて真っ黒だね!」
 須崎さんは乾いた笑い声を上げる。私はどう反応したらいいのかわからなくて、困ってしまう。
 「どうします? 須崎さん、お姐さん(←私のこと。営業所時代の後輩はなぜかそう呼ぶ)に紹介してもらって行ってきますか?」
 山木(仮名)はなんでもないことのように言う。こういうときの山木は年下ながら頼もしい。
 「そうだね。どうせがんセンターに通ってるんだからね。ついでに行けるよね。でも行って何聞くの? あなたは真っ黒です。数ヵ月後に死にますって言われに行くの?」
 須崎さんは淡々としている。
 そう言われると言葉を失ってしまう。
 「もしかしたら先生、とっておきの治療法とか超名医とか紹介してくれたりして」
 間抜けなことを言っているのを承知で何か言わないといられない私。
 「1千万円の壺を買ったら治りますとかね」
 「それじゃあ怪しい宗教だって!」
 「先生のところって2ヶ月ぐらい待たされるけど、友だちは緊急だって言い張って10日ぐらいで診てもらったらしい」
 「うふふ。確かに私、時間ないもんね」
 力なく言う須崎さん。いかん。どうも私は地雷を踏みがちだ。
 「占いは、やっぱりやめておくよ。どうせ治んないんだし。先のことなんて知りたくないから」
 そう言いながら須崎さんは何回目かの薬を飲み始めた。
 
 「占いといえばタイの占いに行ったことがあって・・・」
 山木が無邪気な様子で切り出す。
 「何年か前の話なんですけど、タイの超有名な占い師に診てもらったことがあるんですよ」
 「ええ~! タイの占い師って何語で占ってもらうの?」
 「ちゃんと通訳とかついてるんですよ。有名な寺院の敷地内でやっていて、すごく並んでましたよ」
 「で、当たってるわけ?」
 「うーん。どうだろ? そこでは38歳で結婚するって言われましたよ」
 「あれ、山木って今いくつだったけ?」
 「ウフフフ、それが今年で38になるんですよ!」
 「おお~!!」
 「そうか、山木も結婚かぁ~」
 「占いによるとね」
 「ああ~、清永も結婚してるし、山木も今年結婚しそうだし、私も死ぬ前に結婚したかったな。“余命1ヶ月の花嫁”みたいになんないかな」
 
 「須崎さん、それよりも前にフォーシーズンズに泊まってみたいって言ってましたよね? その話って生きてます?」
 話の雲行きが怪しくなりそうなところで、山木が話題を変える。
 「うん。お得なプラン見つけたよ。スィートルームはさすがに無理だけど、普通の部屋だったらひとり2万円ちょっとでいけそう」
 「じゃあ、泊まりますか。みんなで」
 勢いだけで言う私。
 「清永、子どもとかだいじょうぶなの?」
 「うちには立派な夫がいるからだいじょうぶ。いざとなればフォーシーズンズだったらうちから近いからすぐに帰れるし、心配ご無用。もちろん山木もだいじょうぶだよね?」
 「もちろんですよ」
 「じゃあ決定!」

 その日、みんなでフォーシーズンズに泊まることを誓い合って別れたのだった。

 翌日、須崎さんからメールが来た。内容は銀座の先生のところがやっぱり気になるので、連絡先を教えてほしいというものだった。
 私は先生の連絡先を書いてすぐに返事を出した。
 行く勇気はないけど、いざというときのために連絡先を持っていますという返事がすぐに戻ってきた。
 私は須崎さんの性格上、銀座の先生のところに行くことはないだろうなと思い、また須崎さんが先生に診てもらいに行くのがどうしても想像がつかなかった。

2009年10月2日金曜日

悲しいお話①

 その週の日曜日は前の会社の先輩・須崎さん(仮名)に会いにいくため、同じく前の会社の後輩・山木(仮名)と川越に向かった。

 須崎さんは私より3つ年上で、新入社員だったときに隣の編集部にいて、そのころはそれほど親しかったわけではないが、その後、レコード会社の営業に異動になったときに、部署がいっしょになり、その後は山木も加わりちょくちょく飲むようになった。
 その後、私が営業所から別の部署に異動になっても、会社を辞めて今の会社に移っても、1,2年に1回ぐらいの割合で会い続けていた数少ない前の会社の仲間だ。
 5,6年前、須崎さんが大阪営業所に異動になり、行くか辞めるかというときにも相談に乗った。
 最後に飲みに行ったのは1年半ほど前。酔った勢いで女子4人で執事カフェに行こうと池袋の町を繰り出したのはいいけど、あいにく休みで次回は絶対に行こうねと誓い合ったものだった。
 それからしばらくして執事カフェに行こうとメールでやりとりしているうちに、約束の日時が決まらなかったのだが、ひょんなことから須崎さんにすい臓がんが見つかったという話を聞くことになってしまった。
 見つかったときには末期だった。

 2008年の11月、私と須崎さんは2人で前の会社のOB会に出向き、そのあとふたりっきりで飲んだ。
 ここ数年で10キロ太ってふっくらしていた彼女は、痩せていて私が新入社員だったころの彼女に戻ったみたいだった。
 痩せてはいたけど、相変わらず微笑んでいるような優しげな表情の彼女のどこに病魔が潜んでいるのか、まったくわからなかった。
 なんとなくがん患者って見るからにがん患者だとわかるかのような錯覚をしていた私にとって、見た目が普通なのに実はがんを患っているっていう現実がどうしてもピンとこなくて、本人を目の前にして何か悪い夢でも見ているような気分になった。
 家族や友人の死というものをほとんど経験したことのない私にとって、今目の前で食べたり飲んだり喋ったりしている人がいなくなるというのが何を意味するのか、想像もつかないことだった。
 ただ本人から「これで会うのも最後かもね」とあっさり言われたときには、考えるより先に涙がこぼれた。
 「清永、なんで泣くの?」
 なぜか彼女は私にそう聞いた。
 なぜ泣けてくるのか?
 難しい理由は何もない。
 もう会えなくなるんだと思うと単純に寂しくなったのだ。

 それから3ヶ月弱。
 その間にも彼女は入退院を繰り返し、山木や彼女の病気を私に知らせてくれた須崎さんの元彼とも時間を合わせてはお見舞いに行ったりした。
 彼女はGoogleでブログを始めていて、私は日々それをチェックしていた。彼女の闘病記は同じ病気で苦しむ人の治療の参考になればというコンセプトで書かれていたので、具体的な病院名、抗がん剤、治療方法、検査数値などが詳細に書かれていて、いかに今の日本の医療は遅れているか、いかに患者の立場を鑑みたシステムになっていないかということに常に怒りを表明していた。
 それと同時にいかに生きるか、いかに死ぬか、日々彼女は悩み、考え、うろたえ、怯え、何かを得てという思索を繰り返し、そういった心情も正直に吐露していた。
 さすがは元編集者が書いた文章だけあり、読ませるブログになっていた。写真もイラストも何もない文章だけのブログ。
 余分なものは何もない潔さに惹かれて、私も同じGoogleでブログを開設したのだ。

 この日の須崎さんは抗がん剤投与から間が空いているので調子がいいと言い、駅で待ち合わせたときも顔色がよかった。
 駅から歩いて5分ほどのところにあるアフタヌーンティーに行き、私と山木は紅茶とケーキを、須崎さんはパスタを注文していた。
 須崎さんと一対一ならなんだか気まずくて何を話したらいいのか、言葉が出なくなってしまいそうだったが、こういうときの山木は自然で気負うことなくいろんな話題を提供してくれた。
若いときの山木は真っ直ぐで正義感がやたらめったら強くって、まじめで融通の効かない暴走機関車のようなキャラクター(←これ、褒め言葉ですよ! 褒め言葉!)が、先輩たちから可愛いヤツと認識され、愛されたものだった。
それがいつの間にこんなスマートさを身につけているなんて、前の会社を辞めたあとベンチャー系を渡り歩き、今や管理職というのも伊達じゃない。

山木の機転のおかげで、私たちは病気の話し以外にも話題のコスメの話、前の会社の人の噂話、映画の話、音楽の話などしゃべりまくり、傍から見たら単なるおしゃべりなアラフォー3人に見えたことだろう。

マスコミOB会新年会②

 本田くん(仮名)に引っ張られて田上さん(仮名)、内山さん(仮名)、森田(仮名)のいるテーブルへ移動した私。
 「おう、清永。読んだで。お前の小説」
 田上さんが私の肩に手を回す。
 田上さんは超大手広告代理店Hの局長代理。何年か前にHの部長就任最年少記録を打ち立てた猛者だ。
 マスコミ志望の学生はもちろんのことOB会の若手もみんな田上さんに憧れていて、田上さんに話しかけるタイミングを今か今かと遠巻きにしながら見計らっている。
 俺様気質の本田くんですら田上さんは絶対的な存在で、いつも田上さんの傍にいて離れない。

 「そうやけど、田上さん、送っても感想かてウンともスンとも言うてこうへんかったやん。てっきり読んでくれてへんかと思っとったわ」
 「何言うとるねん! ちゃんと読んだわ。実は局の女の子にプリントアウトしてもらって、電車の中で読んだんやけど、なんか満員電車の中でスポーツ新聞読んでるオッサンみたいな気分になったわ。やけどめっちゃおもろかったで。続きも送ってくれよ」
 「ほんと?」
 「ほんまほんま。お前、文才あるんやなあ。意外やったわ。それにあれホンマの話なんか?」
 「全部じゃないけど、少しは、ね」
 「それやったらお前、まったく無駄な時間のない人生を送ってるんやな」
 田上さんはそう言いながら私のグラスにビールを注いでくれる。
 「無駄な時間がないって?」
 「だってそうやないけ? あれを読む限りお前、びっちりと男と付き合ってるし、間も全然空いてへんし、ボーとしてる間もあらへんし、それから結婚して幸せな家庭を築いているし、めっちゃええやん」
 
 へえ~。そういう見方もあるんだ。本人的には無駄な時間もいっぱい過ごしたし、無駄な付き合いもいっぱいしたし、回り道ばかりしてきたと思っていたのに。
 
 「それに焦ったわ」
 「なんで?」
 「お前、小説の中で背が高くて足がまっすぐで額が秀でている男がタイプだって書いてあっただろ」
 「うん」
 「それってまさに俺やんけ」
 「あははは」
 「あはははちゃうわ!」
 田上さんったら肝心なところを読み落としている。
 色素の薄い男っていうのを第一条件に入れてたのをお忘れなく。

 「さっきからさ、みんな清永の書いた小説の話しててさ、俺読んでないから寂しい思いしてるんだけど、なんだかおもしろそうじゃん。俺にも送ってよ」
 そう切り出してきたのは内山さん。
 内山さんも超大手広告代理店Hの人で田上さんの1期後輩だ。
 営業畑でイケイケドンドンの田上さんとは対照的に、イベント畑の内山さんは人当たりが柔らかくて絶対に敵を作らないタイプだ。
 部長最年少就任記録を田上さんが打ち立てたあと、すぐにその記録を塗り替えたのが内山さんだったという。
 この2人が社内で大きな力を持っているからか、今やHは我が大学出身者が一大学閥を形成しているらしい。

 「なになに~? そういうときに新聞社を忘れてもらっても困るよ」
とはA新聞の大津さん(仮名)。
 この人は何年か前の花見で泥酔し、靴を片方なくしてしまったことを未だにネタにされ続けているOB会きってのいじられキャラだ。

 「じゃあ内山さんにも大津さんにもメールで送るね」
 「おお、そうしてくれよ」
 「やけど清永、お前マジでなんか賞とか将来取れるかもしれへんぞ」
とは田上さん。
 「いやマジで、頑張りましょうよ」
とは本田くん。
 「なんかこのOB会で清永をどうにかして、この不況下、みんなでおこぼれにあずかるというのもありかもしれへんなあ」
とは再び田上さん。

 きゃあ~!! それはありがたいわ。
 「清永美央 作家への道」の幕開けになるのかしら?

 そのあとその話でさんざん盛り上がるも、どうやらこの場だけで終わりそうだなあという気配も濃厚なのであった。

2009年度版マスコミOB会・新年会①

 2回目の占いから10日ほど経ったころに、恒例のマスコミOB会の新年会があった。
 このOB会はマスコミ業界を中心とする同じ大学出身者の集まりで、もうかれこれ20年以上続いている。
 ここしばらく2月の上旬に新年会をやるのが恒例となっていて、前年の新年会でT書店の本田くん(仮名)と、前の会社で同期でありながらも今や社長にまで上り詰めた森田(仮名)に、書いている小説を読ませろと言われた話は以前、書いたとおり。
 早いものでそれから1年経っていたのだ。

 当日。毎度おなじみ赤坂のまるしげへ。
 ここはOB会の総務部長(←と私が勝手に呼んでるだけだか)こと、大手出版社KB社の八木さん(仮名)のなじみの店で、八木さんと大将の長年の付き合いが成せる業なのか、毎年OB会用の特等席が設けられている。
 わりと早めに行ってみるとすでに八木さん始め、A新聞の大津さん(仮名)など数名がもう飲んでいる。

 その中のひとり法曹関係の出版社Yの古田くん(仮名)と、フリーライターの水野さん(仮名)の3人で、彼にガールフレンドを紹介してあげるという話で盛り上がっているころに、本田くん、森田、広告代理店Hの田上さん、同じくHの内山さん(仮名)なども続々とやってきた。
 本田くんたちは私たちから少し離れたところで固まって飲み始め、何やらみんなでこちらをチラチラ見ながらニヤニヤしている。
 大いに気になるんだけど、こっちはこっちで盛り上がっているのでなかなか抜けて本田くんたちの話の輪に加わることは難しい。
 そんな心の動きを見越してか、森田が、
 「清永! 心配せんでええで~。みんなでしっかりとお前のエロ小説の話で盛り上がってるからな!」
 と叫ぶ。
 「おお~、俺もちゃんと読んだで。あとでその話しような」
とはこの会の大御所田上さん。
そう、夏に本田くん、私、森田、田上さんの4人で飲んだあとに、田上さんにもメールで小説「エッサウィラ」を送っていたのだ。
 まったく、人をネタに飲むとは何事!

 おもむろに本田くんがこちらにやってきて、私の腕を取り、「まあまあ清永さん、こっちこっち」とそのまま私を田上さんたちの輪に引っ張っていこうとする。
 「あら本田くん、お久しぶり」
 そのときにフリーライターの水野さんが本田くんに声をかけた。
 水野さんはノンフィクション系のライターで大手出版社から何冊も本を出していて、そのうちの一部は図書館にも置かれていたりする。テレビでもコメンテーターとしてちょくちょく出たりしているので、ちょっとした有名人だ。
 OB会では女性が少ないことと、元々私は編集者だったことから個人的にも水野さんと飲んだりすることはあった。
 気風のいい姉御肌の女性なので、私はいつも「おねえさまぁ」と甘えている。

 「お久しぶりっす。さあ、清永さん。作家先生。こっちこっち」
 本田くんは軽い調子で言う。
 内心私はあちゃ~!!!だ。
 「作家先生?」
 いつも穏やかな水野さんの顔に険のようなものが浮かぶ。
 ああ~、やっちまったよ。知らないよ~。
 「そうそう、清永さん、文才あるんですよ。作家先生ってこれからは呼ばないとね。じゃあ、水野さん、のちほどです」
 ああ~、本田くんのバカバカ。
 おかげでいつもは優しい水野さんの視線がめっちゃ厳しいじゃないか!!!

 あの、水野さん。作家先生は嘘です。嘘。あと私が書いているのはノンフィクションじゃなくて、エロです。エロ。はい。
 水野さんの守備範囲をなんら侵すものではありませんから、ご安心を!!!

 小心者の私は心の中で叫ぶ。

 けど思い違いでもなんでもなく、「作家先生」のひとことで水野さんの私に対するフレンドリーさはこの日どこかへ消えてしまった。
 彼女にとって、私はまだ編集者なのだ。
 彼女は長くフリーランスとして活躍してきた人だ。会社組織に守られてのほほんとしている私たちとは違う。
 たったこれだけのことで、フリーランスの厳しさの一端を見たような気がした。
 銀座の先生は会社を辞めて私はフリーランスで一生やっていくって言っていたけど、そんな険しい道にこのへタレな私が踏み出していけるんだろうか。

 結局、その日水野さんは二度と私に話しかけることはなかった。

2009年10月1日木曜日

泰子(仮名)の結果報告は?

 「行ってきたよ。先生のところ」
 
 子どもたちも寝静まった頃に泰子から電話が入る。
 夫はすぐ近くなんだから電話なんかじゃなくて会いに行けばいいのにと、いつも言うが、そんなことは大きなお世話だ。
 こういう話はなぜか電話でのほうが楽しいんだよねえ~。

 「どうどうどう?」
 「うーん、結論から言うとだいじょうぶなんだって」
 「そうでしょう。だって真美ちゃんどっか悪そうには見えないもん」
 「先生が言うにはね、体で悪いところがあると黒く見えるんだって」
 「ひええ~。それ怖いね」
 「で、真美ちゃんも連れていったんだけどどこも黒く見えないし、ストレスでしょうって。今年の夏ごろにはもう心配することもなくなりますよって。放っておいてもいいって言われたよ」
 「良かったじゃん。そもそも、心配しすぎだって」
 「実はさあ、心配するにも理由があって、テツ(仮名、泰子の元ダンナ)のお姉さんとかその子どもたちに障害があるんだよ」
 「え、そうなの?」
 「(ここで泰子は詳しく説明してくれるがここでは割愛)」

 「そうか、だからか。なんでチックぐらいでそんなに心配するのかと不思議だったんだ」
 「結果的には真美ちゃんにはまったく影響がないってことだったんだけど、テツの甥っ子と姪っ子の写真も持ってったんだよね」
 「そしたら?」
 「もちろん何も事前に知らせずに写真だけ見せたら、この子たちの中学受験や高校受験が見えないのは、なんでだろうって先生が言い出しちゃって、何かおかしなところがあるって言うんだよね」
 「さすがは先生。恐るべし!」
 「そりゃあ受験なんてするわけないよ。養護学校に行ってるんだから。でもそう言ったら先生、すごく納得してたよ」
 「へえ~、あとは何を聞いたの?」
 「あとは引越しとか。今年はいいって言われたよ。あとはテツのこととかかな。それとママが夏すぎぐらいに誰かに対してすごく腹を立ててるのが見えるって言ってた」
 「心当たりあるの?」
 「うーん、わかんないね」

 「今回で2回目でしょ。全体的な印象としてはどうだったの?」
 「そうだね~。1回目のときのほうが衝撃度が強かったかな。もちろん今回だって行って損したとは思わないけど」
 「でもいいじゃん。心配ないってことだし」
 「まあね」

 とその後もしばらく深夜の長電話を続けた私たちなのであった。
 それにしても体にどこか悪いところがあると黒く見えるってすごい。
 その話がしばらく引っかかって、離れなかった。

2009年9月30日水曜日

ブログ開設

 HANAちゃんがうちにやってきた。約束していたブログを開設してもらうためだ。

 「ブログの内容、決まりました?」
 「うん。あれからいろいろと考えたんやけど、いっそのこと、銀座の先生のこと書こうかなって思って」
 「というと?」
 「先生に言われたことが本当に実現するかどうかに絞って日々のあれこれを書いてみようかなと思うんやけど、どう思う?」
 「ええと思いますよ。ほんまにそうなるかどうかってワクワクするし、前に私が言ってた“作家への道”もそこに含まれるわけですよね?」
 「そうそう」
 「内容はおもろいと思うから、あとはどこでブログを開設するかですよね」
 「HANAちゃんはどこがオススメ?」
 「そうやなあ~、芸能人なんかはよくアメーバーブログ略してアメブロでやってますけどね。ちょっと覗いてみますか」

 HANAちゃんがPCのキーボードに「アメブロ」と入力する。
 いろいろと覗いてみると確かに芸能人のブログが多かった。
 「いらんかったらすぐに消せますから、とりあえずここにブログを開設してみますか」
 HANAちゃんがブログの雛形を作ってくれるが、どうもアメブロはバナー広告がチカチカと入ってきていて、画面がうるさい。
 あとどうやら直接入力しかできないらしく、いったんワードで作成してから貼り付くという方法は取れなさそうだったので、アメブロは私のブログには向いていなさそうだった。
 更新するたびにHANAちゃんに来てもらうわけにもいかないので、自分でも簡単にできて、ワードで作った文章を貼り付けられそうなところがベストだ。

 ひとつそんなブログが思い当たらないわけでもなかった。
 前の会社の先輩が始めたブログがあって、それは文字だけのシンプルなブログで、私は毎日チェックしていた。
 ああいう感じ(内容はまったく違うが)でできればいいのかなと思っていたのが、Googleのブログだったのだ。

 さっそくGoogleのブログを検索してみると、HANAちゃんがさくさくと形を整えてくれて、やってみるとワードからの文章もコピペできるではないか!
 「HANAちゃん、ここがいいわ。ここでしばらくブログ続けてみるわ」
 「私、毎日チェックしますから、ちゃんと書いてくださいね。タイトルとかどうしますか?」
 「そうやなあ。“明るい未来へゴー!”は?」
 「ええんちゃいますか」
 「ほな、そうするわ。英語ではなんていうんかいな。ええっとこんな感じ?」

 「オー、ノー! こんな英語はありません。ちゃんとネイティブ・チェックしてください!」
そこへすかさずチェックを入れる夫。英文を見るとチェックせずにはいられない歩く校正者の面目躍如である。

こうしてこのブログがスタートしたのである。

泰子(仮名)の告白

 「実はさあ、私もあさって先生のところに予約入れてるんだよね」
私が安い子ども時代の思い出に浸っていると、そう突然切り出す泰子。

 互いの家が3軒先の建物という、歩いて数十秒の場所であるのにもかかわらず、ついつい長電話しがちな私たち。
 「マジで? だって泰子ちゃん、めでたく離婚も成立(前回行ったのはその話がメイン)したし、娘はめでたくO女に入ったし、他に何聞くことがあるの?」
 「ねえ、あの銀座の先生って本当に当たるのかな?」
 「ええ? 泰子ちゃん、すごく当たってるすごーい!って前言ってたじゃん。それにO女の制服も当たってたし。あと泰子ちゃんも私に劣らず相当友だち紹介しまくってるでしょ」

 そうなのだ。音大出身の泰子は裕福な友だちが多いのと、みんなロクな結婚生活を送っていないので、すぐに銀座の先生の話に食いついてくるらしい。
 それに加えて、前に娘を通わせていた私立の幼稚園時代のママ友はみんなお受験に熱心らしく、受験結果を占ってもらうために銀座の先生を紹介してもらいたがるのだとか。
 占いといえばずっと恋愛だとか、結婚だとかを診てもらうものだとばかり思っていたけど、受験に強い占い師というのもなんだかいまどきな感じだ。
まあ先生のほうはそんなつもりもないんだろうけど。

 「真美ちゃん(仮名)がね、チックになったっていうか、顔面がピクピクしていて変なんだよね」
 おい! だったら占いじゃなくて、まず行くべきところは病院だろうかぁ~!
 泰子の別れたダンナであるテツ(仮名)瓜二つの真美ちゃんの顔を思い浮かべる。ついこの間会ったばかりだけど、何も異変は感じなかった。
 「普通の人はわからないぐらいほんのちょっとなんだよ。だって幼稚園の先生も気づかなかったからね。一応病院にも行ってるけど、原因はわからないから様子見するしかないってお医者さんは言うんだよね」
 「だったら様子見するしかないよね?」
 「それじゃあだめだよ。私もう心配でおかしくなりそうなんだから」

 泰子は不思議な人で普通の人が気にすべきところにはほとんど無頓着で、別れたテツに「お前、マジで殺す」と脅されても顔色ひとつ変えずにデンと構えていたり、お父さんが末期がんに罹ってあわやというときにも、「だいじょうぶだいじょうぶ」と余裕で構えてたり(←本当に泰子のお父さんは奇跡の復帰を遂げた!)するわりには、こと真美ちゃんに関してはめちゃくちゃ神経質なのだ。
 だから真美ちゃんにとって良かれとあれこれ習い事をさせたり、お金もめいいっぱいかけて気を遣っているのだろう。

 「それにしても銀座の先生、予約取るのに2ヶ月ぐらい待たされたでしょ」
 「ええ~!、こっちは緊急なんだからそんなに待てるわけないじゃん。急を要することなので早急にお願いしますって言い切ったら、昼の早い時間だったらじゃあいいですよって10日で取れたよ」
 「なんだ、そりゃあ~。ゴネたもん勝ちかあ~?」
 「それにうち、今年引っ越したいんだよね」
 「なぬ? それは初耳!」
 
 泰子の実家は橋を渡ればもう東京という限りなく東京に近い埼玉にある。なので埼玉といっても東京のマンションまで車で20分ほどの距離で、実家でもピアノのレッスンを行っている泰子は日々実家とマンションの行き来をしている。
 東京のマンションも賃貸ではないし、学校にも便利なところだ。引越しする理由が見つからない。

 「真美ちゃんがね、おじいちゃんおばあちゃんと暮らしたいって言っていて、O女は23区からしか小学校は通えないから、うちの実家だとNGなんだよね。けど中学は埼玉からでもOKになるから、小学校の6年間だけ限りなく埼玉に近い東京に住もうかと思って、そのための家を探しているんだけど、今年は引っ越していい年かどうかも聞くつもりなんだ」
 「じゃあ東京のマンションと埼玉の実家はどうするの?」
 「マンションは貸せばいいし、埼玉の実家はレッスンで使うからそのままだよ」
 「じゃあ6年間のためだけに家を借りるの?」
 「家なんて借りないよ。土地を買って家を建てるんだよ」
 「なぬ~?」

 お金持ちっているもんなんだなあ~。
 娘がおじいちゃんおばあちゃんと住みたいって言ったからって、車で20分ほどの距離にお互い住んでいながらも、新たに家をポン!っと建ててしまうなんて、絶対に庶民には考えられないことだ。

 「で、6年経ったらその家どうするの?」
 「ええ~? そんなの誰かに貸せばいいじゃん。なんだったら美央さん、借りてくれる?」
 「あ、いえ、結構です」
 
 とりあえず占い結果を後日聞くということで長い長い電話を切ったのであった。

2009年9月14日月曜日

泰子(仮名)のレクチャー③

 泰子のレクチャーは続く。

 「で、銀座の先生は国立、全部受けろって言ってるんだよね?」
 「そうそう」
 「日程はね、T小が一番早くて、T大附属T小が一番遅いんだよね」
「へえ~(感心のへえ~)」
「T小だけじゃなくて、全部受けるのなら、場慣れの意味もあるんだけど、T小が一番早いでしょ。しかもT大附属やO女は言っておくけど絶対に記念じゃ受かんないからね。T小は確かにありえるよ。行動観察だけだもん。けどね、生半可な勉強じゃあ、他の国立は無理だからね」

さすが気合が違うなあ~。
ここまで来ると、もしかしたら私って冷たいんじゃないかと思ってしまう。
だってそこまで子どものことに一生懸命なれないもん。
第一、娘の年だった頃の私ときたら、相当ボンヤリした子どもだったので、その頃の記憶がほとんどない。

なんとなく覚えていることといったら、テレビでは「ひみつのアッコちゃん」が好きだったこと。おばあちゃんちへよく泊まりにいったこと。おばあちゃんちに行ったら当時まだ大学生だったオカンの末弟のまっちゃんから「ブス」とよくからかわれていたこと。反撃すると「黙れブス!」と投げ飛ばされていたこと(涙)。それをおばあちゃんに「まっちゃんがブスって言うよ!」と言いつけると、「だいじょうぶ。あんたのお母さんの子どものころは本当に不細工やったから」とおばあちゃんは私を慈しむように抱きしめ、子ども心にどう解釈していいものか大いに戸惑ったこと。まっちゃんがおばあちゃんによく「オフクロ! 金くれよ」とお小遣いをせびっていて、そそくさとお小遣いをあげているおばあちゃんを見て、おばあちゃん甘いよ、大甘だよ!と義憤にかられて、おじいちゃんにチクリに行ったらおじいちゃんから、「お絵かきの紙は机にきちんと垂直になるように置きなさい」とかなりどうでもいいことで叱られたこと。そうだ、まだまっちゃんからお年玉をもたっていなかったと思い出して、「お年玉ちょうだいよ。大人なんだから」と催促すると、「お前にやる金はビタ一文なし!」とものすごい勢いで却下され、それ以降まっちゃんからお年玉をもらう正月は未だに訪れていないこと。
あとはイケイケだった父が私の幼稚園の担任の田中洋子先生(仮名)にフォーリン・ラブしてしまい、「おい、うちのお父さんが先生とデートしたいって言ってるって伝えてこいや」と無茶なことを6歳児に頼み、私も能天気にみんなの前で「先生! うちのお父さんが先生とデートしたいんやって! デートしたって」と言ったものだから、顔を真っ赤にした先生が「そんなこと困ります! 無理です!ってお父さんに伝えてちょうだい!」と激怒し、それをまたそのまま帰って伝えたら、「おんどりゃあ~、先生が根負けするまで何度でも言うんじゃ。簡単にあきらめるな。先生がうんって言うまで帰ってこんでよし!」と虐待すれすれのことを言っていたこと。
オヤジも鬼畜だったが、そういう本人も片っ端からいやがる男の子たちにキスしてまわり、「あいつ、キモい。キス魔」だと陰口を叩かれ、それでも断固として私のキスを拒む男の子には泥水を「さあさあ。これはおいしいコーヒー牛乳だからお飲み」と迫り、色白でぽっちゃりしていた山下くん(本名)に「飲むんだよ。この白ブタが!」と罵り飲ませかけたところで、田中先生に見つかりこってり怒られたこと。
発表会の「浦島太郎」ではこんぶの役(←ゆらゆら揺れてるだけ)だったこと。
家のトイレがまだ汲み取り式で臭かったこと。
そんなこんなの残念だとしかいいようのない思い出が走馬灯のように蘇ってくる。
ああ~、安い子ども時代だ。
それに比べればうちの娘は遥かに立派だ。
「青は藍より出でて藍より青し」とはまさにこのことか(←いや違う)。

2009年9月12日土曜日

泰子(仮名)のレクチャー②

 「模擬って何よ?」
 「本番前に模擬受けておいて、場慣れさせるんだってば」

 すごいよなあ~。そんな子ども向けの模擬まであるなんて。私はなんて世間知らずだったんでしょう~。

 ところがすっとこどい。小学校受験業界はそんな甘いものではなかった。
 もうあれもいかが、これもいかが、と受験に翻弄される親から毟り取れるだけ毟り取ってやれということか、まるで蜘蛛の巣を張り巡らせたかの如き、仕掛けがいたるところに仕組まれているのだと、その後も思い知らされ続けることになるのだ。

 無知な私を教育する喜びを覚えてしまったのか、泰子は惜しみなく、私に情報の雨あられを降らせてくる。

 「あとね、夏季合宿もあるんだからね」
 「合宿って何するの?」
 「そんなの勉強に決まってるじゃん。これはだいたい20万ぐらい取るところが多いよね」
 「そんなのにお金払う親なんているの?」
 「(私の質問には無視)あと基本的なところで、月々の塾代ね。国立に限らずこのへんだったら、SG会、S会、R会、N学が大手で、だいたい週1回で7万ぐらいね。プラスいろいろオプションをつけて10万ぐらいはみておいたほうがいいね。あとは個人の塾とか小さいところで、個人だったら、ある程度有名な大学を出ているお母さんが自分の子どもの受験を成功させてそのノウハウを教えるっていうところもあるし、ペーパー専門だったり、あと受験用の体操教室もあるよ」
 
 もうこの時点でアップアップな私。学校に入ってからがお金がかかるというのに、入る前にそんなにかけていったいどうなっちゃうのだ?

 「受験用の体操教室って何よ?」
 「うちの子も行ってたんだけどね、ほら、デングリ返りをさせるところとか、集団でちゃんと動けるかということを見られたりするから、そういうのを軍隊みたいに徹底的にやらせる教室がちゃんとあるんだよ。料金はちなみにうちが行っていたところは、月々2万7千円だったよ」

 ああ、頭がどんどん真っ白になっていく。誰か私を現実に引き戻して~!!

 「まあT小だっていうんだったら、ペーパーはないから、ペーパー対策はしなくていいと思うけど、何度か模擬ぐらいは受けておいたほうがいいと思うよ」
 「でもそのT小の倍率って吐き気がするぐらいの高倍率じゃん。T小に限らないけど、どこもほとんど宝くじ並なんだから、どう考えても子どもがふたりとも揃っていくなんて天文学的な確率しかないと思うんだけど」
 「でもね、兄弟がいれば優先されるんだよ」
 「なぬ? そうなの?」
 「もちろん、くじは平等だからくじだけは通らないといけないけど、2次以降はね、よっぽどひどい子じゃなければ、上に兄弟がいればそっち優先だよ。Aちゃん(娘)は結構くじさえ通ればT小ならだいじょうぶそうな感じがするし、Lくん(息子)もそれでぐっと有利になるよ」

 なるほどねえ~。どう考えても自由人の息子に受験させるというのは、日光サル軍団のサルにナイフとフォークを使ってフレンチのフルコースを食べさせる調教をするみたいなもんだ。いや、むしろ後者のほうが簡単だったりして。

2009年9月10日木曜日

泰子(仮名)のレクチャー①

泰子(仮名)から伝授された都内の国立小学校情報は以下の通り。

東京都には6校国立小学校があって、それぞれの学校の受験資格に必要な要件はまず該当する学校の通学地域に入っているかどうかというもの。
その通学地域は学校によって違う。たとえばO女は23区内在住が条件だが、K小は通学時間が40分以内という具合だ。

世の中のお受験家族というのは、まずこの通学地域に関して多大な努力を払うらしく、通学地域に合致するところに引っ越しをするのは王道中の王道、なにがしらの理由でそれもままならない場合は、ジジババのところが通学地域に入っている場合はそこに住民票だけ移すとか、ひどい場合には何も関係のない場所に住民票だけ移すという荒業も横行しているとのこと。
 そこで学校側も最近の3カ月分の光熱費の請求書控えを出させたりして、実際にその世帯がその通学地域に住んでいるかどうかのチェックをするらしい。
もうそこまでの話だけでお腹がいっぱいになる私。

ちなみに6校の国立小学校のうち、我が家から通えるのはO女、T大付属T小、G大付属T小、G大付属O小の4校。
これはかなり恵まれた住環境だと受験の通学地域だけ考えた場合は言えよう。
もちろん、今のところに引っ越してきたのは単なる偶然なのだが、ジモティーを除いてこの近所に受験目的で引っ越してくる人も多いのだとか。

 そして我が家から通える4校についての特徴は以下の通り。

 O女・・・抽選でほとんど落とす。倍率は男子が40倍ぐらい! 女子が80倍ぐらい!!男子は中学以降は進学できないため、男子の人気は低め。
抽選→テスト(運動テスト、行動観察、面接)→抽選
校風はおっとりめ。大学まで比較的ストレートでいきやすい。基本的にO女大学以上の偏差値の大学進学をめざす。

T大付属T小・・・倍率は男子が29倍ぐらい、女子が28倍ぐらい。
抽選→テスト(ペーパーテスト、工作、運動、口頭試験)→抽選
校風はスパルタ。1㎞とか2㎞の遠泳とかさせるらしい。勉強についていけないと上には進学できない。ここの高校は東大合格者を1学年で80名とか出している超難関校。研究授業も多く、がっつり勉強をするには最適。おっとりした子やマイペースな子にはきついかも。ペーパーテストは難しく、きちんと受験勉強をした子じゃないと解けないらしい。

G大付属T小・・・うちの子たちが銀座の先生から行くと言われた小学校。倍率は男子70倍ぐらい!! 女子65倍ぐらい!!
抽選→テスト(行動観察、工作、口頭試験)→抽選
校風は自由闊達。生徒の自主性を重んじるらしいので、勉強しない子はとことん落ちこぼれるらしい。中学にはほとんど進学できるが、ここの高校はいきなりレベルが高くなるので、高校まで行ける生徒はそれほどいないらしい。それでも人気はピカイチ、
抽選で結構残すらしく、ペーパーテストはない。行動観察では積極的に友だちと関わろうとする子が有利になるらしい。

G大付属O小・・・倍率は男子24倍ぐらい、女子23倍ぐらい。
抽選→テスト(ペーパーテスト、行動観察、運動、面接)→抽選
校風はG大付属の他校同様、自由闊達らしい。泰子はこの学校にはほとんど関心がなかったらしく、あまり情報はなし。

 「だからさ、銀座の先生からT小って言われるっていうのは、何か説得力があるわけよ。行動観察だけだから、Aちゃん(←うちの娘)みたいな感じの子って通りやすいし、なんていったって、ペーパーがないから」
「そうかあ、一口に国立って言ってもいろいろあるんだねえ~(しみじみ)」
「いくら記念でいいって言われたからっていっても、当然模擬ぐらいは受けるでしょ?」
「模擬???」

もぎ。
カタカナではモギ。
ねえ、5歳とか6歳の子に模擬っていったいなんのこと?

2009年9月7日月曜日

まずはお受験情報だ!

 次の報告相手に選んだのは、近所のママ友にして私と娘のピアノの先生でもある泰子(仮名)。
 彼女は娘の幼稚園受験を2年連続で経験し、2年目で超倍率の高い国立のO女受験を成功させた猛者だ。
 その娘の制服姿を銀座の先生が予言したというのは以前、お伝えしたとおり。
 彼女の受験に費やしたエネルギー、情熱、金銭ともに半端ではなく、その情報収集能力はぜひとも諜報機関等で活用していただきたいほどだ。
 それに引き換え、田舎者で首都圏の教育事情に疎い私。
 公立小学校しか選択肢がない田舎に比べて、東京には選択肢がありすぎる。
 別に近所の公立小学校でもいいんだけど、思いがけず銀座の先生に「国立に行けるから受験しろ」と言われちゃったら、すっかりその気になってしまう。
 
どうしよう。このお受験モード。

いてもたってもいられず、まずは情報収集というわけで、その相手に最もふさわしいのが泰子だというわけだ。

泰子にはまず先生に言われた受験関係の話をする。
「へえ、T小かあ。いいんじゃない。T小。国立の中だとT小が一番試験も早いし、結果が出るのも早いよ」
「そうなんだ」
「T小だとペーパーもないしね」
「え? 同じ国立でも試験内容って違うの?」
「そりゃあそうだよ。求めている生徒像が違うんだから。言っておくけど、T小っていうのはかなり自由な校風で勉強なんて生徒に強制しないから、家でよっぽど勉強させる場合じゃないとやばいからね」
「やばいって何が? っていうか、学校によってカラーが違うの?」
「一口に国立っていってもそれぞれに校風も違うし、試験内容も違うし、あ、もしかして美央さん、国立ってずーっと大学までストレートに行けるって考えてない?」
「え? 違うの?」
「それも学校によって違うんだよ」
なんてややこしいんだ、国立小学校よ! 国立だったら一律にしろよ!
とついつい乱暴なことを考える私であった。

2009年9月3日木曜日

HANAちゃんとブログ

 オカンに電話した後はHANAちゃんにも電話を入れる。
 「今日行ってはるよなあと思ってずっと気になってたんですよ!!」
 開口一番黄色い声のHANAちゃん。
 順を追って言われたことを説明する私。
 「へえ~。ええやないですかあ。いいことばっかり言われてるし。ええなあ、私も行きたいなあ」
 「当たるといいよね」
 「何ゆうてるんですか! 当たりますよ。だいじょうぶ」
 相変わらず心強いことを言ってくれるHANAちゃん。

 「なんやブログを始めるといいらしいわ」
 「ブログですか。ええんちゃいますか。私も実はやってるんですよ」
 「ええ? そうなん? 何関係?」
 「まあ歌やっていることにまつわる日記的なものというのか。最近ブログの場所変えたんですけどね」 
 「ブログって簡単にできるもんなん?」
 機械とかコンピューターに弱い私はブログとプロフの区別もいまひとつわかっていないし、どうもそういう新しいものには尻込みしてしまう。
 「そんなん簡単ですよ。なんやったら私、いつでもご自宅にお邪魔してやりますよ」

 おお~、なんと頼もしいのだ、HANAちゃんよ。
 しかし問題はブログの中身だ。人のブログはちょくちょく読むことはあるが、有名人とかなら単なる日記みたいなものでも読みたいファンはいるだろうけど、何かしらのテーマがないと一般人の書くブログは厳しいよなあ。
写真とか画像をいっぱい取り込んでビジュアルに訴えるにしてもそんなテクニックもないし。

 「たとえば国際結婚されてるわけだから、ダンナさんとの生活を綴るとか?」
 「うーん、“ダーリンは外国人”パターンやね。ちょこちょこブログっていうのか、ホームページでも見かけるよね。けどダンナがトンパ教を信奉するナシ族だとか、温暖化によって消滅しそうなツバルの人とか、一夫多妻制の国からやってきた男で実は私は第4夫人だったとか、ドラマがないとつまんないよね。イギリス人と日本人のカップルなんてありふれてないか?」
「まあトンパ教に比べればそうですけどぉ~。それでも私は知りたいですけどね。それかお子さんたちの成長記録とか?」
「ええ~? 勘弁! そりゃあ自分の子は可愛いけど、そんなの自分だけそう思ってればいい話で、みんな見て! 私の子ども可愛いでしょ的なものって、私の美意識が許さんよ。よっぽどうちの子にドラマがあればいいけど、そんなのないしさ」
「そうかあ~。それやったら、“清永美央作家への道!”ちゅうのはどうですか?」
「それもなあ。室井佑月がメジャーになる前にSPA!でそんなような連載やっとったよ。確か村上龍の愛人になりたいみたいなことぬかしとったけど、で結局つかまえたのは高橋源一郎やろ。速攻で別れたけど」
「その口調は清永さん、室井佑月嫌いでしょ。もうわかりやすいなあ」
「その通り! ブログもなかなか書くネタともなるとないもんやねえ」
「単なる日記でも書いてあることがおもしろかったら私はそれでええと思いますけどねえ」
「そうやなあ~。まあボチボチ考えておくわ」
「私も近いうちにお邪魔してセッティングしますから」
 こうしてHANAちゃんは快くブログ開設の手伝いを引き受けてくれることになったのだ。
 

2009年8月31日月曜日

リベンジの結果は?

 何人かの一級建築士を呼びつけて、合い見積りを取らせて、結果弟の友だちのお兄さんの事務所に決定という田舎特有のウェットな選択を経て、我が家のリフォームは始まった。
20年前、父の友だちだからという理由だけで建築士を決めて、痛い目に遭っているはずなのに、みんななかなか学習しないものである。

 そこで驚愕の事実が発覚する。
 キッチンと洗面台を挟んである壁の中が腐っていたらしく、配線にも達しようとしていて、もう少し放っておいたら、漏電していたというのだ。
 恐ろしすぎるぜ、それって欠陥住宅だろうがっ!

 まあそんなこんながあってオカンはいよいよリフォーム工事開始が近づいてきて浮き足立っているのだ。
 積年のオカンのリベンジやいかに!である。

 「銀座の先生が言うにはリフォームの場合やと、家の外観が変わるって言ってたよ。そのへんどうなわけ?」
 「そんなもん、変わるのは中だけやで、外身なんか変わらんわ」
 「けど店舗部分がなくなるんやろ? シャッターがあったところとかどうするの?」
 「そんなもん、建築家の人があんばようやってくれるで、任せとけばいいわ」
 「!!!」
 おいっ! いいのかそんなんで! 前だってお任せにしてえらい目に遭ってたやろうっ! いい加減人任せはやめろ。
 ああ恐ろしい。あんなダメな町に長年住んでいると、しっかりしていたはずのオカンまでダメになってしまうのか。

 「あと2月中はインフルエンザとかそういったウィルス性のものに気をつけろだって」
 「ふん! 私は体が丈夫やで、ここ8年間ぐらい風邪なんてひとつも引いとらんわ」
 「まあそういう油断が大敵なんやで、気をつけといてよ」
 「でもその占い、本当に当たるんかね?」
 「私的にはいいことばっかり言われとるで、当たってほしいけど」
 「私も診てもらおうかな。たぶん“あなた、男(←間違いなく私の父のこと)に苦労させられてきたわね”って同情されるわ。ふう~(ためいき)」
 「・・・・・」

 「それにしても2万円やろ? 1日5人診たとして10万。週5回働いたとして50万。で、一ヶ月で200万! ひえええ~! いい商売やない。でアルバイト雇って一人月30万も払えばいいやろ」
 「事務所は結構高そうなマンションやったよ」
 「高いっていったって、せいぜい30万とか40万やろ。諸経費が毎月5万かかったとしても、粗利は6割以上はあるやろう?」
 いきなり利益率を計算し始めるオカン。廃業しても未だに商売人だ。
 まあ確かに言われてみれば、占いって流行れば儲かるだろうな。
 そうでなきゃ、細木数子みたいに指が折れるんじゃないかと心配したくなるような巨大な宝石のついた指輪なんてとっかえひっかえできないよね。
 もっとも銀座の先生からはそういった生臭い感じは漂ってこないけど。

2009年8月26日水曜日

オカンのリベンジ

 
 それで出来上がった家はなんとも微妙な按配だった。2階はまあいいのだが、問題は一階で、うちの実家は北東に面した角地に立っていて、南側も庭で隣家とはそれなりに距離があるので、日当たりが抜群にいいはずなのに、リビングが1日中電気をつけていないと真っ暗になってしまうほど暗いのだ。
 それでいてキッチンが丸見えで、居間に続く座敷は無駄に凝りまくった欄干が作られていて、ちょっと放っておくと埃まみれになってしまう。
居間(しかも畳な!)と座敷の南側に面したところには、なぜか押入れと廊下が作られていて、そのせいでせっかくの南側からの光が入らないのだが、廊下というのか縁側というのかから、なんちゃって日本庭園風の庭が見られるようになっている。
そのなんちゃってな庭が父のこだわりの集大成らしく、その庭をひねもす眺めながら、死の淵から蘇った父が、
「どや、大した家やろ。こんな家はここいらにはあらへんぞ」
と人口数百人の狭い田舎の町内で“俺様は一番”とよく自慢していたものだった。

ちなみに高度成長期に突貫で作られたこの新興住宅街は、低い山々に囲まれた盆地に作られていて、アルファベットのCを反対にしたような形になっている。
うちはその逆Cの形の入り口にあたるところにあり、入り口から中心部は一戸建てがずらりと並び、中にはそれなりに立派な家もある。
山に沿って左側には築50年の未だに家賃が1万円もしないという公団群が30棟ほど半円状に広がり、奥にはいわゆる文化住宅群が犇めき合っている。

公団には子どもの頃、友だちも住んでいたこともあってよく遊びに行ったので、まあそれなりに慣れているが、中学時代ヤンキーだったクラスメイトたちはみんなこの公団に住んでいた。かなりビーバップ率の高い地域だといえよう。

その奥の文化住宅群は、ビーバップどころか、公団エリアがお上品に見えて仕方なくなるようなアナーキーなエリアで、もはや秘境といっても良かった。
今でもたまに散歩がてらそっちのほうに行ってみると、なんなく足がすくんでしまう。今から考えると子どものいる家庭とかもなかったかもしれない。
先日も近くまで行ってみたときに、なぜかピカピカのフェラーリが泊まっていて、時折「ギョエエエエエエ~」という奇妙な声が大きくなったり小さくなったりしながら聞こえてきたり、かと思えば鶏の羽が方々に散らばったりして、ここはいったいどこでいつの時代なんだとちょっとしたトリップ感覚を味わってきたところだ。

普通、そういう形の住宅街は山に近い小高いところにお金持ちは住んでいて、低地に一般庶民が住むものだろうが、わが町は逆だった。
この町も今では老人ばかりになってしまい、若者も子どももいなくなってしまった。
それはさておき、父はこんな寂れたダメな町で「俺様は一番だ」とずっといばっていたのだ。わが親ながらアホである。
ちなみに私はこの町が子どもの頃から大嫌いで、物心ついた頃から「こんなところにいたら自分はダメになってしまう。絶対にいつか脱出してやる」と、「成り上がり」における矢沢永吉のように深く心に誓っていたのであった。

父が「このうちはここいらでは一番!」と鼻息荒く自慢するたびに、母は発狂し、
「あんたぁ~、トロいこと言っとりゃあすなよっ! こんなうち、一番なことあらすかぁ(←“あらすか”とは方言で“~であるはずがない”という意味。アメリカのアラスカ州のことではない)!! こんなしょうもない町で自慢になんかなるか! そういうのを井戸の中の蛙っていうんやわ。そのうち絶対に私の思い通りにしたるでねえ!! 覚えとりゃあよ! 人にお金だけ出させてこのままじゃすまさせんでねっ!」
と父を罵倒していたものだ。

それから月日が流れ、近所に住んでいた上の弟家族と同居を始め、商売も畳むことになったので、店舗部分が不要になり、それに伴い念願のリフォームを決行することになったのだ。
20年間、不本意な間取りに耐えに耐えたオカンのリベンジがついに始まるのだ。

オカンの反応

 あまりの占い結果の良さに興奮冷めやらぬ私。ああ~、この調子に乗っている私を誰か止めて。
 スーパー・ナチュラル・ハイになりながら、次の報告相手に選んだのは実家のオカン。

 「もしもし、例の占いに行ってきたよ」
 「あれ、今日やったんかね? どうやったね。何言われたね?」
 順を追って説明する私。オカンは「うんうん」と聞いてるが、たぶん頭に入っていないだろう。きっと明日、まったく同じ話をしても、「へえ~、そうかねえ。それはびっくりやねえ」とこっちがびっくりするような反応を返してくるはずだ。
 父はアルツハイマーなので、これぐらいの反応は当然なのだが、アルツハイマーでもないオカンまでなぜそうなのかというと、それはボケてるボケていないという問題ではなく、彼女は基本的に人に話を聞くということができないからだ。
 その証拠にオカンは違う話題に変わりたくて仕方なさそうなレスポンスをし、一瞬の隙を突いて、さっそく話の主導権を奪う。

 「あんた、そんなことよりも(←なんだよ、そんなことよりもって! 人の話をなんだと思ってる!! 怒)、うちのリフォームのことやて」
 そうなのだ。オカンはここしばらく家のリフォーム以外のことは考えられず、寝ても醒めてもリフォーム、リフォームなのだ。

 なぜなら今からちょうど20年前。家を建て直したときに、まだ当時イケイケだった父がオカンの意見を一切無視して、勝手に図面を引き(←おいおい! 素人が乱暴すぎるだろっ)、連れの大工に言われるがまま、ぼったくられるまま、独断でゴーサインを出してしまったのだ。
 しかも家の取り壊しが済んでまもなくというときに、あろうことか父は夜中、一通を80キロオーバーで逆送し、燃料を積んだトラックが正面衝突して大破。幸い相手方はかすり傷ですんだが、シートベルトをしていなかった横着な父は、体ごとウィンドから車外に放り投げられ、そのあとトラックは炎上、爆発という大惨事に。
 まあシートベルトをしていなかったから助かったのだか、その後集中治療室で生死をさまよい、一週間後に意識を取り戻し・・・、まあそのときいろいろと大変なことがあったのだが、それはまた別の機会でということで、そんなこんなもあり、日頃だったらそんな無茶な家は建てられなかっただろうが、すっかり憔悴しきったオカンは、言われるがまま、オカンが貯めに貯めた虎の子を全額キャッシュで支払ったのだ。

2009年8月22日土曜日

夫の反応

 ルンルン気分で家に帰る。
すでに夫が夕食を準備してくれていて、ちょうど私が帰ったときは夕食が終わりかけていたときだった。
その日はトマトソースのパスタとサラダと魚のソテーがテーブルの上に乗っていて、子どもたちと入れ違いに、私もワインといっしょに夕食をつまみ始める。
「で、どうだったの? その高い占いは?」
夫が皮肉交じりに聞く。
 占い結果を、順を追って説明する。

 「そうそう、お義父さんが姉妹のけんかのトラブルに巻き込まれているって話だけど、ああいうのって間に入るのは普通、お義母さんじゃないの?」
 「普通はそうかもしれないけど、マザーは知らんぷりしてるからねえ。実際、間に入っているのはファーザーで、大変らしいよ。しかし、そんなことまで占いで出るの?」
 「じゃあ当たってるんだね?」
 「うん。その点は間違いなし。それに対処法は関わらないことってその通りだと思うし」
 珍しく占い結果に感心している夫。

 「あとさ、どうする? 子どもたち。本当に国立受かっちゃったら? 受かったらバス通学だよ。送り迎えとかどうするの?」
 「そんなこと、受かってから考えればいいじゃん。そんな宝くじ並みに倍率が高いところなんて受かるわけないじゃん。どうせなら宝くじが当たればいいのに」
 「だから宝くじは当たんないんだって」
 「じゃあ、その占いも当たらないよ」
 「いいじゃん、48歳から仕事運が良くなるらしいんだから。勉強もいいらしいよ」
 「・・・その勉強なんだけど、2つのコースもいっぺんに取っちゃったこともあって、しんどいよ。ちょっとの期間、休むって大学にメール出しといたから」
 「・・・それって、すでに占い、当たってるよ」
 「なんだって?」
 「だって先生、休み休みでいいから最後まで続けろって言ってたから。ご主人ストレスになってますねって、先生、わかってたよ」
 「へえ~」
 「じゃあ、そういうことだから。ママにも報告しなくっちゃ」

 そして私はそのあと速攻で実家のオカンに電話を入れた。

2009年8月21日金曜日

銀座2回目⑲

2回目の占いで銀座の先生に言われたことをまとめると以下の通り。

・子どもたちは国立のT小学校に揃って入る。記念受験でよく、受験勉強は不要だが、国立は全部受けること。

・子どもたちが中学受験と高校受験をする予定がない。高校まで国立の附属でエスカレーター式に行く。

・娘はイギリスか日本の大学に進学し、息子はそれ以外(たぶんアメリカ)の大学に進学する。息子は医学系か芸術系で学費がかかるところに行く。

・夫のお父さんが夫の姉妹たちの仲が悪いことからトラブルに巻き込まれている。対処法は距離を置き、関わらないこと。

・私の実家の引越し(=リフォーム)が見える。家の外観がずいぶん変わる。

・2月中は母が風邪など引かないように注意すること。父のアルツハイマーは気にしなくていい。

・私の仕事が3本見える。1本は会社の仕事。でも薄くなっていく。前みたいに嫌な仕事はさせられていないのが見える。今辞めてもいいが、1~2年後のほうがいい。その後はフリーになる。数人で集って先生と呼ばれる教えたり、伝えたりする仕事と、書く仕事。

・先生と呼ばれる仕事は5月、7月、9月にボランティアで何か頼まれる。そのうち仕事になるので、断らないこと。

・書く仕事はとにかく2010年まで書き続けること。才能もあり世に出る。本も何冊も出版する。英語版は家族が英訳してくれる。

・今年から人脈が広がる。とにかく書いていることを言いまくる。今夜からでもブログを始めること。

・収入は会社を辞めたあと半減はしないが、45歳までは今より少し少ない。45歳でトントンになり、50歳から今より増える。

・ペンネームは本名を使うのは微妙。「清永美央(しみずみお)」がいい。

・夫はいい配偶者。今勉強を頑張っているのが見える。長丁場になるので時々休んでも必ずやり遂げること。本人が考えている以上に成果が出る。今年の春転職運あり。ただ48歳からのほうが上昇運に乗る。50歳で花が咲き、収入も大幅増。

・老後は豊か。イギリスに投機目的で家を買う。国内では賃貸で子どもたちが大きくなったときにもう一度引っ越す。ただし賃貸。子どもたちが大きくなるまでは海外は旅行する程度。子どもたちが大きくなったら、日本とイギリスを行ったり来たりする。

・娘はマジメで息子は天才。息子は世界で活躍する可能性が高い。ただし気まぐれなので興味のあることしかやらない。努力することを覚えること。

・娘のバレエとピアノはとてもいい。続けること。息子のバレエは続かない。ピアノはいい。あとサッカーや乗馬もいい。

・守護霊がフルーツを使ったパイを気に入っている。パイナップルのパイを食べたいらしい。

 「こうやってお話を聞くと、私の未来ってめちゃくちゃ明るいですね! いいことばっかりじゃないですか!」
 「そうですよ。だから何も心配しなくてだいじょうぶですよ。私も楽しみにしてるんですよ。あなたの未来には」
 そう先生がニッコリと微笑んだときに、「もうお時間ですよ!」とドアをコツコツと叩く音がした。
 診てもらってからきっかり1時間が経過していて、扉を開けると髪をところどころ脱色した幸薄そうな派手なんだか地味なんだかよくわからない若い女性が暗い顔をして待っていた。
 「あなたが今日最後だったらもう少し診てあげられたんだけど・・・」
 先生が何か言いたそうな顔をする。
 まったく道に迷って遅れたことが悔やまれる。

 けどおおよそ聞きたいことは全部聞いたし。
 前回よりも明るい結果に胸踊り、ドキドキする私。
 本当に先生の言う通りの未来が開けるなら最高だ。

2009年8月16日日曜日

銀座2回目⑱

 「子どもたちは将来、結婚もするし孫だってちゃんと見れますよ」
 それは前回聞いたとおり。
 「仕事もちゃんと手に職を持ってやっていけますか?」
 「だいじょうぶ、だいじょうぶ。ふたりともちゃんと専門分野でそれぞれ活躍しますよ。向いている仕事はさっきも言った通り」
 おお、よかった、よかった。

 「それはそうと、最近果物を使ったパイ?ですかねえ? そういったものを作りましたか?」
 「パイですか?」
 「あなたの守護霊があなたが作った果物のパイがとってもおいしかったって、おっしゃっているんです」
 「私の守護霊がですか!?」
 なんだよ~、それ~。守護霊って味覚があるの? もしかして貧しい食生活とかしていたら、「もっとうまいもん、食えよ!」とかって、守護霊様に渇を入れられたりするのかしら? 
「また作ってほしいそうですよ」
 うわ! 食べたいものをリクエストする守護霊。毎晩、今日はカレーが食べたいだの、焼肉にしてくれだの、刺身にしろだの催促されたらイヤだろうなあ。
「夫が作ったものじゃなくって、私が作ったものですか?」
「ええ、あなたが作ったものだそうです」

 私は酒飲みなので、基本的に甘いものは家では食べない。ましてやお菓子作りはきっちりきっちり材料を量って作らないといけないので、男の料理的にガガァーと混ぜて、チャチャチャと作るアバウトなクッキングスタイルの私には、スイーツ作りは似合わない。っていうのか、めんどくさい。
 だからパイなんてそんなひちめんどくさいもんなんか、作るわけないじゃないの!

 それに引き換え、マメな夫は毎週末手作りのパンを焼いたり、母の日にはなぜかチーズケーキを焼いてくれたり、毎年子どもたちの誕生日ケーキを焼いたり、極めつけはなんといっても私たちのウェディングケーキは新郎の夫の手作りだったのだ。

しかし突如、私の頭の中で♪チャラララアア~ン、チャラララタアターン♪(←バッハの超有名オルガン曲「トッカーターとフガー」)とメロディが鳴り響く。決して嘉門達夫の「♪タララーン 鼻から牛乳~♪」ではない。
思い出したのだ。
そうだそうだ、確かに作りましたよ。パイ。2ヶ月ほど前に!!
 
 あれは2ヶ月ほど前のことだ。定年退職した元上司・鋼鉄の女こと、稲橋さん(仮名)のところに、何人かで遊びに行って夕食をご馳走になったのだ。
 料理上手な彼女はこれでもかとたくさんおいしい料理を作ってくれていて、最後に出てきたのが、「りんごのタルト」だったのだ。
 「うわ~、これおいしいですねえ」とみんなで言いながら食べていたら、「これ、めちゃめちゃ簡単なのよ」という話になり、誰かが「レシピを教えてくださいよ」と言い出したので、翌日さっそく全員のPCに鋼鉄の女から、懇切丁寧なレシピ(写真つき)が送られてきたのだ。

 こんなものが送られてきて、放っておくなんて小心者の私にはできないね! だってコメントにはしっかりと「清永さんは特に適当に作らないこと。分量をはかって!」と名指しで書かれていたのだ。
 恐ろしい。
 そしてその週末、いそいそと鋼鉄の女のレシピに従って「りんごのタルト」を作ったのだ。
 お味のほうはといえば、子どもたちにも好評であっというまに平らげてしまった。
 もちろん、さっそく写メールで鋼鉄の女に作ったタルトの出来栄えを送り、速攻で「りんごの並べ方が汚い! きちんと縁に沿って円く並べること!」とダメだしを喰らってしまったが、結局ちゃんと作ったのは私だけだったらしく、のちに別の人に「清永さんのああいうところはかわいい」と鋼鉄の女は語ったという。
 まあ鋼鉄の女が怖いばっかりに普通だったら作るはずもない「りんごのタルト」を作るハメになったのだが、先生はこのことを言っているのだろうか。

 「パイナップルのパイ?」
 「はあ?」
 「パイナップルのパイってあるんですかねえ?」
 「さあ? あるといえばあるかもしれませんけど」
 「あなたの守護霊がパイナップルのパイを作ってほしいって言ってるんですよ。意味わかりますか?」
 「いや、わかんないです」
 「ご主人と協力してもいいから、パイナップルのパイを作れって言ってるんですけど、私もパイナップルのパイってなんだか想像できないんですよ。けどこれを作ることで何か新展開があるかもしれないってことみたいですけど」
 「へえ~。まあでもそういうことなら作ってみてもいいですけど」
 「ぜひそうしてあげてください。楽しみにしているそうですよ」
 私の守護霊様って甘党なのかしら?

銀座2回目⑰

 「ご主人が48歳過ぎたら収入もドーンと上がりますよ」
 やったあ~!! ドーンっとだって! いいぞ、いいぞ~。
 「あなたも50歳過ぎたら収入が増えますから、豊かな老後を過ごせますよ」
 キャッホウ~!! 
 「下の男の子の学費が大学でかかりそうですけど、それもそのときのあなたたちの収入ならだいじょうぶ」
 イエーイ!
 「海外生活とかありますかねえ?」
 「子どもたちが大きくなるまでは、海外は旅行ぐらいですかねえ。あとはイギリスと日本を行ったり来たりかな」
 「宝くじとか当たります?」
 「それは当たりません(キッパリ)」
 ちぇっ! なんだ、つまんないの。

 「子どもたちの習い事はどうでしょう? たとえば娘はバレエとピアノをやっているんですけど」
 「両方ともいいですよ。娘さんは努力家だからコツコツやっているでしょう。長く続けることが大事ですから、娘さんにとっていいことですよ」
 「息子なんですけど、息子には今年の4月からバレエを、小学生ぐらいになったらピアノをやらせたいんですけど」
 「バレエですか・・・・うーん、息子さんにバレエは微妙だなあ~。だめじゃないけど、この子、すぐに辞めますよ。好きなことしかしないから」
 「え!? バレエだめですか?」
 
ガーン! 夫はいまひとつ賛成してくれないけど、私は男の子がバレエをやるのはカッコいいと思っていて、しかも女の子と違って圧倒的に男子のバレエ人口は少ないから、どれだけへタレでも必ず王子役は子ども時代、ゲットできるというメリットがある。
しかも親バカかもしれないが、うちの息子はイケメンである。伊達にハーフじゃないぞ。
実際に娘のバレエの先生に、「息子もバレエを習わせたい」と相談したら、「ぜひ♡」と瞳をウルウルさせ、「なんだったら、私、養子にしてでもあの子だったら徹底的に教育しますよ」とまで、言ってくれていたのだ。
 先生にバレエはいまひとつと言われたって、引けないわ。

 「ピアノはいいですよ。彼には芸術的なことをさせてあげてください。とにかくこの子はコツコツと努力することが必要です。あと駆け巡るようなこともいいですよ」
 「駆け巡るってサッカーとかですか?」
 「サッカーもいいですねえ。あと乗馬もいいですよ」
 おい、それこそ学習院のお坊ちゃまの趣味じゃないの!?…………….

2009年8月11日火曜日

銀座2回目⑯

 「さて、あなたのご主人のことですが」
 先生が次に切り出してきたのは夫のことだった。
 「相変わらずいいご主人ですねえ。この人は本当にいいですよ。配偶者の位置にきちんと立っているし、コツコツと努力しているのも見えています」
 「転職はどうでしょうねえ。明日にでも会社を変わりたがっているんですけど」
 「ご主人の仕事運は48歳から急激に良くなります(この時点で夫は45歳)。今年の春も転職はいいですけど、48歳まで待ったほうがスムースですよ」
 ああ、これも前回と同じ答えだ。

 「何か勉強されていますよね?」
 そうなのだ。夫は半年ほど前から通信教育でオーストラリアの大学の経営学のコースを取っている。
 5年ほど前も同じ大学で、言語学を働きながら夜、コツコツ勉強しながら3年ほどで修了し、大学院の修士号を取得した。
きちんと決めたことをやり遂げる姿勢に私は大いに惚れ直し、尊敬したものであった。

 しかし言語学の修士号と言うのは彼の知的好奇心は大いに刺激し、仕事でも持っていると人々に説得力を与えてはいるが、彼の収入増には結びつかなかった。
 転職活動をしても、言語学の修士課程は語学産業以外では意味がなく、そこでより有利な転職のために、もっと収入に結びつきそうなマネージメントコースを取ることにしたのだ。
 会計学やらマーケティングなどひとつひとつ修了していけば、4年後にはMBAを取得できるという形で今、夫は勉強している。
 ただ先日コース選択時に入力ミスをしてしまい、一度にふたつのコースをこなさなくてはいけなくなり、このごろは毎晩勉強に追われ、ちょっとストレスが溜まりかけている。
 
 「今やっていらっしゃる勉強はいいですよ。必ずやり遂げてください。ご主人が思っている以上に素晴らしい結果を生みます。ちょっと今、ストレスがあるかもしれませんが、休み休みでもいいので、とにかく修了させることです」
 おお、このMBA取得が48歳からの仕事運アップにつながるのか? あ、でも44歳から勉強を始めて、4年後の48歳に修了するのだから、48歳からの仕事運アップはまさにタイミングがぴったり。
 また今ストレスが溜まっているっていうのもズバリだ。
 すごいよ~、先生。やっぱり。

 そういえば夫の仕事といえば、前回診てもらったときに、「彼は運が強いので、仮に今会社を辞めてもなんとかなるし、辞めなくても4年半後にもっと楽に転職できる」って言われていた。
そしてその後の転職活動で、夫が最終面接まで行って落とされた会社が3社。
 最後の最後で落とされた理由はどうしてもわからない。
夫はずいぶん落ち込み、かなり「どうせ僕なんて」モードに突入してしまったが、 ただ、その3社と言うのが、ひとつはあのリーマン・ブラザーズ、もうひとつはAIG生命、もうひとつは名前は忘れてしまったがコンピューター関連のグローバル企業で、この会社も先月倒産してしまった。
 逆に最終面接が通って、たとえばリーマン・ブラザーズなんて行っていたら、真っ先に路頭に迷うハメになっただろう。
 そういう意味では3社とも落としてくれてありがとう、だったのだ。
 確かにある意味運が強いのかも。

銀座2回目⑮

 「そうですねえ、他にいい画数の名前は・・・・」
 再度画数を調べ始める先生。
 うーん、この先生って、生年月日は昭和で計算しているし、漢字の画数もこまめに調べているし、意外と古風な占い師なのかしらん。

「清永 美央」

 「これです! そうそう、これがいいです! これにしてください!」
 珍しくちょっと興奮気味な先生。

 「先生、これなんて読むんですか?」
 「ですから、画数が問題なわけであって、読み方はなんでもいいんですよ」
 そ、そんな乱暴な。先生ったら、ちょっぴり画数原理主義者だわ。
 「でもこれって、普通に読んだら“きよなが みお”ですよねえ」
 「いいんじゃないですか、それで」
 「“きよなが”ってなんかいまひとつなんですけど」
 「“みお”はどうですか?」
 「正直わかんないですよ。だって今までペンネームとか芸名とかつけたことがないから。自分の名前じゃないからどれだって、すぐにはピンとこないかも」
 「じゃあ、どうしますか?」
 「先生、決めてください。先生が決めてくれた名前に従いますから(←おいおい! なんて他力本願なんだ! 自分の名前だろっ!!)」

 「じゃあ、“清永 美央”と書いて“しみず みお”と読ませますか」
 あっさりと決める先生。
 「はい、それでいいです(←おいっ! いいのか!?)」

  こうして、私のペンネームが決まったのである。
 作家・清永美央の誕生である(←なれたらな)。

 「このペンネームだったら、恋愛小説でもサスペンスでも推理小説でもミステリーでも成功します。あとエッセイもいいですよ」
 本当ですか?
 「あなたの本が出るのを私も楽しみにしてますよ。たいじょうぶ、ちゃんと成功しますよ」
 そう先生はにっこりと笑った。

2009年8月7日金曜日

銀座2回目⑭

 「45歳(←この時点で私は41歳)までは、今より少し(収入は)低いです。けど半減するわけでもないので、安心してください。45歳になったら今とトントンになってきて、50歳を過ぎると今よりも良くなっていきます。もちろん毎年ある程度の波はありますけど、傾向としてはそういった感じで推移していくでしょう」
淡々とお金の話をする先生。

へえ~。半減はしないんだ~。それはうれしいけど、いったい辞めたあとのお金はどっこから入ってくるんだ?
しかも50歳を過ぎると今より良くなるという。期待していいのか?
書くことでそんなにお金がもらえるなんて、よほど出した本が売れるなり、出した本が映像化されるなりしないと難しいと思うんだけど、それってどうなわけ?
おーい、聞いてるか? T書店の本田くん(仮)。

「英語で本を書いて、海外で出版してもいけますよ」
おおお~いいい!!! スケール、デカッ!
「それはすんばらしいんですけど、私、そんな英語力ないですよ!(哀)」
「そんなのあなたが英語できなくても、ご主人に英訳してもらうなり、子どもたちに将来英訳させればいいんですよ」
ヘイ! ヘイ! ヘイ! ギブ・ミー・ァ・ブレェエエーク!
そいつは微妙だぜ! きわどい描写満載の半自伝小説「エッサウィラ」を夫や子どもたちに英訳させるのは! 
子どもたちから将来、「オカン、何やっとったんや?」と白眼視されること必至だ。

「あとですねえ~、ペンネームなんですけど・・・」
そこで2番目に聞きたかったことを切り出す。
「小説なり、ものを書いていくにあたって、どうすればいいかなあと思っていて。小説でカタカナの苗字を使うのもイヤだし、今の名前が使えないなら、旧姓を使うか、はたまた第3の名前を考えるか・・・・」
今の名前と旧姓を並べて、画数を調べていく先生。
「ああ、両方ともいまいちですねえ」
「じゃあ、第3の名前ですかねえ。さっぱり何にも思いつかないんですけど」
あまりに私がノー・アイディアのためしばし沈黙が続く。
ああ、この沈黙はもったいない! なんていったって2万円ですからねえ。

「ご家族の名前、全員の分、教えてもらえますか?」
しばしの沈黙のあと、先生が切り出す。
夫の名前、娘の名前、息子の名前、私の名前。
全部並べて、先生が「さあってと」と小さく呟いて、サラサラと紙に何か書き込んでいく。

「●水 美央」

何々? これなんて読むの? っていうか、たった今気付いたけど、この●の漢字、特殊記号で探しても手書き機能にしても出てこないんですけど!!!! いったいどういうこと!? そんな漢字ないじゃん!!!(茫然)
「先生、これなんて読むんですか?」
「読み方はどうでもいいんですよ。画数だから」
「はあ!?」
「これだと画数も完璧だし、何よりもあなたの家族の全員の名前が入っています」
この字は息子から、この字は娘から・・・と解説してくれる先生。
「あの~、夫のは? 夫の名前はカタカナなんですけど・・・」
訝る私。
「ああ、ご主人はこれです。だって音読みでこうやって読むでしょ」
ああ~、そう来るわけね。結構当て字だわ~。

「小説を書くなり、フリーでクリエイティブの仕事をするというのは、えてして家族に迷惑をかけがちです。けどこうやってペンネームに家族全員の名前を入れることによって、家族からの協力が得られたり、迷惑をかけずに済んだりするメリットがあるんですよ」
へえ~。そうなんだあ~。
それが本当だとしたら、「火宅の人」(←古っ!)の壇一雄も、「芸のためなら~♪ 女房も泣かす~♪」の桂春団治(←激古っ!)も家族全員の名前を入れ込めば良かったんだよ~。

「でもこの名前、ちょっとわかりづらいというかなんというか、先生、他にはないんですか?」
「他ですか・・・・うーん、そうですねえ~」

2009年8月6日木曜日

銀座2回目⑬

「前回と違って仕事の変なオーラは出てないですね。どうやら異動できたみたいですね」
 おお~、前回のことを覚えてくれているのか!? 先生。
 「それほど嫌な仕事はしていないようですけど、うーん、来年または再来年でもいいけど、会社はやはり辞めますね」
 そうなのか!? 私。それにしてもそんな予兆全然ないんですけど。

「今年であなたが勉強をする期間は終了します」
 おいおいおい! 勉強って、まだ何も始めてないんだよお~!
「本当に何も始めていませんか? あなたは何かしら今までやってきたことがあるでしょ? はっきりと仕事の線が3つ出てきてますよ。ひとつは会社の仕事、ひとつは何か人に教えたり伝えたりする仕事、ひとつはクリエイティブな仕事。会社の仕事の線がどんどん薄くなってきていて、他のふたつがだんだん色濃く出てきていますよ」
うーん、それがよくわからない。会社の仕事は鋼鉄の女が定年退職してから、任される仕事も増え、むしろ足抜けが難しそうになってきている。

「勉強は何もしてないんですけど、実は前回先生のところに来てから、今までの間に1本小説を完成させているんです」
「ああ~、そういうことだったんですね。はいはいはいはい」
 何やら納得した様子の先生。
「いいですよ。小説。ドンドン書いてください。2011年までに書けるだけ書くこと。本とかも何冊も出せそうですよ。今後」
 え!? マジですか。それ? 
「恋愛小説でもサスペンスでも詩の世界でも、書くのはすごくいいですよ。才能もあります。世に出ることになるでしょう。楽しみですね」

ジャジャジャジャアアーンン!!!!! 「本気」と書いて「マジ」と読む。または「真剣」と書いて「マジ」と読む。
それマジですか? えええええええええええええ~!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ねえ、先生、私のこと担いでない?

 「今年はすごくいい人脈も築けそうですよ。とにかくたくさん書いていろんな人に書いていることを言いまくってください。そのためにはブログも始めてください。今晩からでもぜひやってくださいね」
 ブログかあ~。そうこの先生のひと言でこのブログを始めることにしたのだった。

「あと教える仕事ってなんでしょうね? 私、どう考えても人に何か教えられるようなものなんてないんですけど」
「教えるというのか伝えるというのか、何かはわかりませんけど、会話の多い仕事のようですよ。今年の5月、7月、9月に何か頼まれることがありそうです。その場合はボランティアでも必ず受けてくださいね。それが来年にちゃんとつながって仕事になりますから」
なんだろう? 頼まれることって。依然謎だ。

「先生の言う通り来年から何か教える仕事と書くことを始めたとして、収入はどうなるんですか? 曲がりなりにも今正社員で働いていてボーナスももらっていて、今と同じ収入をフリーの立場で得ようと思ったら、大変だと思うんですけど・・・・」
おお~、やっと今回聞きたかったことの1つめを質問できた。
やり甲斐だとかそういうのも大切だけど、やっぱりそれに見合う収入だよなあ。夢がない言い方かもしれないけど、私はやりたいことができればお金なんていらないというタイプではない。
お金で買えないもの、お金で解決できないこともたくさんあるし、お金自体がトラブルを生むことだってもちろんあるけど、たいていのことはお金で解決できると私は考えている。
だからね、気になるのよ。フリーになったところでお金が入るかどうかが。
そこのところを先生、テル・ミー・プリーズ!!

銀座2回目⑫

 
 「あなた自身は日本で家を買うことはなさそうですけど、イギリスで投機目的で将来的に家を買うのは見えています」
 おお、前回も同じようなことは言われたが、今回はハッキリと「イギリス」だと言われた。
 前回はまだ世界の金融危機が始まっていなくて、イギリスはバブルの真っ最中。誰もロンドンに住めなくなるぐらい地価が沸騰して、イギリスで家を買うなんて私たちが田園調布に豪邸を新築するぐらいありえない話だった。
 ところがリーマン危機から端を発する世界恐慌で、最もダメージが大きいといわれているのは、発信もとのアメリカではなく、とっくに製造業など衰退して、サッチャー改革以来、未曾有の好景気を謳歌していたイギリスなのだ。
 確かにイギリスは地価とともにポンドも下がり始めてはいるが、それでもまだまだ私たちに手が届く日は遠そうだ。

 「日本で今のところから、引っ越すことはありそうですか?」
 「一度ぐらいはあるでしょうね。でもやはり賃貸です。きっとお子さんが大きくなって今のところが手狭になるから、引っ越すというパターンのようですね」
 うーん、それなら十分ありえるな。

 「さて、肝心なあなたの仕事についてですが・・・・」
 おお、ついに来た! 子どもたちの受験話に気をとらわれすぎていて、ついつい本題を忘れるところだった! 
 そうだよ、私はこれを聞きに来たのだよ。
本当に2010年の4月までに会社を辞めるのか? 書き上げた小説はどうなるのだ? ペンネームは? 聞きたかったことが頭の中でぐるぐると回っている。
さあ、私。いったい私はどうなるの?

銀座2回目⑪

 「近々引っ越す予定とかありませんか?」
 唐突に切り出す先生。
 そんなことは100%ありえない。我が家は都心にありながらもそこそこ広く、それでいて家賃は相場の半額近く。あまりにも条件がいいので、最初は「すわっ、訳あり物件か!?」と訝っていたほどである。
 「そうですよねえ。見えているのは大きめの一軒屋ですから。あなたが住んでいるのは賃貸のマンションですものね」
 そんな、私が住んでいるところまで見えるのか!? だったらちゃんと掃除しとかないとな。まあ、そんな問題じゃないか。

 「あなた自身の引越しじゃないとすると・・・・ご実家に引越しの予定はありますか?」
 それもない。バリバリ農耕民族的な私の家族は一度根を張った場所から、仮にその根が腐っていたとしても絶対に離れやしない。
「うーん、おかしいなあ。引越しがクッキリ見えてるんだけどなあ」
 首をかしげる先生。

 「引越しはないですけど、うちの実家、来月から家のリフォームをするんですよ」
 「ああ! それだわ! リフォームしている間、一時どこかに引っ越すとかないですか?」
 「いや、それはないです」
 「じゃあよっぽど外観が変わるんだろうなあ。あなたの実家、見た目がずいぶん変わりますよ」
 そ、そうなのか!? ずっと自営業を自宅で営んでいたうちの両親は去年の年末、ついに商売を畳んで、その前から上の弟家族と同居を始めていたこともあって、店舗部分と居間とキッチンを全部ぶち抜いて、広いLDKを作り、車庫を両親の寝室にし、ついでに風呂場も全部一新することになっていたのだ。
 まあ店舗がなくなる分、外観は確かに変わっちゃうかもしれないけど、それにしてもそんなことまでわかるのか? 先生!

 「その間、そうですねえ、2月中までこのうちのお母さんは感染症とか風邪のひどいものとかに注意が必要です。おかしいと思ったらすぐに病院に行くなり、休むなりしてもらってください。3月になればもうだいじょうぶになりますから、それまでの間は気をつけてください」
 「私の父って結構アルツ(ハイマー)入ってるんですけど、だいじょうぶですかねえ?」
 「だいじょうぶですよ。しばらくこのまま行きますから。長生きされますよ」
 おいおいおい、妄想が始まっている父の様子がこのまましばらく行かれても困るんだけどなあ。トホホ。まあ、これ以上、しばらくはひどくはならないということか?
 「うちの家族はだいじょうぶですかねえ?(←なんとも漠然としている質問だ)」
 「はい、だいじょうぶですよ。お母さんの風邪は気をつけてくださいね」

 そうか、だいじょうぶか。それなら心配なし! はい、以上実家のこと、終わり!

2009年7月28日火曜日

銀座2回目⑩

「あなたのご主人のお姉さんたちが揉めるのは、似た者同士が、ときにはチームを組んで片方に対抗したり、また別の人が片方と組んで攻撃したりと、3人がそれぞれに揉めるのではなく、相手を変えながら誰かを責めるので、際限がなくなるんです」
 まるで見てきたかのようなことを言う先生。
 そう、その通りなのだ。義姉たちは、いつも徒党を組む。
 いつもどっちにつくか油断ならないのが、2番目のお義姉さんだ。

「何か解決策とかありますか?」
「あの人たちはずーとそうやっていくでしょう。変わらないですよ」
 まったく仕方がないという表情で首を小さくすくめる先生。
 やっぱり優香にちょっと似ているよなあ。タレントの優香をもう少し知的にして地味にさせたような感じ。
 ふんわりした感じもちょっと優香ちっくかも。
「ご主人のお父さんはこの3人からの板挟みにあって、相当ストレスを溜めています。このところ、お姉さんたちの関係がさらに悪化してませんか?」
 思わず「あっ!」と小さな叫び声をあげたくなる私。

 そういえばクリスマスの日、いつものように家族全員に電話をかけて、明け方ごろ寝室に戻ってきた夫が、寝ている私をわざわざ起こして、
 「うちのファミリーが大変なことになってるよ。みんな、大ゲンカしてる」
と言うではないか。
 かなり気になる内容ではあったけど、眠気には勝てず、
 「おお、そうかそうか、そりゃ大変」
と適当に相槌を打ち、とっとと寝てしまったダメ奥さんな私。
 
 翌日改めて夫に聞きなおすと、また3人のお義姉さんたちが揉め始めたことで、クリスマスに家族がそろって会えなくなったということを、全員からそれぞれの言い分で聞いたらしいのだ。
 うちの夫もお人よしで、向こうからも頻繁に電話をかけてきてくれたり、子どもたちの誕生日には欠かさずプレゼントを送ってきてくれる3番目のお義姉さんの話を熱心に聞くだけではなく、こちらからかけないと絶対に電話なんかかけてきてくれなくて、そのくせ夫が電話をするとひたすら一方的な話ばかりする1番目のお義姉さん、2番目のお義姉さんにもわざわざ電話なんてしている。
 「ケンカっていつものことじゃないの?」
 またかよっという顔で聞く私に対して、
 「いや、今回は違うね」
と断言していた夫。
 「大変って何が大変なわけ?」
 「うーん、クリスマスに会わないってことだよ」
 「それが何か?」
 まったく噛み合っていない私たちの会話。どうやらイギリス人にとってはクリスマスに家族が会わないってことは大事件らしいのだ。
 ふう~ん。

 そのときの会話が鮮やかに思い出される。
 どうやらこのことがお義父さんの心を痛めているらしいのだ。
 「お義姉さんたちはそれぞれの言い分をすべてお義父さんにぶつけて、彼はまともにそれを被ってしまっています。調停に入ろうとするお義父さんの行動はすべて裏目に出てしまい、何かあると今度はお義父さんのせいにされてしまっているのです」
 「そういうのってどうしたらいいんですか?」
 「とにかく間には絶対に入らず、解決しようとしないことです。3人から距離をとって、関わらないことです。それしか方法はありません」
 「私の夫はどうしたらいいんですか?」
 「あなたの御主人は巻き込まれてもいないし、今まで通り関わらないで距離を保っていればだいじょうぶですよ。お義父さんのことはご主人から、関わらず巻き込まれないようにと忠告してもらってください。そうしないと体も壊しますよ」

 そうか、お義父さんがそんなことになっていたとは。でも不思議。ふつう日本だったらたいていそういう場合、姉妹たちが愚痴るのは母親のほうにじゃないの?
 まあいいか、夫に帰ったら聞いてみよう。

「あと引っ越す予定ってもしかしたらありますか?」
またしても私の仕事のこととは関係のないことを切り出してくる先生。
今度は引っ越しですかあ~!?

銀座2回目⑨

 「あなたのご主人のお父様は何か揉めごとを抱えていませんか?」
 え? 揉めごとですか?
 お舅さんのたっぷりとした二重あごの目立つ顔を思い浮かべる。
 ユニクロでも高いと言い放つオシャレ度0%の夫と違い、お舅さんはどんなときでも必ず襟付きのシャツを着て、ジェントルマンで、ロマンティックで、80歳近いおじいさんなのに、お義母さんに「ハイ、ダーリン」とか「ハニー」とか、しょっちゅう甘い言葉を囁いている。
 お義母さんのことを本当に愛しているらしく、いつもキスをしていてラブラブで、一昔前に流行った「チャーミー・グリーン」そのものである。
 お義父さんはがんこだけど、争いごとを嫌い、いつも鷹揚に構えている。
 そんなお義父さんに降りかかる揉め事ってなんだろう?

 「あなたのご主人の兄第で何か揉めていませんか?」
 突然核心を突く先生。
 夫は5人兄弟の4番目だ。内訳は姉3人と妹ひとり。日本的にいえば、たったひとりの男の子で長男だ。
 私の母いわく、小姑ひとりに「鬼1000匹」というらしいので、私は4000匹もの鬼を相手にしなければならない。
 まあ、今のところ遠く離れて暮らしているから、特に害はないんだけど。
 
 確かに夫の姉3人は仲が悪い。夫と妹は、姉たちの眼中にはないらしく、蚊帳の外だ。
 姉妹はどうやら複雑らしく(←私は男兄弟しかいないから、そういうのはよくわからん! 以上!)、お互いの頭脳、学歴、収入、美醜、結婚生活の成否などなど、ありとあらゆることが競争の対象になるらしい。
 特に夫は3番目の姉と親しく、お互い行ったり来たりしたり、電話もちょくちょくしているので、その姉に肩入れしがちだが、私には絶対に巻き込まれるなと結婚以前から忠告している。
 それぞれ別々にお互いの悪口を言わせたら、いつまででも言っているだろう。
 ごくごくたま~にしか会わない私ですら、お義姉さまがたのお互いに対する悪口はお腹いっぱいになるほど聞かされているのだ。
 そんなに嫌いなら会わなきゃいいじゃん!
 私はいつもそう思う。
 そう、3番目の義姉に行ったら、
「何言ってるの! 何があろうと私たちは姉妹なのよ。付き合わないでいられるわけないじゃない!」
という返事が返ってきた。
 うーん、よくわからん。複雑すぎるぜ。じゃあ仲良くしようぜ!

「そうですね。夫には3人の姉と妹がひとりいるんですけど・・・」
 正直に話す私。
「彼女たちは子どものころから揉めていますね」
 そう、念を押す先生。
 すごい! すごすぎる。なんでそんなことまでわかるの?

2009年7月24日金曜日

銀座2回目⑧

「娘さんはコツコツと努力するタイプで、真心のある子ですね。この子は本当にまじめで、心の優しい子です」
 引き続き子どもたちの話をする先生。
 前回も娘に関しては同じようなことを言っていたよなあ。
 確かに娘はピアノでもバレエでもコツコツと練習するタイプで、基本的にまじめだ。誰よりも他人に気を遣うタイプで、私の血をこれっぽっちも引き継いでいない感じ。産んだとき、あんなに痛かったのにな。どういうことだ、いったい。
 弟と何かを分け合うときにも、
 「私は小さいほうでいいから」
という健気な子なのだ。まだ5歳なのに、なんという心優しさなのだ。
 そうだよ、先生。娘のこと、当たってるよ~。
 「高校まではエスカレーター式に行きそうですけど、大学受験はしますね。パパの国か日本の大学に行きそうです。向いているのは法律や会計や看護の世界です。公務員もいいです」

「そして、息子さんはこの子は楽しみな子です。天才ですよ、期待していいです。けど、この子は気まぐれで好きなことしかやりません。お姉ちゃんみたいにコツコツと努力することを覚えると最強です。ぜひ努力することを教えてあげてください。この子もT小です。お姉ちゃんと同じで高校までエスカレーター式で行きます。大学はちょっと特殊な分野を専攻しそうです。日本の大学ではないですね。たぶんアメリカの大学かな。医学や芸術関係が向いています。世界で活躍しますよ」

 まじですか!!!!
 「世界」とは先生も大きく出たもんだ!
 「天才」「気まぐれ」「好きなことしかしない」
 前回も言われた息子のキーワードだ。
 天才かどうかはわからないけど、確かに息子は気まぐれで、周囲の人間を大いに振り回している。
 ちなみに娘が、「私は小さいほうでいいから」と言い出すと、
 「ぼくは大きいほうでいいから!」
とすかさず返すお茶目な野郎だ。こいつ、絶対に私の息子だ。
 気まぐれなところが皆無な夫は、いつも息子がわからないと言い、自分の血をこれっぽっちも引き継いでいない感じがすると言う。
 娘は夫に似ていて、息子は私に似ているっていうのは、1回目のときから先生に指摘されていたが、このところ改めてその通りだと思う。

 「彼は名誉やお金や地位よりもやりたい勉強や仕事があるのです。高校生ぐらいからやりたいことを考え始めるでしょう。必ず彼のやりたいことはやらせてあげてください。彼のやりたいことはお金がかかりますが、そのころのあなたたちならだいじょうぶです。彼はいいですよ。とっても」
 大学でお金がかかるのかあ~。そりゃあ、医学とか芸術をアメリカで学ぶんならお金かかるよなあ~。
 そんなの払えるのか!? 私たち!  
 まあ、息子に関してはT小に行けるかどうかは2年以内に結論は出るが、大学まではまだまだ先の話だなあ。
 
 自分のことを聞きにきたつもりだったが、しょっぱなから子どもたちの話がてんこもりである。
 まさかまさかいきなり受験のことなんて、言われるなんて思ってなかったよなあ。
 こんなことを聞いてしまったら、私も「なんちゃって」受験ママになってしまうのだろうか。
 すでに、帰ったら速攻で受験情報を集めようと考え始めている単純な私だ。

 「そして、あなたのご主人のお父様、すなわちあなたにとってはお舅さんのお話をこれからします」
 おお、夫のパパ。英語で言うところの「ファーザー・イン・ロー」のことだな。

2009年7月22日水曜日

銀座2回目⑦

 「気軽に受ければいいんですよ。記念受験で全然だいじょうぶです。ただし娘さんにプレッシャーは与えないでくださいね。うん、この子、受かるな。だいじょうぶです」
 シートに「T小です」と書き込み、「記念受験でOK」と付け加える先生。
 いいの? そんな断言しちゃって! 結果は1年以内に出るんだよ!
 「塾とか行かなくていいんですか?」
 「うーん、行ってもいいけど、無駄です。そんなの行かなくてもだいじょうぶ」
 ええ? そんな都合のいいことなんてありえる?

 「でも国立ってクジでしょ? すごい倍率何でしょ? 私、クジ運めちゃくちゃ悪いんですよ」
 そう、私はクジ運のない女。商店街のクジでもティッシュ以上の景品(←景品というより参加賞)は当たった試しもなく、読者プレゼントもことごとくはずれ、唯一当たったのは、子どものとき「なかよし」の読者プレゼントで800円分の切手をはがきに貼って送って代わりにもらった「おはようスパンク!」の筆箱のみ!(←ただし、当たったというより、買わされたという説もあり)
 「その場合はお母さんのクジ運じゃなくて、お子さんのクジ運が物を言うんです。だからお母さんのクジ運の悪さを心配する必要はないんですよ」
 へえ~、そうなんだ。

 「でもそのあとに弟も小学校に入るのに、違うところに行かれたら学校行事とか大変じゃないですか」
 そうだ、そうだ。近くに歩いて100メートルもないようなところに区立小学校があるのに、姉弟でバラバラの小学校に行かれたら、大変じゃん! 第一送り迎えとかどうするのだ?
 「弟さんの生年月日を教えてください。男の子の制服がハッキリ見えてますから、ふたり揃ってT小の可能性が高いです」
 ええ~! うそぉ~!

 「うわ! やっぱりこの子、天才だわ!」
 息子の生年月日を調べたあとにニッコリ笑う先生。そのあとも何度も「うーん、天才、天才」とつぶやいている。
 本当にそうなのか!? 息子よ! 
 ちょっと最近はその片鱗らしさを見せているが、基本は野生の子猿である。

 「うん、ふたり揃ってT小ですね。息子さんも公立、私立、インターナショナルスクールは出てない。息子さんも受かりますよ。彼も記念でOK」
 ええ~!!!! ふたり揃って国立のT小!?
 そんなことってありえるの? ただでさえ、倍率が高いのにふたりとも!?

 まったく思ってもみなかったことをズバズバ言われて、ドキドキする私。
 もう~、まじぃ?
 「ふたり揃ってなんて、結構ある話ですよ。受かる人は受かるんです。兄弟3人揃って国立なんて話もあるんだから」
 へえ~! そんな人が世の中にいるとは!

 「じゃあ、ふたりともT小ってわかっているんだったら、T小だけ受ければいいんですよね?」
 「いや、国立は全部受けてください」
 「え?」
 「私立は受けなくていいです。でも国立はふたりとも全部受けてください」
 うーん。意味不明。全部受けて試験慣れしろということなのか?
 
 しかしあの野生サルの息子が試験とか、面接とか、耐えられるのだろうか? どうも想像がつかないな。
 娘は確かに受験向きかもしれないけど。

「ふたりとも制服を着ています。そして中学受験も高校受験も出ていません」
 なになに? それってどういうこと? 
「ふたりともそのままエスカレーター式にT小からT中に行って、そのまま高校まで行く可能性が高いですね。受験は大学受験まであとはありません」
 なんて都合がいいのだ! 小学校で受験勉強もしていないのに、記念受験で国立に2人の子供が揃って受かり、そのまま中学も高校も受験しないでそのまま上がって行けるなんて! しかも国立だから学費は安い。
 そんな親にとって願ったり叶ったりの話が自分の身の上に起こるとはまったく想像がつかん。
 よっぽど前世にいいことをしていたのか、私!?

2009年7月21日火曜日

銀座2回目⑥

「うん、間違いない。T小ですね。受けるんですよね?」
 「ええええ!!! まあ記念では受けてもいいかなとは思ってたんですけど・・・・うち、T小よりもO女とかT大付属のほうが近いんですけど」
 「うーん、この子はT大付属って感じじゃないんだな」
 感じじゃないって言われても・・・。
 しかしT小。考えてもいなかったぞ!!! 国立小学校だということは知ってるけど、いったいどんな学校なんだ!?

 そういえば、近所で2年保育時に受かってT幼稚園に行っている同い年の女の子がいたっけ。
 その子はエスカレーター式で、娘が小学校に入った年にT小の生徒になっているはずだ。
 その子のママは専業主婦で、同じ専業主婦のママ友と3人でいつもつるんでいた。
私はちょうど育休中にその3人組としょっちゅう児童館なんかで鉢合わせていた。
年少時に3人とも同じ私立の幼稚園に入り、年中時に3人そろって国立の幼稚園を受験したら、ひとりだけ受かったので、その他ふたりのママから絶縁されてしまったのだという話を、泰子(仮名)から聞いたことがあった。
 何やら「あんな子が受かること自体おかしい!!」と半狂乱になったT小に入れなかったほうのママと、受かったほうのママは相当仲良かったのに、娘の受験一つで完全決裂に至ってしまったという。

やっぱりこういう話を聞くと、一昔前に起こったお受験殺人事件を思い出してしまう。
 ああ~、やめておくれよ、まったく。
 子どもとはいえ、他人なのにどうしてそんなに一生懸命なれるんだろう?  なんでそんなに必死になれるんだろう? 
 私がもしかしたら冷たいのかな。
 お友だちが受かったことを笑顔で「よかったね」って言う代わりに、「あんな子が!」なんて髪を振り乱すような親にだけはなりたくない。
 そこまでして国立に入りたいって思う人がいるってことだろう。

 「国立ってみんなが入りたくって、相当その場合って子どもなのに勉強させてますよね? うちはそういうお受験塾にも行ってないし、全然準備なんて・・・」
 「いいんですよ、準備なんてしなくても」
 ええ!!! それはだめでしょ!

2009年7月14日火曜日

銀座2回目⑤

 「学習院だなんてありえないですよ! 私、働いてるし(←学習院は母親が働いていると入れないって聞いたことがあったから。ガセだったらスマン)、学習院に入れるような家柄でもないし」
 「うーん、じゃあどこだろう。制服がね、学習院に似てるんだけど。女の子の制服も見えてて、こっちはなんか古臭いなあ。セーラー服っぽい感じにも見えるんだけど。女の子の制服は、学習院じゃないから。やっぱ、学習院じゃないってことか・・・」
 何やらブツクサ独り言を言っている先生。
 そういえば私と娘のピアノの先生でもあるママ友泰子(仮名)が来たときも、「セーラー服が見える」なんて話が出て、それがO女のものだった!なんて話もあったよなあ。
 先生ってきっと東京の人なんだろう。そうじゃなきゃ、小学校とかの制服とか普通知らないもんね。

 「うーん、どこかなあ。見たことある制服なんだよなあ。しかも男の子のほうがバッチリ出てるよなあ」
 男の子ですって!?
 「先生、次に年長になる子どもは娘なんです!」
 「え??? そうなの??? 男の子じゃないの?」
 なんだか焦っている先生。
ちょっと前にテレビで保険かなんかのCMでやっていた「猫を飼っていますね?」「いいえ、犬なんですけど・・・」なんて、いんちき占い師に診てもらってトホホなんて場面を思い出してしまう。
さすがにそれはこの先生に対して失礼か。

「え? 女の子? じゃあなんでこんなに男の子の制服がハッキリ見えるんだろう?」
 お、まさか、まさか。男の子の制服って、うちのひょっとしたら天才息子のことか!?
 しかし彼は気まぐれすぎて、絶対に受験とか無理なタイプだ。

「実はうち、年子で次の次に年長になる子は男の子なんです」
「あ~、そういうことか。でもちょっと待ってくださいよ。そんな先の話じゃないんですよ。じゃあ娘さんの生年月日教えてもらえますか?」

 「ああ~、なるほど。はいはい」
 娘の生年月日を例によって、足していって逆三角形の数字の塊にしている先生。数字を見て何やら頷いている。
 「娘さん、受かりますよ。確率がかなり高いです。この子の着る制服は・・・・」
 「いや、先生、でも、うち歩いて超近いところに小学校があって、みんな通ってるんですよ。全然、そこでいいのに」
 「でも区立に行くってのは、出てないんだよなあ~」
 「私立は、うち、無理ですよ。財政的に。あ、インターナショナルスクールとかは?」
 「インターナショナルスクールも出てないです。私立でもないし・・・。それで、この制服・・・。特に男の子の制服・・・・」
 「しかも姉弟でバラバラに学校に行かれても困るし」
 ブツクサ言う私。

「あ! わかった! はいはいはいはい。わかりましたよ。学校!ここで決まりだわ」
 「!?」
 「T小学校ですよ、国立の」
 ええええ!!!!!!! 国立小学校ですか!? 
 うそ~!? 受験勉強とかってまったくやってないんですけど!
 国立ですかあ~!!!!

2009年7月12日日曜日

銀座2回目④

 唐突に受験生が周りにいると断定された私。心当たりといえば、小4(当時)の甥っ子しかいない。
「わかりました。私の甥ですね、中学受験のために今、すごく勉強してますから。その子のことをおっしゃっているのかな」
「甥だとか姪ぐらい離れていると、そんな受験のことなんて出ないんですよ。もっと近い人、たとえばあなたのお子さんが受験を控えているんじゃないんですか?」
 まっすぐに私を見つめる先生。
 ええ~!? まさかまさか!

「いえいえ、うちの子どもたちは保育園行ってますから。そんな受験だなんて全然・・・」
「お子さんの小学校受験は考えていないんですか?」
「小学校受験ですか!?」

 田舎者の私は高校までは公立校というのが当たり前の環境で育っていた。ましてや、小学校や中学なんていうものは、試験を受けて入るところじゃなくて、家から一番近いところに無条件に入るものだという感覚が染み付いている。
 それでも昨今は私の田舎でも一部の子たちが、中学受験を考え始めたそうで、小学校から大枚をはたいて塾通いをしている。
 私の甥もそのタイプで、弟家族と同居している母などは、
 「まあ、小学校であんなに毎日塾通いさせるなんて、私らの世代にはわけわからんわ。なんで普通の中学やったらあかんのやろ。こんなことやったら今、子ども育てろって言われたら、私らもうようやらんわ」
と時代の移り変わりに嘆いている。

「小学校のね、制服が見えるんですよ。受験すれば受かりますよ」
 ええ~???
 中学受験ですら、なんだそれ~?の世界の私だ。ましてや小学校受験だなんて異次元の話だ。
田舎だと近所の公立校に行くしかないのに、東京だと、やれ、私立だとか、国立だとか学校があれこれありすぎる。
 近所の専業主婦のママたちは教育熱心な人が多くて、幼稚園に入るときに喧々諤々と、やれどこが受験に有利だの、どこだとエスカレーター式に上がっていけるだのといろいろやっていたけど、うちの子どもたちには無関係だった。
第一、 幼稚園なんてどうせ履歴書に載せないじゃん。
どうして幼稚園ごときであんなに目の色を変えて騒いでいるのか、まったく理解できなかった。

 それにうちから歩いて1分もかからないところに区立小学校があるのだ。そこは校舎もまだ新しく、保育園のお友だちの6割ぐらいは行くところだし、場所柄ハーフの子も公立小学校にしては多いので、うちの子どもたちが浮くことはない。
 うちの区は隣接する小学校の選択制をとっていて、その近所の小学校は結構人気があるらしく、違う学区からも越境入学してくる子がいるという。
 そんな小学校が歩いて1分かからないところにあるんだよ。
 それなのに受験ってどうゆうこと!?

 「本当にお子さんの受験とか考えていないんですか?」
 念押しする先生。
 「いや、全然。上の子は確かに次に年長クラスになるので、受験の年といえば年ですけど、すごーく家の近くに公立小があるし。まあ、国立なら記念でくじだけ引こうとは思ってましたけど・・・」
 「ハッキリと制服が見えてるんですよ。これどこだろう。男の子の制服が庇帽を被っていて、白いシャツに紺のブレザーで・・・」
 さらさらと制服の絵を書き込む先生。

 「なんか学習院っぽいんだよなあ~」
 学習院!? ありえねえ~!
 っていうか、学習院の制服って知らねえ~!

2009年7月11日土曜日

銀座2回目③

扉の向こうには穏やかな顔をした先生が座っていた。
「お久しぶりですね」
にこやかに先生が言う。どうやら覚えていてくれたらしい。
嬉しい反面、これだけ私の紹介した人が来てるんだもん、覚えてくれていたって、罰は当たらないよねとも思う。
 
「では背後を見させていただきますね」
 うわ~! 出た! 
 パチンっと電気を消され、一本だけろうそくに火がともされる。ほの暗い炎の背後に浮かぶ先生の整った顔。
燭台を持った先生がぐるりと私の背後を照らし出す。先生の視線は私を通り越したところにあって、前回同様、「あ~」とか「うんうん」とか「ふーん」とか言いながら私の肩越しに向かって先生が頷いたり何やら納得していたりしている。
この瞬間はどこを向いていたらいいのか、さっぱりわからない。ちょっとの沈黙のあと、電気を点けた先生が、
「うん、だいじょうぶ、だいじょうぶ。変なのはやっぱり憑いていない」
と言う。
 ああ~、良かった。何か憑いていたら大変なことである。

 「受験生がいますか?」
 唐突に切り出す先生。
 「はい?」
 「あなたの周りに受験生がいますか?」
 再度念を押すように畳み込む先生。
 「いや、いません!」
 きっぱり断言する私。私にとって受験生って、「サザエさん」における甚六さんのような存在で、イメージ的にはどうも受験イコール大学受験なのだ。
 大学受験といえば、該当する年代といえば、夫の甥や姪ぐらいしか思い浮かばない。
 
「そんなはずがありません。絶対にいるはずですよ」
 あくまでも自らの主張を譲らなさそうな先生。
 ええ~、受験生っていえば、そうねえ~。
 あ! わかった! 
 私の上の弟の長男が中学受験をするって燃えていたっけ。
 小学校4年生(当時)なのに毎月塾代に10万円以上使っていた私の甥っこ。
そうだ、そうだ! 私の甥っこのことに違いない!

2009年7月8日水曜日

銀座2回目 ②

 予約の時間に10分ほど遅れて到着した私。
 あ~、バカバカ! 時間が、お金が、もったいない!!
 
相変わらず超高そうなマンションである。
 扉を開けると若い女性が私を迎えてくれる。どうやら今まで電話に出ていたのは、この女性らしい。
 ごくごく普通の30歳前後ぐらいの無印良品とかSHIPSとかのコットンの洋服を着た感じ(←実際コットンの洋服を着ていたかどうかは不明。なんとなくそんな印象)の女性。先生もそんな感じだけど、このスタッフの女性は先生よりもテキパキしていて、ちょっとだけ気負っているように見える。

 「すみません。遅れちゃって・・・」
 スタッフの女性はそれには何も答えず、
「ではこちらに記入をお願いします」
とにこやかに言った。前回も書いた用紙だ。そこに名前と生年月日だけ書き込む。
「ずいぶん、お友だちをご紹介いただいたようで。何名かご紹介いただいた方がお見えになっていますよ」
 「ええ、まあ」
 なんてやりとりをしているうちに、先生の準備が整ったようだ。
 
 今回、何としても聞いておきたいことは以下の通り。
① 本当に2010年には会社を辞めているのか?
② 小説を書くことは「あり」なのか?
③ 「あり」ならペンネームをどうする?
④ 会社を辞めたあとの具体的な収入は?

聞けたらいいなということは以下の通り。
① 夫の仕事のこと
② 子どもたちの教育のこと(学校と習い事)
③ 私の実家のこと(健康面など)

うーん、こうやって羅列してみると、私ってやっぱ自己チュー。優先事項が自分のことばっかり。
夫よ、子どもたちよ、すまん。

けど、取り立ててトラブルとか大きな悩みとかがないんだったら、こんなのものなのかな。
要は自分の人生がどうなっていくかが知りたいのだ。自分の人生イコール家族がどうであるかというのはもちろん大きく関わることだから、自分の未来を知ることは家族の未来を知ることでもあるのだ。

「どうぞ」
聞き覚えのある懐かしい声が扉の向こうから聞こえる。
私はドキドキしながら、先生の待つ部屋の扉に手をかけた。

2009年7月6日月曜日

銀座 2回目 ①

 年明け1ヵ月弱。1月27日。予約日当日。
 前回診てもらってからおおよそ1年半が経っている。前回と比べて大きな悩みやストレスはない。
でも先生が示してくれた明るい未来に至るための道筋がまだ見えない。それが不安だ。

定時の5時半までがなんとも長かった1日。ベルが鳴ったらサッサと会社を出る。
予約の6時15分まで楽勝!のはずだった。
けど、どうして? 
なかなか先生のところに辿り着けないのである。おかしい。1回行っているところだし、地図も持っているし、駅からそれほど難しい道のりでもないのに、なぜ着かない?

ああ、予約の時間が刻一刻と迫っている。焦る! だって2万円ですぞ。
貴重な時間が過ぎていく。
銀座の中心部からずいぶんと離れた路地の辺りをうろつく私。なんってことのない通りでもどことなく品があって風情がある。
道に迷いながら昔住んでいた京都の町並みを思い出す。
って、そんなこと思い出している場合ではないのだ。
ああ、2万円! 早く辿り着かねば。

あ、やばい! 時間過ぎてる! 慌てて電話をする。2ヶ月近く待ったのに、ドタキャンだと思われて、予約を取り消されたら元も子もない。
「すみません。6時15分から予約を入れている者ですが、道に迷って・・・」
「そうですか、今どのあたりですか?」
「かなり近くにいるはずなんですけど・・・」
電話に出た若い女性のガイダンスに従って先生の場所を目指す私。

あ、嘘・・・・。ここ何度も前通りかかってた。ガーン! こういうのって単に私が方向音痴なだけの話だけど、先生から拒絶されているような、なんか大きな力によって避けられているような気になってしまう。
なんだか、幸先が悪い。今回はなんて言われるのかしら?

この話、しばらく続く!

宏美さん(仮名)の場合

詩帆ちゃん(仮名)ママこと、宏美さん(仮名)も娘のバレエのママ友だ。
宏美さんは2歳の娘もいる2児の母で、中学の保健室の先生をしているらしい。
学校の先生は育休を民間の企業より長く取得できるので、つい最近復帰したばかりだ。

いつものように日曜日の朝、気の合うママ同士でくっちゃべっていると、
「実はね、Aちゃんママ(←あ、これ私のことね)が言ってた銀座の占いのところね、先週行ってみたんだ」
と宏美さんが遠慮がちに言う。
「え~! そうなの? なんか気になることでもあったの?」
「別に悩みとかそういうものはないんだけど、子どもたちのこととか知りたいし、なんて言われるのかななんて思って」
「え~、何言われたの?」
 一度診てもらっている詩音ちゃん(仮名)ママこと里美さん(仮名)も身を乗り出す、乗り出す。

 「それがね、私、この前職場に復帰したばっかりなのに、バイオリズムみたいなものによると、今のお仕事はパート的、または一時的なものですね、なんて言うのよ! で、半年後にまた仕事を休むって」
 「ええ~? そんなの復帰したばかりなのにね」
 「そうだよ、しかも仕事ってばっちりフルタイムなんでしょ?」
 そっと頷く宏美さん。

 「でもね、心当たりがないわけじゃないんだ」
 伏し目がちになる宏美さん。うーん、なんだか色っぽい。こんな人が毎日いるんだったら、きっと不良少年じゃなくても、なんだかんだと理由をつけて中坊たちが保健室に溜まっていそう。
 「実は3人目ができていて、また半年後に産休を取るの。だからこの時期は一時的なものといえば一時的なんだよね。だってすぐにまた休むんだから」
 「ひぇ~!!」
 「え、それって先に妊娠してるって先生に話したの?」
 「ううん、全然。けど時期的にはバッチリなんだよね。だからビックリしちゃった!」
 「他に何言われたの?」
 「あとは子どもたちのことだけど、結構いいこといわれたよ。ダンナとも相性がいいって言われたし」
 「そりゃそうよねえ。3人も子どもできてるんだから。うふふふ」
 オバハンくさい突っ込みを入れる私たち。

 「あとね、お腹の子は男の子ですって!」
 「お、先生、断言するねえ~」
 「うん、男の子の可能性が高いですって」
 「ほお~」
 「けど、すごっく当たってたよ。未来のことはわからないけど、言ってほしいことをちゃんと言ってくれたって感じ。ダンナの仕事のこともちょうどダンナがやりたがってることを向いてるって言われたから、ダンナも診てもらいたいって言ってるくらい。Aちゃんママ(←あ、だから私のことね)、いいところ紹介してくれてありがとう。私も友だちとかいろんな人に銀座の先生の話をしまくったら、みんな、“へえ、良さそうだけど、お腹の子がちゃんと男の子だったら、自分も行ってみるよ”ってなんだか半信半疑なんだよね」
 「まあ、2万円だからね」
 「けど、それって半年後ぐらいにどうせわかるんだもんね」
 「そうそう、楽しみだね」
 
 どうやら相変わらず先生は快調に飛ばしまくっているようだ。
 よし! この調子で次回は私の分もよろしく!

2009年7月5日日曜日

電話予約完了!

12月に入るとだんだんと年明けすぐにあたる1月8日以降に、銀座の先生のところに予約を入れなかったことに激しく後悔をし始めた。
前回と違って、今すぐにでも状況を変えたいことなどなかったが、先生に言われてたように1月から4月までにかけて興味を持ったものは何もなかったし、勉強だってしていない。
特別な資格もないし、特別な能力があるわけでもない私がどうやったら、1年数ヵ月後に自宅で仕事なんてできるようになるのだろう?
今、会社でやっている仕事だっていやなことをやっているわけじゃないけど、このまま漠然とした時間を浪費しているだけでいいんだろうか?
自分自身が向上していっているという実感がまるで持てない。
でも月々のお給料だってちゃんともらっていて、小さい子どもがふたりもいる私がそれ以上望むのは贅沢なのか?
なんだかしばらく堂々巡りなのである。
ものすごーく生ぬるいお湯にずっと浸かっていて、体はちっとも温まってこないんだけど、お風呂を出ると外の空気はとても冷たくて、そこが心地いいわけでもないのに、だんだんと冷えつつあるお湯からなかなか出られないような、そんな気分。

あ~、こんなときこそ、とっとと銀座の先生に診てもらえばよかったのだ。
思い切って電話をしてみる、
再度、若い女性の声がする。あの感じの良かった男の人は辞めてしまったんだろうか。
「一番早いところでは、1月27日ですね」
あ、やっぱり! 10日ほど経ったらすでに予約が1ヶ月ほど延びてしまった。
こんなことなら、前回とっとと予約しておけばよかった。
1月27日まで2ヶ月弱か。
でもここで予約しないよりマシだもんね。
「じゃあ、その日でお願いします」

こうして、銀座の先生に再度診てもらうための予約を完了させたのであった。

2009年6月30日火曜日

すごいぜ、息子!②

 4歳前にして「400+400=800」という難問(しかも英語!)で答えた我が息子。
 もしかしてまぐれ? もしかしてたまたま? という可能性(というかそれしかない)もあるが、ちょっとすごいぜ、我が息子よ。
 もしかして本当に天才だったりして。とちょっと調子に乗るアホな親である。

そして12月に入ってから、それまでいまひとつ文字に興味がなく、ひらがなも覚える気皆無だった息子が、娘愛用のアンパンマンのひらがな絵本を持ってきて、
「ねえ、これなんて読むの?」
と聞いてくるではないか。
もともと風呂場にひらがなマットを使っていて、壁にはカタカナ表を貼ってあるので、娘もそれで文字を覚えたものだった。
 けど娘の場合は1歳半過ぎぐらいから文字に興味を持っていたので、早いうちからあれこれと文字のものを買い与えていたのだけど、実際に文字を完璧に覚えたのは4歳ぐらいだったと思う。
 ゆっくり時間をかけて徐々に覚えていったという感じだ。
 小学校に入る前に覚えておいたほうがいいとぐらいにしか考えていないので、息子の場合もまだ時間があるからとのんびり構えていた。

 「で、これはなんて読むの?」
 「どれどれ、うーん、これは“ぬ”だね」
 「へえ、“ぬ”と“め”は似てるね」
 「そうだね」
 「“ね”と“わ”も似てるよ」
 「そうだね」
 などと話しているうちに、そのうち息子は壁に貼ってあるカタカナ表をじーっと眺め、なんと! 3日ほどでひらがなとカタカナをすべて覚えてしまったのである。
 速い! 意外と一夜漬けが効くタイプだったりして。
 興味がないとはいえ、これまでも風呂場や壁に文字表が貼ってあったのだし、うちにも保育園にも本はたくさんある。本もよく眺めていたし(←読んでいるようには見えない)、紙芝居とかも最前列で食い入るように見ているので、それまでの蓄積はあったんだろうけど、いっきに花開いた感じだ。
もしかして本当に天才だったりして!?
まさか、まさか、ね?

 しかし相変わらず指ばかりしゃぶっている。
 「いいかげんに指しゃぶるのやめないと、蛇に指、食べられるよ!」
 「いや! 蛇怖い!」
 しかし一瞬目を離すとまた指をしゃぶっている。
 「だから、やめないと狼が来るよ!」
 「いや! 狼怖い!」
 しかしまだしゃぶっている。
 「指ばかり舐めてる子はお寺に行って修行だよ!」
 「いや! お寺行かない!」
 それでもやめない。
 「今度はお化け来るよ!」
 「いや! お化け怖い!」
 まだまだやめない。
 あ~あ、全然懲りない。やっぱり天才というには程遠い!?